44. わざわい
■わざわい
ある秋の日の深夜に、中婦君が産気づいたというニュースが宮中をさわがせました。国相の利勇がお産の手配をすべて切り回し、産屋には最低限の関係者だけを入れ、決して他の人の目に触れさせませんでした。
尚寧王はお産の最中は気が気でなく、一晩に100回も産屋に問い合わせの遣いをやりました。やがてついに、「性別は男子、母子ともに安泰」との報告がもたらされ、喜びに天にものぼる気持ちになりました。
朦雲国師はそのとき、王のそばに控えていました。
王「朦雲どの、おぬしのおかげだ。みごと、王子が生まれたわ」
朦雲「なあに、私は未来を予言したまで。すべては王の徳がなしたわざ」
王「さあ、これからのことも聞かせてくれ。わが子の未来のことを」
朦雲「前にも言ったが、彼は菩薩の化身ですからな。彼が王になれば、永遠にこの国は安泰じゃろう。人並み外れて聡明じゃから、2、3歳になったら、もう王位を譲ってもよいくらいじゃ」
新生児の後見には、利勇が命じられました。利勇はさっそく、自分の姪をこの子の乳母としました。王権に食い込む気マンマンです。(しかも実は、姪といったその女は、部下の妻を自分の縁者といつわって連れてきたのでした)
家臣たちの中には、この子が中婦君の本当の子なのか疑わしいと思っているものもいました。何せ、お腹が大きくならなかったんですからね。しかし利勇や朦雲のことを怖れて、だれもそれを公然とは口に出せませんでした。
やがて50日ほどが経ち、母子ともに産屋を無事に出ることができましたので、王はこれを祝い、国中に特赦の触れを出しました。(このとき、阿公も公式に許されました。まあ、事実上自由に振る舞っていたんですが。)そして、数日つづく、贅をつくした大宴会が催されました。王の左右には、子を抱いた乳母と中婦君、そして朦雲国師が並びました。その下には、利勇を筆頭に、国中の領主、役人、その他有力者が勢揃いしました。
陶松壽だけは、病気と称して宴会には出席しませんでした。
宴はすすみ、王は最近にはないほどに上機嫌です。
王「利勇よ、今後もこの子の世話をたのむぞ」
利勇「はい、命にかえてお守りします」
王「しかし、こんなに幼いのにいきなり世継ぎだの王だのと言われて、本当に大丈夫かなあ」
利勇「もちろんです。ちまたに、こんな歌が流行しているのをご存じですか。人々はもう、王子が民に幸せをもたらすと分かっているのです。
『神人きたれり 水は清し 神人きたれり 白砂は米となる』」
王「おお、似たような歌を聞いたことがあるな。たしか、朦雲どのが現れたころだったのう。たしか…
『悪神きたれり 海はにごる 悪神きたれり 白砂は蟹となる』」
王「ずいぶん景気のいい歌に変わったものだ。前の悪い歌は、なにを意味していたのかのう」
朦雲「フフフ、決まっておろう、それは寧王女のことじゃ。悪神が去ってよかったのう」
王「なーるほどな。わざわいが去り、さいわいが訪れたというわけだ」
(王はこの解釈で納得したようですが、本当は、何が「悪神」で、何が「神人」なのかは言うまでもないですね。あとで分かりますが、為朝も実は琉球に漂着しているんですよ)
さて、新しい子を世継ぎとするからには、例の「玉譲り」の儀式をしなくてはいけません。王はさっそく、この場でわが子(の代理である利勇)に、王家伝来の「琉」と「球」の玉を引き継ぎました。もっとも、ひとつは現在紛失中ですが。
最後に、王は公式にこの子を世継ぎに指名すると宣言しました。宮中から「バンザイ」という声があがって、今日一番の盛り上がりとなりました。
王はこの上なく満足しました。そして、ほんの気紛れから、あることを朦雲国師に言ってみました。ちょっと哲学な気分になったのかもしれません。
