椿説弓張月、読んだことある?

14. 伊豆の為朝

前:13. 為朝、しぶとい

■伊豆の為朝(ためとも)

白縫(しらぬい)たちによる奪還作戦は失敗し、為朝(ためとも)の身柄はついに伊豆大島の代官である三郎(さぶろう)太夫(たゆう)忠重(ただしげ)に引き渡されました。

忠重(ただしげ)はケチで人物でした。みずからの利益にしか興味がなく、カネがなければ親戚にも冷たくしました。当然よい政治ができるはずがなく、島民たちは高い税にあえいでいました。島の産業はとぼしく、土地が痩せていて食料生産もままらなないのに、それでも忠重(ただしげ)は容赦がないのでした。

さて、忠重(ただしげ)は陸であずかった為朝を厳しく警護しながら島に渡し、そして上陸させると、磯にあったひとつの石に腰かけるよう命じました。

忠重(ただしげ)「この島にあっては、私の言うことは絶対だ。ここに流された罪人は、必ず最初にこの石に腰かける決まりである。ほら、はやくしろ」
為朝「どうして?」
忠重「理由など問う権利はない! 私の言うことが(おきて)なのだ!」
為朝「で、腰かけなかったらどうなる?(にらむ)」
忠重「うっ」

忠重は、まず自分の権威を見せつけることで罪人をビビらせることを習慣にしていたのですが、却って自分がビビらされてしまいました。

忠重「…ふん、まあいい」

忠重は作戦を変更しました。為朝(ためとも)がこれから住むところは山奥の掘っ立て小屋であると定めて、彼には一日に一碗の食べ物しか与えないことにしたのでした。腹ペコにさせれば、弱って反省するだろ。

為朝はこんな措置をうけたのですが、これに深く同情するものがいました。忠重(ただしげ)の妻は早世しており、子としては、簓江(ささらえ)という17歳の娘がいるのみでした。この簓江(ささらえ)は父に似合わず優しい性格で、新たに来た罪人の扱いが理不尽であることを悲しみました。

簓江(ささらえ)「お父様、あの方は京ではたいへんな勇士だったそうですよ。もてなして扱っておけば、後には自分にもよい報いがあるかもしれません。この屋敷に住ませてあげましょうよ」

忠重「バカをいえ! そんな命令は受けておらんわ。あいつは生意気なんだから、飼い殺しにしてやるんだ」

簓江(ささらえ)は、父の説得に失敗しましたが、島の女に秘かに命じて、為朝に食べ物を余分に支給させました。為朝(ためとも)はこの心遣いをありがたく思い、これを手配してくれたという簓江(ささらえ)に感謝しました。また、通ってきてくれる女たちとも打ち解けるようになりました。基本、島の人たちは純朴でいい人なのです。食べ物は慢性的に足りないのですが(島の朝のアイサツが「今朝、食べた?」になるくらい)、為朝にはいっしょうけんめい良くしてくれます。

為朝「たびたびありがとう。この魚のスシ(なれずし)は、うまいね」
島の女「これは人間がつくるんじゃないんです。ミサゴが、魚をとっておくために岩の穴に置いておくと、自然にできるんです」
為朝「ほー、九州で飲んだサル酒みたいな理屈だね。どうもオレは、追放された先でうまい食べ物にありつくクセがあるらしい。ハハハ」

こうして秋と冬が過ぎ、春になりました。


ある日、ひとり山奥に住む為朝のもとに、一羽のツルが舞い降りました。足には金のフダをぶらさげており、いつか九州や琉球で出会ったものと同一と思われました。

為朝「なんと、またこいつに出会うとは。どうした、今度は何を知らせてくれにきたんだ」

ツルのフダにはこう書いてあります。

 眠柳(みんりゅう)閑花(かんか)水亭(すいてい)(めぐ)
 仙禽(せんきん)再び去りて東溟(とうめい)(かえ)
 春に()うて便(すなわ)ち覚う孤霞(こか)(はる)かなることを
 清影(せいえい)(いづ)れの時か我が(てい)を照らさん

為朝「オレにはすでに家族も家来もない。誰がいったいこの知らせを…」

為朝は不思議がりましたが、このフダに水をかけて墨を浮かせ、内容を自分のソデに写し取りました。そして返事を同じようにこの金のフダに書きます。

 いにしへのためしも思い
 いづの海にこととふ鳥の
 跡を見るかな

為朝「こんなものかな。よし、ツルよ、誰のもとへかは知らんが、戻ってやってくれ」

ツルは為朝の言葉を理解するかのように、すぐに飛び立って去っていきました。(詩の内容は… 「遠くにてもいつかは会えると待っていますよ」という内容に対し、「誰かは知らんけどありがとう」くらいの内容、だと思います)


さて、為朝がこれを終えて考えにふけっていると… 山のふもとの村がどうも今日は騒がしいようです。彼の小屋の横も村人が走っていきますので、声をかけました。

為朝「どうしたの、騒がしいね」
村人「牛を捕まえるんですよ。牛のツノは、カツオを釣るためのルアーになるんです。命がけの仕事なので、村中総出でやるんです」
為朝「なるほど。でも、ここらには野生の牛しかいないのかい。普通、飼い慣らしておくもんだけど」
村人「飼い慣らす? そんなことができるんですか。牛って、すごく獰猛じゃないですか」
為朝「本土では当たり前にやっていることだよ」

