椿説弓張月、読んだことある?

46. 白縫王女

前:45. 赤瀬の碑

白縫(しらぬい)王女(わんにょ)

白縫(しらぬい)為朝(ためとも)は、小琉球の北の果て、赤瀬(あかせ)(いしぶみ)のもとで思いがけず再会しました。白縫はよろこびに熱い涙をながします。しかし、為朝(ためとも)のほうはまだ何が起こっているのか分かりません。目の前にいるのは、ほとんど見たこともないような女性なのですから。

為朝(ためとも)「お前はだれだ? どうしてオレを為朝(ためとも)と知っている」

白縫(しらぬい)「わたしですよ、白縫(しらぬい)です!」

為朝(ためとも)「いや、白縫はそんな姿ではない。しかし、声だけなら白縫(しらぬい)に似ているようだが」

白縫(しらぬい)「ああ、確かに、説明しなきゃ分からないわね… 私は正真正銘、あなたの妻、白縫(しらぬい)です。かつての海難で身は滅びましたが、私はこの国に、魂だけとなって渡っていたんです」

為朝(ためとも)「なんだって?」

白縫(しらぬい)「この体は、ここ琉球国の王女、寧王女(ねいわんにょ)のものです。この国では悪いものたちが国政を牛耳っており、忠臣・孝子たちが迫害されました。なんと、王女(わんにょ)までが佞臣たちに命を奪われるところだったのです。私は彼女の絶体絶命に際してその体を借り、そのまま敵を撃退して、あなた様がいつかここを訪れるのを待っていたんです。たしか、為朝(ためとも)さまも、いつか琉球に鶴を探しに来たときに、寧王女(ねいわんにょ)には会ったのじゃありませんでしたか」

為朝(ためとも)「ああ、思い出した、おぬしは寧王女(ねいわんにょ)だ! そうか… どうも、そこに乗り移っているのは、本当に白縫(しらぬい)らしい。驚いたな…」

為朝は、自分がここにいる理由についても説明をはじめました。

為朝「あの嵐の日、オレは崇徳院(すとくいん)の眷属である天狗たちに助けられて、ひとり、この国の端にある佳奇呂麻(かけろま)というところに漂着したんだ。そこの住人に助けられて寝食には困らなかったんだが、妻も子も、他の誰も、生き残っているとは到底思えなかった。オレは生きがいを失ってよほど自殺しようと思ったが、仮にも崇徳院(すとくいん)に助けられた身を粗末にもできず、それは思いとどまった。お前たちや舜天丸(すてまる)がどうなったのかをちゃんと知るまでは、すくなくとも死ねんしな」

為朝「佳奇呂麻(かけろま)の住人たちが、この国ではびこっている悪政のことは大体教えてくれた。尚寧王(しょうねいおう)は暗愚な王で、朦雲(もううん)利勇(りゆう)という悪いやつの思うままになっているのだそうだな。また、毛国鼎(もうこくてい)査國吉(さこくきつ)新垣(にいがき)真鶴(まなづる)といった尊敬すべき人物のことも聞いた。そして彼らの苦難のこともな」

為朝「オレは住民たちに恩返しをするため、いつか立ち上がり、悪いやつらを除いてやろうと考えていた。しかし、都に攻め込むほどの軍を持っているわけでもないから、何かチャンスはないものかと待ちつつも、今日まではなすすべもなく生きていたんだ」

為朝「しかし、今日の明け方に異変が起こった。佳奇呂麻(かけろま)の住人たちが、慌てて荷物をまとめ、島から逃げようとしているのだ。聞いてみると、王の悪政によって現れたという恐ろしい獣が、逃亡した王女(わんにょ)を追ってここに近づいているのだと」

為朝「その獣は、新しく王位に即いた朦雲(もううん)のことを批判するものを見つけて、片端から食い殺すのだという。佳奇呂麻(かけろま)では、朦雲や利勇のことを好き放題こき下ろすのが、みなの日常のアイサツのようなものだったからな。皆殺しになると思ったのだろう」

為朝「オレは、とりあえずそのという獣を殴り倒して、昔の縁がある王女(おうじょ)を救おうと、佳奇呂麻(かけろま)からここまで舟を漕いできたというわけだ。一応間に合ったな。しかし、もうは退治してしまった様子だが。この(いしぶみ)が倒れて、獣を打ち殺したのか… この国をはじめに(おこ)したという天孫(てんそん)氏の力なのかな」

白縫(しらぬい)天孫(てんそん)氏の利益について為朝と同意見でしたが、ほんの少し前に、一緒についてきてくれた鶴と亀が捕らわれてしまったことは痛恨だと言って嘆きました。

為朝「む、じゃあオレは、もう少し早く着ければよかったなあ… なに、彼らは少年であるし、すぐに殺されることもないと思う。きっとこれから救い出すチャンスはあると考えよう。さあ、ここにとどまっていては、まだ敵は来るかもしれん。まずは一緒に佳奇呂麻(かけろま)に戻ろう。ここから近いから。そこで今後の戦略を考える」


白縫(しらぬい)「私に、今後のことについてアイデアがあるんです。国相だった利勇(りゆう)だけは、から逃れて、領地の南風原(はえばる)にいるらしいわ。中婦君(ちゅうふぎみ)の産んだ王子も連れているのですって。利勇(りゆう)も例の佞臣たちの一味だったのだけど、いちおう、朦雲(もううん)を倒すという目的では私たちと利害が一致するわ。彼にいっとき協力し、軍を借りて朦雲(もううん)を倒すというのはどう」

