16. 為朝、黒潮を超える
■為朝、黒潮を超える
為朝が伊豆大島に流されてから、10年の月日が経ちました。その間には崇徳上皇が流刑先の讃岐で死んだという情報も伝わってきて、為朝は大いに世をはかなみました。親族や家来、また妻の白縫までも失って(少なくとも為朝はそう思い込んでいます)これからの生きがいを見失った為朝は、張り合いのない生活を送っていました。
とはいえ、死ぬわけにもいきません。この島で側室にもらった簓江と、彼女とのあいだにもうけた3人の子供の行く末を考えれば、たとえば主君や父に殉じて自分だけが勝手に腹を切るのは無責任に思えるのでした。
この島のもとの支配者だった忠重は今は為朝の下でおとなしく働いており、実質的には為朝がここ大島のリーダーです。あるとき、為朝は、この周辺の小さな島々のこともすべて知っておくべきだと思いました。
すでに利島、新島をはじめとしてめぼしい島々は回り終え、本土の文明を伝えて、住民達に非常に歓迎されていました。しかし、一番南にある島だと思っていた見附島(三宅島のこと)を巡検しに行ったとき、土地の長老とのやりとりで、さらに南にも人間の住む土地があるかもしれないことを為朝は知ります。
為朝「ここより南には人間の住む島はないのか」
長老「我々も、定かには知りません。しかし、きっとせいぜい小さい無人島があるくらいですよ」
為朝「見ろ、海鳥が向こうを目指して飛んでいくのはなぜだ。それなりの陸地があるという証拠ではないのか。いいかげんなことを言うと許さんぞ(ゲンコツを振り上げる)」
長老「お、おみそれしました。為朝さまをだますつもりはないのです。せいぜい、伝説がある程度のことなのでして、確かではないのです」
為朝「いいから話せ」
長老「はるか南には、女護島と、鬼ヶ島という場所があり、おそろしいものが住んでいると言われているのです。ともかく遠く、私どもの中にも実際にそれを確かめた者はおりません。南のほうは浪も高く、また、黒潮・山潮と呼ばれる非常に強い流れが行く手をさえぎっているのです。横切ろうとすれば、たちまち流し去られて、生きては帰ってこられません」
為朝「ふーん、なるほどね」
長老「なまじ、南に島があるなどとお知らせしては、為朝さまはそこへ行くと言いかねない。そうすれば、我々は大事なお方を失ってしまう。だからそれをあらかじめ防ごうと…」
為朝「心配ない、もちろん行くとも」
長老「は!? ハナシ聞いてました?」
為朝「どうも、島の名前からして信じがたい。女だけの島に、鬼の住む島だ? そんな迷信は打破してしまわなくてはいかん。第一、面白そうだろう」
長老「為朝さま! あなたはこんなところで一生を終えられる方ではありません。大赦でもあれば、ふたたび都に迎えられ、お偉くなる方ですよ。清和源氏の御曹司なんでしょう。お願いします、無茶はしないでください」
為朝「だからこそ行くのだ。面白そうだって言ったのは冗談だ。その島だって日本のうちなのだから、帝から土地を預かる私が、そこを放っておいては責任を果たせん。オレ一人でも、断固行くぞ。船だけ貸してくれればいいから」
この言葉を聞いて、島の中で最も勇気ある若者が二人、為朝と一緒に行きたいと名乗り出ました。為朝は喜んで彼らをチームに組み入れ(もとの従者とあわせて5人のチームになりました)、船、水、食料を準備させました。やがて船は出航し、追い風に乗って帆をふくらませ、矢のように水平線の向こうに消えていきました。
長老「ああ、もうあの方にお目にかかることはないのだ…(涙)」
為朝は、筑紫や琉球にいたときに結構船の経験を積みましたから、テキパキと指示を出し、みずから磁石も読んだりしながら、コースの管理をしました。四人の部下はそれぞれ櫂を持ち、黒潮を横切るときも死に物狂いで漕ぎました。その甲斐あって、船はたった一夜で50里ほど進んで、皆の眼前には岩だらけの島が姿を現しました。
部下A「やった!」
部下B「あの島、船をとめられそうな磯がないですね… どこの岸辺も、岩がむき出しです」
島のそばに船を寄せることはなんとかできますが、そこに船を停泊させれば、波に揺られて岩にぶつかり、壊れてしまうでしょう。みな、途方にくれました。
為朝「別にどうってことはない。陸に船を持って上がればいいだけだ」
為朝は適当な岩の近くに船をとめさせ、そうしてみなを先に降ろすと、船の舳先をもって軽々と持ち上げ、そのまま陸にのぼりました。
部下たちは、為朝を頼もしいと思うのを通り越して、ただあきれました。「あ、あはは…」
さて、上陸したあたりには、木の皮を編んでつくった草履が行儀良く並べてありました。まるで、ここでスリッパに履き替えてくれといった様子です。
部下「これは?」
為朝「うん、女護島の伝説によると、これを履いた男を夫にするのだということだが… 今のところ本当っぽいな。まあ、これは放っておいて先に行こう。ツバメのような鳥が向こうに飛んでいくな。たぶんあっちには人がいるだろう」
為朝たちがさらに先に進むと、果たして、民家のようなものが並ぶ場所につきました。床を高くし、しかし建物そのものは低く抑えてある、特徴的なものです。
為朝「なるほど、地面の湿気をさけ、そして強風に耐えるように作られているようだ」
部下「(物知りだなあ…)」
様子を見るために、為朝たちは物陰に隠れながら、家の裏手を観察しました。そこには7人ほどの女たちが、日本語と思えない不思議な言葉で歌をうたいながら機を織っていました。みな、髪を伸ばしっぱなしにしており、後ろでゆるく結んでいました。
歌の意味は分からないのですが、そのユーモラスな節まわしがおかしく、つい為朝はハハハと笑いました。女たちはこれに気づくと、怖れて散り散りに逃げてしまいました。
為朝「あっ、しまった。悪いことしたなあ」
しかし、一人だけ、逃げずに平然と機を織りつづけている女がいました。18か、19歳くらいのようです。為朝は歩み寄ると、言葉が通じないのを覚悟で話しかけてみました。
為朝「ここは女護島なのか。島の長はどこにいるんだ。そもそも、お前はどうして逃げないんだ」
女「この島にいるのは女だけですから、長はいません。私はこの島を出たことがありませんから、外からここがどう呼ばれているか知りません。あなた様は、伊豆に流されたという、源為朝様ですね」
為朝「あっ、日本語が通じるぞ。さっきいたやつらは、みんな変な言葉をしゃべってたのに。しかもオレのことを知っている」
女「この島まで、ウワサは届いていたのですよ。日本の文明をもたらしてくれる英雄が来たと。逆らうとすごく怖い方だとも聞いています。この言葉は… 昨晩、夢の中で習ったのです」
為朝「夢で!?」
女「はい、夢の中で出会ったお方は、明日、為朝が来ると私に予言しました。また、言葉が通じるようにと、あれこれレクチャーまでしてくれたのです。私が最後に名前をお聞きすると、『伊勢に長く住んでいるものだ。耆婆明神と呼ぶがいい』とおっしゃいました」
為朝は感動しました。「それは、天照大神の別の名だ。ここもまた、疑いなく日本であるということか。おお、私を導いてくださる神よ、感謝を申し上げる!」
為朝たちは伊勢の方向にひれ伏して、しばし拝みました。
為朝「そうだ、お前の名を聞いていなかったな。どういう名なんだ」
女「にょこ」
為朝「にょこ!?」