151. 世智介、痛恨のミス
■世智介、痛恨のミス
里見義実・義成は、七犬士に「安房の領民に戦闘のトレーニングをしてほしい」と切り出しました。
義成「平和なときこそ、乱に備えておくべきと思うんだ。今は稲の収穫も終わっており、ちょうどいいタイミングだ。本格的に冬になる前に、それぞれが隊を作って水陸の戦闘を教えてやってほしい。ただし、隣国に警戒されないよう、表向きには狩りや漁のように見せかけながらやってくれ」
七犬士「おお、それこそ我らの仕事。よろこんで承ります。演習の総監督はどなたがなさいますか。言うこときいてもらうには、ちゃんと偉い人がトップにいないと」
義成「息子の義道にやらせようと思う。彼自身にも勉強になるだろう。いろいろ教えてやってくれ」
七犬士「ははっ!」
道節が意見します。
道節「戦闘のトレーニングに並行して、隣国の様子を探るスパイも配置するとよいと思います。特に、関東管領・扇谷定正が、先日の五十子襲撃の犯人をいまだ捜しているというウワサもありますし」
小文吾「市川の依介は、船問屋という商売柄、かなり広い範囲に情報網を持っています。彼の情報も便利ですよ」
義成「うん、いいところに気がついたね。そうしよう。きっと敵もスパイを送り込んでくるだろうが、あまり神経質になるよりは、内政を充実させて、敵に探られるような弱点を潰していきたいと思う。みな、よろしく」
こうして、密議はひととおり終了しました。照文には、京の仕事オツカレということで、30日の休暇が与えられました。
そして10月になり、戦闘訓練がはじまりました。主に犬士たちが先頭に立って漁や狩りを指揮し、兵士や住民達はそれに従って行動するというあんばいです。小春日和の暖かさの中、訓練は順調に進行しました。
水練・水馬のワザは、信乃・毛野・小文吾・現八がピカイチに優れていましたので、これらを見せてもらうだけでも、みなは大いに驚いて、それぞれの技量を高める参考にしました。(大角はちっとも泳げなかったのですが、ビート板を使って練習をはじめ、すぐに上達しました)
山に入って狩猟を行うときは、獲物をむやみに殺さないように注意しました。敵意を持って向かってくるケモノだけを仕留めましたが、最も望ましいのは生け捕りと決められました。七人の犬士たちのワザはどれもすばらしく優れており、放つ矢は百発百中でした。しかも、ケモノは足を射て捕獲するだけですし、鳥は尾を射て落とすだけです。住民達は、犬士たちの技量と徳の高さにほとほと感心しました。
(ついでに、安房では害獣への対処法についてもある決まりがありました。殺さず捕らえて、食い物を腹一杯食わせてから、イカダにのせて離れた島に放つこと、というのです。この仁政のウワサは伊豆や相模まで流れたといいます)
さて、秋は深まり、11月に入りました。
義実は、夢を見ました。狩猟の訓練に、いないはずの犬江親兵衛も参加しているのです。そして、彼は山に入って、大きな虎を退治しました。
親兵衛「大殿、虎ですよ、ほら」
目が覚めた義実は、ある予感を感じました。「これはただの夢ではないのではないか。虎というのは、残忍・奸佞の人のたとえでもある。親兵衛は京で何か危険にさらされているのでは…」
義実は、京にいる親兵衛のことが心配でならなくなりました。スパイを放つのが都合わるいなら、いっそ堂々と使節をやって、公式に親兵衛の身柄を返してもらうよう頼もう。
側近たちも、稲村の義成も、義実のアイデアに賛成しました。照文を使節として再び京にやり、表向きには先日の勅許のお礼を述べ、そのついでに親兵衛も呼び返そうということになりました。
義実「ごめんね照文、大変な仕事が続いて」
照文「はい、承知しました。しかし、前回のような危険も考えれば、また何人か副使をつけていただきたく存じます。なにせ、千金を積んだ船を運ぶ仕事ですから…」
義成「田税逸時と苫屋景能でどうかな」
逸時と景能は、この指名に喜びました。彼らは、素藤と戦ったときに敗れて逃走し、後に親兵衛に拾ってもらってやっと雪辱を達成したという恩があります。
二人「この使命、命をかけてつとめます!」
数日後、京への貢ぎ物が準備されて、前回と同じように船に積み込まれました。
義成「今回は、向こうの事情を見極めながら、どのくらいの貢ぎ物をするのか、臨機応変に決めて欲しい。ここに、花押だけをした白紙の目録書があるから、これに自由に書き入れて使ってよ」
照文「はい」
こうして、船は荷物を満載して、西に向かって旅立っていきました。妙真や音音たちは、これで親兵衛(や代四郎)が無事に帰ってこられるように祈りました。
ところで、山での訓練中に、義道が霊芝を見つけた、という報告がありました。霊芝ってのは、縁起がよいとされている貴重なキノコです。
義成「おお、いいね。でも君主がこういうものをあまり珍重してワーワー騒ぐのは、民に悪い影響があるから、普通に保存しておこうね。父上にも見せてあげなよ」
義実「おお、いいね。一つの根から10本の茎が生えているというのが、なかなか縁起がいいね。うん、取っておきなよ」
霊芝はそれほど大げさには喜ばれませんでした。10本の茎のうち、4本目、5本目、10本目は短くてしおれ気味でした。これの意味は、100年以上経った後にやっと判明するのですが、今はこれだけの話です。
季節はすすみ、11月も半ばになりました。国の境に放っていた数人の間諜が、稲村城にたいへんな知らせを持ってきました。
