15. 崇徳上皇、魔道に堕ちる
■崇徳上皇、魔道に堕ちる
白縫と紀平治は、為朝の奪還に失敗したあと、讃岐に戻って再び潜伏生活にはいり、次にどうすべきかを検討しました。
白縫「この地に追放された讃岐院(崇徳上皇)を私たちの手でお救い申し上げ、一緒に伊豆大島に渡るというのはどうでしょう。関東には源氏の勢力がたくさんいて、きっと讃岐院のもとに集結してくれるわ」
紀平治「それは私も考えましたが… 最近、讃岐院のまわりの警護はやたら固くなりました。一筋縄ではいきそうにありません。おまけに、もしも我々が上皇の奪還をくわだてて失敗したら、大島の為朝さまに責めが行く可能性があります」
白縫「確かに… とうてい無理はできないわね」
紀平治「今は、機会をうかがい、時を待つほかありません」
こうして何もできずにいるうちに、やがて保元の年号は3年で終わり、平治と改められました。後白河天皇が自分の子(二条天皇)に皇位を譲ったからです。この直後、都では、後に平治の乱と呼ばれることになる内乱が起こりました。
乱のあらましはこうです。信西入道の権力に、藤原信頼という男が挑戦しました。信頼は、クーデターを起こして後白河上皇の身柄を確保すると、源義朝(為朝たちを裏切った兄でしたね)を味方に引き入れて内乱を起こし、信西のクビをはねて六条河原にさらしたのです。
ここに、信頼の権勢は絶頂に達しました… が、今度は、平清盛がすぐに報復の戦いをしかけ、後白河上皇を奪還し、信頼をほろぼしました。また、義朝も捕らえられて刑死しました。つまりは、最終的に清盛が勝者となって、平家にとっては我が世の春がはじまったというわけです。(ついでに言うと、源氏の評判は地に落ちました。)
白縫たちは、これを知っても何もすることができません。潜伏しているだけでもだんだんと資金は乏しくなってきて、腰元たちを置いておけなくなり、ついに暇をとらせてしまいました。白縫は2人の女童だけをつれて讃岐の志度に移り住み、慣れない海女をして生活を支えました。また、紀平治は白峯という地に住んで(白縫と同じ場所に住むわけにはいきません)、炭焼きをして細々とカネをかせぎました。
ある日、白縫が、漁師たちの集まりに耳をそばだてていると、期せずして為朝のウワサ話が聞こえてきました。
すなわち、伊豆大島に流された為朝は、かえってそこの支配者となり、周辺の島々も従えて立派な政治を行っているというのです。伊豆の本土では、為朝の勢いを怖れて船の行き来を禁止し、これによって経済制裁を与えようとしているらしいですが、うまくいっていない模様です。
白縫「あの人は無事なんだわ… さすがね。さすがだわ」
白縫はうれしく思い、あとは讃岐院をなんとか盗みまいらせて、紀平治たちとともに大島に渡るのみと考えました。また、なんとか大島にこちらからの知らせも届けたいと思いました。
白縫「しかし、今の状況ではどうしようもないわ。島への航海も禁止されたとあっては、うまい手段がどうしても浮かばない…」
こうしているうちに、8年もの月日が飛ぶように過ぎ去ってしまいました。
白縫と紀平治にとっては悶々とするほかない日々でしたが、ついにある日、ちょっとした変化のきっかけが訪れました。すなわち、ここ一週間ほど連続で、崇徳上皇が直島の磯に毎晩出ては、願かけのための読経をしているというウワサを聞いたのです。
白縫「あそこなら忍んで行ける。なんとか会って、今までの為朝さまの忠義をせめて知ってもらおう」
その夜遅く、白縫は明かりを持たずに直島に行ってみました。ウワサ通り、波打ち際の松の木の下の岩の上に、座禅を組んで経を読むとおぼしい人影がありました。星明かりに目を慣らしてよく見ると、小さな机を目の前に置いて経文をのせた崇徳上皇その人です。しかし、変わり果てた様子は目をそむけたくなるほどひどいもので、頬はすっかりこけ、髪をのばしっぱなしにして波風に吹かれるままにしています。あごヒゲは、秋の柳のようです。手の指は、ほとんど骨だけに見えます。さらに、着ている着物も、垢にまみれてボロボロでした。
白縫は、あまりの痛ましさに、物陰で、嗚咽の声を漏らしてしまいました。
崇徳上皇「そこに誰かいるのか」
白縫は上皇の前には姿を現さないまま(おそれ多いですからね)、「源為朝の妻、白縫でございます」と名乗りました。
崇徳「おお、為朝の。彼はよく戦ってくれた。私が無事に戦場を落ちることができたのも彼のおかげだ」
