79. 名刀落葉・小篠の物語
■名刀落葉・小篠の物語
なんと、犬田小文吾と犬川荘助は、あえなく首をはねられてしまいました…(まあ、そんなわけはないですね。もちろんトリックがあるんですよ)
石亀屋の次団太は、「あの二人、方貝の屋敷に招かれて、さぞやもてなされてるんだろーなー、いいなー」程度に考えていたのですが、のちに伝わってきたウワサでは、箙の大刀自に逆恨みされて逮捕され、死刑になるらしいということでした。
次団太「そ、そんな!」
次団太は、二人の刑を減免してもらおうと、ありったけの贈り物を老中の稲戸由充に贈ってみましたが、彼は公正な男で、まったく受け取ってくれませんでした。老中の手下たちにも教育が行きわたっており、誰もワイロを受け取ってくれません。
次団太は、せめて牢屋にいるらしい小文吾と荘助に食事を差し入れたいと考えましたが、彼らだけは特別な牢屋にいるということで、この申し出も断られました。
そうこうしているうちに、ついに二人の死刑が執行されてしまったというウワサだけが流れてきました。次団太はすっかり力を落としてしまいました。
さて、大塚と石浜からの使者を見送った夜、稲戸由充は自宅の仏堂に一人で籠っていました。ここの床には落とし戸があり、その中には小文吾と荘助が無事にかくまわれていました。
由充「さあお二人、もう安全です」
由充は、二人をやむを得ず逮捕したその日に、いよいよ犬士たちの人格に感動して、絶対に死なせるわけにはいかないと考えました。ちょうどいいことに、同時に小千谷から連行してきた盗賊の残党、溷六と穴八が、不思議なほどに小文吾と荘助に似ていました。
由充は、さっそく小文吾と荘助をこの落とし戸の下にかくまい、牢屋には盗賊のほうを入れたのでした。その際、薬を飲ませて声が出ないようにして、うっかりこいつらが正体をバラさないようにもしました。そしてこのことは、腹心の荻野井三郎にしか知らせませんでした。
こういうわけで、実際に死刑にしたのもこの身代わりだったのです。小文吾と荘助の持ち物だった刀を一緒に見せましたから、大刀自も、使者たちも、なんとかだますことができました。
由充「一カ月近くもこんな穴の中に押し込んで、不自由をかけてすみませんでしたな」
小文吾・荘助「とんでもない。お心づかいで、快適に過ごせましたよ。しかし、我々を助けるために、あなたにととっては大刀自への忠義に反することをさせてしまいました」
由充「いや、主君の過ちをこっそり補うのも忠義のうち。あとで振り返ればこうするのが断然正しかったと、大刀自もいつかは分かってくださろう」
由充「ところで、お二人のもっていた刀を、首と一緒にそれぞれの使いに渡してしまいました。クビがニセモノだとばれないように念を入れたかったのです」
荘助「そうですか。まあ、命を失うよりはマシでした」
由充「で、石浜からの使者の馬加という男が、犬川どのの両刀を名刀落葉・小篠だと言いました。もともと千葉家の秘蔵で、かつて盗まれて紛失したものだったとか。なぜ、犬川どのがあれを持っていたんです」
荘助「ああ、説明しますよ…」
こうして、小文吾と荘助は、この刀がどう伝わって今に至るのかを説明しました。ちょうどこの二人が揃ってはじめて、刀にまつわるすべてのストーリーを明かすことができるのです。
〇 もともとこの刀は、犬川荘助の父である犬川衛二の秘蔵だった
〇 衛二が主君の怒りを買ってクビになり、刀も没収(その後衛二は自殺)
〇 刀は売り払われ、それを鎌倉で粟飯原胤度が見つけて気に入り、買って千葉家の主君に献上した
〇 馬加大記が陰謀のためにこの刀を船虫たちに盗ませた。船虫たちはこれを売り払った
〇 やがて、古物商が売っていたこの両刀を、小文吾が気に入って買った(父親の文五兵衛にはめちゃめちゃ怒られたけど)
〇 犬塚信乃が刀を持たずに放浪していたので、小文吾がこれをあげた
〇 信乃はのちに父の形見の桐一文字を手に入れたので、今まで持っていたやつを荘助にあげた
〇 荘助はこの刀が父の形見だと気づき、今まで肌身離さず持っていた
由充「…おお、犬川衛二! お主はあの方の息子さんだったのか。あの刀は、あの方の持ち物だったのか! …お懐かしい!」
荘助「知っているんですか?」
由充「私の師匠だよ。文学も武芸もあの方に習った。何の恩返しもできないうちに衛二どのは亡くなってしまい、私の心残りのひとつだったのだ。期せずして、私はお主を救って、この恩をちょっぴり返すことができたようだ…」
三人はしばらく、目をうるませてこれらの縁に感じ入りました。
