里見八犬伝のあらすじをまとめてみる

110. 親兵衛、追い出される

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■親兵衛、追い出される

浜路(はまじ)姫に取り憑いている幽霊は、かつての継母・夏引(なびき)であると、謎の老人は言いました。また、これを(はら)うには、犬江親兵衛の持っている玉を使う必要があるとも言いました。

里見(さとみ)義成(よしなり)はこの情報についてまだ半信半疑なのですが、浜路姫の症状も重くなってきましたし、妻や付き人も泣いて懇願しますから、やむを得ず、館山(たてやま)城を任せている親兵衛をいったん呼び戻すことにしました。ちょうど、里見義実(よしさね)の使いとして蜑崎(あまさき)照文(てるふみ)も来ていたので、彼にもこの旨を伝えます。

照文「うん、私もそれはいい方法だと思いますよ。親兵衛どのの力なら、きっと幽霊なんて簡単に追い払えます」
義成「うん、そう願おう。この話は、滝田(たきた)に戻ったとき、父上にも伝えておいてくれ」

義成は、四人の家老(杉倉・堀内・(とう)・荒川)を入れた重役会議でこの件を決定すると、苫屋(とまや)を館山に行かせ、親兵衛と矠平(やすへい)に今までの話を伝えて呼び戻すよう命じました。

やがて館山城に着いた苫屋(とまや)から話を聞いた親兵衛は、ただちに出発の準備にかかります。自分自身は青海波(せいがいは)に乗って最速で稲村に向かい、与四郎(矠平(やすへい)のこと)はあとからゆっくり追いつけばよい、と指示しました。こうして親兵衛だけが、超特急で馬を走らせ、その日の夜のうちに単身、義成のもとに到着しました。

義成「おおっ、早かったな」
親兵衛「お呼びとあれば、すぐに駆けつけます」
義成「うむ。話は大体聞いたであろう。浜路(はまじ)姫を助けるために、お主の力を借りたいのだ」
親兵衛「はい。役にたてることなら、喜んで」

義成「まず、お主に、しばらく浜路姫の隣の部屋で夜の見張りをしてもらいたい」
親兵衛「えっ。そ、それは…」
義成「お主ほどの豪傑、しかも神の助けを身にうけた豪傑なら、近くにいるだけで幽霊は寄ってこなくなると思うのだ」
親兵衛「幽霊と戦ったことはありませんので、いささか自信がありません… また、私が姫に近づく、これだけでも大変な無礼なのではと思いますが」
義成「なあに、一見大人びているが、お主は実際は9歳だ。何かが起こる心配はない。そうだろ」
親兵衛「(冷や汗)それはもちろんです…」

義成「そして、次がもう一つの頼みだ。お主の『仁』の玉を、少しの間だけ借りたい。これを姫の寝床の下に埋めると効力がある、という情報があるのだ。私はそこまで信じていないのだが、妻たちはワラにもすがりたい気持ちなのだろう。私に泣いて頼むのだよ…」

親兵衛はさすがに一瞬だけ悩みました。しかし、君命に従わないということはあり得ません。

親兵衛「はい、姫様がすっかり治るまで、お好きなだけご利用ください」

こうして、親兵衛は守り袋から玉を取り出すと義成に渡しました。義成はこれを眺めてつくづく感心しましたが、今はそうしてもいられません。ベテランの家来に命じ、義成自身が見守る前で、姫の寝床の下を掘らせ、二重の壺に格納した玉を埋めました。玉にうっかり傷をつけないよう、細心の注意のもと作業が行われました。


この日から親兵衛は、夜は寝ずに姫の隣の部屋で番をし、昼は離れた部屋で仮眠するという生活が始まりました。幽霊はこの日以来ピタリと出てこなくなり、浜路姫はよく眠れ、食事も取れるようになり、体調はすこしづつ回復していきました。

与四郎は、あれからやがて稲村に到着したのですが、昼眠っている親兵衛を起こしては悪いので、簡単な伝言だけを残して、自分自身は滝田の義実(よしさね)のもとにしばらく滞在することになりました。音音(おとね)や嫁たちがそちらにいますからね。

あっという間に一週間ほどが過ぎました。もう幽霊は出てこないだろうという安心感が、関係者の間になんとなしに広がっていきました。親兵衛は姫自身とは全く会うことはありませんが、姫のお付きたちの好奇の目をたくさん受けることにはなりました。

女中「親兵衛さま、毎日お疲れ様♥」
親兵衛「ええ…」
女中「親兵衛さま、今日は殿の差し入れでゴチソウですよ♥」
親兵衛「どうも…」
女中「親兵衛さま、何か欲しいものはありませんかしら♥」
親兵衛「いえ特に…」

親兵衛は必要以上にストイックな態度を保ちます。やっている仕事が仕事ですから、まったくスキを見せてはいけないのです。幽霊相手にも、女性相手にも。

さて、最後まで油断しないよう努力していたのは、親兵衛だけでなく、義成もです。毎晩、浜路姫のことを心配して、夜も熟睡していませんでした。浜路姫は幼いころ大ワシにさらわれて、その後奇跡的に戻ってくるということがありましたから、ほかの娘たちに比べて、可愛さがひとしお強いのです。

七日目の深夜、義成は、不思議と強い胸騒ぎを感じました。浜路姫のことが非常に心配になり、こっそりひとりで浜路姫の部屋の近くに様子を見に行きました。親兵衛をねぎらいたいとも思ったのです。

実はこの晩は、ほとんどの人が同時に眠っていました。本来起きているべき見張りは数人いたのですが、「もう大丈夫」という気のゆるみがあったのでしょうか。なんと親兵衛さえが、手近なすごろく盤にヒジをついて、コックリ、コックリと舟を漕いでいました。

