46. 白縫王女
■白縫王女
白縫と為朝は、小琉球の北の果て、赤瀬の碑のもとで思いがけず再会しました。白縫はよろこびに熱い涙をながします。しかし、為朝のほうはまだ何が起こっているのか分かりません。目の前にいるのは、ほとんど見たこともないような女性なのですから。
為朝「お前はだれだ? どうしてオレを為朝と知っている」
白縫「わたしですよ、白縫です!」
為朝「いや、白縫はそんな姿ではない。しかし、声だけなら白縫に似ているようだが」
白縫「ああ、確かに、説明しなきゃ分からないわね… 私は正真正銘、あなたの妻、白縫です。かつての海難で身は滅びましたが、私はこの国に、魂だけとなって渡っていたんです」
為朝「なんだって?」
白縫「この体は、ここ琉球国の王女、寧王女のものです。この国では悪いものたちが国政を牛耳っており、忠臣・孝子たちが迫害されました。なんと、王女までが佞臣たちに命を奪われるところだったのです。私は彼女の絶体絶命に際してその体を借り、そのまま敵を撃退して、あなた様がいつかここを訪れるのを待っていたんです。たしか、為朝さまも、いつか琉球に鶴を探しに来たときに、寧王女には会ったのじゃありませんでしたか」
為朝「ああ、思い出した、おぬしは寧王女だ! そうか… どうも、そこに乗り移っているのは、本当に白縫らしい。驚いたな…」
為朝は、自分がここにいる理由についても説明をはじめました。
為朝「あの嵐の日、オレは崇徳院の眷属である天狗たちに助けられて、ひとり、この国の端にある佳奇呂麻というところに漂着したんだ。そこの住人に助けられて寝食には困らなかったんだが、妻も子も、他の誰も、生き残っているとは到底思えなかった。オレは生きがいを失ってよほど自殺しようと思ったが、仮にも崇徳院に助けられた身を粗末にもできず、それは思いとどまった。お前たちや舜天丸がどうなったのかをちゃんと知るまでは、すくなくとも死ねんしな」
為朝「佳奇呂麻の住人たちが、この国ではびこっている悪政のことは大体教えてくれた。尚寧王は暗愚な王で、朦雲と利勇という悪いやつの思うままになっているのだそうだな。また、毛国鼎、査國吉、新垣、真鶴といった尊敬すべき人物のことも聞いた。そして彼らの苦難のこともな」
為朝「オレは住民たちに恩返しをするため、いつか立ち上がり、悪いやつらを除いてやろうと考えていた。しかし、都に攻め込むほどの軍を持っているわけでもないから、何かチャンスはないものかと待ちつつも、今日まではなすすべもなく生きていたんだ」
為朝「しかし、今日の明け方に異変が起こった。佳奇呂麻の住人たちが、慌てて荷物をまとめ、島から逃げようとしているのだ。聞いてみると、王の悪政によって現れたわざわいという恐ろしい獣が、逃亡した王女を追ってここに近づいているのだと」
為朝「その獣は、新しく王位に即いた朦雲のことを批判するものを見つけて、片端から食い殺すのだという。佳奇呂麻では、朦雲や利勇のことを好き放題こき下ろすのが、みなの日常のアイサツのようなものだったからな。皆殺しになると思ったのだろう」
為朝「オレは、とりあえずそのわざわいという獣を殴り倒して、昔の縁がある王女を救おうと、佳奇呂麻からここまで舟を漕いできたというわけだ。一応間に合ったな。しかし、もうわざわいは退治してしまった様子だが。この碑が倒れて、獣を打ち殺したのか… この国をはじめに興したという天孫氏の力なのかな」
白縫も天孫氏の利益について為朝と同意見でしたが、ほんの少し前に、一緒についてきてくれた鶴と亀が捕らわれてしまったことは痛恨だと言って嘆きました。
為朝「む、じゃあオレは、もう少し早く着ければよかったなあ… なに、彼らは少年であるし、すぐに殺されることもないと思う。きっとこれから救い出すチャンスはあると考えよう。さあ、ここにとどまっていては、まだ敵は来るかもしれん。まずは一緒に佳奇呂麻に戻ろう。ここから近いから。そこで今後の戦略を考える」
白縫「私に、今後のことについてアイデアがあるんです。国相だった利勇だけは、わざわいから逃れて、領地の南風原にいるらしいわ。中婦君の産んだ王子も連れているのですって。利勇も例の佞臣たちの一味だったのだけど、いちおう、朦雲を倒すという目的では私たちと利害が一致するわ。彼にいっとき協力し、軍を借りて朦雲を倒すというのはどう」
