54. 小文吾、軟禁される
■小文吾、軟禁される
千葉家家老の馬加大記に思いがけず叱責されて、畑上語路五郎は慌てて阿佐谷村(さっきの村の名前です)に飛んで戻りました。
すると、村長をはじめとした村の役人たちが、屋敷の前に全員並び、語路五郎の前に平伏しました。
村長「お許しください、お救いください」
語路五郎「何が?」
村長「賊に襲われて、船虫を奪われました」
語路五郎「なんだと。どういうことだ」
村長「さきほど、語路五郎さまから船虫を連れてくるよう手紙がありました。そこで、我々一同、夜中に出発したのです。その直後に賊に襲われました」
語路五郎「ちょっとまて、私はそんな手紙はよこしていない」
村長「えっ」
村長は、さきに語路五郎から受け取ったはずの手紙を探しました。体中のポケットをまさぐりましたが、ティッシュくらいしか見つかりません。運悪く、さっき慌てて逃げたときに手紙を落としたのでしょう。
語路五郎「いい加減なウソをいいおって。お前ら、船虫をワザと逃がしたんだろう! オレまで巻き添えで怒られるじゃねえか、どうしてくれるんだ!」
語路五郎は、怒りにまかせて、村長とそこに一緒にいた10人ほどを全員縛って城の牢屋に放り込みました。次は馬加にこのことを報告に行かなくてはいけません。
語路五郎「気が重い… 胃が痛い…」
案の定、語路五郎は、一言の言い訳も許されず、馬加にミソクソに怒られました。しまいには、語路五郎自身も牢に放り込まれてしまい、やがてそこで死んでしまいました。村長たちのほうは、親族が家財を売り払って金をつくり、馬加にありったけの贈物をすることで辛うじて釈放されました。
さて、領主の千葉介自胤はこんなことがあったのを知りません。長年失くしていた尺八のあらし山が戻ったのと、犬田小文吾というすごい男を家臣にできるかもしれないのでゴキゲンです。すぐに馬加から手配があると思って、猟をサッサと切り上げるとすぐに城に帰って、ウキウキと待ち受けていました。馬加が現れたのは翌日になってからでした。
馬加「尺八が戻った件、まことにようございました。しかし、容疑者の船虫は、語路五郎のポカのせいで、何者かに奪還されてしまいました。まあ、すぐに取り返してみせます」
自胤「そっかー、そいつを責めれば、名刀小篠と落葉を見つける手がかりにもなるはずだから、よろしくね」
馬加「ははっ」
自胤「っていうか、そっちは割とどうでもいいんだ。それより、犬田小文吾に早く会いたいんだけどな。暴れイノシシをワンパンでコナゴナにする超人らしいじゃん。しかもいいヤツで、悪人の策略も華麗にかわすっていう。すごくないか? こいつは絶対家臣にしたい」
馬加「ははっ。しかし、ちょっと話が大げさに伝わっているようですぞ」
自胤「そうなの?」
馬加「イノシシの件は、死にそうにフラフラになっていたやつを倒しただけらしいですし、例の船虫との件は、あれは実際のところ真実はまだ明らかでありません」
自胤「真実って?」
馬加「小文吾自身がもともと尺八を持っており、これを無実の船虫の家に隠して罪を押し付けた、という疑いも、実はまだ否定できないのです。船虫が奪還されたというのも、もしかすると、真実を知る者が、義憤から行なったのかもしれませんな」
自胤「そっかなー。ウワサを聞くかぎり、そんな悪いやつじゃないっぽいよ。自分の目でも判断したいから、とにかく会わせてよ」
馬加「もうひとつだけ彼への懸念を申し上げます。確かに彼は武勇も知力も優れているようです。そんな男が今まで誰にも仕えたことがないというのは、なんか不自然ではないでしょうか」
自胤「まあ、言われてみれば」
馬加「つまり、彼は、どこかから遣わされたスパイという可能性も低くないのです」
自胤「うーん… でもやっぱり会いたいんだよ」
馬加「仕方ありませんな。では、私が彼のことを見極めるまでの時間をください。それで安心そうなら、お目にかけましょう」
自胤「よしよし。よろしく頼む。失礼をしてはいけないぞ」
その後、小文吾は馬加の屋敷の客室にずっと置いておかれました。朝と夕の食事が出てくる以外には、誰も訪ねてきません。
小文吾「(こんなところに留まっている場合じゃない。とにかく早く、旅に戻らせてくれよ…)」
三日目になってやっと小文吾を訪ねてきたのは、家臣の柚角九念次という男です。主人の馬加が、やっと少しだけヒマができたので会ってくれるということです。小文吾は小書院の間に連れて行かれました。馬加は、近習をたくさん侍らせて、殿様のようにふんぞり返っています。
馬加「やあやあ、ご不便はありませんかな」
小文吾「これはどうも、別に不便はありません。しかし、私は人探しの旅をしているのでして、とにかく早くここを出してほしいです。笛の事件はもう解決したんでしょ」
馬加「そうしてあげたいのはヤマヤマなのだが、殿がお主のことを疑っていてな。まず、例の事件の真犯人が、本当に並四郎と船虫なのかという。仮におぬしが真犯人だとしても、ツジツマは合うじゃないかと」
