12. 武藤太、報いをうける
■武藤太、報いをうける
ヒジの筋を切られた為朝は、伊豆の狩野工藤茂光に連れられて、牢輿に乗せられ、流刑先である伊豆への道につきました。
為朝を当局に売った武藤太は、この後、故郷へは戻らずに佐渡重貞のもとへ行き、恩賞を要求しました。
武藤太「オレの情報、すごく役に立ったでしょ。莫大な恩賞をもらってしかるべきだと思います」
武藤太が役に立ったのは確かですが、重貞は彼にひどく嫌悪を感じました。「養父の恩人を売って平気で恩賞を要求するとは、実にゲスなやつだ」
一応、これに報いておかないと後のしめしにならないですから、重貞は武藤太に100両ほどのカネを与えて今回の褒美としました。
武藤太「えっ… これだけですか。あの鎮西為朝は、今まで誰も倒すことができなかった男なんですよね。これを捕らえる役に立ったんですよ。領地をくれて、武士にしてくれるくらいの価値があったんじゃないかと…」
重貞はキレました。「文句があるならそのカネもやらんぞ! とっとと俺の目の前から消えろ!」
武藤太はこの剣幕を怖れて、あわててカネを受け取ると、近江に戻っていきました。しかし、故郷の荒川に近くなったところで、30人ほどの若者が彼の行く手に立ちはだかりました。
若者「どのツラさげて戻ってきやがった、この裏切り者が! お前が筑紫の御曹司を売ったことを藤市さんが知って、あの人は泣き明かしたあげくにクビを吊ったのだぞ。許せねえ」
武藤太は驚き、彼を打ちのめそうと追ってくる若者たちの手をやっとのことで逃れて、京のほうに逃げて走りました。
しかし京でも、希代の勇士・為朝を売ったユダ、武藤太の悪名は知れ渡っていました。彼を泊めようとする宿はひとつもなく、すれ違う人たちは口々に彼に向かって罵詈雑言をあびせました。石を投げつけるものもいました。武藤太は身の危険を感じて難波まで逃げましたが、そこでも事情は同じでした。
武藤太「このままじゃどこにもいられねえ。もっと西に行かないと」
しかし、難波の港にも、彼を乗せようとする船はありません。ほとほと困り果てましたが、そこで偶然、昔遊んだ悪友である丈五と丈六に出会うことができました。彼らは武藤太を嫌いません。
丈五「オレたちもどこか西に行こうとしていたんだ。自分たちの船があるから、乗せてやるよ。何か売れそうなもんを積み込んで、向こうでひと儲けしようぜ」
夜のうちに三人はそっと船出して、武藤太はやっと、自分を敵視して攻撃してくる人々から逃れることができました。
武藤太「ここからどこに行くんだ。筑紫とかか」
丈五「あそこは都合が悪い。そもそも俺たちは筑紫で人を殺して難波に逃亡していたんだしな。ちょっと手前の長門あたりに行ってみようぜ」
船はしばらく順調に西に向かいましたが、讃岐の沖あたりでひどい逆風に悩まされ始めました。しかたなく、いったん讃岐の水崎に船をとめて、ここでしばらく風のよい日を待っているうちに、武藤太はそこらへんを歩き回ってみようかという気分になってきました。
武藤太「そういえば四国ははじめてなんだよな。ちょっとそこらをブラついてくる。夜までには戻るから」
こうして武藤太は船を離れて見物がてらの散歩をしました。夕暮れどきに、観音寺村の近くにあった琴引の八幡宮という神社を訪れました。岡を登ったところにあり、ここから瀬戸内海を見下ろす風景はなかなか見事です。
武藤太「なかなかいい見晴らしだ。一句詠んでみたいところだが… そういえばオレ歌よめねえんだった。ここまで来たんだ、神サマにも詣でておくかな」
武藤太は社頭に額ずき、自分勝手なお願いを声高に唱えました。
武藤太「えー神サマ、神サマは公平なかたなんですよね。近江の武藤太と申します。聞いてくださいよ、オレはせっかく朝廷の敵である源為朝を捕らえるために一肌脱いだのに、ロクな褒美がもらえなかったんですよ。あの佐渡重貞ってヤツがクソケチ野郎なせいです。しかも故郷の人間には憎まれて、京にも難波にもいられなくなりました。オレってかわいそうだと思いませんか。神サマお願いしますよ、オレをめちゃめちゃ金持ちにして、あと貴族とかにもしてください。いい女とも仲良くなりたいです」
この願い事を口にし終わった瞬間、曇っていた空が晴れて満月が現れ、海面は金色に光りました。そして、神社の欄干のあたりから、美しい琴の音と、女性の歌う声が聞こえてきました。
「山越の 風を時じみ 寝る夜おちず
家なる妹を 懸けて偲びつ」
武藤太は、歌の意味はよく分かりませんが、声の美しさにドキドキしました。磯の風音もこの歌声に気圧されて小さくなるかのようです。
武藤太は、欄干が見える場所に行ってみました。そこには、目のくらむほど美しい都風の女性が、ポツポツと筑紫琴を奏でていました。女童がひとりついています。竜宮から出てきた乙姫ではないかと武藤太は思いました。彼はおずおずと声をかけてみます。
武藤太「…え、えへへ、こんばんは。こんな時間にお参りをする人が、オレ以外にいるなんて」
女は微笑んで答えます。「さきほどからおりましたわよ。月が隠れていたのでお気づきになりませんでしたか。私は願い事があって、毎晩ここに詣でているのです」
武藤太は、何か気の利いた言葉を返そうとして何も浮かばず、「そ、そうですか」としか言えません。
