45. 赤瀬の碑
■赤瀬の碑
寧王女は、利勇の放った刺客に襲われて絶体絶命だったときに、その身に白縫の霊が乗り移ったことで超人の力を得、なんとかその場を逃げ出すことができました。その後、彼女は恩納嶽に分け入ったのですが…
翌日の明け方、ここに偶然、査國吉も到着しました。彼は新垣とその息子たちを逃がし、自分自身は手傷を負って別に逃れていたのです。
査國吉「…王女! よくぞご無事で」
寧王女「お前こそ! ほかの皆はどうなりましたか!」
ここで二人は互いに、今まで見聞きしたことをそれぞれ交換しました。(白縫はいったん王女の体から離れています。)王女は、真鶴が自分を助けようとして死んだことを話し、改めて身も世もなく泣き崩れました。
査國吉がなぐさめかねて立ち尽くしていると… この場に、新たに二人の人物が現れました。山で暮らす狩人の夫婦のように見えます。
夫婦「もし。あなた様は、逃亡中の寧王女さまでございましょう」
王女「えっ…」
夫婦「ここは蛇や猛獣が出て危険です。しばらく、我々の住居におとどまりください」
どうも、二人を助けてくれる様子です。二人は素直に感謝し、この二人についていくことにしました。この狩人夫婦は実に善良で、しばらくの間、二人をかくまいながら、精一杯にもてなしをしてくれました。滞在しはじめのころ、査國吉は傷が破傷風になって苦しみましたが、10月の中頃になって、これもなんとか治りました。
ある日、この夫婦は、都のウワサをいろいろと仕入れ、王女と査國吉に教えてくれました。
夫婦「都はたいへんなことになっておりますぞ。中婦君が産んだという子が、王の世継ぎに指名されたのです。その記念パーティの最中に、朦雲国師が、妖術をもってわざわいという獣を出現させ、これによって尚寧王と中婦君が殺されました。利勇だけが、残った王子を連れて逃げていったということです」
寧王女「…尚寧王! 父が! 死んだというんですか…」
寧王女はヒザから崩れて倒れ伏し、そして声をわななかせて泣きました。「母も父も失い、私にはもう生きる意味がない」
夫婦「王女、まだ続きがございます。朦雲は、わざわいをあなた様に向けて放ち、そのあとを兵たちもついてきています。このままここにとどまるのは危険です」
寧王女「そんなのを待つまでもない、私は今すぐ刀に伏してみずから死にます」
査國吉が王女を叱ります。「王女、そうしてみすみす死ぬのは、親への孝行とは言いがたいですぞ! 逃げるんです。そうしていつか、逆賊・朦雲を滅ぼしましょう。そうして国中を払い清めてこそ、無念の死をとげた王への孝行なんです」
寧王女「うう…」
査國吉は寧王女を連れ、山を西の方向に越えて、より遠くに逃げることに決めました。狩人の夫婦にお礼を言って出て行こうとすると…
夫婦「ご無事で! 私どもは、追っ手を少しでも食い止めます」
王女・査國吉「えっ! お前たちが?」
狩人夫婦は敵が迫ると思しい方向に走り去りましたが、その直後、住んでいた家がマボロシのように消えてしまいました。少しの間、二人は驚きに立ち尽くしましたが、やがて二人は、これは神の助けだったのだろうと気づきました。
査國吉「我々を君眞物が助けてくれている… まだ希望は失われていない。さあ、行きましょう!」
さて、そのまま二人は海岸を目指して走りましたが… やがて、ガチャガチャという音をたてながら兵たちが追ってきました。先頭にいるのは、世にもあやしい猛獣、わざわいです。
査國吉「私がここを支えます、王女は先に行ってください!」
査國吉はこう言うと敵の方向を振り返り、腰の刀をスラリと抜きました。この姿に激怒したわざわいが、一段と足を速めて隊から飛び出し、査國吉に飛びかかりました。國吉は素早く二・三度、獣の攻撃をよけて、力の限りに刀を突き立てました。
しかし、不思議なことに、刀は獣の体に触れるやいなや、アメ細工のようにポキポキと砕けてしまいました。また、治りかけていた傷口が開いて、國吉の体中から血が噴き出し始めました。
國吉「な、なんだ、これは。おのれ、負けるわけにはいかん」
わざわいは査國吉の股に食いつきました。査國吉は柄だけになった刀を投げ捨て、わざわいの首を脇に捕まえると、これを思い切り締め上げました。両者とも、あらん限りの力をこめて地面を踏みしめています。
わざわい「グググ」
國吉「死ね、バケモノ。死ね」
この力勝負を決したのは、査國吉でもわざわいでもありません。朦雲の放った兵たちが、査國吉の脇腹を左右から刺し貫いたのです。ついに勇士・査國吉までが、無残に命を散らしました。
王女は、査國吉の決死の忠義を無駄にすまいと、単身、必死に走りました。やっと海辺に出ることができましたが、そこには二人の少年が待っていました。
王女「あなたたちは?」
少年たち「話はあとです。乗ってください! 急いで!」
王女を乗せると、この少年たちの乗っている丸木舟は、風のようなスピードで岸から離れ始めました。ロクに漕いでいないのに、実に不思議なことです。これもまた、神の助けなのでしょうか。