為朝「うん、悪くない。利勇(りゆう)その人にはまったく感心しないが、その王子は王の正統を継いでいるんだからな。彼を王位に就けるのは、寧王女(ねいわんにょ)やその他の忠臣たちのために大義がある。落ち着いたら、すぐにやろう」


白縫(しらぬい)「それじゃあまずは佳奇呂麻(かけろま)に行きましょう、わが夫!」

為朝「む、その『夫』というところだけどな… マズくないか。お前の魂は白縫(しらぬい)でも、体は寧王女(ねいわんにょ)じゃないか。お前と結婚生活に戻ることはできないと思うんだが…」

白縫(しらぬい)王女(わんにょ)はこのトシまで夫を持っていませんでした。きれいな体です」

為朝「そういう問題じゃないよ… ともかく、そういうのは当分控えような」

白縫(しらぬい)「ちぇっ、ちぇっ! まあいいわ…」


さて、こういうわけで、為朝は白縫(の乗り移った寧王女)を連れて、現在世話になっている佳奇呂麻(かけろま)に戻りました。しかし、その途中でトラブルがありました。朦雲(もううん)のもとから放たれた斥候(せっこう)たちが、ここらの海を巡視していたのです。彼らは為朝の乗った舟を見つけました。

為朝は、用心のため、釣った魚を入れる(ふご)という容器に白縫を隠れさせ、みずからも猟師のような変装をして移動していたのでした。このため、すぐに正体がばれることはありません。それでもやはり、斥候(せっこう)たちには呼び止められてしまいました。

為朝「なんですか。私は単なる猟師ですよ」
斥候(せっこう)「我々は、逃亡中の寧王女(ねいわんにょ)を捜索している。その(ふご)は、人が入るサイズだな。中を見せろ」
為朝「カンベンしてくださいよ。漁師が人に(ふご)の中を見せると、運が下がって魚が獲れなくなると言うじゃないですか」
斥候(せっこう)「生意気をいうな」

斥候(せっこう)は、持っていた槍を(ふご)に突き刺しました。為朝はギョッとしましたが、顔色には驚きを一切出さないようにがんばりました。

為朝「ご無体なことをなさる… 中には、さっき獲れた、貴重な黒饅魚(こくまんぎょ)が入っているんですよ。キズものになっちゃったじゃないですか。値が下がるよ…」

もうひとりの斥候(せっこう)が、再び槍を(ふご)に突き立てようとしましたが、この男は舟がグラついたので足を踏み外して海に転落してしまいました。為朝はこのスキにすばやく舟を漕いで逃げてしまいました。

斥候(せっこう)「あっ、待ちやがれ」
もうひとりの斥候(せっこう)「いや、もう放っとけ。あいつはシロだ。中に入っていたのが本当に王女(わんにょ)なら、さすがにもっと顔色を変えたはずだからな。(ふご)の中に入っていたのは、ただの魚で間違いないだろう」

こうして、為朝の必死のポーカーフェイス作戦で、かろうじて敵の手を逃れることができました… しかし、中の白縫は無事でしょうか。為朝はじゅうぶん遠くに離れてから、(ふご)の口を開いて「大丈夫か!」と中をうかがいました。

白縫(しらぬい)「なんとか大丈夫よ。スネのあたりを傷つけられただけ」
為朝「お前が声をたてなかったので、オレも軽傷だろうと推測して、あんなふうに振る舞った。よかった… もしお前にもしものことがあったら、今すぐ敵どものもとに突入して、死ぬまで暴れるところだった」

為朝(ためとも)は舟の上で白縫(しらぬい)に応急処置をほどこしました。

佳奇呂麻(かけろま)に戻った為朝は、村人たちに大歓迎されました。「よくぞお戻りくださった、われらの(あるじ)よ!」

為朝はとても尊敬されていて、もはや呼ばわりなんですね。彼はどこでも民に好かれるのです。

為朝「うん、例のは、天孫氏の力で撃退されたようだぞ。(いしぶみ)が倒れて、獣を押しつぶしたのだ。また、寧王女(ねいわんにょ)も救出することができたぞ」

村人「すばらしい!」

村人たちは、この女性が寧王女(ねいわんにょ)と信じて疑いません。まあ、見た目は王女(わんにょ)そのままですからね。そのまま村長の屋敷に運ばれ、キズの手当もして、休ませてもらうことができました。

為朝「(村長に)さて、王女(わんにょ)の扱いについて、お前たちに頼みがある。彼女を変装させ、名前もかえて、ここにしばらくかくまってほしいんだ。オレが日本から船に乗って漂流してきたとき、妻だった白縫(しらぬい)の衣装もそこに入っていただろう。それを王女(わんにょ)に着せて、為朝の妻、白縫(しらぬい)ってことにしておいてほしいんだ。敵の捜索をかわすためにな」

白縫「(小声)わ、妻ですって。ステキ!」
為朝「(小声)あくまで、仮にだからな!」

こう村人たちに頼んで、為朝自身は、利勇に会って今後の戦略を相談するために琉球本島に向かって舟を出しました。さて、為朝(ためとも)利勇(りゆう)の共闘は成立するのでしょうか。


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