21. 為朝、凧を放つ
■為朝、凧を放つ
為朝が梁田二郎時員に会った翌日のことです。為朝の息子兄弟は大きな凧を抱えて、よい風が吹くのを待っていました。何日もかけて制作していたもので、今日はいよいよこれを揚げようというのです。ここ大島には凧を揚げるという文化がありませんから、住人は何か面白いことがあるらしいとウワサして、たくさん見物に訪れていました。
鬼夜叉もこれを手伝っています。簓江は、末っ子の島君を抱えてこれを眺めにきています。まことに平和な光景です。ここに、為朝も来ました。
為朝「うん、凧揚げとはいい遊びだな。武士の子らしい。凧はもともと、戦の技術だったのだ。これに乗って敵の城内を偵察するものだったんだぞ」
息子たち「へえー」
為朝「せっかく立派な凧を作ったんだ、これにうなりをつけると、もっと面白いぞ」
朝稚「うなり?」
為朝は腰につけていた笛を取り出します。「これを凧に取り付けるとよい。これは非常に貴重なもので、私の先祖である八幡太郎の舎弟が、音楽の免許皆伝記念に師匠からもらったものなのだ。口で吹いてももちろんだが、たんに風にあてるだけでもよい音が鳴る。龍が鳴く音に似ているとも言われているな」
朝稚「すごい!」
為朝はこれを朝稚に手渡しましたが… つい手が滑って、これを地面に落としてしまいました。さらに運が悪いことに、落ちた先には大きな踏み石があり、笛はこれにぶつかり、カチンと割れてしまいました。
朝稚はあっと息を呑みました。これを見ていた為頼も簓江たちも、非常に緊迫した空気につつまれました。
為朝は… 普段になく激怒しました。「朝稚! なんということをした! お前はいつも注意が足りず、こんな過ちをたびたび起こす。お前をこれ以上育てれば、いつか私に大きな恥をかかせ、家名を汚すこと疑いない。そこに直れ!」
為朝はこう叫ぶと、刀の柄に手をかけました。まさかの怒りように、鬼夜叉と簓江はあわてました。
鬼夜叉「お待ちを、お待ちを! まさか、笛をこわしたから殺すなどと言いますまいな? 朝稚さまはまだ7歳ですぞ」
簓江「大事な笛だったことは分かりますが、それにしたって、ただの笛ですよ? 自分の息子を切るなんて、それはいくらなんでも」
為朝「笛など別に惜しくはない。私が許せんのは、こやつが父を軽んじることだ! だからこそあんな粗忽をする。このまま成人させれば、いつか私自身に牙を剥く虎となるだろう。オレには分かるのだ。 …しかし、おぬしらがそこまで言うなら、これを刀のサビにすることはよそう」
鬼夜叉・簓江「ホッ…」
為朝「かわりに、罰として、この凧に朝稚をくくりつけて揚げ、そしてヒモを切って海に落とす。生きるか、死ぬか、運試しをしてくれる」
鬼夜叉・簓江「そ、それもムチャクチャです」
為朝「これ以上私に指図をするな!!」
為朝は本気です。さっそく泣きじゃくる朝稚の襟髪をつかんで、乱暴に凧に縛りつけ始めました。
ここに、長男の為頼が恐る恐る言葉をかけます。「父上…」
為朝「なんだ」
為頼「昨日まで一緒に遊んだ弟を失うなど、私にはその寂しさに耐えられません。もとはといえば、凧を作ろうなどと言い出した私が悪いんです。弟の代わりに、私を存分に鞭打って、それで怒りを晴らしてくださるわけにはいきませんか。それが叶わないなら… いっそ私も、弟と一緒に凧にくくりつけて捨ててください」
幼い島君も、ヒザをついて、「お父様、許してあげて…」と言いながら涙をポロポロ落とします。
誰も父を恨むような言葉を言わないのがいじらしい。簓江は子供たちの気持ちを思って、涙をあふれさせました。「為朝さま、私が息子の罪を代わってやりとう存じます」
