40. 親兵衛が神隠しにあう
■親兵衛が神隠しにあう
犬川荘助に会うために大塚に行ったまま、信乃・現八・小文吾の三犬士どころか、丶大までが何も連絡してこないという状況になりました。かの地でいったい何が起こっているのでしょう。
蜑崎照文「私も行って、何が起こっているのか確かめてきましょうか」
妙真「いや、これで蜑崎様まで帰ってこられないということになったら、もうどうしていいか分かりません。せめて行徳にいって様子を見てくるだけにしてください。ひょっとして誰か、あちらに帰っているのかもしれませんし」
照文「じゃあ、そうしましょうか」
こんなわけで、照文は行徳に出発しました。妙真はひとり(親兵衛もいますが)家に残って、こまごまとした供養の仕事を行ないました。しかし、一人でいると、悲しいことも思い出し、また、いろいろな心配が湧きあがって来ます。
妙真「初七日どころか、今日であれから二週間なのに…」
やがて正午になったころ、大きなだみ声で、「ようママ、ひさしぶりだな」と縁側から声をかけるものがあります。驚いてそちらを振り返ると、体中毛だらけでひどく下品な人相の50代の男が、うちわで体を扇ぎながら妙真を見据えています。
妙真「ああ、舵九郎さんですか。何の用です」
暴風舵九郎は、住所不定の舟漕ぎで、ふだんから酒とバクチにひたっている乱暴者です。妙真はあからさまな嫌悪感をしめします。
舵九郎「いや、房八のアニキを最近見ねえなと思ってよ」
信乃たちが出発する前に、房八や沼藺が急にいなくなったことを近所にどう説明しようかということが問題になりました。話し合った結果、(1)房八は用事で鎌倉に出かけた、(2)沼藺は理由あって行徳に帰っている、というふうに皆で口裏をあわせることになっているのです。
妙真「房八は鎌倉に行っているのよ」
舵九郎「俺も仲間にそう聞いたんだがよ。なーんか、腑に落ちねえんだよな。なーんか、よ」
妙真「何が?」
舵九郎「もうひとつ、最近、ここに坊主がひとり、武士がひとり泊まっているそうじゃねえか。なーんか妙なんだよ。ぶっちゃけ聞くぜ。ママ、なんか隠してねえか」
妙真「何も」
舵九郎「たまたま今がママひとりだってんで、親身になって相談でも聞いてやろうと思って、来てやったのよ。成り行きによっちゃあ、俺は味方にも敵にもなるぜ。ん?」
妙真「ですから、何も隠してはいませんよ。房八と沼藺のことは話のとおりだし、武士とお坊さんは、もともと房八の客なので、彼が帰ってくるのを待っているのよ」
舵九郎「最近、墓に誰か新しく埋めたよなあ。あれ、誰なんだ」
妙真「!」
舵九郎「となりの行徳で、古那屋に立てこもって殺されたっていう、犬塚ってやつか? ダチの鹹四郎も最近消息が知れねえ。鹹四郎か? それとも案外、房八のアニキ本人だったりしてな。 …なあ、ここの嫁さん、行徳にいるなんて、ウソだろ。俺は行って見てきたんだよ」
妙真「…あの墓に埋めたのは、罪人の犬塚という男ですよ。許我の使いに命令されて、義理の息子の小文吾が殺したのだけど、もともと恨みはないのだし、せめての供養に、首をとったあとの体だけ、ここに埋めたのよ」
舵九郎「ギャハハ。語るに落ちやがったな。古那屋の小文吾とここの房八が、例の相撲勝負以来ひどい不仲だってことは、有名な話だ。古那屋で殺した罪人を、ここに埋めてやるわけがねえじゃねえか」
舵九郎「おれの推理はこうよ。小文吾が、房八を殺して逃げたんだ。当然ママは、カタキの妹である沼藺チャンも放り出す。そうして一人になったところを、さびし紛れに、坊主やらサムライやらを間男として取っかえ引っかえ楽しんでいる、ってこった。どうよ、当たってんじゃねえのか」
妙真「あなた、何が言いたくてここに来たの」
舵九郎「安心しな、オレはチクんねえよ。…ママはまだ40歳だ。充分色気は残っているんだし、無理もねえ。しかし、間男なんて後ろめたいことしねえで、いっそ再婚すべきとは思わねえか。たとえばこのオレと。オレは意外と優しいやつなんだぜ。実は前から、オレはママのことを…」
妙真「なにをバカな」
舵九郎「断れば、墓をあばいてやる。もし房八の死体が出てきたら、どうなる」
妙真「墓をあばくのは犯罪です」
舵九郎「違うね、犯罪をあばくために墓を調べるんだ。こいつは正義のためなのさ、へへへ。しかし本当にやるかは、ママの返事次第なんだよ。なあ」
妙真「人を呼びますよ」
舵九郎「よしわかった、墓をあばいてもいいっていうんだな。さっそくやるぜ、オレは」
妙真「それは待って」
舵九郎「じゃあオレのプロポーズに応えるのか。イエスかノーかどっちなんだ。おうおう!」
そこにたまたま、文五兵衛を引き連れた蜑崎照文が現れました。「おいお前、何をしている」
舵九郎「なんだ間男の到来か。おい、お前も同罪だ。荘官につき出してやる」
照文は、つっかかってくる舵九郎の腕をつかむと、くるっとひねって庭に放り投げました。村の乱暴者も、さすがにプロには勝てません。
舵九郎「痛てぇ! …けっ、ウソだよ効いちゃいねえよ。おぼえてろよクソサムライが。おならプー!」
舵九郎は裾をまくって尻をペンペンしてみせると、めちゃくちゃに悪態をつきながらスタコラ逃げていきました。照文は刀を抜いてそれを追おうとしましたが、妙真に止められました。
