80. 小文吾、ブチ切れる
■小文吾、ブチ切れる
馬加蝿六郎と丁田畔五郎は、名刀落葉の切れ味を試したくて、道端に座っていた乞食を引きずってきました。
乞食「やめて、たすけて」
馬加「あんまり暴れるなよ。この名刀に斬られるのは名誉なんだぞ。お前、そんなふうに足が不自由なままで、コジキして生きていくのも辛いだろ。それを一発で楽にしてやろうというんだ。こいつは慈悲ってやつだぜ」
乞食「誰が死にたいなんて言ったよ。足がどうだろうと、千年名誉が残ろうと、生きているのが一番の望みなんだ。殺さないでくれ」
丁田「これ以上言っても無駄っぽいな。とっとと斬ろうぜ」
馬加「そうだな(刀を振りかぶる)」
乞食は、どうしても助からないと悟ると、急に眼がすわりました。
乞食「…ここまで言っても聞いてもらえないのなら止むを得んな。正体を明かしたくはなかったのだが」
丁田・馬加「!?」
乞食「足が不自由なフリは、カタキに出会うまでの単なるカモフラージュよ。お主たち、どうしても俺を斬りたいか。それなら俺も容赦せんぞ」
馬加「な、なんだ、この『実は俺は強いぞ』的な発言は。お前は誰だ」
乞食「…」
馬加「…」
乞食「…いや、ちょっとハッタリ言ってみただけです。ちょっとビビったでしょ。ねえ助けてくださいよ」
馬加は腹が立って、無言で乞食をぶった斬りました。体がふたつに離れてしまいました。しらけた雰囲気が漂いました。
丁田「さすが、切れ味はバツグンだな。…しかし、別に葉っぱは落ちないようだが」
馬加「…なあに、単に伝説だったというだけで、本当じゃなくても別にいいのさ。おい者ども、この刀の血を洗え。死体もどっかに隠せ」
馬加の握る刀の血をぬぐおうと手下が近寄ってきました。しかし何者かが素早くその後ろに現れ、その手下をつかんで投げました。おどろく馬加の効き手もムンズとつかみます。
馬加・丁田「な、なにヤツ」
それは、さっきモチを買いに行ったコゾウでした。しかしさっきと目の色が違います。
コゾウ「この刀の名を、落葉と小篠と言ったな。それは私の父が殺されたときに失われたものだ。さらに、お前は名を馬加と言った。さては、馬加大記の縁者だな。つまり、お前も私のカタキの一人だ。殺してやる。そして刀も返してもらう」
馬加「さてはお前は、伯父(大記)を殺したという犬阪毛野か! こしゃくな、飛んで火にいる夏の虫め、返り討ちにしてくれるわ。おい、いいことを聞かせてやろう。お前と一緒に石浜の城を逃げ出した犬田小文吾は死んだぞ。方貝で斬首になり、今は俺たちがこうして首級を運んでいる途中だったのだ。お前の首もセットで持って帰ることになりそうだな。ラッキーだぜ」
毛野の髪が怒りで逆立ちました。
毛野「犬田どのが! …きさまらっ」
馬加はこのスキに毛野の腕を振り切って、それから刀をやたらめったらに振り回しました。毛野はそれを飛ぶ鳥のようにかわして再び馬加の腕を押さえると、持っていた刀をもぎ離して、あやまたずに一閃しました。馬加の首が体から離れて落ちました。
丁田「うおおっ、ものども、一斉にかかれ」
手下たちも毛野に襲い掛かりましたが、四人のうち二人がたちまち斬り伏せられました。このスキに、丁田は走って逃げました。毛野は丁田を追って斬ろうとしましたが、刃はこめかみのあたりをかすっただけでした。傷を負った手下たちも逃げていきました。
毛野「…ふん、残ったやつらはどうでもいいさ。刀がこの手に戻り、馬加の縁者を倒したんだからな」
毛野は馬加の死体を探って、もう一本の刀、小篠も手にしました。そして、「死んだのか、犬田どの…」とつぶやいて悲しそうな顔をしました。
この場に、犬川荘助が現れました。父の形見である落葉・小篠を追って、夜通し走ってきたのです。(小文吾はちょっと遅れています。)
そこで、乞食の少年が、二本の刀を持って愁然と立ちつくしているのを目撃しました。周りには数人分の死体が転がっています。
荘助「おい、お前は誰だ。その刀は」
毛野「なんだ、まだ残党がいるのか。主人の馬加を追って死にたいのだな。いいだろう、かかってこいよ」
荘助「さてはお前が持っているのは、落葉と小篠だな。使者たちを襲って殺したのか。山賊め」
毛野「この刀の名を知っているとは、お前もカタキの片割れか」
小文吾を失った悲しみが、再び怒りのパワーにチャージされました。
毛野は目にもとまらぬ速さで落葉を抜きました。荘助はそれを刀の鍔で受け、これも非常な素早さで反撃の刃を抜きました。受けては流す白刃の応酬、二人の剣術はほぼ互角で、まるで二頭の虎が争うようなすさまじさです。
そこにやっと小文吾が、息をきらして追いつきました。何が起こっているのかと驚いてよく見ると、なんと毛野と荘助が戦っています。
小文吾「おい、やめろ。犬川どの、犬阪どの! その相手は、味方だぞ!」
一瞬でもスキを見せればやられます。毛野も荘助も目の前の相手に完全に集中して、鬼神のような形相で戦っています。このままではどちらかが傷を負うでしょう。
小文吾「おまえら!」
二人ともまったく小文吾に気づきません。
小文吾「お ま え ら ケ ン カ す ん なーーー!!!」
小文吾は、道端に刺さっていた石の標識を力任せに引っこ抜き、二人が切り結んだ刀の上からズシンと押しかぶせました。
