120. 親兵衛、落人たちを叱る
■親兵衛、落人たちを叱る
親兵衛たちがいよいよ船出の準備をはじめようかというときに、隣の部屋から呼び止めた人物とは…
親兵衛「なんだ、急ぐのに… あっ、照文どの!」
照文「いやいやどうも…」
蜑崎照文は、義成によって親兵衛を呼び戻すために派遣され、穂北に向かっていたはずでしたね。親兵衛もまた、このことは政木狐に聞いて知っていました。
親兵衛「確か穂北に向かっておられたのでは…」
照文「よく知っていましたね。さすがです。伏姫に聞いたのですか」
親兵衛「キツネに聞いたんです」
照文「? ああ、そういえば、隣から聞いていたときに、そんな話もしていたような…」
親兵衛「そのあたりは後ほど説明しなおします… で、どうしてこんなところに」
照文は船に乗って武蔵の方面に向かった…はずだったのですが、乗った船がひどい逆風に悩まされて先に進めず、そのうえ海は大荒れに荒れて、海男であるはずの照文でさえ、ひどい船酔いにかかってしまったのでした。
照文「で、やむなく停泊してもらったここ両国で、私は手近な船屋に転がり込んで、今までこのとおり寝込んでいたんですよ。これが、今日の夕方のことです。ほんのさっきまで本当に気持ち悪かったんですが、隣にいるのが親兵衛どのと分かって、自分でも不思議なくらいに体調が回復しました」
親兵衛「それは神霊の導きかもしれないね。この場で私たちが会えるようにと」
照文「そうかも知れません。しかし、その真偽はともかく、殿から親兵衛さまへと預かった手紙を渡すという使命をここに果たすことができます。どうぞ、これを…」
照文は、上座に座りなおすと、扇に乗せて義成からの手紙を差し出しました。親兵衛は、感激とともにそれを受け取って押し戴き、さっそく封を切ろうとしましたが、
親兵衛「おっと、身も清めずに手紙を読むなど、無礼だ。危ない危ない」
そうして、一旦懐におさめると、縁側へ飛んで行って手を念入りに洗い、口を何度もすすぎ、席に戻って、改めて懐から取り出した手紙の封を静かに切ってから読み始めました。
手紙「犬江親兵衛よ。先日、お前を追い出してしまったのは、素藤たちの『反間の術』に気づかなかった私の過ちだった。今回の事件を解決できるものはお前しかおらぬ。すぐに戻ってきて、魔雲を打ち払ってくれ。一日千秋の思いで待っているぞ。その他の色々のことは、また会ったときにな」
親兵衛「うおお、殿。これで元気百倍だ…!」
照文「私が連れている兵はみな預けます。ここにいるお仲間たちも連れて、すぐに館山に向かってください!」
親兵衛「はい、今すぐに! 照文どのの兵は、数人だけお借りします」
次団太「照文さまも『仲間を連れて』とこうおっしゃる。改めてお願いいたす。私を連れて行ってください!」
親兵衛「分かった。そこまで言うなら、ついてきてください。次団太さんの義理についてさっきは意見を述べたまでで、私一人で軍功をひとりじめするつもりはなかったのです。敵を一人も漏らさないように、どうか手伝ってください」
次団太・鮒三「あざっす!」
孝嗣はというと、さきほどから下を向いて悩みぬいている様子です。「私の主は、賢明とは言えなかったが、それでも代々の恩を忘れて、この人たちに着いていっていいのか…」
みなが見守る中、孝嗣はしばし沈思黙考しました。そしてサッと顔を上げると、
孝嗣「よし、私は今から政木大全孝嗣と名乗ることにします。政木狐の恩を忘れないため、そして、この後の行いを全うするためにです。私は今までの姓を捨てて、すべてをやり直す覚悟を決めました。私も一緒に行かせてください!」
照文「うーむ、重い決断をされましたな。あなた様も、犬士たちに劣らぬ賢者とみました」
親兵衛「もちろんさ」
さて、しかしながら親兵衛はちょっと焦ってきました。風がよかろうと悪かろうと、もうそろそろ時間を無駄にするのも限界に思えてきました。船長に出航を強く催促しに部屋を出ようとすると、逆に船長のほうが客室に入ってきました。
船長「ちょっとあなたがた、さっき村のチンピラとケンカしたでしょう。あいつらが手下をたくさん連れて、この店の前を囲んでるんですよ。暴れられちゃあ、ウチの商売にも迷惑です。どうするんですか」
