121. 親兵衛、妙椿に壁ドンする
■親兵衛、妙椿に壁ドンする
親兵衛たちが乗った船は、飛ぶように早く水上を走りました。そのくせちっとも揺れず、地上にいるのと変わりがありません。漕ぎ手たちが早船のエキスパートであることはもちろんですが、伏姫や政木狐の手伝いもあったのでしょうね。船の上では、士気をあげるために兵糧で酒盛りをしたり、ヨロイや槍を選んで身に着けたりという準備作業が余念なく行われました。
やがて、夜がほんの少し白んだころ、すべての船は館山城の近くにつけられました。上陸したのは、親兵衛、政木孝嗣、次団太、鮒三、苫屋景能、田税逸時、そして照文から預けられた二人の兵です。
この二人の兵は、たまたまこのあたりが故郷だったので、館山城の裏門へ至る近道をよく知っていました。親兵衛は、無事に一同が裏門近くにそろうと、この二人には荒川清澄へ手紙を渡すという仕事を与えてそこから離れさせました。
そろそろ空が明るくなってくるはずの時間ですが、館山城全体がボンヤリと暗いモヤに包まれています。鳥の鳴き声もしません。城の中では、みんなまだ夜中だと思っています。(あとで思うと、これもどうやら伏姫たちの助けだったようです。)
さて、この裏門から200メートルほど離れた場所に、岩ばった丘がありました。そして、敵側からは見えない角度のところに、とりわけ大きく、苔のむした岩のカタマリが転がっています。
親兵衛「たぶん政木狐の言っていたのはコレだな。これに、こうして私の霊玉をあてろと言われたんだけど…」
守り袋に入ったまま「仁」の玉をこれにあてると、驚くことに岩の真ん中が真縦に割れて、バカッと左右に開きました。中は真っ暗ですが、トンネルのように空洞が続いています。全員、驚愕。
景能「ゲゲッ、なんスかこれ! 秘密の通路ですか。こんなの知らなかった」
親兵衛「うん、きっと素藤も知らないはず。説明はあとでね。さあ行こう」
この通路は真っ暗です。手探りで突き当りまで進むと、親兵衛は再び眼前に霊玉をかかげました。出口が同様にゴゴゴと開き… ここから出てみると、場所は城のほぼ中心部でした。ここにも大岩があったのです。
親兵衛「よし、侵入成功。火を放とう」
逸時が、近くの柴倉に火をつけました。そうしてから、味方全員でできるだけ大声を張りあげて騒ぎ、大軍が来たかのような雰囲気をつくりました。
やがて、驚いた城兵たちがあわてて武器を手に取り、ワラワラと迫ってきましたが、親兵衛チームが繰り出す槍にどしどし突き殺されました。
味方全員「犬江親兵衛、ここにあり! 素藤に罰を与えるために戻ってきたぞ!」
城兵たちは、親兵衛の名を聞いて震え上がり、大混乱に陥ってまともな戦闘ができなくなりました。親兵衛自身は、敵に構わず、素藤たちがいるはずの後堂に向かってまっしぐらに駆けていきました。
さて、この城の牢に閉じ込められていた登桐良干と浦安友勝は、このゴタゴタで牢から出ることができました。向かいの建物が火に巻かれて倒れてきて、牢の一部を壊したのです。
良干「おー危ねえ… しかし出られたぞ。なんだろ、味方の襲撃かな」
こうして、手近なところに落ちていた槍を拾うと、逃げてきた二人の兵をこれで倒し、防具と刀も手に入れました。さらに、前方には盆作と奥利本膳がオロオロしているのを見つけました。
友勝「早速のチャーンス! お前ら、よくも今まで閉じ込めてくれたな」
こうして盆作と本膳は槍に突かれ、半死半生で縄に縛られました。
直後、良干と友勝は、今回の襲撃チームの景能と逸時に合流できました。
友勝「そこを行くのは景能たちか! おーい!」
