96. 結城の古戦場で待ち合わせ
■結城の古戦場で待ち合わせ
猯田馭蘭二は、犬士たちによって台の上にさらされていた首級をこっそりみんな撤去し、代わりに船虫と媼内の首にのせかえました。そして、その旨を、ボスの根角谷中二に報告しました。
根角「うむ、でかした。で、撤去した首はどうした」
馭蘭二「石をつけて水に沈めました」
根角「いよいよでかした。これで、定正さまの恥はなかったことになった」
今回の戦で勇敢に戦って死んだ者たちは、どちらかというと反籠山の立場をとっていた人が多かったのでした。逆に、コソコソと立ち回って生き延びた人たちには籠山シンパが多く、死んだ者たちを密かに「いい気味だ」と考てさえいました。ですから、死んだ味方の首を水に沈めて捨てる、などという酷い行為ができたのです。
身内にも、これを嘆かわしいことと考える人は多くいました。河鯉孝嗣ももちろんその一人です。
孝嗣「主君のために戦って死んだ者たちを、さらにもう一度殺すようなことをする… 彼らの忠義をほめ、妻子に首を返し、厚く葬るのがスジであろうに。こんな調子では、民の心も離れるし、もう誰も定正さまのために命をかけて戦おうなどと思えなくなるぞ」
ただ、自分のような若輩がこの話を声高に言い立てても、いたずらに敵を増やすだけですから、黙っていることにしました。
さて、五十子城に人々が戻ってきて、修理などの仕事にかかりはじめました。兵糧の倉庫がスッカラカンなので、できれば周辺の村人たちからこの前配ったやつをみんな取り返したいのですが、犬塚信乃が「同じことをしたら、また城を攻めるぞ」という宣言を書き残していったのが怖くて踏み切れません。代わりに、周辺の城に、兵糧を分けてくれるように触れを出しました。
管領の支配下にある周辺の領主たちは、ほとんどが今回の襲撃事件に気づきませんでした。五十子の城から煙が上がっているなあ、くらいには思ったのですが、それもすぐ消えたようですし、「ボヤでもあったのかな」とだけ考えて、何もしませんでした。それが、意外とたいへんな事件だったことがあとで分かり、援軍も何も出さなかったことを後悔しました。一番ビビったのは大塚の領主である大石憲重です。
大石「やっべえ、援軍も何も出せないうちに、敵も退却して、戦が終わっちゃったって? あとで定正さまにメチャクチャ怒られる…」
こんなわけですので、「兵糧分けて~」という依頼はむしろありがたく、大石をはじめとするそれぞれの城の領主は、罪滅ぼしの意図をこめて、頼まれた以上の兵糧をコンテナトレーラーに積んで五十子城に運びまくったのでした。
ひと月ほど経つと、城の修復はほぼ終わりましたので、扇谷定正もやっと忍岡からこちらに帰ってきました。まず定正が取り掛かったのは、今回の戦で手柄のあったものたちへの褒賞です。(孝嗣が褒美をもらって出世したのはいいのですが、さきに述べたようなヘンテコなことをした根角や馭蘭二まで褒美をもらいました。先が思いやられますね)
また、定正は、密かに「犬山道節とその協力者たちがどこに潜んでいるのか、タレこんだものには褒美をとらす」という触れをそこらに放って、後の復讐の手がかりにしようとしましたが、地域の住民はみな道節や信乃を慕っており、誰一人この調査には協力しませんでした。大体、城を修復するときに、逆恨みでもしているかのようにコキ使われたのも、住人たちは恨みに思っていたようです。こんなわけで、ついに定正は、今回の襲撃犯がどこから来てどこに潜んでいるのかを知ることができませんでした。
定正のまわりには、結局、籠山シンパだったものが取り巻きとして戻ってきて、河鯉孝嗣の悪口をことあるごとに吹き込むようになりました。特に「籠山を討った犬阪毛野には、実は河鯉守如が依頼をしていたらしい」という怪情報が耳に入ってからは、定正は日に日に孝嗣への疑いを強めていきました。孝嗣自身もこれを察して、身の安全に不安を感じ、病気のフリをして出勤をしないようになりました。
いっぽう、こちらは穂北に帰ってきた犬士たちの話です。勝利をよろこぶために一家総出で迎える氷垣残三夏行や重戸たちとのアイサツもそこそこに、この晩は皆、泥のように眠りました。そして次の日に、戦の詳細をなお知りたがる夏行に、落鮎たちが存分に話を聞かせました。夏行から犬士たちへの賞賛は限りがありませんでした。
道節「それはほめ過ぎというものだ。落鮎たちが粉骨砕身してくれたおかげでの大勝利なのだからな。定正だけは討てなかったのが心残りだが、味方に死者がひとりも出なかったというのが、それを補って余りあるほどめでたいぞ」
道節は、100両の金を扇にのせて、氷垣老人の前に差し出しました。
道節「浪人の身だから大した持ち合わせがないが、これを皆への褒美として受けとってくれ」(寂莫道人の時代に、焼身自殺ショーでためた軍資金です)
氷垣「とんでもない! 我々は、旧主の恨みを晴らすため、望んで戦に出たにすぎません。道節さまこそ、今後もまだまだお金がいるでしょう。取っておいてくだされ」
道節「人を使ったら、礼をするのは当然だ。お前が受け取らないのなら、川にでも捨ててしまうぞ」
ほかの犬士たちも口をそろえて金を受け取るよう薦めましたので、ついに氷垣は受け取ってくれました。「ありがとうございます。間違いなく、者どもに分配いたします」
