55. 毒の男、馬加大記
■ 毒の男、馬加大記
馬加大記のもとに軟禁されている小文吾に、召使の品七がこっそり噂話をしています。内容は、馬加がどのように「おそろしい」男なのかということですが、内容が内容だけに、おのずと声をひそめながらの物語になります。
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粟飯原胤度は、主君(+弟の自胤)の遣いで、千葉家の家宝であるあらし山と二本の名刀を許我の足利成氏に捧げるために出発しました。(しかしこれは馬加の策略で、本当は主君は何も知らされていないのです)
馬加は、何食わぬ顔で自胤を訪ね、あたりさわりのない季節の挨拶をしました。
自胤「そうだ、胤度は尺八と刀を持って許我殿のところに出かけたよ」
馬加「それは何のことです?」
自胤「え、馬加が胤度にそうしろって言ったんでしょ? 殿からの指示だって」
馬加「知りませんよ? そんな話は胤度にしていません」
自胤「ほんと? それじゃあどういうこと」
馬加「尺八を胤度に貸したというのなら、本当です。ぜひ見てみたいからと言われて、ちょっとだけの約束で、私の裁量で貸したのです。まさか、それを勝手に許我殿に差し上げてしまうなんて。信じられません」
自胤「敵である許我に、家宝の尺八(と、僕の秘蔵の刀)をあげてご機嫌取りに行く… えっ、つまりこれは、謀反ってことじゃないのか」
自胤はこのように理解したので、急いで籠山逸東太を召し寄せました。
自胤「籠山よ、すぐに胤度に追いついて、事情を確認してくれ。まずは穏便に、『すぐ戻れ』とだけ伝えろ。それで反抗するようなら、謀反ということで確定だから、逮捕してこい。万一胤度に逃げられたにしても、尺八と刀だけは絶対に取り戻して来い」
籠山「アイアイサー」
こうなることまで馬加は読んでいました。馬加は、出発する準備をしている籠山を、次のようなセリフでそそのかしました。
馬加「籠山どのにとってはチャンスですな。胤度が事故かなんかで死んだら、籠山どのが千葉家重臣の中では文句なしのナンバーワンですからな…」
籠山はそんなに頭がよくないので、この暗示にまんまとかかって、胸に悪心を抱いてしまいました。
籠山は道中の胤度に追いついて、すぐ戻るようにとの伝言を伝えました。胤度は別に謀反の気持ちなどないのですから、「なにか伝え残しでもあったのかな」くらいのつもりで、籠山と一緒にUターンして、来た道を戻り始めました。
その帰り道の途中、籠山が突然キバをむきます。「誅罰」と叫んで、胤度を斬り殺してしまいました。胤度の部下たちは忠義心が篤く、主人のカタキをとるため、籠山とその部下たちとその場で乱闘をはじめました。特に健闘したのは、胤度の部下の金吉と銀吾という男たちだったといいます。結局その場で死んでしまったのですが。
この乱闘の最中、何者かがドサクサ紛れに、あらし山と名刀小篠・落葉を盗み去りました。男女一組での犯行だったという目撃談があります。
さて、乱闘のあげく、胤度たちは全滅、籠山とその部下が生き残るという結果になりました。籠山は、戦いに勝ったものの、別に胤度追討の命令を受けていたわけではありません。しかも、気づけば尺八も刀もなくなっており、城に帰っても申し開きようがありません。結局、籠山もその場で逃亡してしまいました。籠山の部下だけが城に戻って、今回の一部始終を自胤に報告しました。
自胤「なんということだ。二人の重臣を失ってしまったばかりか、あらし山まで盗まれてしまったのでは、私が殿のとがめを受けることは避けられない」
馬加「いや、大丈夫ですよ。自胤様には累が及ばないようにできます」
自胤「どうやって」
馬加「今回はもともと100%、粟飯原胤度の落ち度なのです。彼の一族が全員死んでわびれば、殿もそれ以上の責任を追及しないでしょう」
自胤「(…ゴクリ)」
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小文吾「で、まさか、粟飯原の一族は本当に皆殺しになったのですか」
品七「はい。15歳だった、胤度どのの息子の夢之助さまは切腹させられ、妻も、当時5歳だった幼子も殺されました。その他の一族もみな、追われて殺されるか、捕まって獄死するかのどちらかでした。本当は領主の実胤どのは尺八の件などなんとも思っていなかったというのに」
小文吾「実にひどい」
品七「実は、粟飯原一族には、ひとりだけ生き残りがいます。側室の調布との子だけは、馬加の魔の手を逃れました。妊娠してから三年も生まれなかった子なのです。医者は、これは妊娠でなくて、血塊の病なのだとウソを言って、馬加の追及をごまかすことができました」
品七「馬加は念には念を入れて、調布に堕胎の薬を飲ませました。不思議なことにその薬は効かず、調布は、親族のいた足柄の犬阪村で、元気な子供を産みました。馬加がその噂を聞きつけて捕らえに行くと、もう母子とも里を去っていたそうです」
品七「それはともかく、馬加はまんまと二人の重臣を蹴落とし、自分がナンバーワンになりました。さらに、領主の実胤どのはもともと病気がちで、この事件ののちやがて亡くなりました」
品七「そして、当然ながら、弟の自胤どのが兄を次いで領主になりました。自胤どのは、例の尺八の件以来、馬加に頭があがらず、これにて馬加は城内で敵なしの権力者に登りつめた、というわけです」
小文吾「今までの話を聞いて見当がついたよ。並四郎と船虫のバックは…」
品七「はい、馬加なのです。チンピラの並四郎たちに指示して、彼らに尺八と刀を盗ませたのでしょう。普通、盗品はすぐに売りさばいてしまうものなのですが、刀は売れても、あんな特殊な尺八は、足がつきそうで簡単には売れなかったようですな」
品七「今回、船虫を密かに逃がすための策略をとったのも馬加です。そうしないと昔の悪事がバレてしまいますからな」
小文吾「すっかりわかったよ… ありがとう。しかし、どうしてこんな話を知っているんです」
品七「馬加にはこういう汚れ仕事を手伝う腹心が何人もいるのですが、その一人の増松という男が、激務の割りに給料が少ないと不満をもって、匿名掲示板に今の話をリークしたのです。やがて投稿者は特定され、増松は馬加に毒殺されてしまいました。みんな怖くて口には出せませんが、今までの話はほとんど公然の秘密となっています」
ここまで話したとき、後ろから「お食事の準備ができました」という声があって、ふたりは飛び上がりました。別の召使が小文吾に夕食を持ってきたのです。
小文吾「ああ、ありがとう… そこに置いといてください」
品七もソソクサと去っていきました。こんな話を知ってしまったあとですので、小文吾は食事を前にしてもちっとも食欲がわきませんでした。
小文吾「毒殺か… なるほど、最近食後に妙に腹が痛くなる理由が分かった。オレの食事にも、毒が盛られていたんだな。品七さんの話が本当なら、馬加がオレを軟禁して毒殺したがっていることの説明がつく」
小文吾が毒を食べても死なないで済んでいるのは、犬士の印である例の「玉」のおかげです。腹が痛くなったときに、玉を腹にあてたり、ねぶったりすると、たちまち体の毒気が消えるのです。そういえば犬川荘助が大塚で拷問にあっているときも、「玉」のヒーリングパワーで傷がすぐに治ってしまうということがありましたね。
しかし、品七はそうはいきませんでした。彼は翌日、突然血をおびただしく吐いて死んでしまったと、小文吾はその後のウワサに聞きました。あのとき食事を持ってきた召使が、馬加に告げ口をしたのです。