白縫「ありがたいお言葉。私はそのとき筑紫の太宰府におりましたが、周辺勢力による侵攻をうけ、数人の家来と逃げ延びて、ここ讃岐に潜伏していました。新院(崇徳)を陰ながらお守りしたかったのでございます。夫は伊豆に島流しとなり、私はそれを奪還することを計画し、失敗しました。そのため、それから8年間は、ここに留まったまま何もできないでおります… 今回、せめて為朝の変わらぬ忠義の心をお耳にいれたく、参った次第でございます」
崇徳「為朝の忠義も、おぬしの忠義も、よく分かった。私はうれしいぞ。国乱れて忠臣あらわる、とはこのことだのう… 私がここ何日も、この場で願かけをしている理由を教えてやろう」
白縫「はい」
崇徳「私がそもそも乱を起こそうとしたのは、鳥羽上皇の横紙破りな天皇の指名を恨みに思ったからだ。私と私の子だけを徹底的に仲間はずれにされたのだ。しかし私は、乱に敗れてこの地に流され、心から反省した。私欲にとらわれていた。運命の神に見放されたのも、今になって思い返せば当然であった」
白縫「…」
崇徳「そこで私は、心を入れ替え、この地で、三年かけて五部の大乗経を書き写した。そして、これを私の真心の証として、京の仁和寺に奉納してもらうために送ったのだ」
崇徳「それを… それさえも、信西めが妨害しおった。私の写した経には、『呪いのタテ読み』がこっそり紛れ込ませてある恐れがある、と後白河院に吹き込み、結局、その経はわたしのもとに送り返されてしまったのだ」
崇徳「これだけは、私はこれだけは許せない。私は私でみずからの非を反省したが、信西たちときたらどうだ! 道に外れた行動をいくら挙げてもキリがないほどだが、中でも、為義の長男である義朝だけを味方側に引き抜いて、これをもって親子・兄弟どうしでの殺しあいをさせるとは、最悪ではないか! そうとも、あの義朝もまた、真に憎むべき奸勇よ。親子に陣営が分かれてしまうような戦いをなぜ選んだ。避ける方法はいくらでもあったのに。これを知った人民は、以後、これに習って心に虎狼を飼うことであろうに」
だんだんと崇徳上皇の声は不気味な激しさを帯びてきて、人間の喉から出ているとは思えなくなってきました。
崇徳「よって、京に受け入れられなかったこの大乗経を、私は魔道にささげることに決めたのだ。私は生きながら魔王となって、憎いものたちに、それぞれふさわしい報いを与えることにした。私は日夜を通してひたすら念じ続け、まずは信頼・義朝に謀反の心を生じさせた。これによって信西は命を失った」
崇徳「次に、義朝もまた、天罰としてみずからの家来に殺されるよう仕向けた。そして次に、清盛めに驕りの心を起こし、雅仁(後白河上皇)を押し込めさせたのよ」
崇徳「これで残ったものは清盛とその一族のみだが… 彼らにもスペシャルメニューが準備してある。彼らは将来この地に導き寄せられ、そして一族まとめて全滅する運命よ。これが、私が5年間魔道に祈り続けた願いなのだ」
崇徳「そして、この祈りは、今晩をもって完結する。必ずこの願いは成就することであろう」
白縫は、泣きました。何に泣いているのか、自分でももう分かりません。強い風が吹いています。
白縫「新院さま、それほどに平家をお憎みならば、どうぞ私と一緒に関東に、そして伊豆に渡ってください。そこでは源氏の生き残りが、あなた様への協力を惜しみません」
崇徳「(ニコリ)それはできん。念願が叶った今、私の命はもはや今日までなのだからな。しかし、白縫よ、おぬしの真心に報いて、ひとつ予言をしてやろう。お主と為朝の夫婦の縁は、残念ながら尽きている。添い遂げることはかなうまい。しかし、3年以内に、おまえを為朝に会わせよう。私の霊がお前たちを守ってやる。しばらくは、白峯の奥にある兒嶽に隠れて時を待て」
白縫「新院さま」
崇徳「さあ、もはやこれまでだ。私の最期の姿を見るがいい!」
風がいっそう激しく吹きました。上皇は机ごと、積み上げた巻物を頭上に持ち上げ、呪文を唱えながらこれを波荒い海に投げ込みました。そこから海水が激しく立ちのぼり、雷鳴が鳴り響いて、上皇の姿は黒い気につつまれました。次の瞬間、上皇の姿は、もといた場所から消えていました。
翌日、新院が崩御したとのニュースが巷を駆け巡りました。白縫は、昨晩会ったのが、上皇本人なのか、またはそれの霊が御所から抜け出した姿だったのか、分かりませんでした。