38. 四犬士への仕官の誘い
■四犬士への仕官の誘い
破傷風で命が危なかった信乃でしたが、男女の血を混ぜた秘薬を体中に浴びることで、たちまちのうちに完全回復しました。また、一度は死んだ大八が、丶大法師が抱き上げることで生き返り、それどころか犬士の印である玉とアザが現れました。
信乃「この治り具合は、まじでハンパなかったです。思うに、房八と沼藺という特別な人たちの血を、徳高き丶大様が持っていたほら貝で受け止めたからに違いない!」
信乃「ところで、大八くんが玉を握って生まれてきたというのは、一体どういうわけなんだろう」
小文吾「そういえばオヤジ(文吾兵衛)が話してくれたことがあったな。沼藺がまだ二歳だったときのことだ。親が川に漁に行ったのについて行って、へんな玉が水揚げされたのを、つい口に入れて飲み込んでしまったんだ。あわてたけど、特に病気にもならなかったし、いつか忘れてしまっていたんだ。これが子供の大八に受け継がれるとは…」
丶大「なるほど。ところで、大八くんというのは本名なのですか?」
妙真「いいえ、大八はあだ名で、本当の名前は真平です。祖父が犬江真兵衛というので、その真の字をもらったんです」
丶大「なんと、ここにも『犬』が入っておったか。それでは、彼の名前はこれから犬江親兵衛仁としようではないか。『親』にかわって犬士となるのだから」
義士房八の志を受け継いだ「仁」の犬士、犬江親兵衛仁がここに爆誕しました。
親兵衛「バブー」
信乃は、いつか大塚の里で見た梅の実の秘密がやっとわかりました。
信乃「あの八房の梅の実は、犬の八房が生まれ変わって八人の犬士が現れるという、伏姫様の霊の知らせだったのだ」
信乃「この梅の種は、まだ自分の手元にもっている。この種を房八夫婦の墓に植え、彼らの功徳を永くとどめよう。また、自分はこれから親兵衛をあらゆる機会に助け、すべての軍功を彼にゆずろう」
房八「…ありがとう信乃どの、もう思い残すことはないぜ。さあアニキ、はやく俺の首を」
確かに、明け方が近づき、約束の時間が迫ってきています。小文吾は、介錯をして房八の首を切らなくてはいけないのですが、つい躊躇してしまいます。そんな小文吾をはげますため、蜑岬照文はちょっとしたアイデアを思いつきました。
照文「皆のもの、よく聞け。山林房八郎よ、そなたの義と勇は、犬士たちに劣らぬ際だったものである。ゆえに、ここに、君命をもって、そなたを里見の家臣に任ずる。…いいですよね、丶大さま」
丶大「うん、照文への義実さまの命令は、『犬士などのすぐれた奴らを家臣にスカウトしてこい』だしね。問題ないよ」
照文「ということなので、今から房八は里見の臣下だ。つまり、死んだあと、親族の暮らしも保証されるし、恩給なんかがたくさん出るのである。名誉だぞ。さあ犬田どの、彼の苦しみをこれ以上長引かせまい」
房八「…武士としての名誉の死か。おれも出世したな、うれしいぜ…」
房八は最後の力をふりしぼり、両手をあわせて小文吾に介錯をたのみます。小文吾はこれに勇気を得て、刀をえいやと閃かせます。丶大の読経と妙真の号泣が入り混じりました。小文吾は、落ちた首を幼い親兵衛に見せないよう、さっと信乃の麻衣でくるみました。
親兵衛「母上、おきて。おばあ様が泣いてるよ。ねえねえ」
親兵衛ひとりが無邪気に振舞うのが、場の悲しみをいっそうかきたてました。
さて、こんなことをしていると、宿の外がガタガタして、乱闘の気配がしました。小文吾が急いで外に出ようとすると、足元にどっと死体が倒れてきました。さっき小文吾がこらしめた、塩浜の鹹四郎です。床に頭を打ち付けられ、頭が砕けています。
現八「よう小文吾。こいつらが、お前たちのことを密告しようとしていたようだぜ」
犬飼現八が、いつの間にか武蔵から帰ってきていたのでした。両腕に、孟六と均太の首を「死なない程度に」締め付けています。ちょっと目玉が飛び出しかけています。
