69. 泡雪奈四郎が村長を撃つ
■泡雪奈四郎が村長を撃つ
村長の四六城木工作は、浜路の来歴の秘密を語る途中に、たまたま自分の父の主人であった井丹三直秀の名を出しました。
犬塚信乃にとって、井直秀は母方の祖父にあたります。信乃の父であった番作は、ボロ寺で蚊牛和尚に襲われそうになったときに、その場にいた手束と出会って夫婦になりました。その手束の父が井直秀です。
信乃「なんて世間は狭いんだ。井丹三直秀は自分の祖父ですよ。結城合戦では、父番作の戦友だったんです」
木工作「なんと!」
信乃「こんな縁があるとは思いもよりませんでした。…今言われた、浜路さんを私の嫁にという件、けっして断るというわけではないのです。ただ、今は人を探す使命のほうが大事なのです。それが終われば、きっと改めて返事ができるのですが」
木工作「こんな話ならなおさらです。先に結婚し、次にお仲間を探す旅に出ても遅くありません。わたしだって長生きできるとは限らない。善は急げですよ」
信乃「いや、そういうわけにはいきません。ここは絶対に譲れないのです。するべきことが終わって、なお縁が残っていれば、必ず浜路さんをいただきますから」
木工作「そうですか… じゃあせめて、冬の間だけでもここに留まってください。どうせこの雪ですからね。夏引、出来介、ここにこい! さっきの無礼を信乃どのに謝るのだ」
夏引と出来介は木工作の言うとおり信乃に謝り、この晩の騒ぎはこれで終わりました。
しかし、木工作は、信乃ともっと長くここに留めて、浜路と結婚させることをあきらめていません。
木工作「そのためには、領主の武田様の家臣になってもらうに限る。私が個人的にそんな紹介はできないから、コネを使うべきだな…」
コネとは、泡雪奈四郎のことです。彼は武田の家臣でありながら、木工作の狩り友でもあります。(狩り友ってのは、狩りを趣味にする仲間のことです。筆者が今、適当に考えました)
木工作「しかし泡雪どのは、先日、信乃どのにフルボッコにされている。恨んでないといいけどな… 明日あたり、ご機嫌をとりにアイサツにいこう」
深夜ではありましたが、木工作はこのアイデアを早速夏引に相談しました。
夏引「(ちっ、そんなことになったら、浜路はここから出ていかないわ。私が泡雪どのと逢うのがいよいよ不便になるだけじゃないのよ)い、いいんじゃないかしら。ホホホ…」
夏引は、できるだけ早いうちに泡雪奈四郎に会って、この件をどうやって妨害するかを相談しなければならないと思いました。
翌日、木工作は、泡雪の屋敷を訪ねました。まずは先日から預かりっぱなしになっていた鉄砲を返して、それからあたりさわりのない季節のあいさつを交わすと、本題に入りました。
木工作「先日あなた様とちょっとしたいさかいのあったあの男は、武蔵の浪人で犬塚信乃と言うのです。なんと、私の父の主人の孫…まあ、縁続きの人物であったことが分かったのです」
泡雪「ふうん?」
木工作「あの男は立派です。武田家の家臣となるのにふさわしい人物と私は思います。そこで、泡雪さまに、ぜひ彼を領主に紹介してもらいたいと思って、お願いに参ったのです。まずはウチに来て、彼を交えて酒など飲みませんか」
泡雪「ふうむ…」
泡雪は信乃になぐられた恨みを忘れてはいません。近頃は狩りにも出ていませんでしたが、それも、先日ひどく恥をかいたので、知り合いに会いたくなかったからです。
泡雪「(どうしようかな… 行かなきゃ格好悪いから、まあ行くか。もしもそこで気にくわないことがあったら、そこにいる一家を、例の信乃ごと皆殺しにしてしまってもいいんだしな)」
