23. 為朝、伊豆の島々を去る
■為朝、伊豆の島々を去る
自分一人(+島君)だけが助かってしまったことに絶望した為朝は、八郎島の枝島である来島の隅に船をとめて、そこで死のうとしました。時刻は明け方近くです。
そこに、「やめてください」と絶叫しながら現れたのは… 長女の世話をまかせていた四郎五郎でした。
為朝「なんだ、お主、どうしてこんなところにいるんだ」
四郎五郎「為朝さまこそ! しかも、娘さまを殺して自分も死のうとされるとは!」
四郎五郎はこう言うあいだにも船を近づけ続け、やがて為朝の船にとりつくと、さめざめと泣き続ける島君を自分のもとに抱き上げてしまいました。
四郎五郎「ちょっと向こうに、普段エビを釣るための場所があるのですよ。私はそこにいたんですが… さっき、姿はないのに誰かの声だけがして、『八郎御曹司の自殺を止めてあげて』と私に訴えたのです。30くらいの女性の声と、男の子の声でした」
為朝は、それが誰なのかを直感で悟り、彼らの忠義の深さに感動すると同時に、悲しみも思い出されて痛恨の面持ちになりました。言うまでもなく、簓江と為頼の霊ですね。
四郎五郎「事情を教えてください! 何があったのです」
為朝は今までの事情をすべて語りました。大島に官軍が攻めてきたこと、鬼夜叉にだまされて自分一人だけが逃げてきたこと、そして残してきた者たちはおそらくみな死んだこと…
為朝「こういうわけで、恥ずかしくてならん。オレにはもう生きる甲斐がないし、その資格もない。島君を殺すのはいかにも冷酷に見えようが、なまじ生き残っても、朝敵の子として生きるのは不幸が多いだろう。こうするしかないのだ。…さあ、もう長話はするまい。お前はせめて、オレが死んだあと、クビを取って伊豆に差し出し、それなりの褒美をもらって島を豊かにするがいい」
四郎五郎「そんなことはいたしません! 為朝さま、長女さまに会ってやってください。太郎丸、二郎丸どのは、大きくなりましたぞ。お顔は御曹司によく似ています。会ってやってください。また、ここでいつまでも暮らしてください」
為朝はしばし考え込みました。「…わかった、会おう。後のことはそれから決めよう。オレは少しここで休んでいる…」
四郎五郎は、長女たちを呼びに、急いで八郎島に戻っていきました。「御曹司はここで待っていてくださいよ」と固く約束して。
為朝は来島の陸に上がってしばし呆然としていましたが、そこに、いつか植えた卯木が根づいて花を咲かせているのに気づきました。
為朝「そうだ、この木が根づいたらオレは戻ってくる、と言ったことがあったな。たしかに戻ってはきたが、こんな形でだとはな。…いや、やはりオレは長女には会わん。再びここに引き留められれば、オレが忠義を全うする妨げとなるばかりだ」
為朝は岩のスキマに持ち慣れた弓を置き、そして矢筒に残っていた二本の矢もそばに置くと、島君を再び抱き上げて船に乗り込み、どこともなく漕ぎ去ってしまいました。
為朝「もし目指して着くものなら、オレが行くべきは讃岐だ。そこで新院(崇徳上皇)に、オレの忠義の最後の証を見せて自害しよう。島君よ、お前のことは決めていないが、せめてそこまでは一緒に行こう…」
長女と子供たちを乗せた船がこの場に到着したのは、為朝たちが水平線の向こうに消えたころでした。四郎五郎が漕ぎ、彼の妻も一緒に来ました。
長女「為朝さまは! どこですか!」
長女は、薄明の中、そこらを探して呼び回りましたが、どこにも彼の気配はありません。かわりに、彼が置いていったとおぼしい、弓と二本の矢が見つかりました。為朝が乗ってきたらしい船も、もうどこにもありません。
長女はしばらく事態が信じられずにフラフラとさまよいましたが、やがて何があったのかを心に認めざるをえず、地面にうつぶせになって泣きじゃくり始めました。
長女「私を残して行ってしまった!」
四郎五郎夫妻も彼女をなぐさめかねてしばらく黙っていましたが、やっと四郎五郎が口をひらきました。「なあ長女どの、御曹司は、名誉を重んじて、あえてあなた様に会わずに出ていったんです。でも、この弓を残していってくれたじゃないですか。あの人なりの誠意ですよ。この弓と矢を御曹司と思い、子らにあの人の武勇を伝え、それでよしとしようじゃないですか… 悲しいのはあなた様だけではありません」
