107. 作戦? 何それ、おいしいの
■作戦? 何それ、おいしいの
大山寺を出て約4時間、犬江親兵衛たちは走りに走って、夜道に迷うことなく、もう館山城近くの並松原まで来ました。まだ夜は明けません。
お供の人たちはみんな遅れていますが、矠平はひとり、平然として名馬・青海波の走りについてきました。
親兵衛「矠平、すごいね。その走り、余裕で世界を狙えるね」
矠平「まあ、神の助けですから。チートですからな。遅れた人たちをここでちょっと待ちましょう」
親兵衛「そうだね」
やがて、苫屋景能と蜑崎照文が追いつきました。両方とも馬に乗っているのに、それでなお、徒歩の矠平のほうが早かったんですね。
親兵衛「じゃあここからの段取りを決めよう。私・苫屋・矠平は館山に行って御曹司・義道さまを救い出す。ここからは馬は一頭で足りるから、照文は、苫屋の馬もつれて、義成さまの陣に行き、今までの報告をしておいてくれ」
照文「オッケーです。しかし、親兵衛さまは今日、どんな作戦で行くおつもりなんです」
親兵衛「まあ、成り行きでなんとかするよ」
このまま親兵衛は、二人のお供をつれて、館山の城門前に行きました。山桜が朝日に映えています。そして大声で呼ばわりました。
親兵衛「国主の使い、犬江親兵衛仁だ。城門を開けよ。こちらはたった三人、何ら用心はいらぬ」
門番はこれを見ていぶかしみ、願八に報告しました。願八「国主の使いだと。ガキじゃあないか。しかもお供のほうはヨボヨボの老人だ」
これを聞いた素藤はあざ笑いました。「なるほど、向こうは降参ってことか。何か目先を変えさせようとして、わざと弱そうなやつをこちらに送ってくるくらいだからな。よし、さんざんビビらせてやって、和睦の条件をつり上げてやる。当然、浜路姫は差し出させるぞ」
まず、親兵衛たち一同は、一時間近く待たされました。そして素藤の側近・願八と盆作は豪華な防具をつけて多数の雑兵をつれて現れると、非常に高圧的な口調でこう言いました。
願八「お使いご苦労。通用口を開けるので、そこから入りなさい」
親兵衛はこれをあざ笑い、馬から下りる気配もありません。
親兵衛「国主の使いが通用口から入るという道理があろうか。お前は礼儀を知らぬバカだな」
願八はカッとしました。「バカとは何だ。お前らのほうこそ、国主の使いなら、もっとまともな人間をよこすべきではないか。ガキにジジイだと。なめやがって。おい、犬江とか言ったな。犬なら、なんなら犬のくぐり戸で十分だ。人間用の門なだけありがたいと思え」
親兵衛「人物を評価するのに、年齢など関係はない。私が犬のくぐり戸を使うなら、じゃあ蟇田素藤はどうする。ヒキガエルなみに、ドブから出入りするのか」
願八と盆作は簡単に言い負かされて、悔しく思いながら仕方なく正門を開かせました。
親兵衛は馬をヒラリと下りると、弓や鉄砲でものものしく武装した数百人の兵たちの間を堂々と歩いて中に入りました。矠平はその後ろから馬も城内に入れようとします。
願八「おい、馬を城に入れるな。門の外につなぎ止めるのがマナーだろうが!」
親兵衛「平時ならそうだろうが、今は仮にも交戦中なのだぞ。お前はTPOを知らぬバカだな」
雑兵たちが馬を後ろに押し戻そうとしましたが、名馬青海波はいななき狂って暴れ、そこらの人たちにはとてもまともに扱えません。願八と盆作はここも折れざるを得ませんでした。「今に見ていろ、どうせ素藤さまの前に座ったら、借りたネコみたいに縮み上がるんだからな」
さて、親兵衛は、玄関から中に案内されました。腰の刀をあずけるように要求されましたが、これを無視します。
願八「さすがにこの不作法、見捨ておけぬ。いくらなんでも、刀を帯びて玄関を登ることが許せるはずがない。いいかげんにしろ」
親兵衛「繰り返させるな。私は国主の使い、そちらはたかだか一領主だ。別に間違ってはおらぬ。そもそも、私は別に降伏に来たのではないぞ。くだらんことでガタガタ言うな。とっとと案内しないか、バカめ」
願八「(ちきしょう、ちきしょう…)」
玄関に矠平と苫屋を残し、ついに親兵衛は、長廊下を通って、素藤の待つ書院の間に通されました。
願八「使いの犬江親兵衛をつれて参りました」
大きな部屋の中には50人ほど、武装した精鋭たちがずらりと並んでおり、いちばん上座に、家臣を従えた素藤その人が、鉄の扇をヒザにつき立てて、片肘をクッションにもたせかけた様子で待っていました。
願八「(さあ、ビビりやがれ)」
