56. 戦闘美少女、旦開野
■戦闘美少女、旦開野
馬加大記は不思議がりました。「なんであいつは死なないんだ。毒入りのメシを毎日食っているのは間違いないのに」
馬加にとって、犬田小文吾はあなどれない男です。もしもあの男が千葉家に仕えるようなことになれば、知力も武芸もたちまち彼がナンバーワンになって、自分の地位がヤバくなるのは明らか。そうなると、自分が今までに行った悪事についてのウワサを圧殺しきれなくなります。
だから毒殺してしまうつもりだったのに、どういう神霊の助けなのか、彼には毒が効きません。最近では象も死ぬほどの強烈な毒を盛っているのですが、小文吾はまったく平気そうです。
そのうちに、馬加の考えは変わってきました。小文吾を味方に引き入れることができれば、極めて役に立つに違いないと思えてきたのです。
馬加「そうだ、あいつを懐柔する作戦に変更しよう。そっちのほうがいい。もし成功すれば、俺の野望はむしろ実現に近づくじゃないか」
馬加の野望とは、今の領主である自胤を除き、自分の息子鞍弥吾を領主の地位につけることです。自胤には鎌倉の管領たちの後ろ盾があるために今までは躊躇していたのですが、小文吾が軍師についてくれれば、それも恐れる必要がなくなります。
馬加「しかし、どうやってあいつの機嫌を取るのがいいのか、よく分からんな。女田楽でも見せてやろうか」
馬加は女田楽が好きで、気に入った役者にはパトロンになって費用を出したり、屋敷に住ませたりしていました。最近のヘビーローテーションは、旦開野という16歳くらいの美少女です。目の肥えた馬加でさえ、彼女の歌と踊りは別格だと思っています。
こんなわけで、小文吾は、ある夜、馬加たちの宴会に呼ばれました。
馬加「久しぶりだな犬田どの。殿のそなたへの疑いは完全に解けておらんため、まるで軟禁のような生活を強いていること、済まないと思っている。今日の宴会は、ささやかな気晴らしになればと思い、企画いたした」
小文吾「(気味が悪いな…)これは恐縮。ありがとうございます」
馬加「ささ、まずは酒など。おっと、もちろん私が先に毒見をさせていただく」
小文吾「(うわ、毒見だってよ)はあ」
小文吾は、酌をうけたり、料理に箸をつけたりはしますが、実際には何も飲み食いしません。
やがて、ふすまが開くと、幼女を抱えた中年の女と、20歳ほどの男子が入ってきました。
馬加「私の家族を紹介しよう。妻の戸牧と、娘の鈴子。そしてセガレの鞍弥吾だ」
小文吾「お初にお目にかかります」
鞍弥吾はちょっと小文吾を見下した様子です。
鞍弥吾「アンタが犬田小文吾だね。今日は楽しんでってよ。あ、オレってさ、意外と武芸、スゴいって言われるんスよ。意外とさ、負けたことないの。天才? みたいな。今度さ、オレとタイマンしてみる? 意外と強いかもよ、オレ」
馬加「こら、思いあがったことを言うでないぞ… 犬田どの、許されよ。少々ボキャ貧ではあるが、こやつはわが子ながら有望な男です」
小文吾「はあ(ボキャ貧なんて言葉、まだ使う人いるんだ)」
馬加「次に、チーム馬加の四天王を紹介する」
小文吾「(飽きてきた)」
四天王が次々と部屋に入ってきて、小文吾と名刺交換をしました。一応名前を挙げておくと、渡部綱平、卜部季六、臼井貞九郎、坂田金平太です。
小文吾「みな強そうで、頼もしい方々ですな(お世辞)」
四天王「はい、はっきりいって、無敵に近い俺たちです」
やがて宴もすすみ、鞍弥吾と四天王は酒がまわってきて、相撲の極意がナンタラカンタラという議論を小文吾の前で戦わせはじめました。
小文吾「(すごく飽きてきた)」
馬加「さあ、次は、女田楽などどうです。旦開野を呼べ」
旦開野は、伴奏隊を伴って部屋に入ってきました。香をたきこめた美しい衣装をまとったその姿は、まるで一輪の花が現れたかのようでした。彼女は一同に額づくと、つ、と立ち上がって、やおら舞曲をはじめました。袖が揺れ、扇と、桃の花をあしらったカンザシがチラチラとひらめきました。何より、旦開野の美しい顔と声に、誰もが時間を忘れて陶酔しました。
小文吾だけは、あまり興味がわきませんでした。「(あんまり、こういう軽薄なのは好きじゃないな)」
夜が白んできました。旦開野は褒美をもらって席を去り、宴会もお開きとなりました。小文吾は、自分の脇差のあたりに、桃の花のカンザシが落ちているのに気づきました。しかし、あまり深く考えず、近くの人にことづけて、旦開野に返しておくよう頼みました。
小文吾「それじゃあ、私は部屋に戻ります。ありがとうございました」
馬加「まてまて、そなたともう少し二人きりで話したい。ここの最上階から見る風景は大したものですぞ。この建物は対牛楼というのだ。はるか牛島まで見渡すことができる。一緒に参ろう」
