椿説弓張月、読んだことある?

19. 鬼夜叉、世間を騒がせる

前:18. 鬼ヶ島の為朝

鬼夜叉(おにやしゃ)、世間を騒がせる

為朝(ためとも)()の島から女護(にょうごの)島に戻りました。その際、島から男達全員のうち半分近くを別の船に乗せて連れてきました。今後、男女は一緒に住むことになるのですから、家族の単位で()の島と女護(にょうごの)島にそれぞれ人口を配分するのです。あとで、女たちのうち、()の島に夫を残しているものはそちらに渡っていきました。

為朝の帰ってくる船に、七郎(しっちょう)三郎(さぼり)四郎(しょう)五郎(ごろう)も同乗していました。七郎(しっちょう)三郎(さぼり)は久々に長女(にょこ)に会って無事を喜びあい、そして2人の孫(太郎丸、二郎丸)を抱き上げて、目尻を下げてうれしがりました。

為朝「うん、これで陰陽和合が達成された。みな、幸せに暮らすがいい。…オレのここでの使命は終わったようだな。これから大島に帰ろうと思う」

にょこ「!」

為朝「にょこよ、子供たちの育て方は、お前にまかす。すまないが、よろしくな」

にょこ「…そ、そうよね。あなた様は、戻らなければいけないのですよね。しかし、今度いつここに戻っていらっしゃるか… 為朝さまに私がお供できるとは思っていませんが、せめて子供のうち1人をご一緒させられませんか」

為朝「今回の結婚は、はじめに『仮に』と決めたのではないか。今回の縁に必要以上にこだわれば、為朝は愛に溺れた男と呼ばれてしまうだろう。オレだけで帰らせてくれ」

にょこは、理屈では分かっても寂しさは隠せず、涙ぐみながら立ち尽くしました。

七郎(しっちょう)三郎(さぼり)は、自分は為朝についていくと主張しました。「私は為朝さまの家来としていつまでも仕える覚悟ですぞ。大島に、腹心と呼べるほどの部下はいらっしゃいますまい。私があなた様の爪牙(そうが)となってお守りいたす」

為朝「それは頼もしい話だが、にょこの父親として、ここにとどまってやってくれよ。これは彼女と子供たちのためだ」

そのとき、四郎(しょう)五郎(ごろう)夫婦が、にょこのことは任せてくれと名乗り出ました。「私は為朝さまを深く尊敬しています。また、妻が山で赤子をヤマネコに喰われたとき、そのカタキ討ちを手伝ってくれたにょこどのへの恩は限りがありません。命に代えてお守りしますから、為朝さまは安心して三郎(さぼり)を連れて行ってください」

為朝は、これを聞いて喜び、ついに三郎(さぼり)の同行を許しました。

為朝「じゃあこれから、家来としてよろしく頼むぞ。しかし、ちょっと問題だと思っているのは、お前の名だ。東の七郎(しっちょう)三郎(さぼり)では呼びにくい。これから、そうだな… 鬼夜叉(おにやしゃ)と呼ぶぞ」

七郎(しっちょう)三郎(さぼり)、これより鬼夜叉(おにやしゃ)「気に入りました!」

島人たち「イカスな、あの名前…」


さて、それから数日の間は風のよい日を待ちましたが、いよいよ出航によい条件が整いましたので、為朝は四人の部下と鬼夜叉を連れて大島への海路に出んとしました。島人たちと長女(にょこ)が、名残を惜しんで岸辺に集まっています。

為朝「じゃあ行くけど… あ、そうそう。この島の名前を、女護(にょうごの)島から、何か別の名前にしておくほうがいいと思うんだ。もう男女とも別れて住むことはないんだからね。どんな名前にしようかな」

にょこ「…八郎(はっちょう)島!」

為朝「ほう?」

にょこ「あなたの名前の島なら、これからも、あなたといるようなものだわ(泣く)」

にょこのアイデアに皆が賛成し、これ以降、島の名前ははっちょう島ということになりました。のちに、この名前は(なま)って、八丈(はちじょう)島として知られることになります。

