24. 為朝、娘を手放す
■為朝、娘を手放す
為朝は、娘の島君を連れて八郎島を離れ、遙か讃岐を目指して進みました。見渡す限りの青海原を、風にまかせて櫂をあやつり、島君を抱っこしながら行きました。ウトウトしては千鳥の声に目覚めさせられ、途中で無人島に寄っては水と薪を補給し、何日もの苦難をあじわった末、ついに奇跡的に四国にたどり着くことができました。着いたのは、讃岐の遭日の浦というところです。
世を忍ぶ身ですから、為朝はすぐに陸には上がりません。夜が充分更けるのを待ってからこっそり上陸するつもりです。
近くには、たまたま別の船がありました。大きめの船に主従が10人ほど乗っていて、今晩は月を見ながら酒盛りをして楽しんでいるようです。翌朝に出航するつもりなのでしょう。為朝はずっと気配を消して様子を見ていました。
為朝「(まあ、ここから見る海はなかなかの風景だから、ああして楽しみたくもなるよな。オレはウンザリするくらい見たからもういいが…)」
やがて宴会は終了し、みな眠った気配です。為朝はそろそろ上陸しようと判断し、島君を起こして弁当を食べさせはじめました。
このとき、一艘の早船が別の場所から現れ、例の船につけました。そこから海賊とおぼしい男たちがどんどん乗り移り、「カネと荷物をすべてよこせ」と大声で叫び始めました。
為朝「(む… 大丈夫かな)」
騒ぎがいよいよ大きくなりました。船に乗っていた者たちもそれなりに心得はあったようでしたが、不意を突かれたのでろくに戦えず、次々と傷を負って倒れました。その中で、主人とおぼしい男もまた、奮戦して数人の賊までは撃退したものの、多勢に無勢、ついに絶体絶命のピンチに陥りました。
そこに、為朝がヒラリと甲板に躍り上がりました。見るに見かねたのです。「おい、オレが相手になってやろう」
為朝は船についていた大きな櫂をひっつかむと、それを軽々と振り回して、見る間に賊を撃退していきました。クビを折られ、スネを砕かれ、賊たちはほとんどが死ぬか虫の息になるか、または海に転落して浮かんできませんでした。
船の主人を襲っていたのは、蜘手の渦丸という有名な海賊でした。為朝が鬼神のように強いのを見て驚き、不利を悟って逃げだそうとしましたが、主人のほうは、それを逃がすまいと追いすがりました。
そして、前方には為朝。渦丸は挟み撃ちになった格好です。渦丸は焦りましたが、為朝がたたきつけようとした櫂を紙一重でギリギリ避けて、そのまま海中に転落しました。
為朝「む、なかなか器用によけたな。ま、無理に追うことはないか。それはそうと、ご主人、無事か」
主人「あ、あなたはヒーローだ。ぜひ中にお招きして、ちゃんとお礼をしたい」
為朝「いや、オレは世をはばかる身なのだ。構わないでくれ。それよりもまずは、部下たちの手当をしたほうがいいぞ」
部下たちは、幸いにもみな比較的傷が浅く、出血さえ止めればなんとか動けるものばかりでした。みな口々に為朝を称えました。為朝は、構わないでくれといい続けましたが… 主人は、為朝の顔を不意にじっと見つめました。何かに気づいたのです。
主人「あなたは… まさか、大島で死んだはずの、源八郎為朝どのなのではないか?」
為朝「なに、なぜ私の正体を… あっ、お主は、藤季範どのか! 兄(義朝)の舅の!」
季範は、熱田大宮司家の男です。為朝にとっては親戚筋なのでした。
季範「おお、生きておいでとは… 義朝どのはもちろんのこと、清和源氏の嫡家が先の争いで滅んでしまったこと、まことに無念に思っておりました。ぜひ、こんなところにいる事情を聞かせてくだされ。私のほうはというと、ここにある讃岐院の墓をたずねて、かつての恩をあらためて感謝してきたところだったのです。あの方の推薦のおかげで私は大宮司になったのだから」
為朝は、今までの冒険のことをすべて季範に語りました。季範は、為朝が自分の船に娘の島君を残していることを聞くと、すぐに部下をやって彼女もこの場所に連れてきました。
季範「よくわかりました… 為朝どの、どうか死ぬなどと言わないでくだされ。私とともに尾張に行き、そこで暮らしてくだされ。私の孫である犬稚丸を養子とし、大きくなったら島君とめあわせて、末長く家を残してくだされ…」
為朝はこの申し出をキッパリと断ります。「いや、私にとっては、ここで死ぬことこそが本望なのだ。あまりしつこくそういう話をすると、今すぐここで切腹してやるぞ」
季範「わ、わかりました、私が間違っておりました」
為朝「しかし… 島君のことだけは、おぬしに任せてよいだろうか。彼女のことは、やむを得ず死なせるしかないと思っていたのだが、おぬしが育ててくれるなら安心だ。おぬし自身も源氏の縁者だしな」
季範「よろこんで!」
こうして為朝と季範は、島君を養女にするための約束の盃を交わしたのでした。また、季範の強い望みにより、犬稚を為朝の養子とするという約束もついでに交わしました。島君は何が起こっているのかを知らずポカンとしています。
季範は、今回の引出物として、為朝に一式の装束を贈りました。「これはもともと、私が為義さまからいただいたものです。大事な儀式には、必ずこれを着ているのですぞ」
為朝「おお、今の私にとっては何よりうれしいプレゼントだ。今から新院の御墓に参るのに、こんなボロい服しか着ていないのは心苦しかったのだ。ありがとう! この衣装を見ていると、父上を目の前にしているようだ。実に懐かしい…(ちょっと泣く)」
為朝は少しばかりシンミリしましたが、キッと顔色をあらためて島君のほうを向きました。
為朝「聞け、島君。お前はこれから、この季範の子だ。よく孝行するのだぞ。私の顔を見るのはこれまでだ。よいな、ではさらば」
島君は、悲しさのあまりしばらくは声も出せずに、涙をボロボロこぼしました。季範がいろいろと慰めようとしますが、そんな声が今の彼女に聞こえるはずがありません。
為朝は今もらった衣装をひっつかみ、悲しみを振り切るために全力で走り去りました。背後で島君が「ちちうえ」と絶叫する声が聞こえましたが、為朝は心を鬼にして走り、二度と後ろを振り向きませんでした。彼はついにひとりぼっちになりました。
島君の後日談:
彼女はこの朝、季範に連れられて尾張に戻りました。為朝と別れたその日を彼の命日と決め、仏事を欠かさずつとめました。やがて、源義実と名を変えた犬稚丸と結婚し、子をもうけて、幸せに一生を送りました。義実もその子も、よく出世して朝廷に重く用いられましたとさ。この話は本筋と関係ないので、ここまでです。