為朝(ためとも)は、手伝ってやろうと名乗り出て、牛狩りの場に案内してもらいました。150頭を超える牛が、村人たちに追い立てられて非常に興奮しています。中でも毛並みのピカピカな大牛がボスらしく、そいつが突進すると村人はあわてて逃げ回ります。

為朝「ずいぶん大げさな話だ。ちょっと任せて。腕の力はちょっと弱まっているけど、牛を相手にするくらいは残っている」

為朝はボス牛の突進を角をつかんで軽く受け止め、そのまま横にねじり倒しました。この勢いで角はポッキリ折れました。さらに為朝は片足でその牛の頭を踏みすえ、ちっとも身動きができないようにしてしまいました。

為朝「ほら、みんな、このスキに、牛の鼻に綱を通すんだ。それでおとなしくなるから」
村人「へえー、知らなかった!(知ってたとしても、とても真似できないけど…)」

さらにこの場に、今度は野生の馬が一頭駆けてきて、村人たちはパニックになりかけました。

為朝「おっ、ちょうどいいじゃん」

為朝は、馬が自分の横を駆けていくときに、をつかんでヒラリとこれに乗りました。たちまち暴れ馬に言うことをきかせてしまい、残りの牛の群れに突入して、あれよあれよという間にすべての牛を捕らえておとなしくさせてしまいました。

村人「…神だ!」
為朝「大げさだよ」
村人「牛や馬をどう手なづけるのか、その方法を我々に授けてくれた。これを活用すれば島は豊かになれる! 為朝(ためとも)さま、今後も引き続き、我々を導いてください」

村人たちは為朝(ためとも)を崇拝し、この島の主人となるべきだと口々に叫んで、たいへんに意気をあげました。これはすなわち、今の支配者である忠重(ただしげ)を排除するということでもあります。自分の欲望のためだけに島に苛政を敷いていた忠重を好きなものは一人もいません。むしろ、生きながら肉を食らってやりたいと憎まれていました。

為朝「よし、やろうか。私は清和天皇の八代目の子孫にして、八幡太郎のひ孫である。この島も(みかど)から賜った領地なのであるから、私が忠重の圧政をただすのはまったく正当であるはずだ」

村人たち「ワーッ!」


忠重(ただしげ)は、じぶんの屋敷に武器をもった島民の大軍が押し寄せてきているとの報告を聞き、震え上がりました。しかも、それを従えているのは、ハダカ馬にまたがった為朝(ためとも)だというのです。

忠重(ただしげ)「い、いかん。やつは島の民を引き入れやがった。勝てそうにない。死にたくない」

忠重は、烏帽子(えぼし)をかぶって身なりを整え、家来と娘の簓江(ささらえ)を伴って道の途中で為朝の軍を迎えました。

忠重「為朝さま、いままでもてなして、まことに済みませんでした。そうせよという命令だったので、私にはどうしようもなかったのです。今となっては、数々の無礼を後悔するばかりでございます。今後、為朝さまに島の賞罰をいっさいお任せいたします。私らを家来をしてこき使ってやってくださいませ」

それを横から簓江(ささらえ)がフォローしました。「父をお許しくださいませ」

為朝は、主に簓江(ささらえ)に免じ、忠重の命を救うことにしました。「簓江(ささらえ)、お主のいつかの心遣い、まことにありがたかった。一碗の恵みの恩をオレは忘れん」

こうして、島の主は為朝(ためとも)に入れ替わりました。忠重(ただしげ)は今までの屋敷のそばに新たに屋敷を建てて、これを為朝に提供しました。

忠重「あと、簓江(ささらえ)がお気に召しましたのなら、に参らせます」
為朝「えー、そういうのはいいんだが」
忠重「簓江(ささらえ)もまんざらではなさそうでございます」

為朝は、ここまで言われては断りがたく、簓江(ささらえ)を側室にもらいました。その後3年のうちに、3人の子をもうけました。長男を為丸(ためまる)、次男を朝稚(ともわか)、そして末の女の子を島君(しまぎみ)となづけました。

その間、島には善政を敷き、本土の技術をいろいろと教えて、島の産業は非常に豊かになりました。また、大島のまわりの島である、三宅(みやけ)新島(にいじま)神津(こうづ)利島(としま)御蔵(みくら)の5島も従えて、船の行き来を密にしました。

実は、忠重(ただしげ)は、この5島からもちゃんと徴税して伊豆の茂光(もちみつ)に渡さなくてはいけなかったのですが、今まではまったくサボっていたのです。それのツジツマをあわせるために、大島から余分な税をしぼりとって本土に貢いでいたというわけでした。為朝はこの事情をあとで知り、おおいに忠重(ただしげ)を責めました。忠重(ただしげ)は、怒られっぱなしなのを恨んで、だんだん仮病をつかって引きこもるようになっていきました。


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