いよいよ為朝たちの船は出ましたが、にょこは最後まで別れを惜しみ、四郎(しょう)五郎(ごろう)に船を出してもらって、少し離れた小島まで為朝の船を送りました。そこで再び船を泊めて、あらためて為朝の無事を祈る言葉を贈ります。

為朝「にょこよ、お前の真心を忘れはしないぞ。見ろ、オレは今ここに、卯木(うつぎ)の枝を折って地に植える。これが根づけば、オレは再びここに戻ってくると思ってくれ」

この卯木(うつぎ)は、のちにしっかり地面に根を張りました。これを祝って、この小島は卯木(うつぎ)島と呼ばれるようになりました。また、為朝がまた帰ってくるようにと、来島(こしま)とも呼ばれました。現在では「小島(こじま)」と呼ばれるところですね。地図帳でチェックしよう!


さて、この小島からも出航しようかという直前、為朝はひとりのみすぼらしい小男に会いました。俵のフタに乗って、チャプチャプと漂流してきたのです。これを見た太郎丸と二郎丸は、大声で泣き始めました。

為朝「誰だあんたは。うちの子供が泣いているではないか。妖怪か何かなのか」

小男「えっと、痘瘡(もがさ)の神というものですが…(※天然痘のことですね)」

為朝「何しに来たんだ」

小男「京と摂津のあたりに病気を流行らせたあと、追い出されてこんなところに流れてきちゃって… ここに住もうかなと思うんですが、ダメですか。あなたみたいなオーラのある人がいては、どうも居させてもらえそうにないなあ…」

為朝「ここに住まれるのは困るな。どっかに送ってやるよ。オレの船に便乗しなさい」

小男「はあ、ありがとうございます…」

この疫病神は、のちに為朝の手によって、大島をスルーして伊豆の本土に送られたということですが、まあ話の本筋にはあまり関係ありません。為朝(ためとも)超人エピソードのひとつということで。

それはともかく、いよいよ為朝は、名残を惜しんでキリがないにょこに最後の別れの言葉をかけ、振り切るようにして沖に出ていきました。


見附(みつけ)島では、為朝が1年以上ぶりに南の果てから戻ってきたことで、島民たちが喜びに沸き立ちました。てっきり、黒潮に流されて死んでしまったと思い込まれていたのです。または、鬼ヶ島の鬼に喰われてしまったとも考えられていました。

為朝「おう、戻ってきたぞ。向こうはよいところだった」

為朝が鬼を連れているのを見て、長老をはじめ、人々は腰を抜かしました。事情が分かったあとは、この鬼夜叉も島民に大歓迎され、大いにもてなされました。為朝はこの島から出てしばらく同行してくれた若者2人に、たくさんの褒美を与えました。そして、残った2人の部下と鬼夜叉を連れて、さらに北、大島への帰途につきました。


さて、大島では、為朝のいない1年と3ヶ月のうちに、どうなっていたでしょう。

為朝のいない間に、忠重(ただしげ)が権力を取り戻し、好き放題に振る舞っていました。島を離れてからあまりに長い間帰ってこないので、死ぬか何かしたんだろう、と考えたのですね。娘の簓江(ささらえ)が為朝が帰らないことを悲しんで弱っているのにもちっとも構いません。むしろ、誰と再婚させようかということばかり口にします。

忠重(ただしげ)「為朝は海の果てで死んだのさ。利島(としま)でも、新島(にいじま)でも、行き先の手がかりは得られなかったんだからな」

忠重は、島民が為朝(ためとも)を懐かしむような言動をすることを禁止し、国府の後ろ盾を持ち出して恐怖政治を敷きました。また、伊豆本土の茂光(しげみつ)ために、貢ぎ物を再開するどころか、今までの倍にすると申し出ました。当然、島からは税をしぼり取ることになりますが、島民が苦労することなど忠重(ただしげ)にとっては知ったことではありません。

