椿説弓張月、読んだことある?

59. 白縫、死者たちを想う

前:58. 舜天丸

白縫(しらぬい)、死者たちを想う

琉球(りゅうきゅう)の端の無人島である姑巴島(こはしま)において、為朝たちは、今まで行方が分からなかった舜天丸(すてまる)紀平治(きへいじ)に出会うことができました。白縫(しらぬい)は今は寧王女(ねいわんにょ)の体を借りた存在ですが、その話し方や振る舞いは在りし日の白縫(しらぬい)と全く同じなので、舜天丸(すてまる)紀平治(きへいじ)もだんだんと違和感を感じなくなっていきました。

為朝は、今回の敗戦のことをずいぶん反省しているようでした。

為朝「私は子供の頃から今まで、戦において不覚を取るということが全くなかった。保元の乱は負け戦だったものの、あれは頼長(よりなが)公が私の策を用いなかったからで、私のミスではない。しかし今回だけは…」

為朝「あの妖僧・朦雲(もううん)を、私はナメていたという他はない。妖は徳に勝つことなし、と信じるあまりに、慎重さを欠いたのだ。一生の不覚とはこのことだ。しかも、巴麻島(はましま)の童子によれば、今年は私にとって星の巡りが非常に悪いということなのだ。悪い要素がいくつも重なっていたのだな」

為朝「しかし、もう大丈夫だ。絶対に再び負けることはない。来年の春を待って、リベンジ戦に打って出よう。林太夫(りんたいふ)よ、お前はいったん佳奇呂麻(かけろま)に帰り、来年3月ごろにもう一度ここに来てくれ。それまでに準備をする」


林太夫(りんたいふ)は、この話に承服できません。「い、いやいや。私だけが出て行くなんてイヤですよ。そもそも、この島は小さくて、朦雲(もううん)があなたがたを見つけてここに攻めてきたら、とても危険です。佳奇呂麻(かけろま)にみなさん一同で来ていただけば、周辺の島々も加わって、住民たちが全力でお守りします」

為朝・白縫「ふーん、どうするのがいいかな…」

舜天丸(すてまる)がこの話に加わります。「この島は、朦雲(もううん)に見つからないと思いますよ」

為朝(ためとも)「ほう、どうしてだ」

舜天丸(すてまる)「もし見つけられるのなら、この7年間の間にとっくにここに攻めてきていたはずですからね。佳奇呂麻(かけろま)に行くほうが、見つかるリスクはむしろ高いです。そうすれば、準備もそこそこに朦雲(もううん)軍と戦う羽目になりかねない」

舜天丸(すてまる)「あと、この島の名前が、とても縁起がいいんですよ。姑巴島(こはしま)は、()を破るという語呂があります。父上が童子に会ったという巴麻島(はましま)も、ズバリ、破魔(はま)の島です。この島から兵を起こして朦雲(もううん)に立ち向かうというのが、いかにも素晴らしい。どうでしょうか」

為朝(ためとも)はこの意見に感心し、ヒザをポンと叩きました。「見事な議論だ、息子よ!」

紀平治と白縫も、舜天丸(すてまる)の賢さに改めて感動しました。結局彼の意見は受け入れられ、来年の春までこの島にとどまることになりました。

為朝(ためとも)「そういうわけだから、林太夫(りんたいふ)よ、お前だけが佳奇呂麻(かけろま)に帰るのだ」

林太夫(りんたいふ)「そんなあ。私はここにとどまって皆さんの役に立ちたいですよ。舟の中には、こんなこともあろうかと食料・衣服・工具なんかを積んできたんです。来年までに、私は軍船をひとつ作ることができますよ。ね、役に立てるでしょ」

為朝(ためとも)はこれを許しません。「太夫(たいふ)よ、お前には島に残した家族がいて、お前の帰りを待っているのだろう。彼らを心配させ、苦しめてはならん」

紀平治も太夫(たいふ)を諭します。「船なら、私も作れるよ。大丈夫、私も海育ちなんだ。老いのにちょうどいいさ。まあ、せっかくだから、工具は太夫(たいふ)に借りようと思うけど」

