123. 七犬士ふたたび
■七犬士ふたたび
犬江親兵衛を呼び戻しに行った二人のうち、照文は両国の船宿で親兵衛に会うことができました。
じゃあ、与四郎のほうは?
彼は、海路をとって市川に向かったのですが、これもまた、照文と同様、強風にさえぎられてろくに前に進めませんでした。市川に着いたのは、予定を大きく過ぎて二日後です。(途中で、伴人はひどい船酔いで脱落し、結局与四郎ひとりになりました)
そこから歩き、やっと犬江屋に着いたのですが… 主人の依介は仕事で、妻の水澪は墓参りでそれぞれ留守にしており、昼ごろになってはじめて会うことができました。
依介「あなたが与四郎どのなのですね! 親兵衛さまから聞いています」
与四郎「これはどうも、はじめまして… 私のことをご存知ですか。しかも犬江どのから? もしや、彼はここに来たのですか」
依介「はい。しかし、親兵衛さまは、ちょうど今朝がた出発してしまったところですよ」
与四郎「えっ!」
タッチの差で、与四郎は親兵衛に会いそびれたことになります。船がもっと順調に進めば、と惜しまれてなりません。
与四郎「親兵衛さまは、ここからどこへ!」
依介「まずは行徳、と言っていましたが、最終的には結城の古戦場に行くとも言っていましたよ」
与四郎「なるほど、例の大法要のためですな。ありがとう、早速私も行きます」
依介「ちょっと待って、せめて一晩泊まっていってください。お疲れでしょう。16日の法要なら、明日出たってじゅうぶん間に合いますから。なんならウチの者が近くまで送っていきます」
与四郎「それは助かりますが… いいんですか」
依介「ウチは船問屋ですよ。ご安心を」
こんな事情で、与四郎は一晩ここに泊めてもらい、依介夫妻の精一杯のもてなしを受けました。親兵衛や犬士たちのことについてお互い話をはじめると、限りなく盛り上がって夜が更けるのを忘れました。
翌朝、与四郎は、身支度をすると、房八と沼藺の位牌に祈りをささげてから、船に乗せてもらって出発し、そして夕方近くには結城に近い岸につけてもらいました。(与四郎は、今回のお礼に、こっそりと犬江屋に一両の金を置いておきました。これは余談。)
船長「ここから結城までは、ざっと八里くらいです。大丈夫ですか」
与四郎「健脚には自信があるんですよ。今回はありがとうござった!」
船長「お気をつけて!」
ここから与四郎は走り通しで、途中で一泊しながら、翌日の昼下がりには結城の城下町に到着しました。
とはいえ、ここからどこを訪ねればよいのか、よく分かりません。
与四郎「少なくとも、丶大法師さまがいるはずなんだけど…」
そう考えて、そこらの人々にこの名前を出して聞いてみるのですが、誰も知らないようです。丶大はこっそり法要の準備をしているのですから、まあ無理もないことです。
与四郎「こまったな」
途方にくれていると… 後ろから、「姥雪どの!」と声をかけられました。驚いて振り返ると、それは蜑崎照文の従者でした。
従者「さっきあなたは、照文どのの宿の前を通り過ぎたんですぞ。よかった、すぐに追いついた!」
与四郎「照文どのが来ておられるか!」
従者「ええ。案内します」
照文は、ある宿屋の二階に滞在していました。
照文「よくぞ、よくぞ。まずは茶でも飲んで落ち着かれるがいい」
与四郎「ずいぶんお早くお着きでしたな。あれから親兵衛さまには会えたのですか。丶大さまには? ほかの犬士たちには?」
照文「まあまあ、あわてずに。順番にお話しますから。ただ最初に言っておくと、もう全員に会いましたよ、フフフ」
与四郎「うおおっ!」
- - -
照文が与四郎に語ったことは、下のとおり。
「天候が悪くて、私は最初の目的地である穂北に行くまえに、やむなく両国に上陸したんです。すごい偶然なのですが、そこで私は犬江どのに会いました。犬江どのは、政木大全どのや次団太どのといった仲間を連れて、素藤征伐のために館山に戻っていきましたよ。きっと、たちまち勝利したことでしょう」
(ここで、与四郎「うおおっ」と相槌)
「私はそこから改めて穂北に行き、氷垣夏行どのを訪ねました。氷垣どのは不運にも中風で苦しんでおられた。それはともかく、ちょうど犬士たちがこの日の朝に結城に旅立ったという情報を教えてもらいました」
「そうして、私も彼らを追って結城まで行き、古戦場のあたりで丶大さまや犬士たちを探したのです。そこで、一人の法師に出会いました。この方が、丶大さまの庵の場所を正確に知っていて、私をそこに案内してくれました。ただ、不思議なことに、案内を終えたとたんに、その法師は消えてしまいましたが…」
「庵の中に声をかけて入ると、中には勤行の休憩中だった丶大さまと、七人の犬士たちが勢揃いして歓談しておられた。みな、無事に集結していたのです」
(与四郎、「うおおっ!」とさらに相槌)
「私にとっては、犬阪どのと犬村どのは初対面でした。もちろんこのお二人ともアイサツをかわし、その後は、七犬士と私が色々と情報を交換し合うのに、いくら時間があっても足りないと思うほどでした。しかし何より、安房の富山に出現して以来、数々の武功を立てつつある犬江親兵衛どののことだけは省けません。私が知る限りのすべてのことを、その場で話しておきました」
