1. 為朝、4本の矢をかわす
■為朝、4本の矢をかわす
この椿説弓張月は、源八郎為朝という武士の一生のお話です。平安時代後期の人ですね。一般的な史実では、彼は保元の乱で負けて伊豆大島に島流しとなり、そこで死んでしまったことになっています。
しかし、そうではなかった!
みんなのヒーロー為朝は、大島から脱出して生き延び、さらなる波乱万丈の冒険に身を投じていたのだ!
…というのがこの話の特徴です。なかなかファンタジーですね。
八郎為朝は非常に優れた武士だったと伝えられています。特に弓矢の腕は天下無双であったらしく、そもそも左の腕のほうが四寸も長くて、生まれたときから弓の名手たる宿命だったということです。武芸だけではなく頭もバツグンによくて、父・為義も、彼が子供のころから将来を楽しみにしていました。
さて、時は保安4年の1月某日。崇徳上皇の御所で、信西法師が韓非子についての講義をしているという場面です。ここで為朝が信西の知ったかぶりをあざ笑うところからストーリーが始まります。
とはいえ、別に彼の学問を笑ったのではありません。上皇が何気なく「ところで、今、弓の名手として有名なのは誰かなあ」と聞いたときに信西が「それはもう、(源)頼政とか、(平)清盛ですな」と言ったのが噴飯モノにおかしかったのですね。
為朝「プー、クスクス」
信西は縁側から階段の下をジロっと見下ろし、「今笑ったのはお前か」となじります。(為朝は上皇と一緒にいてよいほどの身分ではありませんので、階段の下に控えていました。父・為義が、勉強の足しにということで無理を言って連れてきたのです)
為朝「はあ、私ですが」
信西「お前、何歳だ」
為朝「13歳ですが、何か」
信西「13歳のガキが、私が言ったことの何がそんなにおかしかった。言ってみろ」
為朝「そりゃもう、信西さま、言うに事欠いて、頼政だの清盛だのが弓の名手だなんて。ひどいご冗談ですよ」
信西「冗談だと。頼政どのは最近、紫宸殿に夜ごとに飛来するという怪鳥を射落とした。清盛どのも、同様に内裏に出没する、ネズミが化けたという怪鳥を射たことで手柄を立てたわ。これで不十分だというか」
為朝「鳥を射たからどうだっていうんです。そんなの猟師だってやってることですよ。ネズミなんて、ネコでも捕まえます。いやー、信西さまは何事にもひいきが強いお人だと聞いていますが、本当にそうなんですねえ」
信西は、今は出家の格好をしていますが、かつては要職を歴任し、今でも何かと鳥羽上皇の意思決定に影響力を持っているというウワサです。人格面では、身内に甘く他人に厳しいイヤなやつという評判です。
信西「コワッパが、背伸びしたって恥をかくだけだぞ。ならお前は、誰なら弓の名人と呼ぶにふさわしいと言うんだ。言ってみろコラ」
為朝「清盛なんかはザコのうちですから、誰を挙げたって彼よりは上ですよ。父上(為義)だって、若い頃から弓の腕は凄いんですよ。でも、まあ、だれが一番かと言えば… わたくし為朝自身でございましょう」
父の為義も、いいかげんこの問答を聞きながらハラハラしています。もうやめとけ、という目くばせを一生懸命息子に送りますが、為朝はちっとも遠慮しません。
信西「ハッ… ハッハ! なんだ、マジメに議論するのもあほらしい。お前みたいな若造がどうして一番なものか」
為朝「年は関係ございません」
信西「まあいい… よろしい、弓の名人とはな、敵の矢を避けることも名人級であるべきだ。そうだな」
為朝「当然です」
信西「お前が第一の名人なら、よほどの至近距離から矢を射ても、これをかわせるわけだな」
為朝「もちろんです」
信西「早速試してみようと思うがどうだ」
信西は、ここで為朝がひるむと考えました。しかし為朝はこともなげに「やりましょう」と言い放ちました。むしろ引っ込みがつかなくなってきたのは信西のほうです。
信西「弓を扱えるものは、誰かいるか!」
信西が声をあげると、やがて、式成と則員という武者が階下に現れてかしこまりました。滝口の武者をつとめる、確かな腕の持ち主です。
信西「この者たちがお主に向かって矢を放つ。一人で二本、合計で四本。それでよいか。やめるなら今のうちだ」
為朝「この二人の弓の腕は確かです。相手に不足はございません」
信西「…てめえ、あとで後悔しても遅いぞ」
さて、この場には、左大臣の藤原頼長もいました。興味深くこのやりとりを見守っていましたが、さすがにこのタイミングで声をかけました。「信西よ、戯れもほどほどにしておけ。為義も、息子を連れて今日は帰りなさい」
しかし為義は、さっきまでと少し様子が違います。「…為朝も13歳。武士の子なら、自分の言葉には責任をもつべき年頃です。ここで引くなら、戦で敵に背を向けるも同じ。彼のやりたいようにやらせたいと存じます。死んでも恨みはいたしません」
為朝「ありがとうございます、父上。…さて信西どの、これから為朝は命を賭けるわけですが… あなたは何をお賭けなさるか。私が矢をすべてかわしてみせた場合、何をしてくださるか」
繰り返される挑発に、信西はすっかり怒っています。しかし口元には微笑をたたえ、「私のクビをくれてやるよ」と約束しました。どうせありえないことなのですから。
それを聞いた為朝は喜んで広場の中央に走って行き、そこで仁王立ちになりました。「さあ、どうぞ」
式成と則員は、上皇の目の前でこんな無残なショーをすることに忍びないのですが、偉いさんが命令するのでは仕方がありません。それぞれ、弓を満月のように引き絞って為朝に狙いを定めました。
式成がヤッと声を挙げて矢を放つと同時に、為朝はこれを右手で捕らえました。次の瞬間、則員が同様に矢を放ったのを、為朝は左手で捕らえました。目にもとまらぬ早業とはこういうことでしょう。
信西「…二の矢! 早くしろ!」
すばやく二人は次の矢をつがえ、両手の塞がった為朝に向かって全力の矢を放ちました。為朝は、一本の矢は装束に縫い止めさせてこれを止め、最後の矢は歯でガッチリと噛み止めました。これを目撃した全員が、すさまじさに言葉を失いました。
為朝は鏃をそのまま歯でかみ砕き、手に持った矢を投げ捨て、問答無用の勢いで階上に登ると、真っ青な顔をした信西につかみかかろうとしました。「約束通り、そのクビ、もらいうける!」
それを父がさえぎり、為朝を階下に突き落としました。「バカめ、身の程をわきまえよ。武士が矢を受け止めたくらいでなんの自慢なものか。無礼もほどほどにせんか!」
左大臣がこの場をおさめにかかります。「まあまあ、そう叱ってやりなさるな。信西も、こんなお遊びのことを気にするでないぞ。今日はおしまい、おしまい。みんな帰りなさい」
この後、京の全域にこの話が広がり、為朝の武勇にだれもが感嘆しました。また、信西はこの事件以降、為義と為朝の親子のことを深く憎むようになってしまいました。これが後に為朝の運命を変えるのですが、その話はまたいずれ。
崇徳上皇は、この一部始終を、だまってスダレの後ろから見守っていました。そして、左大臣の頼長を呼び止めると、「彼は、非常に使えるのう…」と言葉をかけました。