椿説弓張月、読んだことある?

20. 為朝、密書を受ける

前:19. 鬼夜叉、世間を騒がせる

為朝(ためとも)、密書を受ける

嘉応(かおう)二年。為朝(ためとも)の長男・為丸(ためまる)は、9歳にして元服し、(しまの)冠者(かんじゃ)為頼(ためより)と名を変えました。島中でこれを祝い、三日三晩にわたる盛大なパーティが開かれました。

しかし、簓江(ささらえ)は心から楽しんでいません。父・忠重(ただしげ)のことで責任を感じ、ここ3、4年、ずっと元気がないのです。忠重は宴会への列席を許されていません。

宴会も三日目になり、為朝(ためとも)は、簓江(ささらえ)の親思いぶりに免じて、いいかげん忠重(ただしげ)の罪を許そうかという気になってきました。折に触れて簓江(ささらえ)は父を許してくれるよう為朝に頼んでいましたから、ついに為朝の気持ちが動いたのです。息子が成人してめでたいですしね。

為朝(ためとも)「よし、忠重(ただしげ)にもこの宴会に出席してもらおう。鬼夜叉よ、彼の屋敷に行って呼んできてくれないか」

簓江(ささらえ)はこの言葉を聞き、心の底から感謝しました。しかし、やがて鬼夜叉が行った先からひとりで戻ってきました。暗い顔をしています。

簓江(ささらえ)「どうしたんです、鬼夜叉。父は体調でも悪いですか。もう60近くですから、無理もないのかしら…」

鬼夜叉「いや、彼の屋敷に行ってみたら、もぬけのカラだったのですよ。本人はもちろん、彼についていた人たちもおりません。周りの住民に心当たりを聞いてみると、昨晩、船が一艘なくなったといいます。どうも、島から脱走したようですな」

簓江(ささらえ)は絶望して、顔を手で覆ってしまいました。いつか改心してくれると信じていた父親が、為朝たちを恨んだまま出て行ったというのです。誰が考えても行き先は明らかで、彼は伊豆の茂光(もちみつ)のもとに行き、為朝(ためとも)の征伐軍を出すことを進言するつもりなのでしょう。

為朝「フーン… この宴会で見張りが手薄になったのに乗じて、ってところか。ま、どうってことないさ。茂光(もちみつ)なんかが攻めてきたところで、オレの敵じゃあない」

鬼夜叉「さよう、茂光(もちみつ)だけなら問題はありますまい。しかし、彼が、京にまで働きかけて、大島討伐の勅命(ちょくめい)を引き出すことに成功したら? 関東中が加わる官軍がここに攻め寄せることになりますぞ」

為朝「なるほど、そんなこともあるかもしれないね」

鬼夜叉「逃げましょう。私の故郷に」

為朝「もしも攻めてくるのが官軍ならば、私は(みかど)には叛かんつもりだ。いさぎよく腹をかっ切って、父と旧主のもとに行くまでだよ。逃げるなんてことはしないさ。妻や息子への愛に溺れて、武士の誇りまで失うつもりはない。私が本来やりたかった、崇徳上皇をふたたび皇位につけるという宿願ももう叶わんのだし、逃げてまでやりたいことは、もうないんだ。 …簓江(ささらえ)よ、オレの勝手でお前まで巻き添えにするつもりはないから、父を追って伊豆に行け。恨みはせん」

簓江(ささらえ)「そんなことをするはずがないでしょう。だからといって、父がこんなことをしでかして、ここにこれ以上いるわけにもいきません。できることといえば、今すぐここで死んで、私のあなたへの忠心を証明することだけです!」

簓江が短刀を抜いて自分のノドに突き立てようとするのを、鬼夜叉が慌てて止めました。3人の子たちが母にすがって泣きます。死にきれずに、簓江(ささらえ)もまた大声で泣きました。


その後、3ヶ月ほど経ちましたが、本土から何の音沙汰もありません。為朝はどちらでも構わないといった様子で生活していますが、鬼夜叉は、もしものときにどうやって為朝とその家族を逃がすかを考え、いろいろと計画を練っていました。ある日、鬼夜叉は、部下のひとりから「怪しい男を捕らえた」との報告を受けました。

