81. ニセ首級のあと始末
■ニセ首級のあと始末
荻野井三郎は、焦って馬加と丁田の一行を追っています。どうもあの二人は手柄を独り占めしたいらしく、お供として着いていこうとした荻野を振り切って先に行ってしまったのです。(それどころか、わざと横道に反れたりして、行先を分かりにくくしたりもしていました)
荻野「なんなんだよ、あの二人。勝手だなあ…」
そこに、ひとりの男が下半身を血にぬらして倒れているのを発見しました。
荻野「おい、どうした。大丈夫か。お前は確か、馬加の手下じゃなかったか」
手下「はい、似児介といいます。助けてください、方貝のかた」
荻野「何があったのか説明しろ」
手下「主人の馬加蝿六郎様が殺されました」
以下、似児介が語ったのはこんな感じです。
〇 馬加と丁田は、道中、名刀落葉の斬れ味を試したいと考えた
〇 諏訪湖の茶屋あたりで、乞食をひとり捕まえて、試し斬りをした
〇 もうひとりの乞食(少年)が現れて、馬加を殺し、丁田を負傷させた。手下も何人か死んだ
〇 自分は負傷してここまで逃げてきた
荻野「あのバカどもが。似児介とやら、担架に乗せてやるから、そこまで案内してくれ。その傷は痛いだろうが、命には別条ないから我慢しろ」
こうして荻野は応急処置をした似児介を連れて、現場である茶屋の近くまで駆けつけました。そこでは、散らばる死体を前にして、茶屋の主人や、村の役人たちが、何が起こったのか分からずに途方に暮れているところでした。
茶屋の主人「私が食事のために留守にしている間の出来事だったようです。何があったのか全くわかりません」
役人「ここから離れたところにも死体がありました。(あとでこれは丁田だと判明しました。)だから複数の人物の犯行のような気がしますが… 目撃者もなく、どうにも捜査の糸口がありません」
荻野は、似児介に聞いたとおりのことを人々に説明しましたので、みなはおおむね何が起こったのかを把握することができました。ただし、犯人が何者だったのかだけが分かりません。
荻野「おい似児介、その乞食の少年について、もうちょっと何か見聞きしなかったのか」
似児介「そういえば、曲者は、主人(馬加)の持っている刀を見て、それは落葉と小篠だ、さてはお前は馬加大記の親族か、とか言っていました。それを聞いた主人は、お前は犬阪、とか口走ったっけ」
荻野「なるほど、それで色々とハッキリした。よろしい、皆さん、あとは私たちが引き取りますから任せてください。死体の埋葬だけは、みなさん協力してください。ケガ人の手当もしてやってください」
こうして荻野は、周りの人たちにテキパキと指示を与えました。自分自身は、馬加と丁田に持たせた小文吾と荘助の首級が奪われていないことと、持って帰らせた刀も無事なことを確認して安心しました。(刀は犬士たちにすり替えられたものなのですが、荻野は刀をちゃんと見ていたわけではないから気づきませんでした。)
荻野は、近くの宿に泊まって、そこで箙のビッグママに電話をかけると、事件のことを報告し、今後どうしましょうかと相談しました。
ビッグママ「バッカだねえ、あの二人」
荻野「はい、ちょっとそう思います」
ビッグママ「何も盗られなかったんだね? 確かだね?」
荻野「刀も無事ですし、首級も異常なしでした」
ビッグママ「まあ、そこらへんはよかったわね。その犬阪という人物の手配はあとで考えるけど、とりあえずはアンタが刀と首級を石浜と大塚に届けておいで」
荻野「わかりました」
翌日から、荻野とその手下たちは、六月と七月の炎暑の下を、二十日ほどかけて歩きました。その間、瓶の中からは耐えられないほどの腐敗臭が立ちのぼりっぱなしでした。
やがて一行は武蔵の大塚に着き、重臣の仁田山という人物に出迎えられました。
荻野「こうこうというワケで、そちらからの使者は亡くなってしまったのですが、そちら様で指名手配されている、額蔵こと犬川荘助の首級を差し上げに参りました」
仁田山「うん、ありがとう。でもコレ、ほとんどドクロだよね。さらし首には使えないなあ…」
荻野「腐っちゃったんです。すみません… 丁田どのには実検してもらいましたから、一応本人のはずです」
仁田山「わかりました。この刀は?」
荻野「犬田小文吾が持っていたものです。そちらの簸上社平どのののものだったとか」
仁田山は、簸上の親類に刀を見せに行きましたが、やがて戻ってきました。
仁田山「なんか、簸上の刀じゃないみたいですよ、コレ。気持ちだけもらっておきますから、まあ、持って帰ってくださいよ」
荻野「そ、そうですか…」
仁田山「ビッグママによろしくね、って、殿が言ってたよ」
その後、荻野は石浜の城にも行って、犬田小文吾の首級と、名刀落葉・小篠を献上しました。城主の千葉自胤みずからが対面しました。