王「のう、国師。この世に、名前だけがあって形を持たないものが、二つだけあると思うんじゃ」
朦雲「ほほう?」
王「さいわいと、わざわいよ。どうだ、国師はこれらがどんな形をしているかご存じか?」
朦雲「なかなかの卓見ですな。しかし、実際は、それらにも形はありますぞ。さいわいは、よく肥えた、五色の牛の格好をしている」
王「へえ。では、わざわいは?」
朦雲「牛の形をして、虎の頭を持っておる」
王「へー、へー。どっちも見たことがないなあ」
朦雲「見てみたいかね? どちらもお目にかけることができるが、さいわいのほうは呼ぶのが難しくて、わざわいは割と簡単じゃ」
王「ふーん、じゃあ、わざわいのほうから見せてよ」
王がこう語ると同時に、縁側に数人の家来が現れました。なにか、獣にクサリをつけて引っ張っています。
家来「さっき、庭でこんな獣を捕らえました。まず王にお見せしようと、ここに牽いてきたのですが…」
朦雲がニコリと笑います。「ほら、王よ、さっそく現れた。あれがわざわいじゃ」
王「こ、これが?」
並みいる家臣たちも、みなこの獣を目撃しました。牛の体に、虎の頭。この上なくまがまがしい姿に、見た者は全員、これを嫌悪しました。
王「醜い姿じゃ… この獣は、何ができるのか」
朦雲「庶民が無道ならば、その身を滅ぼす。領主が無道ならば、その城を滅ぼす。そして、国王が無道ならば… その国を滅ぼす」
王「げー、不吉だ。もういい、この獣、どっかやってくれよ」
朦雲「そうもいかんじゃろう」
王「どうして!」
朦雲「王がみずから呼んだ獣じゃ。ワシが呼んだのではない」
王「呼んでない!」
朦雲「いいや、間違いなく、尚寧王、お前がわざわいを呼んだのだ。皇后の中婦君は邪淫に後宮をけがした。国相の利勇は権力の亡者となって寧王女を滅ぼし、民間から赤子をうばい、中婦君が産んだとウソをついた。50歳の女が子を産むものか、このアホウが」
王「な、なにを…」
朦雲「そして王は民の苦しみを省みずに、アホ丸出しで遊びほうけた。わざわいが訪れるのには充分すぎるほどの無道ぶりではないか!」
朦雲がこう言い切ると同時に、今までおとなしくしていたわざわいが、突然に憤怒の形相になりました。顔中に血の色をたぎらせ、眼は鏡のように輝き、そしてキバの一本ずつが刀のように尖っています。
その獣は哮り声をあげると、首に結ばれていたクサリをいとも簡単に引きちぎり、玉座に座っていた王の前に躍り出ました。そしてさらに一吼え。王はあまりの恐怖に気を失い、そのまま絶命しました。
中婦君はこの光景に肝を潰し、身をひるがえして逃げようとしました。次にわざわいのターゲットになったのはこの中婦君です。獣はたった一跳びで彼女に追いつき、スネを蹴たぐって仰向けに転ばせました。そして、前足で彼女の右足を押さえると、左の足首にキバを食い込ませ、そのまま彼女の体を割り箸のように引き裂きました。
同様に、王子を抱えていた乳母たちも、腰が抜けて動けないままに、次々とわざわいの餌食になりました。
利勇「う… うおお!」
利勇は乳母の死骸から王子をひったくると、屋外に逃げようとしました。それに、わざわいはやすやすと追いついて、装束の裾を前足で押さえ、動けなくしました。
利勇「ちくしょう、このバケモノ!」
利勇はとっさに、王の証として受け取っていた「玉」をひっつかみ、獣の額めがけて投げつけました。わざわいはこれにはひるんだようで、耳を伏せ、頭をさげて後ずさりしました。このスキに、利勇は自分の馬をみつけてまたがり、自分の領地である南風原に向けて逃げ去ることができました。