為朝(ためとも)「おお、紀平治、頼もしいな。太夫(たいふ)、だから安心して戻ってくれ。来春の3月になるまでは、我々のことも皆に話さずに、こっそり力を蓄えよ。そして、為朝が宜野湾(ぎのわ)浦添(うらぞい)を攻めるというウワサが聞こえてきたら、それを手伝いに駆けつけてくれ」

林太夫(りんたいふ)「わかりました、それでは、仰せのとおりに…」


こういうわけで、この島には為朝(ためとも)白縫(しらぬい)紀平治(きいへいじ)舜天丸(すてまる)だけが残りました。彼らは日夜、どうやって朦雲(もううん)と戦うのかを話し合いながら過ごしました。やがて年は暮れ、そして、あっという間に、草木にうっすらと緑色が戻る季節になりました。あれから100日が過ぎていました。

紀平治は、この間に、島の木を切って一艘の軍船を作り終えました。見た目は老いてガリガリでも、さすが神の桃を食べてきた身です。むしろ、若いときの力が戻ってきたかのような元気ぶりでした。

為朝(ためとも)「よし、時節は到来した。今こそ作戦を決行するぞ。まずは我々は中山(ちゅうざん)に忍び入り、首里(しゅり)の偵察と、王子の捜索をするのだ。その後、チャンスがあれば、手始めに浦添(うらぞえ)の城を落とす。我々が旗揚げしたことを知れば、陶松壽(とうしょうじゅ)(つる)(かめ)たちが(生きていれば)我々に合流しにくるだろう。みんな、用意はいいな」

白縫・紀平治・舜天丸「おう!」

4人は、林太夫(りんたいふ)にもらっていた服を着て、硫黄商人の格好に扮しました。そうして、島からすべての荷物をひきあげ、船に搭載しました。三本の破魔矢や、源氏の兵書などももちろん忘れません。

紀平治「では行きましょう!」

紀平治が船をこぎ、一同は島から出発しました。春の海はおだやかで、海路はきわめて快調です。本島の南には船をとめず、那覇(なは)(とまり)をスルーして、船は大栄川(たいえいかわ)に着きました。一同はここで船を乗り捨て、行李(こうり)を背負って陸に入っていきました。4人で群れになっては目立ちますから、為朝(ためとも)舜天丸(すてまる)がまず先に行き、白縫(しらぬい)紀平治(きへいじ)は充分後ろに距離をとってこれを追います。

名護(なご)を超え、恩納嶽(おんながたけ)のもとまで来ました。ここで野宿し、翌日もまた先に行きます。白縫(しらぬい)は、そういえばこの山に王女(わんにょ)(と私)は逃げて入り、そこで査國吉(さこくきつ)に会ったのだ、と思い出しました。

白縫(しらぬい)「(査國吉(さこくきつ)… 激しい忠義をもった勇士だった。そして、毛国鼎(もうこくてい)新垣(にいがき)… 私が生きているのは、彼らの魂が私の行く先を導いてくれたおかげでもある)」

さらに一同は先に行き、越来(こえぎ)に入りました。そこは忘れもしない、真鶴(まなづる)が激しく戦って、王女(わんにょ)を守るために忠死した場所でもあります。石の橋を渡るとき、白縫(しらぬい)の胸は彼女を思って激しく痛みました。

白縫(しらぬい)「(真鶴(まなづる)…)」

白縫(しらぬい)は、物思いにふけるあまり、時々紀平治(きへいじ)に大丈夫かと呼びかけられながら、さらに先に走りました。

やがて、日が西に傾いてきたころ、一同は中城(なかぐすく)の東、姑場(くば)の山里に来ました。ここは、寧王女(ねいわんにょ)の母であった廉夫人(れんふじん)が自ら刀に伏して死んだ場所です。白縫(しらぬい)の心が今は入っているとはいえ、王女(わんにょ)の体はこの悲しみを無意識に感受することができるのでしょう。非常に切ない気持ちが胸を締め付けます。

白縫は、道のほとりに、誰が立てたとも知れぬ卒塔婆(そとば)を発見しました。

白縫「(母上)」

その卒塔婆が廉夫人(れんふじん)のために建てられたものかどうか、それは分かりません。しかし、この地の誰の悲しみも、今の白縫には自分の悲しみのように感じられるのでした。彼女は立ち止まるとこの卒塔婆に手をあわせ、母の冥福、そして、悲しみを負ったものすべての慰めを願い、祈りをささげました。


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