16. 番作と手束の結婚、ビッチ亀篠
■番作と手束の結婚、ビッチ亀篠
番作は仏堂の中で横たわりましたが、傷が痛くて、あまりよく眠れません。そのうち、女の子のいる建物からかすかに話し声が聞こえてきました。主人が帰ったのでしょうか。
女の声「あなたお坊さんでしょ、殺すなんてひどいわ」
番作「ははあ、あいつらグルで、オレを殺して物を取るって寸法かな。そうはいかない。やられる前に殺ってやる」
こっそりと障子の隙間から覗き見ると、40歳くらいの坊主が包丁をもって女を脅しています。そこに番作は飛び出しました。
番作「山賊め、殺してやろう」
番作は、逆上した坊主が振り下ろす包丁を華麗によけて、まずキック。さらに繰り出される攻撃をつぎつぎかわし、手元の包丁を叩き落しました。坊主が逃げようとするところを、番作がこの包丁を拾い、「天罰」と叫んで背中を縦にぶった斬りました。間髪いれず女に向かい、包丁の切っ先を突きつけると、
番作「オレを殺すのは止めようとしていたみたいだが、どうせ今までも、同じ手でたくさん殺したんだろう。え、コラ。今までしたことを白状しろ」
女子「何勘違いしてるのよ、私はそんなんじゃないわ、話をきいてよ!」
番作「ふん、他の仲間が帰ってくるまでの時間稼ぎか。通用しないぜ、とっとと白状しろ」
番作はずっと女に包丁を突きつけ、逃げても逃げても追いつめます。
女子「分からず屋! いいわ、じゃあこれを読みなさいよ」
番作「おっ、これは遺書みたいだな。直秀…? どういうことだ、説明してみろよ」
女子「あんたなんかに言っても無駄でしょうけど、私の父は井丹三直秀っていうのよ。私は手束。父は足利持氏様の臣下で、さきの結城合戦で死んだのよ。これはそのとき母にあてて書いた遺書」
番作「えっ、直秀って、井直秀どのか! …先をつづけてくれ」
手束「お母さんはこの知らせを受け取ってからしばらくして、心労で死んだわ。手下はみんな逃げちゃった。わたしがここに来たのは、母の初七日のお参りよ」
手束「このお坊さん、蚊牛っていうんだけど、私に気があったみたいなの。まじでキモいわ。適当な理由で深夜までわたしにここに留まらせて、さっき戻ってくると、私に乱暴しようとしたのよ。包丁まで突きつけてわたしをおどしたの」
番作「うわー、こいつカスだな」
手束「これで分かったでしょ。さあ、殺すんなら殺しなさいよ。それとも私が結城の残党だっていうんで、幕府に引き渡すのかしら。それでもいいわ。ただ、私が山賊だの何だのって言われるのだけはガマンできない。この濡れ衣さえ晴らしたら、あとはどうでもいいわ。いまさら命なんか惜しくないもの」
番作「…オレは大塚番作だ。親父の名は、大塚匠作三戍。直秀どののマブダチだった男だよ。オレも実は結城合戦にいて、直秀どのにはよくしてもらった。戦死したんだな。おれの親父も戦死したよ」
番作「それでそのあと、オレは親父のカタキを討ってきたんだ。さっき、裏の墓地で掘りやすかった所に、勝手に親父の首を埋めさせてもらったよ。お前は直秀どのの娘なのか。勘違いして殺さずにすんで本当によかった…」
手束「…じゃあ、あなたが番作さまなのね! この遺書の中にも書いてあるのよ。父はあなたを本当に気に入っていたみたいで」
番作「え、知ってんの。そういえば直秀どのは、ひとり娘をオレにくれると親父と約束していたとか何とか…」
手束「これは決まりね。結婚しましょう私たち。あなたがお父さんの首を埋めた場所、私のお母さんを埋めた場所の近くだわ。これはいわば、親公認よ!」
番作「お、おう…」
こうして二人は結婚することになりました。ただし、ちゃんと喪が明けてからですが。
手束「お坊さんを殺しちゃったし、ここにいつまでもいるとヤバいわ。私の家にも戻れない。今から、信濃の筑摩にいきましょう。あそこには母方の親戚がいるの。温泉があるから湯治にもいいわ」
番作「そうしよう。夜が明けないうちに」
寺を出て少し歩くと、後方に火があがっていることに気づきました。
手束「あっ、さっき火を消し忘れたのかしら。お寺が燃えてる!」
番作「なあに、オレがわざと埋火にスダレをかけといたんだ。あそこは放っておくと山賊の住処になるだろう。オレが偉くなったら、あらためてあの場所に大きな寺を建ててやるさ」
