122. 素藤一味の滅亡
■素藤一味の滅亡
里見に再度反乱をくわだてた素藤は親兵衛の働きにより瀕死の状態で捕らえられ、彼を助けていた妙椿は、大ダヌキの正体をさらして死にました。
荒川「犬江どの、今回も目覚ましい働きをしましたな。それに加え、お主が仲間として連れてきた政木孝嗣、次団太、鮒三とも、慎み深く、そして強いやつらだ。中でも政木どのは、犬士でないのが不思議なほどの豪傑だ」
親兵衛「(にっこり)そうですとも。私は今回も、神と人の助けを得られたのです。ここに侵入するための秘密の通路を教えてもらったのが大きかったですね。政木狐と伏姫さまのおかげです」
荒川清澄は、その「秘密の通路」というのを見せて欲しいと頼みました。親兵衛は、おやすいご用とばかりにその入り口まで案内しましたが…
親兵衛「あれっ、岩が閉じて、入り口がふさがっている」
荒川「この岩が開いたというのか?」
親兵衛「そうなんですが… なるほど、敵がここから逃げてはいけないから、私たちが使ったあとは自動で閉じたんですね。これもまた神のはからいだと思います」
荒川「うーん、中を見れなくてちょっと残念かな」
親兵衛「ところで、ちょっと疑問があるんですよね。話によると、ここに通路があるのを、昔の城主が大岩で塞いだんですって。しかし、そもそもどうしてそうしたんだろう。どなたか知りませんか」
この親兵衛の疑問には、誰も答えられないようでした。…が、ひとり、おずおずと「聞いたことがあります…」と名乗り出た者があります。
親兵衛「おっ、あなたは誰?」
男「荒磯南弥六の弟で、阿弥七といいます…」
まわりの人々「!」
阿弥七がなぜここにいるのかというと、さきに南弥六が素藤の暗殺をくわだてたことがニュースになったとき、その親類にもきっと罰があたえられるだろうと恐れたのです。それゆえ、家族で家を捨てて避難し、殿台の里見軍にかくまってもらっていたのでした。
阿弥七「昔、ここは上総介であった平広常の別館だったんです。自然にできた洞穴がたまたま城の内と外につながっているので家臣たちは便利がったのですが、広常様だけはこれが気に入らなかったんですって」
阿弥七「なぜなら、敵に攻められて命運がそこに尽きたときは潔く死ぬべきであって、こんな命を惜しんでいるかのような通路はいらぬ、と」
阿弥七「それで、この道を封印することにしたんです。全部埋めるのは民を不要に酷使することになるからって、岩で両端を塞ぐだけにしたんですって」
親兵衛「へえー、なるほど! まるで、犬山道節が火遁の術を捨てたときみたいなエピソードですね。しかし、どうしてあなたがご存じだったんです?」
阿弥七「はい、このことは当時秘密だったんですが、私の祖先にこの広常様の近習だった者がいるんです。それで、代々このことだけが語り継がれてきました」
親兵衛「そうだったんですか!」
荒川は、親兵衛に、南弥六が今回どういう働きをしたのかを簡単に説明しました。
親兵衛「ははあ、彼は命を捨てて殿への恩を返そうとしたのですね。なんと激しい義侠心の男だろう。それでは、その軻遇八という男によって、南弥六の首級はこの城内に埋められているというんですね。それをさっそく訪ねて彼の冥福を祈ろうではないですか」
親兵衛たちは、さきに軻遇八に聞いて分かっている場所に行きました。土まんじゅうの上に、小さな松が植えられていました。
親兵衛「さあ、阿弥七どのが先頭に」
阿弥七「はい、ありがとうございます。兄上、皆様に尊敬されて、立派な死に方をしましたな…(合掌して、涙)」
そのまま、みなでしばらく、熱いオトコの亡き魂に黙祷をささげました。
この後、荒川によって、南弥六が死ぬ直前に阿弥七からとったという養子(増松)の身分を保証することが約束されました。
さて、それからしばらくの間、戦の後始末の諸々に時間が使われました。いくつかエピソードがありますが、簡単に箇条書きにしてしまいましょう。
○ ミーティング時に、荒川と親兵衛がどっちが上座に座るかで譲り合ってもめまくった。(結局、公平に並んだ)
○ 義成の指示を待たずに夷灊の民に救援物資を配るかで議論になった。(結局は親兵衛の主張で、すぐに行われた)
他にもいろいろ、細々とした処理を親兵衛も手伝っているうちに、三日ほど経ってしまいました。気がつけば、結城の大法要(4月16日)はもう明日です。
親兵衛「今日ももう夕方になっちゃった。うーん、なかなか仕事から離れられないんだが…」
そのとき、親兵衛を訪ねて、五十三太と素手吉たちが、20人くらいの敵兵を縛って連れてきました。付近の岸に船をつけて待っていたやつらです。
五十三太「川を渡って逃げようとしていた残党を、今まで待ち伏せて片っ端から捕らえていたんです。なかなかの人数になったから、差し出しに来ましたよ」