間諜「たいへんです、扇谷定正が、武蔵・相模・下総・上野・越後の五国で連合軍を組んで、ここ安房を攻める計画を立てています!」
義成・家臣たち「げげっ!」
間諜たちが入手してきた事情は、下の通りです。
- - -
根角谷中二と穴栗専作は、死刑にするはずだった河鯉孝嗣を何者かに奪還されてしまったことについて、きびしい罰を受けました。
二人は、箙の大刀自に直接頼まれて釈放したんだ、と主張したのですが、定正が大刀自本人に確認してみたところ、ぜんぜんそんな事実はなかったとのことでした。
獄吏の箕田馭蘭二は、二人にバシバシとムチをあてます。
谷中二「やめてくれ! 俺たち、もとは仲間だろうが」
馭蘭二「知るか。お前ら、実際は孝嗣をどうしたんだ。正直に言わなきゃ、やめるわけにいかんだろう」
谷中二「言ったとおりなんだよ! 信じられないだろうが、ひょっとしたらキツネに化かされたのかも知れないと今では思う」
(谷中二は、ここで割と正しい推測をしていますね。確かに、政木狐というキツネだったのですから)
谷中二「頼む。俺たちの手で必ず孝嗣を探し出して捕らえてくるから、その条件でしばらく仮釈放してくれるように定正さまに口利きしてくれ」
馭蘭二「まあ、やってみるが…」
この請願は定正に許され、谷中二と専作は、100日間という条件で釈放され、孝嗣捜索の旅に出ました。彼らもその手下たちも、全員が親族を人質にとられていますから、逃げることはできません。
途中、100日を200日に延ばしてもらいながら、夏と秋の季節の中、谷中二達は必死で関東とその周辺をかけずりまわり、血眼になって手がかりを探し続けました。
はじめは捜査は絶望的に思われましたが、彼らの執念はついに実りました。場所は武蔵の墨田川のほとり。時は11月初旬のことです。彼らが捕らえたのは、穂北の落鮎有種の手下、世智介です。
穂北の氷垣残三夏行は、長い間中風をわずらっていましたが、看護の甲斐なく、9月のある日に死去しました。皆は悲しみ、彼の葬儀を行いました。やがて四十九日が終わってから、安房にこのことを伝えた方がよいという話になりました。
有種「安房からはお見舞いももらっていたことだし、何より犬士たちにも世話になった。オヤジの最期のことを伝えておきたい」
重戸(有種の妻)「そうですね」
安房への使いには、世智介と小才二が任命されました。彼らが手紙を持って穂北を出たのは、10月末のころです。
村を出て間もなく、小才二がひどい腹痛を起こしました。仕方がないので、近くにいる知り合いの梨八夫婦の家にあがって休ませてもらうことにしました。彼は小才二の叔父にあたります。
小才二の腹痛は薬を飲ませて治りましたが、この晩は家に泊めてもらうことになりました。世智介と梨八は酒が好きだったので、せっかくだからと酌を交わしながら、いろいろと雑談をはじめました。
世智介は酔っ払ってきていい気分になり、今から自分が安房の犬士たちを訪ねようとしていることを漏らしました。梨八がそれは何だとたずねると、世智介は、彼らがいかに優れたスーパーマン達であるかを得意げに語り始めました。
実に悪い偶然で、その横を谷中二達の捜索隊が通りかかったのです。谷中二は、「犬山道節」という名前を話し声の中から聞き分けて、慌てて家の外から聞き耳を立てました。そして、中にいるのが、道節や犬塚信乃の関係者であるとの確信を持ちました。
彼らは家に押し入ります。「お前ら、動くな。五十子襲撃の犯人である犬士どもの捜索隊、根角と穴栗だ!」
こうして、世智介と梨八夫婦は、きびしく縛り上げられてしまいました。世智介がフトコロにしまっていた手紙も検められ、なんと犬士たちと河鯉孝嗣が仲間として行動していたことまで判明しました。
谷中二「うおお、なんたるラッキー」
この手紙の内容が読まれてしまったのでは、もはや世智介は何も隠すことができなくなってしまいました。失意のままに、今までにあったことを洗いざらい白状させられてしまいました。
小才二はどうしたのでしょう? 彼は、幸い、捜索隊が押し入ってきたときに、壁の穴からそっと外に抜け出して逃げることができたのでした。世智介たちは縛られたまま五十子に引き立てられていったのですが、彼だけは穂北に逃げ帰って、そこで起こったことを落鮎に報告することができました。
落鮎「むむっ! 世智介が捕まったとあれば、すべてバレる可能性が高い。きっと管領たちはここ穂北に攻めてくるだろう。いざ、死ぬまで戦うのみだ」
重戸「いいえ、ここは逃げるべきです。例の捜索隊は10人そこそこだったと聞きますから、まず直接ここには攻めてきません。いったん城に戻って、あらためて軍隊を差し向けることでしょう。ならば、翌朝までの時間があります。下総猨島のお寺は私の親戚が住職をしていますから、そこにかくまってもらいましょう。いつか恥を清めるチャンスもあります。今は生きることです」
落鮎「…それも一理ある。よし、そうしよう。逃げる準備をするぞ」
落鮎はほら貝を吹いて村の住人を集め、「こういう理由だから、我々は村を脱出する」と宣言しました。みなそれに従い、すばらしいスピードで家財がまとめられ、船が手配されました。
馭蘭二が、捜索隊の報告を受けてそれを管領に伝えると、すぐに穂北の討伐が命令されました。それを受けて300人の軍隊を編成し、翌朝には千住川のほとりにまで来たのですが、川の向こうでは、村の家々を焼く炎がモウモウと立ち上っていました。
馭蘭二「くそっ、もう逃げやがったのか」
間諜たちの報告は次回に続きます。