親兵衛は、時間がないという焦りもあって、ちょっと気が立ってきました。「ああもう、邪魔ばっかりする。ザコが何百人いようが、殴って追い払ってやるまでだ。身の程を思い知らせてやる」
そうしてズカズカと外に出ました。孝嗣・次団太・鮒三・照文とも、みんなついて出ます。店のスタッフたちは、窓や扉を固く閉めてしまいました。
前方のチンピラの群れの先頭には、確かにさっきやっつけた向水五十三太と枝独鈷素手吉が、明るい月明かりに照らされて立っています。後ろのみんなも、手に手に武器を持っています。
しかし、親兵衛の姿に気づくと、武器を手放して全員がひざまづいてしまいました。
親兵衛「? なんだ、仕返しに来たんじゃないのか。それとも油断させようとしているのかな」
群れの後ろから、別の人間が二人、歩いてきました。彼らが実質的な指導者のようです。彼らはやがて親兵衛のそばまで来て、「犬江親兵衛どの、お元気そうでなによりでござる」と丁寧に挨拶しました。
親兵衛「…」
二人「私ですよ、苫屋景能と田税逸時です」
彼らは、素藤がさきに館山城を奪い返した戦いのとき、破れて逃げた者たちです。
親兵衛「あー、わかった… っていうか、おい、キサマらっ!!」
親兵衛はカンカンに怒り出しました。
親兵衛「戦に負けて、命惜しさに逃げ出して、こんなところに流れ着いて、ついにはこんな不良どもの親分におさまりかえって、良民たちを小突き散らしてカネをせびっているのか。この、恥知らずどもが! ブ、ブ、ブン殴ってやるから、とっととかかってこいよ!(ワナワナ)」
景能と逸時は静かに答えます。
景能「親兵衛どの。どういう風に話が伝わったのかは知りませんが、私たちは、単に命を惜しんで逃げたのではないですよ。素藤たちは、どんな妖術を使ったのか、夜中に突然城内に現れて、大軍をもってやすやすと城を奪ってしまった。あの場では、まともに戦えなかったのです。私たちは、後日何らかの役に立って償いにかえたい、と考えて、あえて恥を忍んで逃げたんですよ。逸時はここの五十三太と素手吉と縁がありましたから、彼らを頼ってここにとどまっていたのです」
逸時「こいつらは、根っから悪いやつじゃないんですが、どうもまだまだ素行がよくない。夕方は、とんだご無礼をして、お連れのかたがたにも迷惑をかけてしまった。この二人、心から謝りたいと言っているんですよ。ほら、お前ら」
五十三太・素手吉「後悔しております。どうぞお許しを…」
親兵衛「む、む…(まだ不機嫌)」
照文「差し出がましいことを言いますが… 親兵衛どの、彼らの言うことにも一理あると思いますな」
親兵衛「確かにそうです。生き延びて過ちをつぐなおうとする考えは、間違ってはいません。納得しました。怒るの、やめる」
逸時「親兵衛どの。こいつらの本職は漁師だ。鮮魚を売るために、各地に早船を飛ばすことは得意中の得意。お許しさえいただければ、今から館山までマッハの早さでお送りしたい。かの地までお急ぎの事情がある旨、さきにこっそりと使いを立てて聞かせてもらっていました」
五十三太・素手吉「一世一代の早船だ。腕がちぎれる覚悟で漕ぎ申す。どうか使ってください! 城の攻略も、命をすてて手伝いたい」
親兵衛「おっ、それはありがたい。喜んで頼りにしよう。ただし、陸に上がってから先は、ついて来させないがよいか」
逸時「それはなぜ?」
親兵衛「漁師たちが戦に参加するほどに里見は人材が少ないのか、と誰かに思われては、殿に失礼になるのだよ。特に他意はない」
逸時「なるほど」
親兵衛「彼らには船の上で待機してもらっていて、城から敵の残党が逃げてきたら、それらを捕らえるのを手伝ってもらおう。できるだけ殺さないように注意しろよ。ここまでが私からお前らへの軍令である。従うか、どうだ」
チンピラたちが、うれしそうな顔で「従います」と声をそろえました。
親兵衛「よし、暗いうちに向こうに着くことが重要なんだ。一刻もムダにできない。みんな、船に乗ってくれ!」
たちまち船が準備され、みなを乗せると、追い風にめぐまれて、矢のような速さで夜の闇の中に消えていきました。
照文だけは陸に残っています。この足で、結城の丶大法師のもとに急ぎ、法要に参加するという指示も義成から受けていたのです。
照文「親兵衛どのなら必ず勝つだろう。そのあとで法要に間に合うのは… ちょっと難しいかな? どうかな?」