88. 湯嶋天神の薬売り
■湯嶋天神の薬売り
さて、またまた話の場面が変わります。だんだんバラけて込み入ってきましたが、やがてちゃんとひとつにまとまる、はず…
ここは武蔵の湯嶋天満宮。扇谷上杉家の持資入道(太田道灌のことですね)によって田舎の真ん中に建立された、まだ新しい神社です。しかし、なかなかのご利益という評判で、詣で客がたくさん訪れ、飴・餅・果物なんかの物売りや大道芸人までたむろする、賑やかな場所です。
ここの物売りの一人に、イボとホクロの薬を扱う男がいました。なかなか顔の整った若者で、布を豊かに使ったしゃれた装束に、赤いタスキで袖をあげ、高下駄を履きこなしています。物売りは客引きのための見世物をすることが多いですが、この男の持ち芸は、大刀を使った演武のようです。
物売り「みなさん、お参りついでにこんなところにお寄りいただき感謝いたす。この薬は、もとはさる仙人が唐の楊貴妃に伝授したという秘薬で、邪魔なイボやホクロがたちまちコロリととれる優れもの。またこの歯磨きは、石膏を砕いて作ったもので、普通の砂とは効き目が大違いだ。なんなら飲んで薬にしてもいいくらいだよ」
物売り「さあさあ寄っていかれませ。たのしい居合抜きも見ていきなよ。興味のある人には、あとで手相・人相占いもしてあげるよ。お気に召したら、薬も買ってね」
こう言うと、物売りは長い刀を取り出しました。子供の身長くらいありそうです。何段も重ねた木箱の上に身軽に飛び乗ると、
物売り「こんな長い刀は、抜くのがとても難しいんだ。しかし、腰をうまく使えば、ほらっ(スパッ)」
客「おおー」
台の上でバランスを取りながら刀をピュンピュンと器用に振りまわすと、客たちから歓声があがりました。仕上げに、足場をガラガラと崩しながら、物売りはヒラリと地面に下り立ちました。
物売り「さあ買った買った」
感心した客たちが、こぞって薬を買っていきました。やがて人も少なくなり、ちょっと休憩時間という恰好になりました。そこに、編み笠を深くかぶった武士が話しかけてきました。
武士「さきほどの芸、見事だったな。実戦でもいけそうなほど、確かな武芸だ」
物売り「おや、恐縮です。独学で身につけた、つたない技ですよ。もうちょっと待っていてくれたら、次は鎖鎌でもお見せしましょうか」
武士「さきほど、手相・人相も観ると言ったな。興味があるのだが」
物売り「おやすいご用」
武士「しかし、そもそも、手や顔を見るだけで、そいつの運命がわかるという理屈が本当にあるのかな。顔だけで運命が決まるなんて、正直ナットクいかないところもあるんだが」
物売り「フフフ、それはその通りなのですが、順番が逆ですよ。その人の心映えが、気となって手や顔から発散するのです。なかなかアテにできるものですよ。イボとホクロの薬を扱う手前、おのずと人相学にも興味が出てきて、いっぱい本を読んだものです」
武士「なるほど、お主は武芸も優れ、頭もよいのだな。気に入った。さっそく拙者を占ってくれ」
物売りは、笠を脱いだ、その武士の顔をじっと眺めました。
物売り「あなたは優れた人物ですな。勇にして義を守る相だ。名君を得て、名を上げることでしょう。未来のことも出ていますぞ。100日以内に、驚くべきことが起こるでしょう。そしてそれは喜びに終わります。しかし、あなたは今、恨みを持って誰かを追っているようですな。それを討つ計画は失敗します。失敗しますが、それでもやっぱりカタキは死ぬ。これはちょっとした謎ですな」
武士「お、おい、あまり大きい声でそんなことを言うな! 驚いたぞ、お主の占いはすごいな… よし、また日を改めて相談に来ることにする。またな」
武士はソソクサと帰ってしまいました。物売り「なにか仔細がありそうだったな。何だったんだろう。ことによると、あの人はもしや…」
これを陰から見ていた男がありました。ちょっと思いつめた様子です。
男「もし、占い師どの… 私も占って欲しいのですが」
物売り「今日はいろいろお客がありますね。どうぞどうぞ」
物売りはさっそく、男の顔をじっと眺めました。そして手相もよく観察しました。
物売り「この手相… あなたは誰かの子分ですな。そして、何かひどく困っている様子だ。どうしていいか分からぬ、といったところか。しかし、ここに出ている紋が幸いだ。あなたは人の助けを得て、災いは解決するでしょうな」
男「あなたは本当にすごい。当たっている。当たっていますぞ。人の助けを得られるとは、それはうれしいことだ」
その男は、占いがズバリ当たっていることに驚くあまり、ちょっと長い自分語りをはじめました。割と迷惑な話ですが、途中、この物売りの知っている名前もチラホラ出てきたので、そこからはは一言も漏らさず聞きました。
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私は、越後の小千谷からきた百堀鮒三と言います。親分は石亀屋次団太。この親分が現在、無実の罪で牢に入れられています。そしてそれが私の悩みなのです。
親分のもとに、犬田小文吾という豪傑が泊まっていました。その男に恨みを持っていた、船虫という盗賊の女が彼を暗殺しにきましたが、これは幸い防ぐことができ、女を捕まえたのはもちろん、それが属していた盗賊団も壊滅することができたのです。まあ、最終的に女だけは逃げてしまったのですが。