為朝「うん、悪くない。利勇その人にはまったく感心しないが、その王子は王の正統を継いでいるんだからな。彼を王位に就けるのは、寧王女やその他の忠臣たちのために大義がある。落ち着いたら、すぐにやろう」
白縫「それじゃあまずは佳奇呂麻に行きましょう、わが夫!」
為朝「む、その『夫』というところだけどな… マズくないか。お前の魂は白縫でも、体は寧王女じゃないか。お前と結婚生活に戻ることはできないと思うんだが…」
白縫「王女はこのトシまで夫を持っていませんでした。きれいな体です」
為朝「そういう問題じゃないよ… ともかく、そういうのは当分控えような」
白縫「ちぇっ、ちぇっ! まあいいわ…」
さて、こういうわけで、為朝は白縫(の乗り移った寧王女)を連れて、現在世話になっている佳奇呂麻に戻りました。しかし、その途中でトラブルがありました。朦雲のもとから放たれた斥候たちが、ここらの海を巡視していたのです。彼らは為朝の乗った舟を見つけました。
為朝は、用心のため、釣った魚を入れる畚という容器に白縫を隠れさせ、みずからも猟師のような変装をして移動していたのでした。このため、すぐに正体がばれることはありません。それでもやはり、斥候たちには呼び止められてしまいました。
為朝「なんですか。私は単なる猟師ですよ」
斥候「我々は、逃亡中の寧王女を捜索している。その畚は、人が入るサイズだな。中を見せろ」
為朝「カンベンしてくださいよ。漁師が人に畚の中を見せると、運が下がって魚が獲れなくなると言うじゃないですか」
斥候「生意気をいうな」
斥候は、持っていた槍を畚に突き刺しました。為朝はギョッとしましたが、顔色には驚きを一切出さないようにがんばりました。
為朝「ご無体なことをなさる… 中には、さっき獲れた、貴重な黒饅魚が入っているんですよ。キズものになっちゃったじゃないですか。値が下がるよ…」
もうひとりの斥候が、再び槍を畚に突き立てようとしましたが、この男は舟がグラついたので足を踏み外して海に転落してしまいました。為朝はこのスキにすばやく舟を漕いで逃げてしまいました。
斥候「あっ、待ちやがれ」
もうひとりの斥候「いや、もう放っとけ。あいつはシロだ。中に入っていたのが本当に王女なら、さすがにもっと顔色を変えたはずだからな。畚の中に入っていたのは、ただの魚で間違いないだろう」
こうして、為朝の必死のポーカーフェイス作戦で、かろうじて敵の手を逃れることができました… しかし、中の白縫は無事でしょうか。為朝はじゅうぶん遠くに離れてから、畚の口を開いて「大丈夫か!」と中をうかがいました。
白縫「なんとか大丈夫よ。スネのあたりを傷つけられただけ」
為朝「お前が声をたてなかったので、オレも軽傷だろうと推測して、あんなふうに振る舞った。よかった… もしお前にもしものことがあったら、今すぐ敵どものもとに突入して、死ぬまで暴れるところだった」
為朝は舟の上で白縫に応急処置をほどこしました。
佳奇呂麻に戻った為朝は、村人たちに大歓迎されました。「よくぞお戻りくださった、われらの主よ!」
為朝はとても尊敬されていて、もはやあるじ呼ばわりなんですね。彼はどこでも民に好かれるのです。
為朝「うん、例のわざわいは、天孫氏の力で撃退されたようだぞ。碑が倒れて、獣を押しつぶしたのだ。また、寧王女も救出することができたぞ」
村人「すばらしい!」
村人たちは、この女性が寧王女と信じて疑いません。まあ、見た目は王女そのままですからね。そのまま村長の屋敷に運ばれ、キズの手当もして、休ませてもらうことができました。
為朝「(村長に)さて、王女の扱いについて、お前たちに頼みがある。彼女を変装させ、名前もかえて、ここにしばらくかくまってほしいんだ。オレが日本から船に乗って漂流してきたとき、妻だった白縫の衣装もそこに入っていただろう。それを王女に着せて、為朝の妻、白縫ってことにしておいてほしいんだ。敵の捜索をかわすためにな」
白縫「(小声)わ、妻ですって。ステキ!」
為朝「(小声)あくまで、仮にだからな!」
こう村人たちに頼んで、為朝自身は、利勇に会って今後の戦略を相談するために琉球本島に向かって舟を出しました。さて、為朝と利勇の共闘は成立するのでしょうか。