9. 八房の手柄と、それが要求した見返り
■八房の手柄と、それが要求した見返り
ここは里見義実の守る滝田城。凶作で兵糧がとぼしいことに乗じて、安西景連が突然2000騎の兵力をもって攻めてきました。いまは城の四方をかこまれてしまった格好です。同様に、堀内の守る東条城は、蕪戸訥平に1000騎の兵力で攻められています。
備蓄の食料が尽きてもう一週間です。薪を燃やして煙だけは上げていますので、敵にはまだバレていませんが、それが知られるのも時間の問題でしょう。もはや誰もが限界に近く、馬を殺して食べたり、ひどいのになると死んだ人間の肉を食べるものまで出てくるというありさまです。
義実「もうみんな逃げろ、オレだけ妻子を道連れに死ぬから」
みんな「ご恩をうけておいて、そうはいかないっすよ。死ぬまで戦います」
義実の息子である16歳の義成が意見を言います。
義成「敵の良心にうったえてみる作戦というのはどうでしょうか。だれか声の大きい人が、高いところにのぼって、安西がどんなに今までズルいことをしたのかを多くの兵士に知らせてやるんです。そうしたら攻めてくる気がなくなったりしないでしょうか」
なるほど名案かな? ということで、この作戦をやってみました。でも腹ペコで誰もロクに大声が出せないので、うまくいきませんでした。
義実のもとに、フラフラと八房がやってきます。当然、犬にも何も食べさせることができませんから、骨と皮だけのようなヤセぶりです。
義実「すまんなあ八房。なあ、犬は人間に飼われた恩を忘れないって言うじゃん? 恩返しにさあ、ちょっと安西のところまで走って行ってさ、クビ食いちぎってきてよ。ごほうびは弾むから」
八房「ワン?」
義実「まいにちすごいゴチソウ食わせてあげる」
八房「…ツーン」
義実「なんだ気に入らないの。じゃあ何、出世? 領地とか欲しい?」
八房「ツーン」
義実「じゃああれだ、伏姫を嫁にやるのは」
八房「ワン! ワンワン!」
義実「ははは、それがいいんだ。なら、それな。頼んだぞ。…って、ハァ、現実逃避してる場合じゃないか」
実際のところ、もう何の策も残っていません。今夜、月が沈んだら、残った兵力すべてで敵に当たり、玉砕するのみです。夕方、最後の宴がひらかれました。
とはいっても、酒もありませんから、みんな盃に水を入れて、酒をのむフリです。女たちはみんな泣いてます。しめやかな雰囲気のなか、ポツポツと思い出の話なんかをしているうちに、男たちはだんだん覚悟モードに入ってきました。よーし、月も沈んできた、そろそろ最後の戦いだぞ。
(あらすじ筆者追記:死を覚悟した戦の前にかわす「水杯」なんてものがあるんですね。あんまりその慣習をしらず、適当に書いちゃいました。お恥ずかしいですが、わざわざ直しません)
そのとき、犬のなく声がしました。
義実「んー、あの声は八房だ」
建物の外に八房がいました。暗くて見にくいですが、だれかの生首をくわえているようです。
杉倉「わっ、何してるんだ。ここには女子供もいるんだぞ。あんまり腹が減って、死体とか食ってんじゃないだろうな。そういうのだったら許さないぞ」
義実「あれっ、この顔って、なんか安西景連に似てる気がしないか。まさかとは思うけど、誰か、ちょっと水もってきてよ」
八房がくわえてきた生首を洗ってみると、驚くことに、どうみても安西景連の首級です。
義実「信じられん。たしかにさっき変な約束はしたけど、本当に…」
杉倉「これは奇跡ですな… そうと以外言いようがない」
そこに見張りからの報告です。敵陣がやけに動揺している様子とのこと。きっと安西がいきなり犬に食い殺されたからでしょう。
義実「チャンスは今しかない、みなのもの、撃って出よ! 敵を蹴散らせ!」
みんな「犬に負けるな! 進め!」
ボスを失えばもうボロボロで、安西軍は明け方には降参していました。八房のもたらした奇跡の勝利です。敵から山ほどの兵糧をうばい、兵も、民も、水に戻った魚のように生き返りました。さしあたり、粥を少しずつ食べることだけが許されました。「ながく断食したあとに、いきなり腹いっぱい食べると死んでしまうぞ、注意しろ」