景能「無事だったか、二人とも! おっ、さっそく手柄も立てたか。よしこれで、戦力も倍増、やる気も倍増だ」
良干・友勝・逸時「おう!」
(一度に出てくる人物が多くて、誰が誰だか分からない? まあ、書いてる筆者もよくわかんないです…)
殿台に陣を張っていた荒川清澄は、犬江親兵衛からの書状を受け取って、喜びました。城の方向に目を凝らすと、さっそく煙が上がっているのも確認できました。
荒川「よし、私たちも突入するぞ! 正門と後門にそれぞれ部隊を半分ずつ分けて突っ込め。犬江どのに負けるな!」
敵はもう、城の門をささえることができません。里見軍は突撃して城内になだれ込み、たちまち勝負を決してしまいました。
親兵衛は、後堂のさらに奥にある楼に飛び込みました。一階には、夜勤の女房が数人、おびえて隅に縮こまっています。
親兵衛「声をたてるな。騒ぐと斬るぞ」
女房たち「ひいいっ」
親兵衛「でも、静かにしていれば大丈夫。素藤と妙椿はどこ?」
女房たち「ここの最上階です…」
このころやっと、妙椿は、煙の匂いがするのに気づいて目を覚ましました。昨晩も散々酒を飲んだので頭がボンヤリしています。外も妙に騒がしい。
妙椿「ちょっと起きなさい蟇田どの。火が出ている様子だよ。敵襲かも」
素藤「(目を覚まして)おっ、何だと!? おい、誰かいないか! おおい!」
外の廊下に、ドス、ドス、ドスとこちらに走ってくる音がします。
そして屏風をパン、と開いたのは…
親兵衛「素藤ィッ」
素藤・妙椿「ギャアーーーーッ!!」
親兵衛「再び里見に叛いたときには、私が戻ってきて、お前をどうすると言ったか、覚えているか! 私が戻って来れないとでも思っていたか! あ!!」
ここは建物の最上階、どこにも逃げ場はありません。妙椿は、親兵衛ににらみつけられると、フトンを頭にかぶってガタガタ震え出しました。心は恐怖でいっぱいになり、妖術のための呪文を唱えることさえできません。
素藤はヤケクソで、手に刀をひっつかむと、親兵衛の足をブンとなぎ払おうとしました。親兵衛はその刃を踏みつけて、素藤の襟をムンズとつかむと無造作に床にたたきつけました。妙椿はこの一瞬のスキをついて、窓から外に躍り出ようとしました。
親兵衛「無駄だっ」
親兵衛は素早く移動すると妙椿の肩先をつかんで、壁にドンと押しつけました。そして、霊玉の入った守り袋を取り出すと、妙椿の目の前に突きつけました。激しい光がひらめきます。
妙椿「ホゲア」
妙椿の着ていた衣装だけが親兵衛の手に残り、中身のようなものがヒラリと外に飛び出ると、庭に向かって落ちていきました。同時に、青白い鬼火がそれから飛び出て、フワリとなびいて消えてしまいました。
落ちていったものの正体を見ようとして親兵衛が窓から下をのぞき込もうとすると、素藤がヨロヨロと起き上がりました。また、主の危険を知った屈強の護衛たちが十人、部屋の中に乱入して、四方から親兵衛を取り巻きました。十手、鎖鎌、いろいろ持っています。
親兵衛は全くひるみません。「私を犬江親兵衛と知って向かってくるのか。愚か者どもが」
親兵衛は素藤の襟を再び掴むと、これを窓際の護衛に投げつけました。二人とも、欄干を壊して庭に落ちていきました。
ちょうど、この庭に、孝嗣がたどり着きました。親兵衛の手助けをしようと、やっとここを探し当ててきたのです。
親兵衛「おーい、孝嗣どの、ちょうどいい。今落ちていったそいつが素藤だ。ギリギリ死んでないはず。縛っておいてくれ」
孝嗣「心得た!」