現八「破傷風の薬を探しに行っていたんだが、知っている店は引越してしまっていた。がっかりして帰ってきたんだが、妙に宿の中が騒がしかったので、すぐに入らず、様子を見ていたんだ」
現八「大体の事情は、ここで聞いていて把握したよ。房八の最期を邪魔したくなかったので、中に入るより、むしろ外にいて、見張りの役目を果たそうと思ったんだ。そしたら怪しい三人組が縁の下からモゾモゾ出てきて、密告が云々、分け前が云々という話をしはじめた。なので、さしあたり一人をぶっ殺し、残りの二人をこうして捕まえたってこった」
小文吾「おお、現八、助かったよ。密告されていたらひどいことになっていた。おおかた、さっき俺に懲らしめられた仕返しでもしようとしたんだろうな。こいつらにハンパな口止めをしても無駄だろう。普段の素行も悪いやつだった。まあ、死んでもらうしかないな」
現八「よっしゃ(グキグキー)」
孟六と均太は、目と鼻から血をドバドバ流して死んでしまいました。
小文吾「さあ、こんな奴らもいることだし、取り急ぎ、我々はここを離れる必要があると思う。さいわい今朝はモヤが深いし、今のうちに、市川にある房八の家まで避難しよう。あそこは舟で行ける。まずは死体もみんな持っていって、向こうに着いたら、やることの段取りを改めて考えよう。俺は、首を新織たちに渡しに行ってから追いつく」
丶大「その前に、ちょっと。犬塚どのもいっしょに」
小文吾・現八・信乃「はい?」
丶大・照文「ここに四人の犬士がそろったというわけだ。今ここに、きみたちを里見の家臣として迎え入れたいと思う。我々と一緒に安房に来てくれるな」
これが、丶大の旅のもともとの目的ですからね。
三人、しばし考え込みます。「うーん…」
信乃「ありがたき幸せです。私たちは里見殿以外に仕えることはありません。たとえ将軍にしてやろうと言われても、ほかの主君に仕えることは考えもしません。しかし、犬川荘助も一緒にこの御諚を受けるべきだと思うのです。彼は、伊豆の犬川衛二の子で、自分に勝るすごい奴です。少なくとも自分だけは、彼と一緒でなければ… ですから、まずは彼のいる大塚に戻りたい」
小文吾・現八「我々も犬塚どのと同じ意見です。さらには、我々は残りの三犬士(ほんとに八人いるのなら)も探してから晴れて安房に参り、里実に仕えたいと思うのです。そうすれば武者修行にもなるし、敵国などの事情を知ることもできます。どうか曲げてお許しいただけませんか」
照文「おう、犬川衛二のお子とな。ならば、私の親戚にあたるぞ。彼の家が断絶してしまったと聞いたのは悲しく思ったものだが、その子が犬士だったのか! 私もぜひ会ってみたいものだ」
照文「しかし、改めて、君たち三人は大したやつだなあ。先日、山伏(感得)に変装して犬田どのの我慢ぶりを目撃したときは、こいつが勇士の中でもベスト・オブ・ベストだと勝手に確信したものだ。でも、犬塚どのも犬飼どのも、みな負けず劣らずの豪傑だった。君たちは、私の想像を超えてすごいやつらなんだな」
丶大「蜑崎どの、親兵衛を安房に連れて帰るのはどうかな。もちろん、祖母の妙真どのも一緒に」
照文「あっ、それなら手ぶらで帰らずに済む。そうしましょう。どうですか妙真さん」
妙真「ほかの皆さんが行かないのに、小さい親兵衛だけが行くのですか? 不安…」
照文「さすがにそのくらいはしないと、私が殿に申し訳立たないんですよ。お願い!」
丶大「いや、無理しないでいいですよ。あとで文五兵衛さんに改めて相談したっていいし、そこらへんは伏姫の霊の導きに従うまでです」
そんなわけで、仕官の話は、さしあたりペンディングとなりました。小文吾は房八の首を持って庄官のもとに向かい、丶大は小文吾が帰るまでの留守番として古那屋に残り、残った人々は、文五兵衛の釣り舟にのって、市川の山林宅に向けて出発しました。