やがて岸は遠くなりました。やっと追いついた獣も、もちろん泳いでは来られませんし、敵兵たちも右往左往しています。なんとか一息つくことができました… が、王女の頭の中は疑問でいっぱいです。
王女「あなたたちは誰なの? どうして私が来ると知っていたの?」
少年たち「順番にお答えします。まず我々は、毛国鼎の息子、鶴と亀」
王女「!!」
鶴と亀は、今までの事情を語り始めました。涙なくしては聞けない、実に過酷な話です。すなわち、査國吉の協力で母を連れて逃げたこと、その母は胎児を奪われて殺されたこと、その後、富蔵河で父の亡霊を見たこと、です。
王女「なんてこと…」
鶴・亀「母を葬った晩、我々は夢で父に会いました。そこでは父が『海に出て、丸木舟を見つけよ。そうしてその場で、寧王女を待て。必ず来るはずだから』と言いました。二人とも同じ夢を見たので、これは父からのメッセージだと確信し、さっき、あそこでずっとあなた様を待っていたんです」
それから王女と鶴・亀は色々と話を交換し、今回、実にたくさんの人々が命を落としてしまったことを知りました。毛国鼎、査國吉、新垣、廉夫人、真鶴、そして尚寧王。
王女「すぐれた人々が、たくさん、たくさん死んでしまった…」
鶴・亀「…」
王女「そして、それらの人の霊は、きっと私たちを助けてくれているんだわ」
鶴・亀「そうですね…」
船は飛ぶように走り続け、三日後には、小琉球の北の端に着きました。この島には200ほどの村があり、決して小さな島ではありません。しかし王女たちが流れついたところは、芦が生い茂る無人の浜辺です。
鶴・亀「この近くに、赤瀬の碑があるはずです。初代天孫氏が建造したという伝説がある石碑です。父の霊によると、そこにとどまれば、敵の攻撃をさえぎることができる、ということでしたが…」
一行は、やがてその石碑を見つけることができました。10メートル近い大きさの円柱型で、特に文字は彫られていません。しかし、前面にはひとりの美人の像が彫りつけられています。まるで生きているかのような精巧さです。
彼らはここに野宿しながら滞在しました。1日、2日とたち、そして3日目。とつぜん、まわりの水鳥たちがいっせいに飛び立ちました。
鶴・亀「来る! 朦雲たちの手勢が近づいてくる」
やがて、地面を揺るがすような響きが大きくなってきました。50人ほどの兵たちが、やっと船でこの地に着いたのです。わざわいは、不思議な力で王女がどこにいるのかをすぐに嗅ぎ当てることができるのでした。
鶴と亀が、これに応戦を始めました。少年と思ってあなどっていると思いのほか強く、兵たちはこの二人の太刀筋にひるみます。
鶴・亀「うおお」
しかし、悲しいかな、多勢に無勢と言わざるを得ません。12歳と14歳の少年は簡単に体力に限界が来て、敵に捕らえられてしまいました。
寧王女には、もう一度白縫が乗り移ったようです。彼女の武芸は、なかなか人間離れしています。稲妻のようなフットワークで飛び回り、恐ろしい形相で得物を振り回しては、当たるをさいわいに敵をバラバラと斬り倒していきます。
兵たち「いかん、強すぎる。わざわいをけしかけろ!」
例の獣が出てきて、王女に飛びつきました。王女は刀を突き立ててこれを迎え撃ちましたが、査國吉のときと同様、獣の体に触れた刃物は、たちまちボロボロに崩れてしまいます。王女はとっさに飛び退き、碑の後ろに隠れました。
そこでおかしなことが起こりました。わざわいは、碑に彫ってある女性像を、王女と見間違えたのです。そうして、石の表面にガチリと噛みつきます。すると、10メートルもある碑がグラリと揺れて… 島中に轟音を響かせながら倒れました。17,802年前に建てられて、どんな暴風雨にもビクともしなかった伝説の碑が、わざわい目がけて倒れたのです。
わざわいは、この石碑の下敷きになってしまいました。体を半分地面にめり込ませて、口から泡を吹き、動かなくなりました。敵兵たちも何人か巻き込んでおり、向こうにとってはかなりの大惨事です。
王女は無事でしたが、衣装の裾が碑と地面にはさまっています。すぐには動けません。
王女「ハア、ハア…」
兵たち「今しかないぞ! 王女を討ち取れ!」
30人ほど残った兵たちが、一斉に王女を目指して突入してきました。この状況ではとても撃退できなさそうです。王女は死を覚悟しました。
そのとき、横の岸のヤブの中から、一本の矢が撃ち出されました。そしてそれは、ブンとうなって飛び、一度に敵を二体串刺しにしました。
そしてもう一本。ふたたび、別の二体が串刺しに。
さらにもう一本。
この「百発二百中」の矢筋は誰のものでしょう。
王女「…!」
敵兵たちは、これが誰の者なのかを確認する間もなく、パニックに陥って逃げていきました。鶴と亀は捕らえたのですから、命があるうちにいったん退却の道を選んだのです。
王女は、ひとり、矢の撃ち出された場所を、目を丸くして凝視しています。
そこからノッソリと現れた、威風凜然たる大男。左の腕だけが四寸長く、金の武具をまとったその姿は。
王女の体を借りた白縫の魂が叫びました。
王女「為朝さま!」