他の家臣や領主たちは、みな、土のような顔色をして、恐怖に身動きが出来なくなっていました。「お助け… 朦雲国師、お助けを!」
わざわいは、朦雲のもとにとどまって、これらの家臣たちを睨めつけています。朦雲は、そのまま玉座に近づき、これにどっかりと座りました。
朦雲「暗愚の王は死んだ。天孫氏25代の正統はここに断絶した。だが案ずるな。異国においては、王たる者はその血統で決まるのではない。徳に優れたものが王になるのだ。あのバカたちに代わってワシが王になってやる。そのほうが国は栄えるぞ。お前ら、ありがたく思え」
家臣たち「…」
朦雲「文句があるやつは、わざわいの餌食になってもらうまでだが… どうだ、ワシが王で異存はないな。…返事がないぞ! どうなんだ!」
家臣たちは恐怖にすくみ、口々にバンザイ、バンザイと唱えるしかありませんでした。
朦雲「よろしい、(玉をひろって)さて、これも、王の証としてワシが預かることになるな…」
このとき、わざわいが、口からひとつの玉を吐き出しました。それは、なくしていた、もう一方の「玉」でした。
朦雲「ほう、もうひとつの玉は、こんなところにあったのか。これはたいへんな偶然じゃ。いよいよ、私が王となるのは、運命だったと言わざるを得ないようじゃな…」
これは演技です。結局のところ、玉がひとつなくなったのは、朦雲がこっそり盗んで隠していたからだったのでした。それを知らない家臣たちは、いよいよ「新王バンザイ」と声高に朦雲を称えつづけました。このとき以来、朦雲は中山法君と呼ばれることになりました。
朦雲「さて、さっそくこれからの方針を皆に告げよう。まず、領地に逃げていった利勇のことだが、あいつ自身はザコで恐るるに足らん。むしろ、東風平の陶松壽が油断のならん敵となるだろう。あいつは妻の真鶴の首を王女のものと偽って提出し、王女をどこかに逃がしおった。ワシは知っておったが、今まで黙っていたんじゃ」
朦雲「陶松壽は、利勇のもとに参じ、軍をあわせて我々に歯向かってくるじゃろう。しかし、陶松壽は心から利勇に従っているのではないから、結局は一枚岩でなく、撃破はたやすい。阿公もその陣営に加わるじゃろうが、あいつも所詮はザコじゃ。怖くもなんともない」
朦雲「我々が一番注意すべきなのは、これらの誰でもない。むしろ、生き残った寧王女こそが、一番の脅威となる可能性を残している。すぐにも王女を探しだし、必ず殺せ!」
朦雲「このわざわいが行く先を追えば、必ず王女の隠れ家を見つけられるはずだ。すぐに兵の準備を整えよ!」
この指令に従って、すぐに50人の追討部隊が編成されました。彼らはまっすぐにどこかに向かおうとする獣のあとを追って、走っていきました。
さて、南風原の領地に逃げ戻った利勇は、すぐに籠城の体勢を整えました。そして、それと同時に、今までの事情を伝えて、陶松壽も呼びました。松壽は驚きましたが、自分でも王宮まわりで起こっていることを調べてウラを取ってから、利勇のもとに馳せ参じました。
利勇「おう、来たか。首里が今どうなっているか、知っているか」
陶松壽「はい。朦雲は、自分が国王であると名乗っているようです。みな、彼を怖れてこれに従っています」
利勇「チクショウ、あの妖術使いめ。しかし、王子は我々の手にある。大義はこちらにあるんだ。なんとしても朦雲を討ち、王位を取り戻さねばならん。これから戦いだ。松壽よ、お前が軍師になれ」
陶松壽「…ははっ」
利勇は国中に呼びかけ、南風原に兵士を集結させるよう要求しました。しかし、今まで勝手な権力を振るっていた利勇は国中に嫌われており、兵の集まりは全くはかばかしくありません。
利勇「ちくしょう、もっと兵力がいるんだ。これでは全然足りん。もっと、一騎当千の勇士みたいなやつは現れんのか…」