泡雪は、心ではこんな物騒なことを考えましたが、とりあえずは快く承諾しました。木工作は、泡雪が思ったより心が広いことに安心して、他愛なく喜びました。
泡雪は翌日、手下の媼内と幮内を助太刀に外に控えさせて、服の下にはガチガチに防具を着込んで木工作の屋敷の宴会に出席しました。最初は相当に警戒して臨みました。しかし、信乃は予想外に謙虚でイイヤツでした。
泡雪「(あれっ、こいつちょっと気に入ったかも)」
泡雪はやがて、酔って楽しくなりました。
泡雪「ちょっと失敬、トイレに…」
泡雪がトイレに立ったときに、さりげなく廊下で夏引が横に添ってヒソヒソとささやきかけました。
夏引「ねえ、うちの人、浜路をあの信乃と一緒にしようとしているのよ。そしたら私たち困るわ。なんとかして」
泡雪「む、それは確かに困るが… なんとかと言ってもねえ」
泡雪にはそのとき、ひとつアイデアが閃きました。
泡雪「よし、まかせておけ。つまりは、浜路がほかに片付けばいいってことじゃないか」
泡雪は夏引に作戦を伝えると、夏引は感心しました。その晩は泡雪はそれ以上飲まずに、早めに帰宅しました。
その後しばらくして、泡雪から木工作のところに、先日の礼と称してお菓子が届けられました。また、そこには手紙も入っており、「会って相談したいことがある」と書かれていました。木工作は袴を身に着けて泡雪の屋敷を訪ねました。
泡雪「よく来ましたな。まずは酒でも飲んでくれ」
木工作「ははあ、ありがとうございます」
二人とも酒を何杯も飲んで、すっかりできあがったころに、泡雪が切り出しました。
泡雪「相談というのは、めでたい相談なのだ。武田の御曹司である信綱どのにはいまだ子がないため、側室を探しておられる。そこに、私が、お主の娘である浜路どのの話を(私の姪である、とちょっと脚色して)出してみたのだ。彼女は美人だし性格もたいへんよい」
木工作「えっ」
泡雪「信綱どのは大変気に入ってな。ぜひ浜路を欲しいと言ってくれた。どうだ。彼女がもし世継ぎを産むことができたら、お前は一気に国主の親戚だぞ。セレブだぞ。めでたいだろう。はっきりいって、俺でさえうらやましい」
木工作は酔いが醒めました。「…」
泡雪「ということなので、すぐに浜路を私の屋敷まで連れてきてくれ。頼んだぞ」
木工作「だめですよ! 浜路は信乃どのと結婚することになったんです!」
泡雪「なんだと! もう御曹司とは約束したのだ。これを破れば重罪だぞ、死罪だぞ!」
木工作は興奮してきました。
木工作「ばかな。国主の御曹司が、人の娘を側女にしようとして、断られたからといってその親を殺すわけがない。そんなことがまかり通れば、この世は闇ですよ。いちど結んだ縁談を、そんな勝手な都合で破ることなんて、誰だってやっちゃいけないんです。だいたい、浜路があなたの姪って、何ですか! 自分勝手にもほどがありますよ。自分の利益のために人の娘を勝手に利用しようとするなんて。浜路を紹介するより、信乃どのを紹介したほうが何百万倍もあなたのためになったことでしょうに、呆れましたよ。ともかく、浜路の件はきっぱりとお断りしますからね!」
木工作はこう捨台詞を吐くと、席を蹴立てて立ち上がり、ふすまをパシッと開けて、家に帰りはじめました。
泡雪奈四郎は、怒りのあまり顔を真っ赤にし、口もひらくことができません。やがて炎のような息をひとつ吐くと、柱にかけてあった鉄砲をつかんで、弾丸と火縄をセットし、去っていく男に狙いを定めました。
ガーン
銃声を聞いて、媼内と幮内が駆けつけました。木工作は体を銃弾に貫かれて絶命していました。
泡雪「おまえら、こいつの死体を隠しておけ」