鬼夜叉「どんな男だ」

部下「それが、何も話そうとしないのです。『為朝さまにしか話せないことがある』の一点張りです。我々が捕らえようとしたときも、ほとんど抵抗しませんでした」

鬼夜叉はその男に面会していろいろと問いただそうとしましたが、確かに、為朝以外には何一つ話そうとしません。鬼夜叉は、鯛を釣って帰ってくる途中の為朝をつかまえて、この件を報告しました。

為朝「ふーん。よし、会わせろ」

為朝(ためとも)は座敷に戻って座り、縁側にその男を引き据えさせました。服の下には武具を着込んでおり、なかなか勇敢な顔つきをした男です。

為朝「さあ、お主の正体を言え。忍びか。オレに何の用だ」
男「忍び… そうとも言えますな。しかし、まずは人払いを願います」

為朝は、鬼夜叉をはじめとする全員をその場から下がらせました。男はこれを確認した上で、小声で話し始めました。為朝は近くに寄ります。

男「それがし、下野(しもつけ)足利(あしかが)義康(よしやす)の郎党、梁田(やなだの)二郎(じろう)時員(ときかず)と申す。義康(よしやす)からの手紙を預かって参りました。わたしの懐に入っておりますから、取りだして読んでくだされ」

為朝が時員(ときかず)と名乗ったその男の懐をさぐると、たしかに手紙が入っていました。封を切ってそれを広げると、中にはこんなことが書いてありました。


「私と同じく、清和天皇の流れを汲み、ともに八幡殿の子孫である為朝(ためとも)どのよ。さきに起こった保元・平治の乱にて、為義(ためよし)どのとその子らがほとんど命を落としたのは、私にとってまことに痛恨であった。さらに、今回、お主のいる大島に官軍が差し向けられるとのウワサを聞いた。このままでは源氏の嫡家(ちゃっか)が断絶してしまう」

「私の聞いた情報はこうだ。伊豆の工藤(くどう)茂光(もちみつ)は、京に行って、お主の暴政を訴えた。すなわち、為朝は本土への貢納を止め、鬼ヶ島の鬼を手下とし、民を甚だしく虐げ、代官の忠重の指を切るという拷問までしたと。朝廷はこれを信じ、伊豆周辺の国々にも命じて、為朝征伐の官軍を編成させたのだ」

「お主がいかに超人級の武人であろうと、この大軍を相手に生き残ることはかなうまい。そこで私から頼みがある。お主の子をひとり、私にくれないだろうか。私には不幸にも今まで息子がない。お主の息子を養子とし、彼に足利を継がせたいのだ。お主にとっては、家の断絶を避けることができるというわけである。急なことですまないが、あまり時間がない。賢慮を乞う。義康(よしやす)(サイン)」


為朝はこれを読み終わると、まず時員(ときかず)の縄を解いてやりました。「お主への疑いは解けた。拘束してすまなかったな」

時員(ときかず)「手紙の件、いかがでしょう」

為朝「もともと、オレは死ぬことなど怖れておらんし、官軍が迫るとなったら、子たちを刺し殺して自分も死ぬだけのことと覚悟している。しかし、(よしみ)のある義康(よしやす)どのからの願い、これには応えたい。とはいえ、オレは朝敵(ちょうてき)だ。朝敵の子を養子にとれば、悪いウワサが立ちやすかろう。オレ自身も、未練のある男という評判を後に立てられるだろう」

時員(ときかず)「では、このお願いには応えていただけませんか」

為朝「いや、次男の朝稚(ともわか)の行く末を義康(よしやす)に頼もうと思う。長男はもう元服済みで、世間にもよく知られてしまったからな。ただし、オレは朝稚(ともわか)を直接は義康(よしやす)には渡さない。。彼に天運があったなら、それをお前が拾い、そして義康(よしやす)に渡してくれ。こうすれば、彼は朝敵の子を養子にとったのではない。天から子をさずかったことになる」

時員(ときかず)「…できますか、そんなことが」

為朝「オレにできることはこれだけだ。やるしかない。詳細は、こうこう、こんな感じだ。頼むぞ」

時員(ときかず)「首尾よくいくことを、八幡の神に祈りましょう。作戦がうまくいきましたなら、陸からをあげてお知らせします」

為朝は、脇差しとして帯びていた名刀・鐺返(こじりがえし)時員(ときかず)に返事の証拠として渡し、極秘のうちに大島から去らせました。


次:21. 為朝、凧を放つ
top