22. 為朝、生かされる
■為朝、生かされる
茂光が大島について報告した為朝の数々の「悪事」に、後白河上皇は驚き、これを征伐せよとの宣旨をくだしました。これに従って集結した屈強の武士たちが、郎党を連れ、それぞれ船に乗って大島に迫ってきます。これらが到着するまでに、もう時間はいくらもありません。
為朝はとっておきの武具をつけて出陣の儀式をいかめしくとり行い、簓江に酌をとらせて最期の盃を皆と共有しました。ここには長男・為頼もいます。9歳なのにもう堂々と落ち着いています。
鬼夜叉「為朝さまのような立派な方が、小悪人の口先に陥れられ、こんな地の果てで最期を迎えるとは、つくづく、悔しいことです」
為朝「なあに、ここでの10年間は結構楽しかったぞ。悔いはないさ。実際のところ、これから来る敵なんて、全滅させるのはワケもないんだ。しかし、オレは今まで、大義があるときしか敵を殺さなかった。今回は、もう死ぬと決めてるんだから、無益な殺生はしない。オレは仏教の因果応報を信じている。今回攻めてくる敵たちには、ロクな未来は待っていないだろうよ。まあ、そういうオレだって来世にどうなってるか分かったもんじゃないけどな」
為朝は、大部分の部下に、戦を逃れて落ち延びるよう命令しました。「オレの勝手で死ぬんだから、巻き添えになることはない」
部下たちは、泣いて名残を惜しみながらこの場を出て行きました。
為朝「為頼は、もう男だ。立派な最期を迎えよ。簓江は… 島君といっしょに生き残れ。敵たちもお前は殺すまい」
簓江は一緒に死にたいと泣きましたが、為朝はこれを説き諭して許しませんでした。
為朝「さて、オレは渚まで行って、敵の様子を見てくる。逃げるものは逃げて、残るものたちは、屋敷にとどまっていろ。鬼夜叉よ、お前は家中に柴を積んでおき、子を刺し殺しておいてくれ。そうして、オレが戻ってきてここで腹を切ったら、火を放て」
こうして為朝は従者をひとりだけ連れて出て行きました。為頼と島君が、気丈に「父上、お気をつけて」を声をかけました。
さて、鬼夜叉は主人が出て行ったのを確認して、簓江らに向かい直します。「為朝さまは潔く死ぬ気でおられるが… 私の意見では、今回の寄せ手は結局のところ茂光の私怨にもとづくものに過ぎず、これで死ぬのは犬死にです。私はこっそり船を準備しておきました。みなさま、これに乗って八郎島まで逃げてくだされ。私はそのあとで為朝さまを改めて説得し、皆様を追います。皆で生き延びて、再起の時を待ちましょう」
簓江は鬼夜叉の心遣いに感謝したあと、自分だけは行かないと言いました。「そもそも、私の父がこれらの原因をつくったひとりなのです。その責任を逃れておめおめと逃げることはいたしません。それに、私のせいで為朝さまが敵に背を見せるような羽目になるなら、不忠なことです。私はよいから、子供たちだけ逃がしてあげてください、鬼夜叉」
為頼も逃げることを断ります。「母上、よくぞ言ってくださいました。私もここで死にます。父上が死ねと言ったのに、逃げられるものですか」
鬼夜叉はこれらの覚悟を聞かされて感動しましたが、それでもやはりなんとか説得しようとします。「簓江さま、あなたが死ぬと言うから、子たちも死ぬと言うのですぞ。そしてその後、為朝さまも当然のごとく死にましょう。あなたの心ひとつで、全員が助かります。どうか思い直してください」
簓江「うっ。そ、そう言われると…」
簓江が鬼夜叉の説得に迷っていると、さっき為朝と一緒に出て行った従者がもどってきて、渚での為朝の様子を報告しました。
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さきほど、敵の大軍が岸のそばに到着しました。先頭の船では、簓江さまの父上、忠重さまが乗って全体の案内をしていました。兵も200人くらい乗っていました。岸に立つ為朝さまを見つけて、「ものども、あいつが為朝だ。全員で矢を射ろ」とわめきました。
為朝さまは「忠重にだけは、最後の記念の一撃をくれてやろう。茂光もこれを見て胆を冷やすがいいさ」とつぶやくと、矢をつがえ、思い切り弓を引き、そして彼らの乗る船の腹をどっかりと射抜きました。船はたちまち沈んで、忠重さまは同乗者ともどもその場で溺れ死にました。敵の全軍はこれを見て心底驚いた様子で、他の船はまだどれも岸に近づこうとはしないようです。
私は、このスキに逃げろと言われて、為朝さまを残して戻ってきました。しかし逃げる前に、みなさまにこの話だけをお伝えしたかったのです。それでは、おさらばでございます!