女「あなた、都のあたりから出てきた旅人でいらっしゃいますか。せっかくです、色々とお話でもしませんか。お急ぎでなければですが…」
武藤太は舞い上がりました。「はい、もちろんお急ぎではありません! せっかくですから、酒を、酒を飲みましょう! 今からひとっ走り船に戻って、酒とツマミを持ってきますから」
女「船はどこに?」
武藤太「水崎です」
女「なるほど、でも私が準備しますよ。お客はあなた様ですから(童にボソボソとおつかいを言いつける)」
童が出ている間、女はニコニコと武藤太に顔を向けて、琴をつま弾きつづけます。武藤太は何を言っていいか分かりません。「(気があるのか? この女、オレに? マジで?)」
女には不思議な気高さがあり、簡単に手を出してはいけないような気もします。武藤太がついに思いあまって手をワナワナと女の腰の帯に伸ばしかけたとき、童は別の腰元をつれて、酒の道具を一式運んで戻ってきました。
女「さ、召し上がって」
武藤太は、タイミングを妙にはぐらかされたことを残念がりましたが、酒が入ればもっと打ち解けることができるだろうと思い、女と腰元に代わる代わるに酌をされながら、前後不覚になるまでひたすら酒を飲みました。
気がつくと、さきほどの神社の前でなく、どこかの家の一室でした。ふすまの向こうは妙に明るく、人がたくさんいる気配があります。
武藤太「ここは何だ。もしや、オレはキツネにでも化かされているのか」
武藤太が起きたことに気づいた童が、隣の部屋から出てきて、「やっとお目覚めですね。あるじは次の間でお待ちです。どうぞ」
そちらに入っていくと、たくさんの明かりが灯っており、10人近くの腰元たちが並ぶ向こうに、例の女が床几に腰掛けています。武藤太は意味がわかりかねてポカンとします。
女「(ニコリ)ようこそ我が家へ。さきほどのお話の続きをしましょ。まずは私からのプレゼント」
腰元が武藤太の前に絹の反物を積み上げました。武藤太は、これは自分が難波で仕入れたやつだと思いましたが、ワケが分からなくて黙ったままです。
女「あら、ずいぶん緊張していらっしゃるわね。気が利かなくてごめんなさい。お酒を召し上がれ」
武藤太は酒はもういいと断りかけましたが、腰元たちが杯になみなみと酒を満たしてくれたので、やむをえず口をつけました。
腰元「そしてこれがお酒の肴でございます」
腰元がふたつの包みを持ってきて、武藤太の目の前で開きました。その中身は、丈五と丈六の生首でした。武藤太は驚きのあまり杯を落とします。
武藤太「ギャアッ」
女「何を震えていらっしゃる」
武藤太「た、たすけて、たすけて」
女はついにさきほどまでの笑顔をかなぐり捨てました。「武藤太よよく聞け、私はお前が売った源為朝の妻、白縫じゃ。私のいた筑紫の太宰府は官軍に攻め落とされた。私はこれを逃れて四国に渡り、夫の行方をさぐりつつ、讃岐に流されたという新院(崇徳上皇)どののおそばで、陰ながらお守りもしようとここらに滞在しておったのだ」
白縫「先日、京のほうから、武藤太と言う男の密告によって為朝どのが捕らえられたとウワサを聞いたときは、さすがに私も夫を追って自害しようと思ったくらいじゃ。しかしやはり夫の行く末を最後まで知ってからと思いとどまり、せめて私にできることをと、かの人の幸運を祈って琴引の八幡宮に通っておったのだ。そこにお前がノコノコと参拝に出てきて、自らの悪事を私の目の前でペラペラと喋ってくれるとは、まさに八幡の神の助けであったわ」
白縫「しかも、図々しい願いをほざくどころか、この私にまでも戯けた心を抱きおったな、汚らわしいシレモノが!」
白縫「そこの丈五と丈六とやらは、お前が水崎と口走ったので、腰元たちをそこに派遣して捕らえてきたのよ。こいつらを拷問したところ、お前に聞いたところをみんな白状しおったわ。為朝どのが伊豆に流されることも知ることができた。まことに上出来じゃ。我々は今からさっそく旅立ち、あの人を奪還するのだ。お前に思う存分、罰を与えてからな!」
武藤太はすっかり取り乱し、オレは何も知らなかった、などと言い訳にもならない言葉を並べたてましたが、どうしようもありません。彼を取り押さえようとした腰元を振りほどこうとしましたが、妙によく訓練されており、とても抵抗できません。やがて彼は、縁側の柱に裸で縛り付けられました。
武藤太「たすけて、たすけて」
白縫「彼の手を前に出させなさい」
腰元たちが武藤太の腕を無理に前方に引き出して固定すると、白縫は、彼の十本の指を、ゆっくり一本づつ刀で切り落としました。武藤太はあらん限りの声で泣きわめき、殺してくれと叫びました。
白縫「まだよ。簡単には死なせないわ」
次に、腰元たちは、竹製の五寸釘を数十本持ってきました。そうして武藤太の肩・もも・尻などに、急所を避けながら、これを槌で打ち込み続けました。一本ごとに、武藤太は新たな大声で叫びつづけます。
その声も、もう絞り尽くされました。体から出る汁という汁はすべて流しつくし、武藤太は苦悶の表情のみが張り付いた、シワシワの干し柿のような顔になりました。白縫は懐剣を抜いて、さいごに武藤太のクビを切り離しました。
白縫「よし、このクビを為朝さまへの手土産にするのよ。みんな、すぐに出発するからね。死体の胴体のほうは、海にでも流しておしまい」