153. 八百八人の計
■八百八人の計
里見義成と重臣たちは、扇谷定正が大規模な連合軍を組んで安房を攻めようとしていることを知りました。
これからどうしたものか、と相談しかけていると、ちょうど、狩り(と称した戦闘訓練)から、御曹司の義道と七人の犬士たちが帰ってきました。
義成「ちょうどいい、みんな来てくれ。疲れているところ悪いが。重大な情報が入ってきたんだ」
義道は義成の横に、犬士たちはその前に並んで座ります。
義成「さっき間諜たちが五十子から戻ってきて、敵地の様子を教えてくれた。みんなはすでに何か知っているかい」
小文吾「はい、大体。市川の依介が、つい昨日妙真さんをたずねてきて、私たちに秘かに教えたいことがある、と言ってきました。それによると、どうやら、扇谷たちが安房を攻めようとしているらしいですね」
信乃「それで、すでに我々は、これからどうしていくかを内々に検討しはじめていました。毛野が色々とアイデアを出してくれましたよ」
義成「なるほど、さすがだな。そこまで知っていれば話は早い。さっそく毛野に今後の対応についてアイデアを聞きたい」
毛野「ははっ。何より先にすべきことは、小船をたくさん買い占めることと思います。五十子から水路をとって安房を攻めるなら、当然船がいるでしょう。先に船を買ってしまえば、敵の戦力をそぐことになって有効です。ちょうど船問屋の依介さんが来ていますから、これから武蔵や下総をまわって船を買いまくってもらいましょう」
義成「よし、いいアイデアだ。今すぐ船の代金を依介に渡して、旅だってもらおう。また、別に飛脚も放って、海岸の守りをしっかりするように各所に警戒の連絡をしよう」
家臣たちが、すばやく言われたことの手配をしました。
義成「さて、他になにかすべきことはあるかな。みんな、どんどん意見を言ってくれ」
道節が進み出て述べます。
道節「まず申し上げねばなりません。今回、扇谷が当家を攻めようとするのは、今年の一月に我らが五十子の城を攻め落としたことがその発端です。これによって里見に災いを招いてしまったことは我らの罪。この身が粉々になるまで敵と戦い抜き、撃退することで償いにかえたいと存じます。…しかし、人には向き不向きというものがござって、知略に関わる仕事は私にはできません。ついては、毛野を軍師として、残りは全員彼の指示に従うことにしたいと考えますが」
荘助・大角・小文吾・現八「我々も賛成です。毛野を軍師に」
毛野はあわてて皆を止めました。「待ってください、私だけがとりわけ知略に長けているわけではありません。『智』の玉を持っているからといって、買いかぶられても困ります。みなで戦略を考えましょうよ」
信乃「いや、犬阪どの。ここであまり謙遜しすぎるのは、かえって不忠ですよ。我々は客観的な判断をして、あなたが軍師になるのが里見のためにベストだと言っているんです。どうか、あなたの知恵を里見のために」
毛野「う、うーん…」
義成「これはあっぱれだ。みんなごめんね、実は私自身も、毛野が軍師をするといいなーと思っていたんだよ。でも彼が一番若いし、こんな抜擢をしては、みんな正直モヤモヤするんじゃないかなあと心配してたんだ。いやはや、みんなさすがは犬士、そういう妬み嫉みとは無縁の男たちだったな。頼もしいぞ!」
信乃・現八・小文吾・大角・道節・荘助「ははっ」
毛野「わかりました。軍師をつとめさせていただきます」
義成は、改めて毛野を近くに呼びました。「さあ、お主の考える作戦を教えてくれ」
毛野「では… 敵は、陸路より海路を主に使うと思われます。理由はカンタン、そちらのほうが近いからです。陸のほうでは、行徳と国府台に敵をおびき寄せて、伏兵で攻めれば破れます。しかし海では、伏兵という手段はありません。だからといって敵をみすみす上陸させてもいけません。これに必ず勝つためには… 八百八人をうまく使うことです」
義成「八百八人?」
毛野「はい、八百八人。これで敵をミナゴロシにします。この謀には、犬村大角と丶大法師の協力が必要です。詳細はともかく、まず丶大さまを呼ばないと。最近カゼで寝込んでいたというウワサを聞いていますが、それももう治ったらしいですし」
ここまで聞いて皆、「八百八人」が何のことだか分かりません。
義成「八百八人… とは、人数のことではないな。敵と戦うには少なすぎるもん。みんなは分かるのかな?」
犬士たち「うーん… 何だろ」
道節が若干イラつきました。「おいちょっと、ナゾナゾ大会じゃないんだぞ。毛野よ、早く説明しろよ」
義成「待て待て道節。毛野はたぶん、考えがあって、あえてナゾにしているのだ。この答えはそれぞれの宿題としよう。明日の早朝、また集まってくれ。丶大も呼んでおくから。敵の準備期間を考えると、戦いは12月のはじめごろになるだろう。もちろん油断はできないが、時間はそれなりにある。よろしくな」