親兵衛「おお、ご苦労だった。お前たちが今回、船を漕いで活躍してくれたことは荒川殿どのに申し上げておいたぞ。それで、米50俵の褒美を預かっているんだ。これを持って帰りなさい」
五十三太「うおっ、ありがとうございます!」
親兵衛「それと… 今から帰るときに、私もついでに送っていってほしいんだ。今から荒川どのにお暇をもらってくるから、ちょっと待ってて」
親兵衛は荒川に、そろそろここを離れたいと申し入れに行きました。
荒川「えっ、ちょっとちょっと。殿に会わせずにこのまま行かせるなんてできませんよ」
親兵衛「すいません、私は『七犬士たちを連れて帰る』というミッションもまだ帯びていますから、これを果たしてから見参しようと思うんです。あとは荒川どのがいれば大丈夫と思います。孝嗣どのと次団太、鮒三も連れて行きます」
荒川「ま、まいったな…」
親兵衛「どうかご容赦ください。せめてといってはアレですが、これを預かってもらえませんか。さきに妙椿タヌキから奪った、甕襲の玉です。今後、役にたつはずですよ」
荒川「(玉を受け取って)よし、もう止めはしません。無事に使命を全うして帰ってくるのを待っているからな。返す返すも、お主がいまだ9歳の少年だとは信じられないね…」
こうして、親兵衛たちは、お別れの宴会を開くヒマもなく、さっさと城をあとにしてしまいました。
さて、五十三太たちの船に乗って…
親兵衛「ここから結城までどのくらいかかるかな」
五十三太「うーん… ここから行徳に行って、そこから荒川を遡るのが近いかな。俺たちが全力で漕いで、ざっと… 明日の正午ってところです」
親兵衛「よし! たのむ!」
五十三太「アイアイサッ」
船上で、親兵衛は、孝嗣と次団太たちにひと包みずつの小判を差し出しました。
親兵衛「荒川さまから、あなたたちへと預かっていたんだ。直接だと断られそうだからというんで、私経由であげてくれって」
孝嗣「確かに、荒川どのからなら、受け取る名分はありませんでした。私は親兵衛どののために働いただけだったのですからね。お心遣い、ありがとうございます!」
次団太・鮒三「ありがとうございます!」
水路ははかどり、予定より少し早いくらいの時間に、結城のそばの岸に船が到着しました。親兵衛は五十三太たちにも小判を10枚あげて礼を言い、船とともに両国に帰ってもらいました。現時点のパーティは、親兵衛、孝嗣、次団太、鮒三です。
親兵衛「さあ、結城はもうすぐそこだ…」
さて、館山城の荒川清澄は、戦の結果を稲村の義成に手紙で報告していました。それの返事はすぐ帰ってきて、そこには、戦後の処理についての指示が色々と書かれていました。義成は親兵衛の行動を大体予測しており、「親兵衛がすぐに出て行ってしまうかもしれないが、それは無理に引きとめないでもいいよ」と書き足してありました。
その後、城の守りを残して、荒川たちは軍をつれて帰途につきました。捕らえた罪人たちも同時に連行されました。付近の住人たちがゾロゾロと群れをなしてこの道中を見物し、里見をたたえました。(罪人たちは、その後、稲村において全員処刑されてさらしクビとなりましたとさ。もちろん素藤も。話のタイトルに使っておいて何ですが、ここらへんアッケナイですね)
里見義成は、戻ってきた荒川から、今までのすべてのことを余さず報告されました。もちろん、親兵衛が稲村を出てから体験した色々なことも、孝嗣や次団太のこともすべてです。義成がどれほど驚き、また感激したかはここに書くまでもないでしょう。
荒川は、この後すぐに、義実のいる滝田にも行って、同様の報告をしました。
義実「ああ、タヌキかあ。妙椿はタヌキだったのか。そういえば、そんなことがあったよなあ。八房を育ててくれたタヌキに、玉梓の祟りが残っていたとは知らなかった。なんだか、今回の騒ぎがみんなワシのせいだった気がして、ヘコんじゃうなあ…」
荒川「…」
義実「しかし、話に聞く限り、これで完全に玉梓は成仏してしまったようだね。親兵衛の玉の光をバッシバッシと浴びたから。うん、そのタヌキの皮は、華鬘(仏具の一種です)に仕立てて、お寺に寄進しようね」
荒川「ははっ」
義実「みなよくやってくれた。本当にありがとう。しかし、ずいぶん長く待ったものだ。もうすぐ八人そろうんだなあ、もうすぐ…」
ところで、戦の賞罰を決めるのは、犬江親兵衛が稲村に戻ってくるまで延期となりました。ダンゼン功一等の犬江親兵衛をさしおいて、だれも褒美を受け取るわけにはいかないからです。
しかし、素藤たちの悪政によって痛めつけられた夷灊の民の救済については、すぐに方針が決められて公布されました。ここの住民たちは、今後三年間、年貢を免除するというものです。住民たちは激しく喜んで生産力の復興にはげみ、三年の猶予どころか、二年目からはもう年貢を従来どおりに納めはじめたそうです。