自胤「首級は腐っちゃったみたいだけど、まあ馬加が間違いないって言ったんなら、たぶん犬田小文吾本人なんだろうね」
荻野「腐らせちゃって、どうもすみません」
自胤「あと、この刀ね。落葉と小篠じゃないよ」
荻野「そうなんですか?」
自胤「馬加も、こんなもんを見間違えて、仕方がないなあ。しかも、勝手にこの刀で試し斬りをしたって? まったく、死んでも仕方がないダメなやつだよ」
荻野「はあ、そうかも知れませんね…」
自胤「ともかく、ありがとうね。刀は、持って帰ってよ。ビッグママによろしくね」
こんな感じで、どちらの城でも、首級(のドクロ)は受け取ってもらいましたが、刀は返されてしまいました。仕方なく、荻野井三郎はこれらを持って帰り、ビッグママと稲戸由充に帰参の報告をしました。
ビッグママ「なんだい、刀は犬田と犬川のものじゃなかったって?」
荻野「はい、ちょっと恥ずかしかったです」
ビッグママ「あの馬加と丁田という男たち、相当いい加減なやつだったんだね。適当なことを言って」
由充「この調子だと、犬田と犬川の首実検が確かだったのかも、若干アヤシイ感じになってきますな」
ビッグママ「どういうことだい」
由充「犬田も犬川もそれなりに有名人ですから、ちょっと腕に覚えのある男が、自分を大きく見せようとして、俺は犬田小文吾だ、犬川荘助だ、などとウソの名乗りをすることもあるかも、ってことです。そんなニセモノなのに、馬加たちは刀と同様に『本物だ』って言ったんですよ、きっと」
ビッグママ「そんなこともありそうだね。しかし、意地でも、表向きには、今回の二人は本物の犬田と犬川だったってことにするんだよ。ニセモノなんてウワサを流す奴は、許すんじゃないよ」
ビッグママ「ともかく、あいつら(馬加と丁田)がボケナスなせいで、とんだ恥をかいたよ」
ビッグママ「そうだ、今回の事件の容疑者、犬阪毛野の指名手配はしたのかい」
由充「はい。しかし、この戦国の世ですから、ほかの国に逃げてしまえば、ちょっと追いかける方法はなさそうですね」
ビッグママ「こいつのことも、どうしようもないか…」
ビッグママは、今回、自分の判断ミスで余計なトラブルを起こしてしまったかも知れないと思い、少し元気がなくなりました。
荻野「この刀、どうしましょうか」
ビッグママ「もうそんなモノ見たくないよ。由充にあげるから、好きに処分なさい」
由充「はっ。ありがたき幸せ」
由充はその後、自分の屋敷に帰って部屋の中に一人きりになると、目の前に三本の刀(荘助に貸したやつが二本、小文吾に貸したやつが一本)を置いて、奇妙な感動に浸りました。
由充「多分、犬川どのと犬田どのが、それぞれ自分の刀をあの使者から取り返して、私が貸したものとすり替えておいたのだろうな。彼らが言った通り、本当にこの刀が私のもとに返ってきた… 彼らはもはや、神の助けを受けている人物としか考えられない。いやはや、何と言っていいのやら…」
こんなワケで、由充が荘助と小文吾を助けるためについたウソは、ビッグママ(箙の大刀自)に知られることなく完結したのでした。
さて、荘助・小文吾・毛野の三人の犬士は、甲斐の国に近い、青柳という土地の宿に集結して、今までの身の上話を交換していました。あまりに色々な事件をみなくぐってきており、いくら話しても話しきれないほどでした。
小文吾「毛野は、俺と別れてから何をしていたんだい。あんなところで乞食の恰好をしていたのは、お金がなくなったからなのかい」
毛野「フフフ、そうではありません。私の宿敵である、籠山逸東太を探すために、あそこで定点観測していたのですよ。石浜から逃げたあとはしばらく放浪したのですが、この近くに籠山村という地名のところがあるのを見つけたので、もしかしたらヤツの出生と関係があって、ここに何かのきっかけで現れないかな、と思って。ヤツは現れませんでしたが、二人の兄者に会うことができましたね」
毛野「そうだ、さっき見せてくれたアザのことをもっと教えてくださいよ。玉のことも」
荘助「うん、我々は、八人の犬士のうちの三人なのですよ。みな、安房の里見家の家臣となる運命なんですって。今までに七人見つかっています。(荘助はまだ、犬村大角のことだけ知りません)」
荘助と小文吾は互いに内容を補完しながら、犬士たちとその周辺の人物が織りなしてきたストーリーを語りました。ここにいない、信乃、道節、現八、親兵衛の四犬士。そして、伏姫と八房、丶大法師、蜑崎照文、房八、妙真、沼藺、文五兵衛、浜路、世四郎、音音、力二、尺八、曳手、単節、といった多くの人物のこと。
毛野は、夜が更けるのも忘れ、感激し、喜び、そして悲しみながら、夢中でそれらのストーリーに聞き入りました。