20. 為朝、密書を受ける
■為朝、密書を受ける
嘉応二年。為朝の長男・為丸は、9歳にして元服し、島冠者為頼と名を変えました。島中でこれを祝い、三日三晩にわたる盛大なパーティが開かれました。
しかし、簓江は心から楽しんでいません。父・忠重のことで責任を感じ、ここ3、4年、ずっと元気がないのです。忠重は宴会への列席を許されていません。
宴会も三日目になり、為朝は、簓江の親思いぶりに免じて、いいかげん忠重の罪を許そうかという気になってきました。折に触れて簓江は父を許してくれるよう為朝に頼んでいましたから、ついに為朝の気持ちが動いたのです。息子が成人してめでたいですしね。
為朝「よし、忠重にもこの宴会に出席してもらおう。鬼夜叉よ、彼の屋敷に行って呼んできてくれないか」
簓江はこの言葉を聞き、心の底から感謝しました。しかし、やがて鬼夜叉が行った先からひとりで戻ってきました。暗い顔をしています。
簓江「どうしたんです、鬼夜叉。父は体調でも悪いですか。もう60近くですから、無理もないのかしら…」
鬼夜叉「いや、彼の屋敷に行ってみたら、もぬけのカラだったのですよ。本人はもちろん、彼についていた人たちもおりません。周りの住民に心当たりを聞いてみると、昨晩、船が一艘なくなったといいます。どうも、島から脱走したようですな」
簓江は絶望して、顔を手で覆ってしまいました。いつか改心してくれると信じていた父親が、為朝たちを恨んだまま出て行ったというのです。誰が考えても行き先は明らかで、彼は伊豆の茂光のもとに行き、為朝の征伐軍を出すことを進言するつもりなのでしょう。
為朝「フーン… この宴会で見張りが手薄になったのに乗じて、ってところか。ま、どうってことないさ。茂光なんかが攻めてきたところで、オレの敵じゃあない」
鬼夜叉「さよう、茂光だけなら問題はありますまい。しかし、彼が、京にまで働きかけて、大島討伐の勅命を引き出すことに成功したら? 関東中が加わる官軍がここに攻め寄せることになりますぞ」
為朝「なるほど、そんなこともあるかもしれないね」
鬼夜叉「逃げましょう。私の故郷に」
為朝「もしも攻めてくるのが官軍ならば、私は帝には叛かんつもりだ。いさぎよく腹をかっ切って、父と旧主のもとに行くまでだよ。逃げるなんてことはしないさ。妻や息子への愛に溺れて、武士の誇りまで失うつもりはない。私が本来やりたかった、崇徳上皇をふたたび皇位につけるという宿願ももう叶わんのだし、逃げてまでやりたいことは、もうないんだ。 …簓江よ、オレの勝手でお前まで巻き添えにするつもりはないから、父を追って伊豆に行け。恨みはせん」
簓江「そんなことをするはずがないでしょう。だからといって、父がこんなことをしでかして、ここにこれ以上いるわけにもいきません。できることといえば、今すぐここで死んで、私のあなたへの忠心を証明することだけです!」
簓江が短刀を抜いて自分のノドに突き立てようとするのを、鬼夜叉が慌てて止めました。3人の子たちが母にすがって泣きます。死にきれずに、簓江もまた大声で泣きました。
その後、3ヶ月ほど経ちましたが、本土から何の音沙汰もありません。為朝はどちらでも構わないといった様子で生活していますが、鬼夜叉は、もしものときにどうやって為朝とその家族を逃がすかを考え、いろいろと計画を練っていました。ある日、鬼夜叉は、部下のひとりから「怪しい男を捕らえた」との報告を受けました。
鬼夜叉「どんな男だ」
部下「それが、何も話そうとしないのです。『為朝さまにしか話せないことがある』の一点張りです。我々が捕らえようとしたときも、ほとんど抵抗しませんでした」
鬼夜叉はその男に面会していろいろと問いただそうとしましたが、確かに、為朝以外には何一つ話そうとしません。鬼夜叉は、鯛を釣って帰ってくる途中の為朝をつかまえて、この件を報告しました。
為朝「ふーん。よし、会わせろ」
為朝は座敷に戻って座り、縁側にその男を引き据えさせました。服の下には武具を着込んでおり、なかなか勇敢な顔つきをした男です。
為朝「さあ、お主の正体を言え。忍びか。オレに何の用だ」
男「忍び… そうとも言えますな。しかし、まずは人払いを願います」
為朝は、鬼夜叉をはじめとする全員をその場から下がらせました。男はこれを確認した上で、小声で話し始めました。為朝は近くに寄ります。
男「それがし、下野の足利義康の郎党、梁田二郎時員と申す。義康からの手紙を預かって参りました。わたしの懐に入っておりますから、取りだして読んでくだされ」
為朝が時員と名乗ったその男の懐をさぐると、たしかに手紙が入っていました。封を切ってそれを広げると、中にはこんなことが書いてありました。
「私と同じく、清和天皇の流れを汲み、ともに八幡殿の子孫である為朝どのよ。さきに起こった保元・平治の乱にて、為義どのとその子らがほとんど命を落としたのは、私にとってまことに痛恨であった。さらに、今回、お主のいる大島に官軍が差し向けられるとのウワサを聞いた。このままでは源氏の嫡家が断絶してしまう」
「私の聞いた情報はこうだ。伊豆の工藤茂光は、京に行って、お主の暴政を訴えた。すなわち、為朝は本土への貢納を止め、鬼ヶ島の鬼を手下とし、民を甚だしく虐げ、代官の忠重の指を切るという拷問までしたと。朝廷はこれを信じ、伊豆周辺の国々にも命じて、為朝征伐の官軍を編成させたのだ」
「お主がいかに超人級の武人であろうと、この大軍を相手に生き残ることはかなうまい。そこで私から頼みがある。お主の子をひとり、私にくれないだろうか。私には不幸にも今まで息子がない。お主の息子を養子とし、彼に足利を継がせたいのだ。お主にとっては、家の断絶を避けることができるというわけである。急なことですまないが、あまり時間がない。賢慮を乞う。義康(サイン)」
為朝はこれを読み終わると、まず時員の縄を解いてやりました。「お主への疑いは解けた。拘束してすまなかったな」
時員「手紙の件、いかがでしょう」
為朝「もともと、オレは死ぬことなど怖れておらんし、官軍が迫るとなったら、子たちを刺し殺して自分も死ぬだけのことと覚悟している。しかし、好のある義康どのからの願い、これには応えたい。とはいえ、オレは朝敵だ。朝敵の子を養子にとれば、悪いウワサが立ちやすかろう。オレ自身も、未練のある男という評判を後に立てられるだろう」
時員「では、このお願いには応えていただけませんか」
為朝「いや、次男の朝稚の行く末を義康に頼もうと思う。長男はもう元服済みで、世間にもよく知られてしまったからな。ただし、オレは朝稚を直接は義康には渡さない。オレは朝稚を捨てる。運を天にまかせ、死なせるつもりで捨てる。彼に天運があったなら、それをお前が拾い、そして義康に渡してくれ。こうすれば、彼は朝敵の子を養子にとったのではない。天から子をさずかったことになる」
時員「…できますか、そんなことが」
為朝「オレにできることはこれだけだ。やるしかない。詳細は、こうこう、こんな感じだ。頼むぞ」
時員「首尾よくいくことを、八幡の神に祈りましょう。作戦がうまくいきましたなら、陸からのろしをあげてお知らせします」
為朝は、脇差しとして帯びていた名刀・鐺返を時員に返事の証拠として渡し、極秘のうちに大島から去らせました。