鬼夜叉さえも涙ぐみはじめました。「為朝さま、ほんと、いくらなんでもおかしいですよ。子供や老人は、罪があっても許せというのが、昔からの習わしでしょう」
これでもなお為朝の決意は変わりません。「簓江、鬼夜叉、いいかげん黙れ」と話をはねのけると、ヒモをつかんで走って引き、ちょうど吹き始めた東の風に乗せて、凧を高く揚げ始めました。そのまま限界までヒモをゆるめたので、凧はほとんど見えないくらいの高度に達してしまいました。
凧あげを見物するために集まっていた島民たちは、この光景にドン引きして、ひとり、またひとりと去っていきました。最終的に、為朝の家族と鬼夜叉だけがこの場に残っています。
為朝はつかんでいたヒモの端を手近な松の木に縛りつけました。そうしていよいよ、腰の刀をスラリと抜き放ちました。簓江が、狂ったように泣きわめきながら為朝のスソにすがりつきます。為頼と島君も同様です。「やめてください、お願い」「お願い、父上!」
鬼夜叉は、為朝と松の木の間をさえぎって立ち、両手を広げて必死の形相です。
為朝は、心に八幡の神を思い浮かべました。そうして朝稚の無事を心から祈ると… 家族を振り払い、鬼夜叉を飛び越え、そして一刀のもとに張り詰めたヒモを切り放ちました。
豆粒のように見える凧はそのまま、ヒラヒラと舞いながら西北西の空に消えていきました。
しばらく、家族たちと鬼夜叉は、泣きはらした顔のまま、呆然とその行方を見守っていました。高い空を飛ぶホトトギスは、死んだ朝稚の魂かと思われました。
そして、さらにしばらく経ったあと… 向こう岸、下田の方向から、かすかなのろしがあがるのが確認できました。為朝はこれを見て心底からほっとし、大きなため息をつきました。
簓江「…うまくいったのですね、為朝さま」
為朝は簓江の言葉に驚きました。「お前! 知っていたのか」
鬼夜叉「私も知っていましたぞ。若君は、下田で時員どのに無事救出されたようですな」
為朝「おぬしら、聞いていたのだな、昨日の密談を」
簓江「はい。立ち聞きしてすみませんでした。しかし、私たちにはついにこの計画を打ち明けてはくださいませんでしたね。この作戦、気づいていながら口に出せないのはつろうございました(泣く)」
鬼夜叉「秘密に運ばなくてはいけないことでしたから、あれだけの島民の前では、私も知らぬフリをし続けるしかありませんでした。演技のためとはいえ、無礼の数々、まことにすみませんでした」
為頼と島君も、ようやく今回のことが計画づくだったことを知り、「すみませんでした、父上」と謝りました。
為朝「…おまえらにこの作戦を黙っていたのにはワケがある。作戦が漏れるのを疑ったからではない。今回、うまくいくかどうかは五分五分、いや、それ以下だった。成功することを期待して失敗するのでは、悲しみは倍になる。お前たちを必要以上に悲しませたくなかった。武士の意地というのは、こんなときは滑稽なものだな」
為朝は太いため息を繰り返し、他の皆はサメザメと泣きました。
このとき、沖の海鳥たちが一斉に騒ぎながら飛び立ちました。また、アシカがしきりに鳴く声も聞こえました。
為朝「これは… 敵の船が迫ってきているようだ。鬼夜叉よ、見てきてくれ」
この言葉を待たずに鬼夜叉は駆け出し、高台の上から北の水平線を見やりました。「船は25、6隻、乗っているのはざっと500騎! 旗印もいくつか見えます。忠重の紋、茂光の紋、そしてあれは… 北条だ。他にもいろいろいそうだ」
為朝は、口の端をあげて笑い、「最後の戦いだな」とつぶやきました。