この日はこれで会議終了となりました。
さて、次の日。同じ場所に集まった犬士たちは、まず昨日の宿題の答え合わせから始めました。
義成「じゃあ、目の前のパネルに、おのおの、『八百八人』の答えを書いてくれ。私も書くから。…それでは、オープン!」
義成「風火」
信乃「風火」
大角「風火」
荘助「風火」
道節「火」
現八「火」
小文吾「火」
黒柳徹子「風火」
道節「ほう… 『八人』が『火』だというところは見当がついたが、『八百』は『風』なのか?」
信乃「風は、『凮』とも書くんですよ。中に『百』が入っているんです」
道節・現八・小文吾「へー、勉強になるなあ」
義成「私もどうやら正解なようだな。たった今解ったのだが、あの八百比丘尼が風を自在に起こせたというのも、『八百』の部分にヒントがあったのだなあ」
毛野「はい、その通りです。今回、比丘尼が持っていた甕襲の玉を使いたいと思っていたのです。言い出す前に殿がこれに気づいてくださったとは、これは作戦が成功する前兆といえましょう。さて… この玉は丶大様に持っていてもらいたいのですが、まだ来ていませんか」
義成「いやあ、声はかけたんだけど、行かないって言われちゃったんだよね。軍陣殺伐の相談に、坊主が参加できるはずがない、ってさ」
毛野「困りましたね… どうしてもあの方でなければいけない理由があるのですよ。私が考えているのは、こうこう、こういう作戦なのです…」
義成は、毛野から作戦の概要を聞いて、これはうまくいく、と嬉しくなりました。
義成「よし、無理にでも丶大をここに引っ張ってこよう」
毛野「いいえ、私が直接お寺に行って、丶大様を説得してきます。犬村どのも連れて行きます」
この後すぐ、毛野と大角は、甕襲の玉を義成から預かって、延命寺の丶大に会いに出て行きました。その後、残った人達は、今回の作戦について色々とウワサしました。
東辰輔「敵の船団を火と風で撃退するってのは、三国志のネタだよな。赤壁の戦いだ。敵だってそれくらいの警戒はすると思うんだけど、うまくいくのかなあ」
荒川清澄「犬阪どのはそんな安易な方法はとらないと思うぞ。もっとひねってくるさ。ねえ殿」
義成「うむ。きっと毛野なら、勝利をもたらしてくれるだろう」
毛野と大角は、ほかに二人だけの伴人を従えて、延命寺をたずねました。丶大は、犬士が来たとあっては仕方なく、モゾモゾと客間に出てきました。
丶大「風邪が治ったばかりでのう、無精ひげをまだ剃ってもおらん。見苦しくてすまんな」
毛野「お元気になったようで何よりです。そのおヒゲは、後で言いますが、かえって好都合です。それはともかく、殿からの話を伝えに参りました。お人払いを」
丶大「人払いなどいらん。ここには念戌しかおらんよ。彼は誰にも何も話さんから、構わんだろう」
大角「では… 扇谷たちが、大規模な連合軍を組んで、ここ安房を攻めようとしていることがわかったのです。安房里見が滅亡するかもしれない危機なのです。ぜひ丶大さまにも手伝ってもらいたい作戦があるのに… お呼びしてもいらっしゃらないなんて、これは殿のためには不義で不忠だと思いますよ」
丶大「里見にはお主らのような賢くて強い勇士たちがゴマンといるではないか。ワシが手伝うことなんてないであろうが」
毛野「いいえ、丶大さまにしかできないことなのです。敵は今回、船を何百艘もつらねて攻め寄せる見込みです。それをやっつけるには、火と風しかありません。丶大さまには、いい方向に風が吹くよう祈ってもらいたい、それだけなのです。ヨロイを着て武器を振り回してくれ、というお願いではありません」
丶大「そして、その風は敵の船を焼いて、山ほどの死者を出すんだろう? 坊主にそんな殺生をさせないでくれ! イヤなことだ。ここでクビをはねられようが、絶対に断る」
大角は静かに丶大を諭します。「そうやって敵を破らなければ、敵は今度は安房の人々を殺します。丶大さま。何もしないということは、味方を何千人も殺すことと同じなのですよ。どちらかを取らなくてはいけないのです。せめて、敵を殺し、そして丶大さまは生き残り、そして敵の菩提を弔ってやってください。当然お分かりのはずなのに。そちらを取るしかないでしょう?」
丶大「…それしかないのか?」
毛野「それしかありません」
丶大は深くため息をつきました。「仕方がない。言われたとおりにやってみよう。しかし、私は風を起こす方法など知らんぞ。どうすればいいんだ」
毛野は、フトコロから、甕襲の玉の入った袋を取り出しました。「これを使ってください。先日、妙椿狸から奪ったアイテムです。持っていてください」
毛野「今から、丶大様と犬村どのは、武蔵の柴浜に渡って、山にこもってください。寺の人にはどこに行くのか告げないでください。伏姫さまのところに籠もる、とでも言っておけば、一週間くらいは怪しまれないでしょう」