親兵衛は、会釈もせずにズカズカと部屋の奥に入り、「国主の使いが最上座だ。ご免」と言い放つと、床の間の鎧入れにドッカリと座りました。
一同、何が起こっているのかさえ分からずに呆然としました。最初に口を開いたのは素藤です。怒りで顔が真っ赤です。「こいつは狂人だ。みなのもの、こいつを取り押さえよ!」
家臣たちとその他の兵たちが、手に手に武器を抜いて、一斉に親兵衛の方に向かってきました。
親兵衛はこれらを目にし、ただ一言「無礼者ッ」と大喝しました。
そのとき親兵衛の懐からまばゆいほどの光線が八方に放たれ、全員がまぶしさに目を押さえてのたうち回りました。全身から力が抜けてしまい、しばらくの間は、誰も起き上がることができませんでした。
親兵衛「国主の使者を迎える態度がそれか。かくなる非礼には天罰が下るまでだ」
素藤「幻術使いめ。小手先の技には長けても、オレの刀には勝てまい。おら死ねやっ」
素藤がブンと振り下ろした大刀を、親兵衛はこともなげに鉄扇でかわすと、手首を叩いて刀を落とさせました。素藤が今度は素手で組み付くと、親兵衛はうなじをつかみ、驚くべき怪力で素藤をねじ伏せ、背中を足で踏みすえました。大岩の下敷きになったような気持ちがします。素藤の顔は、苦痛で土のような色になりました。
手下たちはようやく目が直って体に力も戻りましたが、気がつくと、素藤が今にも死にそうな目にあっています。だれも親兵衛にかなう気がせず、もう手向かう者はありません。
素藤「(つぶれた声で)お前ら、ワビ入れろ。たのむ、オレが死ぬ」
親兵衛「だそうだ。お前たち、全員縁側に並んで、私の言うことを聞きなさい。ちょっとでも逆らったら、この男はプチッとつぶれて死ぬからね」
当然、全員がこの言葉に従いました。親兵衛は、素藤の来歴をつぶさに語り、聞かせました。大悪党の息子であったこと、悪計でここの城主になったこと、恋がかなわない恨みにまかせて国主の息子をさらったこと、さらに、隠居の大殿、里見義実を暗殺までしようとしたこと。
親兵衛「里見には、八つの徳を体現する玉をもつ豪傑が味方しているのだ。神の力に守られているのだ。さっきの光もその力のひとつよ。お前たちごときが歯向かって、かなうはずはないのだぞ」
親兵衛「しかし、私の徳は『仁』。投降する敵を滅ぼしはしない。それは私の仕える里見でも同じことである。お前たち、すぐに囚われの義道さまを釈放し、国主に許しを請うがいい。わかったか。ちょっとでも間違いがあれば、この素藤の首をひっこ抜くからな」
一同「わ、わかりましたっ」
降参した家臣たちが、苫屋景能をつれて、監禁されていた義道を解放し、菓子と茶を出して今までの非礼をわび、苦労をなぐさめました。
苫屋「犬江親兵衛の働きで、この城の者たちは全員降参したのです」
義道「うーん、すごい男だね、犬江というやつは… これがウワサの犬士の力なんだ。それにくらべて、ボクはこんなところに捕まりっぱなしで、ひたすら不甲斐なかったなあ」
苫屋「それは仕方がないですよ」
義道「しかし、大勢の前で丸太に縛り付けられたりして、ひどい恥をかかされたものだ。こんな恥をそのままにして父上に会うわけにはいかない。ちゃんと、諏訪神社に行ったときと同じように、カゴに乗って、お供に連れられてじゃないと帰らないよ」
素藤の家臣「はい、その当時のカゴは、そのままとってあります」
義道「よし、すぐに準備をしなさい」
素藤の家臣「ははっ」
苫屋はこの様子を書院の親兵衛に伝えました。親兵衛「うん、義道さまは、お若いのに、もう立ち振る舞いに王者の風格がある。頼もしいことだ(にっこり)」
親兵衛「よし、義成さまも心待ちにしているだろうし、急ぐぞ。城の兵たちは全員、武装を解除して、手を後ろに縛れ。家臣どもは特によく見張れ。願八と盆作は、なんなら縄でぐるぐる巻きにして歩かせろ。矠平はしばらくここ館山の城の留守を守っていてくれ」
城には周辺の村人たちも徴用されて働かされていましたので、親兵衛はこれらの段取りの助けに使いました。特に、素藤を連行するための丸太と車を準備させました。
村人たち「丸太と車ですか」
親兵衛「うん。こうこう、こうやって使うんだ」
村人たち「ハハハ。分かりました」
こうして、すべてを終えた親兵衛たちは、ぞろぞろと館山城から出て、義成のいる陣に向かって進んで行きました。御曹司はもとのようにカゴに乗って進み、そして素藤は、丸太と車を組み合わせた「移動はりつけ台」の上に縛り付けられて、さらし者にされながら移動していきました。