為朝が出て行った翌年の4月に、ついに彼が戻ってきたらしいというウワサが流れました。簓江は3人の子供を抱きしめて喜びました。忠重ははじめこのウワサを信じませんでしたが、だんだん怖くなってきました。

ついに、大島の港に為朝たちの船が到着しました。歓迎に群がる人々に、為朝は南の島々であったことを簡単に語りました。当然ながら、鬼夜叉の恐ろしげな姿には島民は震え上がりました。

為朝「ともかく、屋敷に帰るぞ。簓江(ささらえ)が待っている」

為朝は屋敷に帰り、無事を喜ぶ簓江と、物心のついてきた3人の子供らを前に、旅先で起こったことをつぶさに話しました。当然、にょこに2人の子供を産ませたことも報告します。

為朝「島の迷信を消し去り、文明を伝えるためだったのだ。許してくれるかな」

簓江(ささらえ)は一切嫉妬じみた言葉を言わず、むしろ、娘と孫を南の島に残してきた鬼夜叉の気持ちを気づかいました。鬼夜叉のほうでも簓江(ささらえ)の度量に感心し、この2人は互いに友情を感じるようになりました。


忠重は、為朝が戻ってきて以来、再び仮病で引きこもっていましたが、為朝はそれを無理に引っ張り出して、今まで起こったことを報告させました。大体のことは他の人から聞いていますので、叱る気まんまんです。

為朝「勝手に伊豆と連絡をとって茂光(もちみつ)に媚び、税を増やして島民をしいたげるとは何事だ」

忠重「それは… 仕方のなかったことなのでございます。あなたは今だ朝敵であり、その子らもしかりでございます。私ひとりで、本土からのプレッシャーをつっぱね続けることはできません。せめて貢ぎ物を再開し、お子さまたちの命を救うことが最善と考えたのでございます」

為朝「詭弁を言うな! 我が子たちは仮にも武士の子、敵にこびへつらってまで生きながらえさせようとは思っておらん。そもそもお前の本心が別にあったことは、これ以上聞くまでもなく明らかだ! この罪は死に値する」

忠重「ひいっ」

為朝「…が、簓江(ささらえ)に免じて、命だけは許す。しかし、それなりの方法で罪を償ってもらうぞ」

忠重は、指を切り落とすという罰を与えられました。ハサミで、一本ずつすべての指を切り取られたのです。忠重は、傷を押さえて痛みに泣きながら自分の屋敷に戻っていきました。簓江(ささらえ)はこの様子をこっそり見て、痛ましさに人知れず涙を流しました。父に罪があることは納得しても、やはりつらいものです。


為朝「さて、忠重のことはこのくらいかな… あとは、恨みから反乱めいたことを起こさないよう、武器を没収しておこう。次は、茂光(もちみつ)だ。オレの留守をいいことに、忠重をそそのかして大島を荒らしやがって。ひとつ驚かしてやろう」

為朝は、伊豆国府への挨拶であると称して、鬼夜叉を本土に遣わしました。彼の見た目は鬼に他なりませんから、誰もが怖れて逃げ惑いました。鬼夜叉はやがて茂光(もちみつ)の屋敷の前まで到着しました。

鬼夜叉「大島の為朝からの使者として参った! 門を開けられよ! 怖くないから!」

茂光(もちみつ)は、為朝が南の島から鬼を連れて帰ってきたというウワサが本当だったのを知り、怖がってついに門を開けさせませんでした。「どんな妖術を使うかわからん、絶対に気を許すな」

鬼夜叉は笑いをこらえながら屋敷の前を去り、やがて大島に戻って為朝に一部始終を報告しました。

為朝「ざまみろ。ハハハ」
鬼夜叉「ハハハ」

為朝が忠重(ただしげ)茂光(もちみつ)に対して行った今回の仕返し行為は、あとで考えればやや軽率でした。このことが後に、思わぬ不幸を為朝にもたらすことになったからです。


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