信乃「さて、自分たちは、ここを早いうちに離れたほうがいいと思います。もしも自分たちがここにいることが五十子に知れたら、復讐のために軍を差し向けられるかもしれません。そのとき、ここ穂北に迷惑をかけてはいけない。結城での法要は四月なんだけど、ちょっと早めに出発しちゃおうかなと…」
氷垣「いや、いや、出て行かんでくだされ。結城のあたりにも、管領の勢力はありますから、そこが安全というわけでもありません。ここでしばらく、皆で警戒しているほうがよいですぞ。大体、皆さんがいてもいなくても、管領側は攻めるとなったらここに攻めて来るでしょう」
荘助「信乃さん、私も、しばらくここに残るほうがいいと思いますよ。敵の攻撃がないことをすっかり確認してから、結城に行けばいいんです」
犬士たちは、「残る」というほうに多数決で決めました。
道節「よしよし、もし敵が攻めてきたら、ここに踏みとどまって徹底抗戦してやるぞ」
大角「いや、ほどほどに持ちこたえてから、逃げる先を考えておくのもいいでしょう」
毛野「まあまあ、本当に敵が攻めてくるのか分かりませんよ。五十子と忍岡にスパイでも放ってみましょうよ」
氷垣「よし、そのスパイ仕事は、うちの世智介と小才二にやらせよう」
現八「おっ、その二人なら大丈夫そうだ。俺と大角を落とし穴にハメるほどの知恵者だからな(にやり)」
世智介・小才二「そのときの話はもう勘弁してください…」
こうして任命された二人のスパイは、この話の前半に書いたような「ゴタゴタ」をつぶさに調べてきては穂北に報告しました。どうやら、さしあたって定正が復讐戦に踏み切るつもりはなさそうです。そもそも、穂北に道節たちが潜んでいることはバレていないらしいようでした。こうして用心しているうち、季節は三月になりました。負傷していた者たちも、すっかり治りました。
信乃「そろそろ安心して結城に出発してもよさそうかな」
毛野「そうですね。しかし、ここから結城までは2、3日ですから、あらかじめ使いをやって、丶大様がいるかを確かめてはどうでしょう。まだまだ私たちは、目立たないように動かないといけないですから」
信乃「なるほど、そうですね」
氷垣「よし、今回は世智介ひとりに行かせましょう」
世智介は、五十子の偵察を離れて、今度は結城に走っていきました。そして一週間ほどすると帰ってきましたが、その報告はちょっと不思議なものでした。
小文吾「いた? 丶大様、いた?」
世智介「うーん、少なくとも、そこら辺の人に聞いた限りでは、そういう名前の人が近くにいるとは知らないようなんです」
小文吾「じゃあいないってことかな」
世智介「それがですなあ、ひとり、不思議な人がいました」
現八「不思議な人?」
世智介「結城の古戦場のあたりに、ボロ小屋を建てて、一日中、阿弥陀如来の掛け軸に向かって念仏をしている人がいたんですよ。話しかけても返事してくれないんです」
現八「一日中なの? 休憩とかとらないの?」
世智介「本当に一日中です。見る限り、飲み食いさえしていないんじゃないでしょうか。実は翌朝にも訪ねたんですが、やっぱりずっとお経唱えてます」
現八と大角は、顔を見合わせました。
大角「それは私がやっていた無言の行みたいなものですね、きっと」
現八「たぶんそれが丶大様なんだ」
大角「それを何日もぶっ通しで行なうとは、すさまじい集中力です。どうも私なんかとはスケールが違う感じがします」
世智介「で、私は、声だけかけておきました。『七つの犬からの使いです。犬ですよ。犬、犬』って。うかつな相手にみなさんのことも話せませんから…」
荘助「その声がけは絶妙だ。丶大様なら間違いなく、すべて察してくれたでしょう」
道節「でかしたな、世智介」
世智介「そ、そうですかな。えへへ」
信乃「よし、たしか法要は4月16日。嘉吉元年に、結城が落城した日だ。3、4日前になったら出発しよう」
さて、こうして出発の日まで、犬士たちは引き続き穂北に滞在したのですが、そのころ、急に氷垣老人が中風で寝込んでしまいました。彼は犬士たちと一緒に結城の法要に参加したいとずっと主張しており、みなもそれを許していたのですが、これではどう考えても行けそうにありません。
道節「うーん、彼が治るまで待っていては、法要に間に合わんぞ」
信乃「私たちがいても氷垣どのがよくなるわけじゃなし…」
結局、彼を置いて、七人の犬士だけで結城に向かうという苦渋の決断をせざるを得ませんでした。信乃「ごめんなさい、落鮎どの。オヤジ様をお大事に」
落鮎「わかりました。せめて、丶大様への布施をことづかってはもらえませんでしょうか」
大角「お気持ちはうれしいが、今回の法要は、施主を他に求めない方針と聞いています。これもまた、ごめんなさい」
落鮎「そうですか…」
そうして、ある日の明け方、犬士たちは、穂北の人たちに見送られながら、ついに屋敷を出発しました。法要まであと二日。どうなることでしょうか、乞うご期待…
【まとめ筆者より】
ここで、庚申塚・荒芽山あたりから続いた「七犬士ルート」は終了、次回から、すこし時間をさかのぼって「親兵衛ルート」がはじまります。それが終わるといよいよ全員が集結する結城の大法要のシーンなのですが、それは大体28話分くらいあとの話になる見込みです…
丶大「作者は私に本当に大法要をさせてくれる気があるのか」
あと、親兵衛ルートが始まるとは言っても、実際に親兵衛本人が現れるのは、7話くらいあとですので、あらかじめよろしく…
親兵衛「作者は本当に8人集結させる気があるのか」