護衛たちは、親兵衛が鬼神のように強いのを目の当たりにして戦意を失いかけましたが、どうせ許されそうにないし、半ばヤケクソ、残った人数で一斉に親兵衛に飛びかかりました。親兵衛は次々とこれらの護衛たちをつかんでは外に放り投げました。最後の二人を両脇にはがい締めにすると、親兵衛自らもここから飛び出し、遙か下の地面にヒラリと降り立ちました。
このころには何人かの味方の兵もここにたどり着いていましたので、親兵衛はそこらへんに転がっている護衛たちをみんな縛るよう指示しました。
親兵衛「フー」
孝嗣「素藤は縛り上げておきましたぞ。親兵衛どの、素晴らしい働きでござった」
親兵衛「うん、孝嗣どのが来てくれたおかげで、素藤を殺さず捕まえることができた。感謝するよ」
孝嗣「妙椿は?」
親兵衛「ここに落ちたはずなんだよね。無事でいるはずはないと思うけど、探さなきゃ。手伝って」
孝嗣「オッケーです。そこらの茂みも、片っ端から探しましょう…」
さて、城内では、荒川清澄たちがすっかり敵を平らげ終わっていました。主立った敵側の家臣たちはすべて捕らえました。戦いが終わったので、火もおおむね消し止めていました。
荒川「んー、あとは、浅木碗九郎だけが足りないなあ。誰か見なかった?」
次団太が横から口を出します。「確か、孝嗣どのが、そういった名の男を倒したはずですよ」
荒川「おっ。その死体はどこ、どこ?」
次団太「孝嗣どのは、首級を切り取らずに先に行ってしまいました。しかし、あとで必ず探すことになると思ったので、私がその死体の耳を切り取っておきました。ですから、耳のない死体を探して下さい。それで見つかるはずですよ」
荒川「なるほど。孝嗣という男も、お主も、自らの手柄をあえて主張しないために、そんなしゃれたことをしたんだな」
荒川にとっては、次団太も、孝嗣もまだ知らない人物です。耳のない死体を兵たちが探している間、次団太は自分たちがこの場にいる理由やいきさつを語って聞かせ、荒川を驚かせました。
荒川「なるほど、お主たちも犬士たちにゆかりをもつ人物というわけだ。すばらしいな」
この場に、良干・友勝・逸時・景能もいました。
荒川「良干と友勝は、捕らわれの身になった恥を、見事に手柄で補ったな。逸時と景能は、一度は破れて逃亡したが、これもまた、今回の手柄で見事に名誉を挽回したな。みなよくやってくれた」
四人「ははっ!」
(余談ですが、獄卒の海松芽軻遇八は、荒磯南弥六の首級を城外にさらさずに密かに城内の墓に埋めてやっていたという手柄が評価されて、捕まえられずに釈放してもらいました)
さて、荒川は、親兵衛が早く自分のもとに現れてくれないかと思って待っているのですが、何かに手間取っている様子で、なかなか現れません。
雑兵「書院の庭にまだいるらしいです」
荒川「ちょっと様子を見に行ってみるか」
荒川がその庭につくと、親兵衛と孝嗣がちょうど妙椿の捜索を終えたところでした。
荒川「犬江どの、よくぞ戻ってきてくれた。今回の戦勝、すべてお主のおかげだ」
親兵衛「いやいや、すべては殿のご威光のなしたことです。また、荒川どのがじっくりと城を攻めていてくれたおかげですよ。私のしたことなんて、ちょっぴりです」
荒川「ところで、ここで何に時間がかかっていたのか」
親兵衛「妙椿を探していたのですが… たった今、見つかったところですよ」
親兵衛は、手水鉢の中に沈んでいた、大きなタヌキの死体をざばっと持ち上げました。
荒川「これが!?」
親兵衛「そうです。あの妖術使いは、このタヌキだったんですよ」
タヌキの背中の毛は焼け焦げていて、「如是畜生 発菩提心」という焼き印がついていました。