由充「さて、まだ落ち着いてはいられない。お主たち、遠くに逃げなされ。あの刀が奪われてしまったのは残念だが、それほどの縁があるシロモノなら、また何かの拍子に手に戻るかもしれん。さしあたっては、お二人に代わりの刀をあげるから、これを持って行ってくだされ。これもなかなかの名刀なのだぞ。使者は信濃路を行ったから、それと反対方向に行くといい」
荘助「わかりました。ありがとうございます。落葉・小篠が手に戻ったときには、今もらったこの刀は必ず返しますからね!」
由充「そうだな。さあ、朝がきた。もう行かれよ」
こうして二人の犬士は、無事に方貝を逃れて、ふたたび旅に戻ることができたのでした。
荘助「さて…」
小文吾「どこに行く? 由充どののアドバイスどおり、逃げるか?」
荘助「武士たるものが、たとえば父の形見の刀を奪われて、おめおめと引き下がれるだろうか?」
小文吾「できないよな」
荘助「使者が出て行ったのは前日だという。きっと追いつけるよな?」
小文吾「たぶんな」
荘助「よし、私は刀を取り返しに行くぞ!」
小文吾「そう言うと思ったぜ。行こう」
ふたりは決然と信濃路を走りだしました。
さて、ちょっと場面が変わって、信濃路の片隅に野宿する、ふたりの乞食の話になります。
ひとりは40歳くらいで、足が不自由です。もうひとりは五体満足ですが、まだ16、7歳くらいでしょうか。どっちもボロを着ています。
乞食「なあコゾウ、腹が減ったなー」
コゾウ「そうかもなー」
乞食「ちょっぴり小銭があるから、モチでも買ってきてくれよ。俺はロクに歩けないからな」
コゾウ「これだけだと、ちょっと足りなくないかな」
乞食「買えるだけでいいんだ」
コゾウ「まあ、やってみるよ。ところでオッサン、足が不自由なのはなぜなんだい」
乞食「意地悪なこと聞くなよ。まあいいや。俺はけっこういいとこのボンボンだったんだけど、浪費癖があって、気が付けば一文なしだ。おまけに梅毒にもかかってよ、足腰立たなくなっちまった。そんだけさ。お前こそなんでコジキやってんだよ。若いし、体は元気だし、顔はけっこうキレイだし、何だってできるだろ」
コゾウ「おれって、小さいころから盗み癖がひどくてさ。ウソをつくのもうまいんだ。それでみんなから嫌われてるんだ。コジキくらいが性に合ってるんだよ」
乞食「へえー」
コゾウ「いや、あんまりおしゃべりしてちゃいけないな。モチ買ってくるよ」
乞食「たのむぜー」
小文吾と荘助が追いかけようとする馬加蝿六郎と丁田畔五郎は、数日後、けっこう進んで、諏訪湖のほとりにいました。お供に着いてきた荻野(由充の部下でしたね)を振り切るためにがんばったおかげでもあります。
丁田「もうあの荻野は追ってこないかな」
馬加「すっかり巻いたと思うぞ。俺たちが朝早く宿を出て、細い横道にそれたからな」
丁田「ざまーみろ。俺たちだけで帰ったほうが、褒美の分け前は多いってもんだ」
馬加「今までわざと朝は遅く出てたから、今朝はビックリしただろうな」
丁田「作戦成功だったな」
馬加「ちょっとだけ休もうか。ちょうど茶屋がある」
丁田と馬加は無人の茶屋に腰を下ろして、水を飲んで一息つきました。馬加は、手に入れた名刀落葉・小篠のことをちょっと自慢したくなりました。
馬加「おい知ってるか、この刀の伝説。これで人を斬ると、周りの木から葉がパラパラ落ちるんだぜ。だから落葉っていうんだ」
丁田「カッコイイな。なんで葉っぱが落ちるんだ」
馬加「知らねえが、カマイタチ的な何かじゃないか」
丁田「ふーん」
馬加「どうせ帰ったら千葉殿に返してしまうことになるんだが… ちょっと俺たちも試してみたいと思わないか」
丁田「うむ。落葉を見たって自慢にもなるぞ」
馬加「だれか斬ってみたいなあ」
丁田「犬とかじゃだめか」
馬加「バカ、刀がけがれるだろ。人間じゃなきゃだめだ」
そんなことを話していると、道の向こうに、中年の乞食がひとり座っているところが二人の目につきました。他にはまわりに誰もいません。
馬加・丁田「ほ、ほう…(にやり)」
馬加たちは、手下をやって、この乞食を引きずってきました。
乞食「なんです、どうしたんです。私はなんにもしていないのに」
馬加「うるさい。乞食なんかしているオッサンは、どうせロクデナシなんだろう。天にかわって俺たちがお前を成敗する、ことにした。けっこう体格もいいので、斬りごたえがある」
乞食「ワケがわかりません。助けて」
馬加「覚悟をしろ」
乞食「ヒイー」
モチを買って帰って来たコゾウは、これを見つけて木陰に隠れて様子をうかがいました。オッサンの運命やいかに。