義成はなぜか、親兵衛が眠っている姿を見ることはありませんでした。代わりに、浜路姫の部屋の中から、男女の声が親しげにささやき合っているのが聞こえました。

義成「(こ、これはどういうことだ)」

義成の足下に、紙のようなものがカサリと触れました。これを拾い上げて手元のランプで確かめてみると、どうも恋文のような文句が途切れ途切れ目に入ってきます。筆跡は… 浜路姫のものでした。

これらの二つの符号が意味するものはひとつ。義成は、何が起こっているのかを理解しました。理解したくありませんでしたが、目の前の現実は義成の胸につき刺さります。

義成「(9歳だから安心、じゃねえよ! カラダはオトナに決まってんじゃねえか!!)」

義成は、衝動的に、ふすまを蹴破って、親兵衛を切り捨てようと思いました。しかしやっとのことで踏みとどまります。物音もたてません。この時代、婚前交渉は本来死刑にあたる罪なのですが…

義成「(恋文は私の手にある。証拠はもみ消せる。当分の間、二人の距離を引き裂いて、迷いを覚ましてやることがベストだろう。大功ある親兵衛を、犬士である親兵衛を死なせるのはあまりに惜しい…)」


翌日、義成は親兵衛を呼んで、小声で今後の段取りを伝えました。義成の目にはができています。昨日拾った恋文は、とっくに焼いて捨てていました。

義成「今日でお主の今回の仕事は完了とする」
親兵衛「ありがとうございます。無事に済んでよかったです」
義成「今からお主は、館山(たてやま)城に帰らず、関東八州をくまなく遊歴してくるがよい。今までずっと富山にしかいなかったから、色々と世間も見ておかなきゃね」
親兵衛「ははっ。なるほど…」
義成「今、犬士たちの何人かは、穂北にいるという情報がある。でもまだ全員ではないんだ。それらを探すのを手伝って、無事に八人そろったら、また帰ってきなよ。善は急げだからさあ、すぐにもここを出るのがいいよ。うん、今日中がいいね」
親兵衛「ごもっともです。では早速」
義成「玉も返してあげたいところなんだが… 姫は、完全に治るまではもうちょっとだけ時間がかかると思う。だからもう少し、あのまま埋めておきたいんだ。いいかな」
親兵衛「わかりました。私が再び戻るときまで、そのままにしておいてください。ところで、ここを旅立つときに、お婆さま(妙真)のもとに寄っていってよいでしょうか。心配しているでしょうし、一度くらいは会ってあげたいと思います」
義成「うん、そうしなさい。でも、泊まり込んだりせずに、ちょっと寄るだけにするのがよいだろう。父上(義実)には私からよろしく言っておくから、そちらも気にする必要はないよ」
親兵衛「ははっ」

親兵衛は、察するところがあって、今回の旅をまわりの人たちにはほとんど知らせず、すぐに城を出ました。

青海波(せいがいは)に乗って滝田に向かいながら、その馬上で考えました。「殿の様子がおかしかった。これはたぶん、何か私を疑う理由があるのだ。誰かが私のことでウソの告げ口でもしたのかな… 9歳のポッと出のガキがいきなり城主を任されたのでは、面白く思わない人たちもいただろうからなあ。不自然な出世は、やっぱり避けたほうがよかったんだ、きっと。…とにかく、私はなんとしてでも濡れ衣を晴らしてみせるぞ。そうでなければ、仕えに戻ることはできない」

そうしてやがて滝田に着き、妙真(みょうしん)の滞在している屋敷を探して訪ねました。

妙真「おや、どなたですか」
親兵衛「親兵衛ですよ、お婆さま。今まで会えなくてすみませんでした」
妙真「…親兵衛! お前が親兵衛なのかい、まあ大きくなって… っていうか、マジで大きくなって… いや、話には聞いていましたが、大きすぎませんかマジで。いや、立派な男ってのはこんなもんなのでしょうか。どうなの。ホント大きくなって…」

妙真は6年ぶりに孫に会えて、ダダ泣きです。ちょっとおかしくなるくらい喜んでいます。

妙真「お前の目元は房八に似ているねえ。笑ったエクボは沼藺(ぬい)にそっくりだよ。おお、みなが生きていてくれればよかったのに。文五兵衛(ぶんごべえ)どのももうおらず、今ではこのババひとりですよ…」

喜んでいたのが、次は身も世もなく悲しんで泣き始めます。

親兵衛「お婆さま、あまり悲しんでは体によくありません。今後もどうぞ養生してください。お婆さま、こんなにすぐで本当に申し訳ないのですが、親兵衛は今すぐ旅立たなくてはいけないのです」

妙真「そ、そうなのかい? そんなにすぐに?」

親兵衛「残りの犬士たちを探す旅に出るのです。みんな見つかったら、すぐに帰ってきますからね」

妙真「そうですか、それが君命ならば、行っておいで。仕事のできる孫を持つのは誇りですよ。市川の依介(よりすけ)のところに寄ってみるといいですよ。何か手がかりがあるかもしれません」
親兵衛「はい、そうしてみます。与四郎や、ほかの人たちは今どうしていますか。この近くにいないのですか」
妙真「今日はたまたま、家族全員で富山の伏姫の墓にお参りに行っていますよ」
親兵衛「なんと感心な人たちだ。尊敬するなあ。しかし、会えずに別れることになってしまうことだけが残念です。お婆さま、皆様によろしく言っておいてくださいね」
妙真「旅先で体に注意するんだよ」
親兵衛「はい。またいずれ! お婆さまもご自愛を」

親兵衛は妙真に笑顔で別れをつげて戸を閉めると、ひそかに嘆いて空を見上げました。


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