小文吾どのは、同じくそこで出会った犬川荘助と一緒に盗賊団と戦ったのでした。この二人は英雄です。しかし、片貝の領主である箙の大刀自にこの二人は憎まれていたらしく、小文吾どのと荘助どのは彼女の手勢に捕まり、やがて首をはねられてしまいました。
次団太親分は、小文吾さんたちが牢にいるときから、なんとかして救ってやりたくて八方手を尽くしました。首をはねられてしまったと聞いたあとも、せめてその首級を奪還してやろうと画策しました。それで家のことが手薄になっているうちに… こともあろうに、奥さんの鳴呼善さんが、私の兄弟弟子の泥海土丈二と不倫関係になっていたのです。
その関係はやがて親分にバレました。親分は、土丈二をボコボコにして家から追い出しましたが、鳴呼善さんは泣いて謝るので許したのです。しかし、あの人は悪い女です。鳴呼善さんは親分を逆恨みしました。そして、追い出された土丈二に、船虫が持っていた短剣を預けて、それを証拠にお上に訴えさせました。言うに事欠いて、親分が盗賊たちとグルだった、って訴えたんです。
この短剣の正体がまた、非常に運悪く、もともと長尾家(つまり大刀自の内輪)の秘蔵のものだったんです。柄とサヤがマタタビで作られた珍しいもので、マタタビ丸という名のついたものだったそうです。籠山逸東太という家臣が鑑定のために持ち出したっきり、本人もろとも行方不明になっていたという品です。これで、一気に親分は怪しい人物扱いになってしまいました。
それ以来、親分は片貝の牢につながれて、日夜、マタタビ丸をどこから入手したのか、籠山はどこにいるのかと厳しく責められているそうです。私は悔しくて仕方がない…
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物売り「なるほど、それは理不尽な話だな」
鮒三「土丈二は片貝から褒美までもらって、鳴呼善さんには堂々と家に呼び返されて、今でも仲良く腐りあってるんですよ」
物売り「事情は分かりましたが、それで、あなたは何を目当てにこんなところに来たんです?」
鮒三「箙の大刀自の妹君で、長尾殿の伯母君にあたる人物がこの近くの五十子城にいるのです。管領扇谷定正の奥方で、蟹目御前とおっしゃる方です。この方はとても慈悲深く賢いことで有名で、きっとこの方なら、次団太親分の無実をわかってくれるのではないかと思って…」
物売り「なるほど、その蟹目上に直訴しに来たのですね。コネはあるんですか?」
鮒三「正直、ありません。もうこれしかないと思いつめて飛び出してきましたが、一番の問題は、お近づきになる手段がまったくないことなんです。あなたの占いによると、『人の助け』が得られるという。まさに私が一番欲しいものです。どうか教えてくだされ、その人とは誰なのです」
物売り「占いでは、その具体的な人物までは分かりません。しかし、あなたの悩み、なんとかして解決してあげたいものですね…」
物売りと鮒三がしばし悩んでいると、突然、村長たちが慌てて神社内の人たちにふれまわる声が聞こえました。大きな声です。
村長「みんな控えろ、偉いかたがいらっしゃる。扇谷様の奥様のおなりだ。すぐにカゴがここに来る。店をしまえ! 急げ!」
ちょうどここに、蟹目上がお参りにきたようです。(都合のいいほどの偶然ですが、まあお話ですから。)物売りは大急ぎで天幕をしまい、商売道具をまとめて後ろに隠して、鮒三と一緒に道端に控えました。
やがて、物売りたちのほぼ目の前を御前のカゴが通り過ぎようとしました。鮒三は、今すぐカゴに飛びついて親分の無実を訴えるべきなのかどうか悩んで、ソワソワしています。うかつにそんなことをすれば、すぐにボディガードに斬り殺されるに決まっているのですが。
さて、蟹目上は一匹の子ザルを飼っており、可愛がっていつもそばに連れています。この日もカゴに一緒にのせてお参りに来ました。とつぜん、子ザルが外に出たがってキーキーと叫んでもがきました。
蟹目上「おや、オシッコでもしたいのかしら」
従者に頼み、蟹目上はサルを道端に連れて行って用を足させようとしました。しかし、つけていたヒモをしっかり持っていなかったようで、サルはパッと従者の手を離れて近くの木に登ってしまいました。予想外の勢いだったので、みな面くらってしまいました。
蟹目上「あっ、誰かアメデオを連れ戻してちょうだい!」(アメデオはウソです、すいません)
樹齢の古い銀杏の木です。下の方には人がつかまれるような枝もなく、木の幹も太すぎるので、誰も簡単には登れそうにありません。従者たちが困ってマゴマゴしているうちに、子ザルはほぼ頂上まで登り切ってしまいました。
さらに、首につけられていた長いヒモがまわりの枝に絡まり、慌てて暴れるうちに、子ザルはたちまち自分の首を絞める格好になってしまいました。暴れれば暴れるほどヒモは締まります。
蟹目上「キャーッ。なんとかして。サルを助けたものには褒美をあげると言って!」
従者「だ、誰かあのサルを助けよ! 褒美をとらすぞ! サルが死ぬと俺も死ぬ。たのむ、誰か!」
そのとき、従者の頭目である河鯉権佐守如は、道端でフフッと笑う者の声を聞きました。河鯉は声の方向をキッと睨み、
河鯉「誰だ、笑うやつは! お前か、何がおかしいのか言ってみろ!」
笑ったのはさっきの物売りでした。隣の鮒三は真っ青になってそちらを向きました。「な、なに笑って…」
物売り「いやすいません。あなた方を笑ったのではないのです。サルが、サル知恵もなく、勝手にヒモが絡まって死にそうなのが可笑しいなあと思って…」
河鯉「キサマ!」
物売り「サルを助けたいですか。私ならできますよ」