荘助・毛野「何を… あっ、犬田どの」
毛野と荘助は、小文吾のこれほどのブチ切れぶりを見たことがありませんので、若干引きました。毛野が最初に気を取り直しました。
毛野「犬田どの! 生きていたのか、嬉しいです! なぜ、この敵と戦うのを止められるのか(刀の柄から手を離さず、荘助を横目でにらんで)」
小文吾「犬阪どの、彼は敵ではないよ。我々の義兄弟、犬川荘助どのだ。犬川どの、彼が犬阪毛野どのだ。どういういきさつでケンカになったか知らないが、まず落ち着こうよ」
荘助「なんと、この方が犬阪どのか。父の形見である落葉と小篠を奪おうとした山賊だと思い込んで、つい冷静を欠いてしまった。ケガをさせなくてよかった…」
毛野はまだ、起こっていることについて半信半疑です。
毛野「犬田どの、私はまだ納得がいかないぞ。この男(荘助)、千葉家の秘蔵であり、私の父にも、私のカタキにも因縁の品であるこの落葉・小篠を、自分の家宝であるかのように言うのはどうしてなんだ」
小文吾「うん、それは話せば長い。しかしそれはあとで説明するとして、まずは一番大事なところから行こう。石浜では聞きそびれてしまったからね。ちょっと失礼」
小文吾はちょいと尻のあたりをまくりました。そして腿のつけ根近くにある、牡丹型のアザを見せました。
小文吾「犬阪どのは、体にこんなアザがないかい。あともうひとつ、文字の浮かんだ不思議な玉を持っていないかい」
毛野「…何のことかよくわかりませんが、確かにアザはあります。(腕をまくって)ほらここに。玉も持ってます。あとで見せますが、『智』って文字が浮かんでいるんです」
荘助はニコニコして、自分の背中にあるアザを毛野に見せました。「私の玉には『義』の文字が、そして犬田どのは『悌』の文字があるんだよ」
これでやっと、毛野は疑いをすっかり解きました。いったん分かれば呑み込みは早く、すっかり荘助と小文吾を義兄弟と認め、嬉しさに晴れやかな表情になりました。
毛野「私に兄者がいるとは、なんという嬉しさだ。あげます、刀なんてあげます」
小文吾「うん、しかし、まず人目のつかないところに行こう」
三人は、土手の向こう、諏訪湖のすぐほとりまで退きました。
毛野「あらためて、犬川どの、さっきは失礼しました。この刀、あなたにとって大切なものであるというならば、どうぞお納めください」
荘助「いやいや、あなたにとっても大事なものなのでしょう。カタキを見つけるためにも必要だということですし」
毛野「いいえ犬川どのが」
荘助「どうぞ犬阪どのが」
毛野・荘助「これはもう、『バラエティー生活笑百科』に相談するしかないかな…」
小文吾「何を言っているのかよく分からないけど、まあ、必要なときに必要なほうが持てばいいじゃないか」
四角い小文吾がまあるく収めました。さしあたりは、荘助が引き続き落葉と小篠を持つことになりました。
毛野「そうしてください。私はカタキ討ちのためにたくさん武器も防具もそろえていますから、大丈夫なんですよ」
荘助「なるほど。じゃあ、これでもとの刀が戻ったから、稲戸どのに借りていたやつは返す必要がありますね」
小文吾「俺も返そう」
荘助「犬田どのの刀は、丁田という男が持って行ったんじゃなかったっけ?」
小文吾「実はもう取り返したんだ。さっき犬川どのを追っていたとき、向こう側から傷を負った男が逃げてきた。そいつが俺の刀を下げていたから、これが丁田だと分かって、その場でぶっ倒して奪ってきたんだ」
毛野「おお、逃がしたと思っていた丁田を、犬田どのが倒してくださったのか。すばらしい」
荘助「よし、それなら、現場に戻って、馬加たちの死体の横に、借りていた刀を置いていこう。そしたらたぶん稲戸どのに伝わるでしょうから」
毛野「私も一緒に行きます」
小文吾「犬阪どのは、さっき逃がした手下たちに顔を見られているから、危ない。我々が知らんふりして通りがかって、そこに刀を置いてくるから」
毛野「そうですね。それでは、気をつけて行ってきてください。私はこの先で待ってます」
荘助と小文吾は、茶屋のあたりまで戻り、様子をうかがいました。茶屋の主人は食事にでも行っているのか、まだ誰もここらの死体を発見した人はいないようです。
小文吾「ちょうどよかった。じゃあここに、借りた刀を置いていこう」
荘助「まだ発見者がいないみたいだから、ちょっとやっておきたいことがあるんだけど」
小文吾は、荘助から「ちょっとやっておきたいこと」の内容を聞くと、面白がりました。「それはいい。さっそくやろう」
荘助たちは、馬加と丁田が運んでいた、ニセ小文吾とニセ荘助の首級を取り出しました。その容器には酒が満たされていて腐りにくくなっていたのですが、その酒を捨て、代わりに茶屋の奥で沸いていた熱湯を入れ、もとのようにフタをしておきました。
荘助「これでクビはデロンデロンになるから、あとで使い物にならない。いくらニセモノでも、自分の名前でさらし首になるのはイヤですからね」
小文吾「さらに、クビを奪われたわけでもないから、稲戸どのの落ち度にはならない。うん、いい作戦だ」
ふたりはやりたいことをすべてし終わって、先で待っていた毛野に合流しました。