長女は聞き分けなくワーワー泣いています。太郎丸と二郎丸も、事情が分からないながら、つられて泣いています。
長女「形見なんてもらったって、私の寂しさは永久に癒えないわ。父も死に、夫ももういない。耐えられない、私は今すぐ海に身を投げて死にます! …でもそうしては、子供たちが育たないわ。(子供を抱きしめて)どうすればいいのよ、わああ!」
四郎五郎たちは、どうしてよいか途方に暮れてしまいました。すると、近くの松のあたりに、白い霧がモヤモヤと固まっていき… それは、白髪と白いヒゲに包まれた、ひとりの老人の姿になりました。
老人「はいこんちわ」
長女「…だ、だれ?」
老人「為朝を守る者じゃ。大島にいたときも私は彼のそばにいたし、これからも彼を追って四国に行くところよ。私が人前に出ることは普通ないんじゃが… あんまりお主が気の毒での。ちょっとだけ、これからのことを教えてあげようと寄り道したんじゃ。秘密なんじゃが、特別にね。だから、為朝の側女ともあろう人が、早まって死んじゃだめヨ」
長女「…」
老人「お主は、これから困難を耐え忍んで、二人の子供を成人させなさい。今から十年後、平家は滅亡して源氏の世が来る。そのときお主は、ここに為朝の子がいることをそのときの実力者に知らせに行きなさい。そうしたらこの島は後々まで栄えるから」
長女「は… はい」
老人は不思議なオーラを帯びており、言うことに疑いの余地がない感じがします。
老人「その間、彼の残していった弓矢を神体として、八郎島に神社をつくりなさい。ここの小島のほうには、天照大神(耆婆明神)をまつる社をつくりなさい。地の果てとはいえ、ここも日本の帝のしろしめす地なのだから。それじゃあ、がんばりなよ…」
こう言い残して老人はかき消えてしまいました。長女たちは互いに顔を見合わせあって、今みたものが幻でなかったことを確かめました。
長女は落ち着きました。「…わかったわ。ありがとう、尊いかた」
この島のことはもう話の本筋に出てきませんが、後日談のような話だけをしておきましょう。
老人の予言したとおり、為朝の甥にあたる源頼朝が世に現れて、平家は壇ノ浦に滅亡しました。八郎島の太郎丸と二郎丸は、為朝の嫡子として頼朝に面会し、伊豆大島と八郎島の支配をそれぞれ公式に任されました。また、そのとき、為朝を赦免するとの詔勅が朝廷からくだり、「八郎大明神」と記した勅額が島に贈られました。為朝の名誉は完全に回復され、島はながく栄えました。
何もかもが平和で豊かになったとき、長女は中年を終えるくらいの年でした。彼女はある日、太郎丸と次郎丸を呼び寄せて、こう語りました。
長女「このような日を迎えられて、私は幸せじゃ。お前たちが立派になるさまも見届けることができた。もう何の悔いもない。私はもう行くが、お前たちはこれからも兄弟なかよくやっていくんだよ。四郎五郎たちのことも大事にね」
太郎丸・二郎丸「はい、母上。しかし、もう行く、とは、どこへ行くのです」
長女「行くべきところへですよ」
長女はここまで言い終わると立ち上がり、さっと走って家を出て行きました。あわてて兄弟は母を探しましたが、見つかりません。屋敷中が大騒ぎして一晩中捜索しても、なお見つかりませんでした。
次の朝、島山のふもとにある沼から、長女の水死体が発見されました。兄弟は身も世もなく悲しみましたが、やがて母の遺体を山の中腹に埋葬して、ここに寺を建てることを計画しました。二郎丸のほうは、剃髪して出家しました。
長女が死んで七日後、この沼のほとりに大きな蓮の花が咲きました。花は光り輝いており、その中には阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊の姿が浮かんでいました。そして、空中に花びらが舞い、音楽が響くなかで、長女の霊はこの三尊に連れられて天上に昇っていきました。