蕪戸訥平の攻めていた東条の城にもこの知らせが行き、味方は元気百倍になりました。訥平はおどろいて逃げてしまい、こちらもあっけなく味方の逆転勝利です。
安西が死んだ、里見が攻めてくるというウワサが、安西のいる安房と朝夷の領民にも流れると、むしろみな大喜びです。民が集まってみずからの城を攻め落とし、進んで里見義実にささげました。その際、逃げ帰ってきた蕪戸訥平は処刑されました。
あれよあれよという間に、安房の四郡、全エリアは里見の領地となりました。ついに安房の国は統一平定されたのです。
鎌倉でこれを聞いた足利持氏も、義実の偉業を称賛しました。持氏は室町将軍にもこれを報告したので、正式に安房の国主に任命してもらえることになりました。里見家は、結城の合戦でいわば幕府に「たてついた」立場だったのですから、ここはけっこう感慨無量です。
万事ハッピー、といいたいところですが、義実には心残りがひとつありました。金碗大輔のことです。安西のもとに使いにやって以来、消息不明です。父八郎との約束で、やつを東条の城主にするはずだったのに… 捜索隊を編成し、四方八方と手をつくして探したのですが、ついに手がかりは見つかりませんでした。
さて、戦が終わったので、手柄のあったものに順次褒美が与えられました。どう考えても、今回一番の手柄をたてたのは犬の八房です。彼への褒美は、ペディグリーチャム一年分と決められました。
ところが八房はそれ以来不機嫌です。安西のクビを持ってきたときの場所にずっと座り込み、だれかがどかそうとしても、吠えたり噛みついたりして手におえません。目の前に積み上げられた食べ物にも目もくれません。鎖をつけてもそれを引きちぎり、逃げ回りながら、ついにたどりついたところは伏姫の部屋です。
伏姫「あれ、八房」
八房「ワンワン。ウウウ(伏姫の服のすそに座り込み、動かない。ただごとでない表情)」
伏姫「だれか来て!」
報告を聞いた義実がやってきました。
義実「この犬、狂ったのか。しかたがない、殺す(槍をかまえる)」
伏姫「まってください、私には大体分かります。八房は、褒美をもらっていない、と言おうとしているのです」
義実「やったではないか。あのシリーズは滅多に手に入らぬ高級品だ」
伏姫「あのときの約束では、私を嫁にやる、ということではなかったのですか」
義実「!」
義実はそのことを憶えてはいたのですが、思い出したくないので黙っていたのです。たしかに言った。言ってしまった。
伏姫「君主が約束を守らないのでは、民が正しい暮らしをするでしょうか。それが君主のあるべき姿でしょうか」
義実「そのとおりだ。たとえ冗談のつもりだったとしても、約束は守らなければならない。一度口にしたものはもう取り返せない。あんなことを言うのではなかった。ああ!」
義実は絶望しながら、これが玉梓の呪いの正体だったのかもしれないと考えます。あの女は「子孫を犬にしてやる」と言いました。八房をもらってきたときの事情も、今考えると偶然ではない気がしてきます。狸は別名を玉面というのですが、これは「たまつら」とも読めます。「たまつさ」に似ています。あの女の悪霊が仕組んだワナだったのでしょうか。
義実「なにが『狸は里って字が入ってるから里見の犬』だ、あのころのオレを殴りにいきたい」
また、伏姫に数珠をくれた謎のじいさんの言葉「伏姫という名前の秘密」も、今となってはよくわかります。「伏」って漢字は、「人」と「犬」でできています。伏姫は、犬に従う宿命をもった人間だったのです。
まわりに集まった人々は、伏姫に降りかかったあまりに過酷な運命に、声をあげて泣いています。しかし、義実の覚悟はかたまりました。
義実「よろしい、八房。そちの軍功を賞して、伏姫をあたえる。準備がすむまで、外で待っておれ」