椿説弓張月、読んだことある?

13. 為朝、しぶとい

前:12. 武藤太、報いをうける

為朝(ためとも)、しぶとい

さて、狩野(かのの)工藤(くどう)茂光(もちみつ)に護送されて伊豆への道をゆく為朝(ためとも)のことに場面は移ります。茂光(もちみつ)は、京を出るときに信西にヒソヒソと秘密の指示をうけていました。これが何なのかは、あとで分かります。

兵たちにかつがれた牢輿(ろうこし)の中に、為朝は余裕の表情で座っています。道ばたには、悲劇の英雄の顔を一目みようと老若男女の住人たちが群がっていますが、為朝はちっとも動きませんし、日陰にかくれてほとんど顔は確認できません。

茂光(もちみつ)「なかなかおとなしいな。殊勝なことだ」
為朝「うむ、快適な乗り物に乗せられて旅ができるのは悪くないな。お主をはじめ、大層な連中に供してもらって、殿様気分だ」

茂光(もちみつ)「強がりをぬかすな。島流しなのだぞ。腕も動かなくなってくるくせに」
為朝「なんだ、ヒジの(すじ)の件か。切られるには切られたが、別にどうってことはない。まあ、腕の力はちょっと下がるだろうが、より腕が長く使えるから、かえって矢の威力は増すんじゃないか」
茂光(もちみつ)「バカな」

為朝は、乗り物の中で手足をぐっと突っ張ってみせました。丈夫なはずの牢輿はミシミシときしみ、輿をかついでいた兵は、急に重くなった担ぎ棒を肩にめりこませ、痛みに叫びました。(なんで重くなるのか、物理的にはちょっと説明できませんが…)

為朝「ほら、こんな具合だ。オレを罪人とあなどっていると、怒って何するかわからんよ。気をつけるんだな」

茂光(もちみつ)はこの様子に心底ビビりました。スジを切られてなおこの怪力。もう人間のレベルとは思えません。それからは、腫れ物を扱うように慎重に為朝への対応をしながら道を行きました。やがて一行は、駿河と伊豆の境にある千貫(せんがん)という所に泊まりました。

季節は9月のはじめごろで、夜は風雨になりました。みな、疲れてよく眠りました。


さて、白縫(しらぬい)と8人の腰元たちは、讃岐を出て都に走り、そこで、数日前、為朝たちが伊豆に出発してしまったことを知って、ただちに追いかけました。茂光(もちみつ)たちが50騎ほどの大軍なのに対し、白縫たちはフットワークが軽かったため、三河のあたりでもう追いつき、あとはほどほどに距離を取りながら、為朝奪還のチャンスを狙っていました。

白縫「今夜の風雨は、ちょうどいいわね。いよいよやるわよ」

丑三つ時を待ってから、白縫たちは頭巾で顔を隠し、宿に近づきました。そこで、同じようにだれかクセ者が塀を越えようとしているのに気づきました。

白縫「なんだ、泥棒か何かかしら。余計なことをして騒ぎを起こさないでほしいもんだわ。いっそやっつけちゃいましょうか」

白縫はそう考え、手裏剣をその者に投げつけましたが、刀のツカでうまくはじき返されてしまいました。しかし、それと同時に腰元が両側から捕まえて塀から引きずり落としました。いよいよ戦いが起ころうかというその時、

白縫「あれっ、お前は紀平治じゃないか」
紀平治「なんと、白縫さまか」

この男は紀平治だったのでした。彼は白縫と同時に筑紫から逃げたのですが、白縫が讃岐にいる間、為朝の行方を探るため、白縫たちより一足先に京で行動していたのでした。

紀平治「御曹司(おんぞうし)が伊豆に流されるという情報を知ってから、白縫さまに伝えるヒマもなかったもんですから。私ひとりで奪還してやろうと、今まであいつらをつけていたんですよ。白縫さまはどうしてこのことを知ったんです」

白縫も、讃岐で起こったことを説明しました。すなわち、武藤太とその仲間たちを捕まえて拷問し、必要な情報を聞き出したということをです。

紀平治「なるほど、そんなことが。そして今夜のこの出会い、いよいよ奪還がうまくいくという前兆ですな。さあ、それではご一緒にやりましょう」

紀平治は、先に庭に乗り込み、見張りの兵を素早く殺すと、門を開けました。そこから白縫と腰元たちが一気に乱入しました。

兵たち「夜襲だ!」

こちら側がどれほどの勢力なのか、夜なので敵のほうでも見極めかねました。何人かの兵があえなく切り倒され、そして残りは算を乱して逃げて行ってしまいました。

紀平治「今のうちに為朝さまを!」

宿の奥の部屋には、牢輿が置きはなされており、そこに為朝(ためとも)が入っている… と思い、扉を開けて助け出しましたが、若干大柄ではあるものの、まったく知らない男です。

紀平治は男の襟をつかみ「てめえは誰だ。御曹司(おんぞうし)はどこにいる」とすごんで刀の切っ先を突きつけました。男は震えながら「手をなはしてくだされ、説明しますから」と頼みました。

男「京から出てきた為朝(ためとも)の護送隊、つまりこれは、ダミーだったんです。ダミーのほうはなるべく仰々しく出発して目立つようにしておいて、本物の護送隊は、二日ほど前にこっそり京を出て行きました。敵勢力による奪還を警戒した、信西(しんぜい)さまの手配です」

白縫「では為朝さまは」
男「そろそろ伊豆の大島に渡っているころでしょう」

白縫はくやしさに、ボロボロと涙をこぼしました。「私の必死の作戦も無駄になってしまった。武藤太のクビまで持ってきたのに。もう望みはないわ… チキショウ!」

白縫は武藤太のクビをその男に投げつけると、衝動的に刀を抜いて自殺しようとしました。それを紀平治があわてて制止します。「早まらないでください、白縫さま! まだです、まだチャンスはきっとありますから。落ち着きましょう!」

白縫「はあ、はあ… そうね。まだ何もかもダメになったわけじゃない」
紀平治「それにしても憎いのは信西(しんぜい)めと、それに従う茂光(もちみつ)よ。それに協力したお前(男を指して)も同罪だ。せめての腹いせに殺してやる」

紀平治はこの男を一刀に斬り殺そうとしましたが、今度は白縫がこれを止めました。「いいえ、仮にも為朝さまの名を名乗ってここまで来た男を殺すなんて、どうにも不吉な気持ちになるわ。殺すのはやめて、にしましょう。私たちのことを口外されては困るから」

紀平治は心得ると、男の鼻をそぎ落とし、唇を断ち割って、声を出せなくしました。そして、痛みにうずくまる男を後目(しりめ)に、一同でここを去ることにしました。白縫は、門にかかっていた「狩野(かのの)茂光(もちみつ)さまご一行」という札をちぎり捨てました。


しかし、門の外には、茂光(もちみつ)の伏兵たちが潜んでいました。敵が襲ってくることを予想するのなら、当然これもセットというわけですね。

兵たち「おとなしく縄を受けよ!」

白縫と紀平治は… 新たな怒りのはけ口が見つかって、むしろ生き生きとしだしました。問答無用の勢いで飛び出すと、「なめんな」と口走りながら、たちまち数人の兵を切り伏せてしまいました。兵たちはこれに驚いて体勢を崩し、退却しかけました。

白縫はこれをさらに追おうとしますが、紀平治に止められます。そして、8人の腰元たちとともに、加奴木山(かぬきやま)の中へ逃げ去りました。


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