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簓江はこの報告を聞き、心の糸のひとつがふっつりと切れた表情になりました。
簓江「父上が… なるほど、わかりました。鬼夜叉、子供たちを先に船に乗せてやってくれませんか。様子を聞く限り、為朝さまはいずれここに戻ってきますから、私は彼を連れて追いつきます」
簓江は実はこれを喋るだけがやっとで、はふり落ちる涙を止めることができません。鬼夜叉はこれを見て、もう簓江は命を長らえる気はないのだ、と気づきました。また、もうそれを止めるまいとも思いました。
鬼夜叉は「わかりました」と一言だけ答えて、島君を抱きあげ、為頼の手を引き、用意しておいた船のあるほうへ走っていきました。屋敷を出るときに簓江の慟哭する声が聞こえましたが、鬼夜叉は涙をこらえて走りました。
やがて船につき、鬼夜叉は二人を船底の部分に隠し、「ここでしばらくお待ちあれ」と声をかけて、そうして次に、為朝のいる渚に走りました。そうして彼に、一世一代のウソをつきます。
鬼夜叉「さきほど、船に乗せて、簓江さまとお子様たち全員を、八郎島に向けて出発させました」
為朝「な、なんだと!?」
鬼夜叉「今回の戦、敵は官軍とはいえ、しょせんは個人の私怨から来たもの。死ぬのはちっとも潔くありません! 為朝さま、ご家族を追って八郎島に渡ってください! 私は時間を稼ぐために、屋敷にもどって火をかけ、そこで腹を切ります。そのスキに、お願いします」
為朝「このオレに、命を惜しんで敵前逃亡しろというのか。それも、お前を身代わりにだと」
鬼夜叉「さよう。未開の地に育った無学な私でしたが、この数年は、たくさん勉強させてもらいました。恩をお返ししたいのです。今、ご家族を追わねば、彼らは生け捕りという恥を負うことになるやも知れません。どうか、曲げて、曲げて承知くだされ!」
為朝「…やってくれたな鬼夜叉。しかたがない、俺はあいつらを追う!」
為朝は鬼夜叉に船を教えられ(船底に子供たちがいるのはまだ秘密)、これに乗って海に出ました。まわりには急にモヤがかかり、敵の目をさいわいに避けながら、この船は南に向かって滑るように進んでいきました。
鬼夜叉はこれを見届けると、簓江の残る屋敷に急いで戻りました。簓江は香を焚き、一心に経を読んでいました。
簓江「為朝さまは」
鬼夜叉「私の説得にこたえて、八郎島に落ち延びてくれました。子供たちも同じ船の底に隠しましたから、これでもう大丈夫です」
簓江「ありがとう、鬼夜叉。難しい仕事をよくやってくれました」
鬼夜叉「簓江さまは、これでよろしいのですな」
簓江「ええ。父への不孝と、為朝さまへの不忠を両方免れる方法は、もうこれしかありません」
鬼夜叉「お気持ちはわかります。止めはいたしません。介錯はお任せくだされ」
簓江「ありがとう。あなたの娘は、よい父を持って幸せですね。それにもう会えない無念さ… 気の毒に思います」
鬼夜叉「…簓江さまこそ」
簓江「さあ、もはやこれまでです。頼みますよ、鬼夜叉!」
簓江は懐剣をスッとサヤから抜きました。すると、戸を押し開いて駆け込んで入ってきたものがあります。「母上!」
簓江・鬼夜叉「為頼!」「為頼さま!」
為頼は、2人が止める間もなく諸肌を脱いで、「私もともに」と叫ぶやいなや、手にしていた短刀をどかりと自らの腹に突き立てました。簓江が絶叫しました。
為頼が苦痛をこらえて口を開きます。「さっき私は、船の中で待っていたとき、島君の守り袋の中から、母上の遺書を発見してしまったのです。どうりで何か様子がおかしいと思いました。母上だけ先に死のうとするなんてダメですよ」
鬼夜叉「為頼さま…!」