小文吾「えー」
馬加「もうひとつ、殿は、おぬしほどのすぐれた男がなぜどこにも仕官していないのか、合点がいかないと言う。もしかしたらスパイなのでは、などと言い出す始末」
小文吾「それはひどいナンクセですよ。ちょっと話せば、そこらへんの誤解は全部解けるはずです」
馬加「私としても最善を尽くしておる。なんせ、殿は一度疑いだすとしつこいから、気長に説得しなくてはならん。おぬしも我慢して待っていてくれ」
馬加の対面の内容はこれだけでした。小文吾は、直感的に、馬加自身が彼を千葉殿に会わせたくなく、わざと理由をつけて軟禁しようとしているのだと思いました。
小文吾「それならここを逃げ出すか… いや、屋敷までは出られたとしても、城門を突破することは難しそうだ。そこで捕まってはいよいよ言い訳ができん」
こんな悩みを打開できないまま、なんと一年近くが過ぎてしまいました。
ある日、縁側にいる小文吾に声をかけたのは、召使の品七という老人です。ときどき小文吾の話し相手になってくれる男です。品七は小文吾が真面目な性格であることを知って、気に入っていました。
品七「犬田どの、最近ちょっと痩せましたな」
小文吾「そうですか?」
品七「あなたがここに閉じ込められて、もう長いですからな。悩んでいらっしゃるじゃろう。ワシにはどうにもしてあげられんので、気の毒だ。世の中の勇士というのは、何かと不幸な目にあうようじゃ」
小文吾「勇士ってガラじゃあないですよ」
品七「犬塚番作という立派な侍がおったんじゃが、彼が姉の夫に家督を奪われてしまうという事件があったのを思い出しますな。番作の子も立派な男だったらしいのじゃが、今はその行方も知れんそうじゃ。勇士というのはどこでも不幸な目にあう。しかし、あなたの運もいつかは開けるじゃろうから、気長に待たれませ」
突然犬塚の名前が出てきて、小文吾は驚きました。
小文吾「犬塚のウワサはオレも聞いたことがあります。品七さんはどこでそんなことを知ったんですか」
品七「んー、いや。親戚に大塚の糠助という男がいて、いつかそいつから聞いたことがあるんですよ。ちょっと前に死んだが、ときどきここにも来てくれたもんだ」
小文吾「そうなんですか」
共通の話題ができて、品七はちょっとノッてきました。
品七「逆に、悪いやつってのは世にはばかるもので… ここだけの話、ウチの馬加様はおそろしい人なのです」
小文吾「ほほう。後学のために、聞かせてもらいたいものです。私はどうせここらの人間でもありませんし、他の人に洩らしたりはしません」
品七は、小文吾の人柄を信用し、ヒソヒソと下のような話をしました…
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「千葉家」と名のつくものは現在下総に二つあり、孝胤の千葉家と実胤の千葉家です。もともとは一つだったのですが、許我殿(足利成氏)と、管領の扇谷・山内が争っていたときに、どちらに味方するかで内輪モメしたのが分裂のもとになっています。
馬加大記(当時の名は馬加記内)は、もとは孝胤のほうに仕えていましたが、素行不良がもとで夜逃げし、あとで実胤に主君を代えた過去があります。人に取り入るのはうまいようで、実胤のもとで結構出世して重臣になりました。
馬加は、ほかの重臣たちを蹴落として、自分の権力をもっと大きくしようと考えました。彼が狙ったのは、粟飯原首胤度と、籠山逸東太縁連の二人です。
馬加は、主君実胤のもとからあらし山という家宝の尺八を盗み出し、これを持って胤度を密かに訪ねます。
馬加「許我殿と管領が和睦するというもっぱらのウワサですが、わが殿は、これが正式に発表される前に、独自に許我と仲直りしておきたいと考えています。ついては、家宝のこのあらし山を許我に贈ろうということになりました」
胤度「なるほど、名案ですな」
馬加「しかし、殿みずから許我に赴くのは、直接のご恩がある管領に対してカドが立つ。それで、弟の自胤名義で贈ることにした。ついては、胤度どのにあらし山を持っていくお遣いを頼みたいとおっしゃる」
胤度「頼りにしていただき、ありがたいことだ」
馬加「殿はあなたに、弟の自胤どのと適宜打ち合わせの上、許我に向かうよう仰せです」
胤度「まかせて」
粟飯原胤度は殿の弟の自胤を訪ね、馬加から聞いた話を繰り返しました。
自胤「殿はそんなことをお考えか。それではよろしく頼む。しかし、尺八ひとつでは私の真心を示すのに足りないな。この両刀も差し上げてくれ。小篠と落葉という秘蔵の名刀だ」
かくして、粟飯原胤度は、あらし山と刀二本をもって、許我に出かけていきました…
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品七「つづきは次回に」
小文吾「(登場人物が、胤ナントカばっかりで覚えきれないぞ…)」