小文吾「はあ」
二人は、対牛楼の最上階で、二人きりで朝焼けの隅田川を眺めました。馬加が最初に口を開きました。
馬加「千葉介自胤は、暗君だ」
小文吾「はあ」
馬加「彼に任せていては、ここは隣国に滅ぼされてしまう。犬田どの、私と一緒に、この国を仕切ってみないか。自胤を除き、鞍弥吾を領主に据えるのだ。そなたには軍師を任せたい」
小文吾「つまり謀反ですね」
馬加「謀反ではない。私はこの国の将来を」
小文吾「謀反ですよ。どんな事情であれ、臣下が君主を弑するときには、必ず国は滅びます。やめたほうがいいですよ。大体、オレに軍師なんかできるもんですか。バカですからね」
馬加「…」
小文吾「…」
馬加「ハ、ハッハッハ。そうだな、お主の言うとおりだ。分かっているとも。今の話はほんの冗談で、ちょっとお主を試してみたくなっただけなのだ。この話、忘れてくれるな」
小文吾「もちろん。それでは失礼します」
こうして小文吾は再び自分の客室に帰りました。
小文吾「ああ、なんともクダラナイ宴会だった。馬加がついに本音を見せやがったな。謀反への協力をオレが断ったからには、きっとただでは済まないんだろうな。これからどうしたもんか…」
とりあえず縁側の水鉢で顔を洗おうとすると、一枚の葉っぱが置いてあるのに気づきました。何気なく手に取ると、裏には手紙が書いてあるようです。
わけ入りし栞たえたる麓路に
流れも出よ谷川の桃
小文吾「桃… さっき拾った、桃のカンザシに関係があるのかな。ああ、あの旦開野という女が書いたんだ、きっと。今度は色じかけでオレを協力させようというのかもしれない。馬加のやり口は、いちいちゲスだな。バカバカしい」
それから十日後。
小文吾は、馬加が逆恨みして襲ってくるかもしれないと思っているので、最近は夜も寝ないことにしているのですが、さすがにそれは無理があり、この晩はちょっとウトウトしていました。
真夜中、小文吾が物音を聞いて目を覚ますと、障子の向こうに、曲者の姿が月影に透けて見えました。「しまった、油断した! 間に合わない」
次の瞬間、「あっ」という声がして、その姿は倒れました。小文吾が脇差を探し当てて縁側に出ると、その曲者は、首から血を流して死んでいました。「誰かがオレを助けてくれた…?」
その曲者は、いつか宴会で会った「四天王(笑)」のひとり、卜部季六でした。そして、この者の命を奪ったのは、首の後ろからノドをつらぬく、桃の花のカンザシです。
小文吾「どういうことだ。こいつを殺したのは、まさか旦開野なのか? あいつ、武芸もできるのか? 踊りがうまいやつは、手裏剣もうまいものなのか?」
小文吾は、近くに別の人間の気配を感じました。「まだいるのか、曲者め! 斬ってくれる」
女の声が、「待ってください」と答えました。「私です。旦開野です。私がさっき、あなたを殺しに来た刺客を倒したのです」
小文吾「なんのためだ。お前とは別に知り合いではないし、仲間でもない。なぜオレにつきまとう。こんな夜中に、アヤシイではないか」
旦開野は、キッと小文吾と目をあわせました。
旦開野「あなたが好きだからです」
小文吾「…は?」
旦開野「それだけの理由ではいけないのですか」
小文吾「…バカな。やはりお前は、馬加に頼まれて色仕掛けに来たのだな。オレをそんなチャラ男とみくびるな」
旦開野「あなたはチャラ男ではないし、わたしもチャラ子ではありません。わたしは、現にさっき、あなたの命を助けたのですよ」
小文吾「それはそうだが…」
旦開野「わたしの告白に応えてください。イエスかノーか」
小文吾「ちょっと待て」
旦開野「ノーなら、この場で私を殺してください。かなわない恋なら、生きていたって仕方がない」
小文吾「(どうしよう、なんかこいつヤバい)」
小文吾「…わかった、そなたが本気らしいことはわかった。でも落ち着け。オレはここを出られず死ぬ見込みが高い。結婚…結婚とか、そういうのはとても無理だからな。あきらめろ」
旦開野「ここを出ればいいじゃないですか」
小文吾「それができれば苦労はしない。屋敷くらいは抜け出せるだろう。しかし城門を通ることはまずできない」
旦開野「だいじょうぶ、城門を通る手形があれば」
小文吾「そんなのがあるのか」
旦開野「今から手に入れます。ちょっと命がけになりますが」
小文吾「命がけ?」
旦開野「あしたの晩… あしたの晩には、手形を取ってきます。そうしたら一緒に外にでて、私と結婚してくれますか」
小文吾「わかった。結婚する。武士に二言はない。とりあえず、このカンザシはおぬしに返さなくては」
旦開野はそれをうけとるとニコリとほほえみ、ポチャンと池に投げ入れました。「生きるか死ぬかの勝負なのです。もうこれは要りません。幸運の神様にでも捧げることにしましょう。では、明晩…」