妙真「ああいうチンピラは、ケンカを買っているとキリがありません。関わらないほうがいいのです」
妙真は、今あったことを、照文と文五兵衛に話しました。文五兵衛は、今後のことを相談するために、たまたま照文といっしょにここに来たのです。
文五兵衛「あまりここには長くいられなくなってきましたな…」
照文「あいつのゲスな推理は大ハズレなんだが、だからといって墓をあばかれると、沼藺さんがいる理由とか、いろいろ説明できなくなってくるな… みなさん、ここは、やっぱりまとめて安房に避難するべきですよ」
照文の主張はこんな感じです。
○ 照文は、今すぐ、親兵衛と妙真をつれて安房に行く
○ 文五兵衛も途中まで一緒だが、途中で別れて大塚に行き、信乃たちと丶大に会って事情を説明したあと、いっしょに安房に行く
妙真・文五兵衛とも、この主張に納得しました。
妙真は、さっそく荷物をまとめて、旅の準備をはじめました。家の使用人に依介という青年がいるのですが、
依介「おや、妙真さま、どこへ行かれるのです」
妙真「ちょっと急なのだけど、皆で行くところがあるのよ。ちょうどいいわ、あなたも荷物を持つのを途中まで手伝って」
依介「はい、よろこんで」
素直で根のいい男ですので、妙真は国の境まで依介も連れて行くことにしました。また、親兵衛は文五兵衛が背負って運びました。
笠をかぶって人目を避けながら、一行は上総に向かって進みました。夕方、並松原というところに着いたあたりで、道の向こうに立ちはだかった男たちがいます。めいめいが舟の棹やら他の武器やらを手に携えています。
照文「懲りないやつだな」
舵九郎「思ったとおりだ。悪事がばれそうになって、一同で逐電というわけだ。こんな小細工を嗅ぎつけられないオレ様と思ったかよ。女を渡して、残りは死ねや。おまえら、やっちまえ」
乱闘がはじまりました。
ワラワラと襲ってくる敵たちを、照文は存分に斬り散らします。文五兵衛は、親兵衛を妙真にあずけると、これをかばいながら、旅刀を振るって敵を防ぎました。(那古七郎の弟ですから、それなりに刀に心得はあるのです。)
依介は何も武器を持っていないので、妙真が捨てた杖を拾って、がんばって妙真たちを守ろうとしましたが、眉間を櫂でなぐられ、血を出して倒れました。これを見て文五兵衛はひるんでしまい、守っていた妙真たちから距離があいてしまいました。そのスキに、舵九郎が妙真を親兵衛ごと抱きすくめました。
妙真はこれを振りほどこうとしましたが、がっちりと腕を回されています。夢中で、自分の髪からかんざしを抜き取り、舵九郎の腕に力いっぱい突きたてました。
舵九郎「うおう」
腕がほどけましたので妙真はそこから逃げ出そうとしましたが、舵九郎は刺されていないほうの手で親兵衛の肩をむんずとつかみ、木の実をもぐように幼児を奪い取りました。そして、すがる妙真をけり倒すと、ひとり、暗い方向に走っていきます。
妙真「あっ、返しなさい」
妙真は起き上がって、必死に追いかけました。
舵九郎は、開けた場所で、切り株の上に腰掛けて待っていました。妙真が見えるところまで走ってくると、まずは親兵衛を自分の足元にどさっと放り投げて、ひどく泣かせました。
妙真「親兵衛!」
舵九郎は再び親兵衛を引き寄せ、片手には大きな石をつかみました。
舵九郎「残りの三人は、もう死んだだろう。妙真、あとはお前だけだぜ。もう一度だけチャンスをやるよ。オレと結婚するか。イエスならこのガキは助かる。ノーなら… こいつをたたき殺して、刻んで塩辛にして、酒のつまみにしてやる」
妙真は、もう絶望でなにも声に出せません。親兵衛も自分も死ぬしかないと覚悟を決めたとき…
照文「まてっ」
照文と文五兵衛が、30人近くいた敵をついにほとんど倒して、ここにたどり着きました。
しかし状況が好転したわけではありません。依然として、舵九郎が親兵衛を人質として抱えています。いつでも石を地面の上の親兵衛に叩きつけられる格好で、
舵九郎「ギャハハハ! お前ら、生きていたかよ! ちょうどいい、見物客が多いほうがいいもんなあ。このガキ、どうやって殺してほしい。好きな方法を言えよ」
照文「…」
文五兵衛「…」
妙真「ううう」
この間合いでは、何か神霊の助けでもない限り、親兵衛が殺されるのを防ぐことができません。かくなる上は、親兵衛を救えないまでも、せめて舵九郎を一刀両断に殺してくれようと、照文は刀の柄を握り締めました。
舵九郎「黙ってるってことは、お任せコースか。いいだろう。目ん玉ひらいてよく見とけよ! おりゃああ」
妙真「やめてええ」
石が叩きつけられました… が、親兵衛でなく、地面をしたたか打ちつけただけです。
舵九郎「あれっ?」
舵九郎「…て、手元が狂ったぜ、もう一度!」
もういちど腕を振り上げると、今度はしびれて動かなくなりました。
突如、天から雲のカタマリが降りてきました。すさまじい雷鳴と閃光。突風が吹き、草木にあたってゴウと鳴ります。雲は、地面に横たわる親兵衛にからみつくと、これを上空に持ち上げました。
舵九郎は我に返り、人質を失ってなるものかと、雲に飛びつこうとしました。すると、舵九郎の体もフワフワと上空にのぼっていきました。次に、ズン、という音とともに彼の体は空中で裂け、血だらけの死体となって地面に落ちました。
そして、雲が晴れたとき、親兵衛の姿はどこにもありませんでした。