為頼「すこし前から、ここの話を立ち聞きしていたんだ。父上は無事に落ち延びられたという。ありがとう、鬼夜叉。しかし… ここにお前の死体だけがあっても敵をあざむくことはできん。息子がいることも知られているのだから、私もここで死んでいなければ不自然だ。そうすれば父上はさらに追われるだろう。…のう、喜んでくだされよ、母上。私は立派に父への孝行を果たそうとしているのですよ。泣かないで、泣かないでくだされ」
簓江「おお、為頼、お前というやつは!」
為頼「それにしても、弟と遊んだのがつい今朝のこととは、不思議な気持ちだ。ここでのことをあいつが知ったら驚くだろうな… 島君が無事に育つといいな… また、母違いの兄弟である、太郎丸、二郎丸にも会ってみたかったのう… 地蔵菩薩よ、彼らを守り給え。ナムアミダブツ」
こうつぶやきながら為頼は腹の刀を引き回しました。白い肌に浮かぶ血の玉は、雪に散る梅の花のようでした。
簓江もまた、息子に遅れるまいと、持っていた刀でノドを貫きました。
向こうの方で、敵が迫る音が大きくなってきました。もう時間はありません。あとは鬼夜叉が2人の介錯を果たさなくてはいけませんが… ふたつ並んだ白いうなじを見ると、まるで自分の娘の長女や孫の太郎丸の姿を見るような気持ちになってしまい、全身の力が抜けかけました。また、涙で視界がにじんでねらいが定められません。
簓江は最後の力で鬼夜叉のほうを振り返り、「めめしいぞ鬼夜叉、しっかりせよ」と、声にならぬ声で叱りました。鬼夜叉はこれに励まされ、念仏を絶叫してみごとに2人のクビを切り離しました。
鬼夜叉は二つのクビを隣同士にならべ、「やすらかに」と祈りました。そうして家中の柴に火をつけると、2人の死骸のそばで立ったまま腹を切り、火の海の中で絶命しました。
攻めてきた敵は、燃え残った屋敷の中で発見した三体の焼死体を、為朝・簓江・為頼のものと判断し、首(の焼け残り)を京に持ち帰って、上皇や公卿たちに実検してもらいました。状況証拠から言ってこのクビが為朝のものであることは間違いないはずなのですが、見る人はそれぞれ、「本当に、本当だろうか」と最後まで疑いと怖れを隠しきれませんでした。あの英雄が、本当にこんな最後を遂げるものなのだろうか…
こののち、都にはおかしな歌が流行りました。
「みなもとは 朽はてにきと おもへども
千代の為朝 みるべかりけり」
さて、大島から船に乗って逃れた為朝はあれからどうなったでしょうか。
為朝は伊豆の島々に寄りながら、簓江たちがここに来たかを尋ねました。しかしみな知らないと言います。さては直接八郎島に行ったのかと思い、さらに南に船を進めました。難所であるはずの黒潮も、なぜか楽々と越えることができました。為朝が10年以上の島暮らしで船のエキスパートになったせいもありますが、何か神の助けのようなものが働いたように為朝には思えました。
そうしてついに、八郎島の枝島である来島の横に船をつけることができたのですが… そのとき為朝は、船板の下から子供が泣く声が聞こえるのに気づきました。
為朝があわてて船底の小部屋を探ると、そこでは島君がひとり泣いていました。
為朝「どういうことなんだ。島君よ、どうしてここにいる」
島君「鬼夜叉はここでずっと黙って待っていろって言ったの。お兄ちゃんもいたけど、ちょっと出てくると言って出ていってしまったの。お兄ちゃんは手紙を私に渡していったわ」
為朝「み、見せてくれ…」
島君が渡したのは、簓江からの遺書と、為頼からの遺書でした。今までの事情が何もかも書かれていました。特に、為頼の手紙には、つたない字で「死すべきときに死ぬのが武士との教え、今こそ守るときと知りました」とありました。
為朝の両目から涙がたぎり落ちました。「オレは… こんな風に命を長らえたくはなかった!」
為朝は悲痛な雄叫びをあげました。そして入水して死のうと決め、その前に島君を刺し殺そうと、刀をギラリと引き抜きました。そこに、別の船が一艘迫ってきて、「やめてくだされ!!」と中から絶叫したものがあります。これが誰だか、それは次回に。