「その後、改めて、殿から里見家の家臣に任命するという文書を七人にそれぞれ手渡しました。このとき、みんな少し浮かない顔をしたんです。どうしてかと聞いてみると、
信乃『いやー、親兵衛はもう一足先に里見に仕えて、大活躍してるじゃないですか。自分はなんだかんだで、まだ何もしていないも同然です。こんなに遅れをとってしまっては、もう殿には呆れられているんじゃないかなと…』
「まったく、そんなことはないですよね。犬江どのは『手始め』であって、これから残りの七人が馳せ参じて、里見最強伝説がいよいよ幕を開けるんです。私は信乃どのに、殿たちは心から残りの犬士の集結を待ち望んでいる、と伝えましたよ」
(与四郎、「そうだそうだ」と相槌)
「と、まあ、いくらでも積もる話はあったのですが、丶大どのの念仏の邪魔をそれ以上したくなかったので、一旦みんなで庵を出て、この宿に泊まったというわけですよ。それがおとといの晩。昨日はずっと、犬士たちは法要に着ていく礼服を仕立ててもらうために飛び回っていましたよ」
- - -
与四郎「なるほど。じゃあ今日は…」
照文「犬士たちは、与四郎どのも必ずここに来るはずだと思っていますので、ちょっと町を歩き回って目印になってあげようと言って出て行きましたよ。まあ、そのついでに、できた服を取りに行ったり、丶大様にまた会いにもいったりしてると思います。もう夕方近いですし、そろそろ戻ってくるんじゃないですか…」
こう言い終わると同時に、一階の玄関にガヤガヤと大勢が帰ってくる気配がありました。
道節「ようよう、帰ったぞー… あっ、お前は世四郎!」
道節が一番最初に与四郎に気づきました。与四郎もまた、「道節さま」と叫んで平伏しました。
信乃・小文吾・荘助・現八「矠平じゃないか! よく生きていてくれた。元気でしたか」
大角・毛野「あなたが世四郎どのですね。話は聞いています、お達者そうですね」
与四郎はひたすら平伏し、微動だにしません。
与四郎「道節さま、お許しくださいませ」
道節「なんだよ、お前が生きていて、めでたいばかりではないか。何を許すのだ」
与四郎「私ばかりが、主である道節さまを差し置いて、里見に召し置かれていることでございます。里見どのの厳命によりこのような身に余る大役を負ってはおりますが、本来なら何を置いても道節さまのもとに馳せ参じるべきところでしたっ」
道節「なあに、事情はみんな照文どのに聞いている。お前はよくやっているよ。オレを差し置いてとか、そんな遠慮は必要ない。むしろお主は、これからともに里見に仕える同輩だ。いや、むしろ先輩かな。よろしくセンパイ! ガハハ」
与四郎「もったいないお言葉…(涙)」
道節「ところで、お前は今『与四郎』と名乗っているのか? 『世四郎』じゃなかったっけ?」
与四郎「私は里見のために働くにあたり、勝手ながら、道節さまの名前『忠与』から一文字をいただくことにしました。あくまで道節さまの名を借りて仕事をするのだと心に刻みたかったのです」
道節「(にやり)なかなかニクいことをする。よし、それなら、お主はこれから、姥雪代四郎与保と名乗れ。オレの「代わり」を立派に勤めてくれたからだ。「与」はうしろにくっつけなおして今後も使ってくれ。矠平の『やす』も、保として残してみた。お前の今までの活躍の集大成みたいな名前になったな」
代四郎はもう、感激で号泣するのを止められませんでした。
さて、その後、いよいよ代四郎と七人の犬士たちの話は尽きない雰囲気がありましたが…
信乃「ちょっとみんなごめんね、先に大事な話をしましょう。照文さま、今日もちょっと丶大さまのところに寄ったんです。そしたら、ものすごく立派な石塔婆がいつの間にか庭に建てられていました」
信乃「これをどうしたのかと聞くと、丶大様いわく、十人ほどのお坊さんが法要のウワサを仄かに聞きつけてやってきて、ぜひ今回の法要の役に立たせてくれ、と言い、そこらへんに埋まってた大石を掘り出すと、たった一晩で彫り上げてしまったのだそうです。今回の戦没者供養のイベントが、相当うれしかったんでしょうね」
信乃「それでですね、今回のイベント費として里見殿からあずかったお金を、半分、この人たちの所属のお寺に寄進しようかということになったんです。どうでしょう」
照文「うん、いいですね。ありがたい話ですね。私を丶大庵に案内してくれたお坊さんも、そのお寺の人だったのかなあ。私たちを手助けしたくて仕方なかったのかな」
こういうことで、半分は寺に寄進し、残りのお金をすべて米・銭・炊き出しに換えて、法要の当日にお参りに来てくれた人たちに配りまくるという計画になりました。
荘助「ビラをつくって町中に貼りまくる必要がありますね。たくさんの人に来てもらわないと」
毛野「私はイラレで原稿をつくります」
現八「近くにキンコーズがある。そこでコピー機を借りよう」
小文吾「よし、俺が町中に貼ってきてやる。面白くなってきたな」
準備はこの日の深夜過ぎまでかかり、ほぼ全員が寝ないで何らかの作業をしました。
そして、大法要の当日がやってきました。