その後ふたりは筑摩に行き、番作は療養をはじめました。余計な噂を避けるために、名前をちょっとアレンジして、犬塚番作と名乗るようにしました。やがて傷は治ってきたのですが、筋がひきつって、足は不自由になりました。一年たつと、今度は瘧という熱病にかかり、なかなか武蔵の母と姉をたずねるまでには回復できません。手束は機を織って家計をわずかに支えましたが、三年もたつと蓄えが尽きて、いよいよ困り果てました。
そのころ、湯治客のひとりからこんな噂が聞こえてきました。「春王・安王の弟にあたる、永寿王成氏様が、結城の戦いで戦死した家臣の子供たちを召しかかえるキャンペーンをやっている」というものです。
番作「これにすがろう。なんとしても今から武蔵の母と姉に会い、そこから鎌倉に行って、われらの父匠作と直秀の忠死の旨を成氏様に報告し、そして宝刀村雨もお返しする。その後のことは主君におまかせしよう」
番作は、杖をつき、妻に支えられながら、二ヶ月以上の旅を強行して、ついに大塚の里の近くまで帰ってきました。ちょっと休憩させてもらった民家で、さりげなく故郷の様子を聞いてみました。「大塚匠作さんという人がここらにいたね。彼の奥様と娘はお元気だろうか」
民家の爺さん「なに、おぬしは知らないのか。大塚さんの奥様は二、三年前に死んだぞ」
そこで爺さんが詳しく語った話はこんな具合です…
「大塚匠作さんは戦死して、息子さんの番作さんは行方不明という噂が流れてきてな。それいらい奥さんは寝込んでしまった。しかし、娘の亀篠はそれをロクに看病もせずに見殺しにしてしまった」
「亀篠は淫奔で悪い娘じゃ。はっきりいってビッチじゃ。どこのチンピラとも知れん蟇六とかいう男と遊びまわっておったのだが、母が病気になると、その看病を口実に蟇六を家に雇い入れ、実際には看病などそっちのけで、やっぱり二人で遊びほうけておったのだ」
「母が孤独死同然に死んだあとは、亀篠は誰にもはばかることなく蟇六と夫婦になって、それから一年ほど過ぎたころじゃ。この里に、足方成氏さまの『結城で戦ったやつら優遇キャンペーン』の話が舞い込んできた。成氏さまは、かつて幕府に反旗をひるがえした足利持氏さまのご子息の生き残りじゃが、後に幕府に許されて、ふたたび鎌倉公方の地位についた方。その方が、ちりぢりになった持氏さまの臣下の子孫を再び召しいれることになったんじゃ」
「蟇六は喜んで鎌倉に参上し、『自分は結城で戦った大塚匠作の婿である』と名乗り出て、恩賞を要求したんじゃ。その後、やつはここの村長をも命じられて、まんまと小金持ちになったというわけだ」
番作はフラフラと外にでて、大きくため息をつきます。
番作「オレは母を看取ることができなかった。その上、蟇六とかいうどこぞの馬の骨に父の名誉を横取りされて、大塚の名を汚されてしまった」
手束「(涙をぬぐって)どうするの」
番作「訴えれば、勝てるんだよ。それは間違いない。オレの手元には宝刀村雨があるんだから。でも、姉貴と骨肉の争いをするのは趣味じゃない。クソ姉貴だとは思うけどな」
番作「ともかく、オレは帰ってきた。まずは村人たちに知らせよう。大塚の名字は取られてしまったから、これからも犬塚と名乗りづつけることにしよう」
番作夫婦は、村人に大歓迎されました。実は村人たちは蟇六と亀篠が嫌いだったのです。このふたりのエピソードは有名でしたから。蟇六たちへの当てつけという意味もあってか、番作たちはそれなりの屋敷と田畑をカンパしてもらえました。(しかも蟇六の屋敷の真正面です。)番作は村の子供たちに習字を教え、手束は女の子たちに機織りと裁縫を教え、すぐに皆に好かれるようになりました。
蟇六と亀篠は、この事態がまったく面白くありません。だいたい、番作は死んだつもりでいたのです。しかも、いつ番作たちがアイサツにくるかと待っていても、一向に来る気配がありません。ついに我慢ができず、番作たちに使いをやりました。
亀篠の使い「私は女手ひとつで母を最後まで看取り、親の遺言でしかたなく婿を取り、大塚家を維持しました。お前のように、おめおめと戦場から逃れ、そこらへんの女を捕まえ、村人をたぶらかしてこんなところに居座っている人とは違うのです。あなたは恥ずかしくないのですか。今までアイサツにさえ来ないとは、失礼すぎます。ウチの人は村長ですよ。目上なんですよ。村長に礼儀が払えないような人なら、ここから出て行ってちょうだい!」
番作の返事「オレはそれなりに苦労してきましたよ。大したことじゃないかもしれないけど、父のカタキを討ち、主君の首を奪い返したのです。姉貴達はずいぶん偉くなったようですが、なにか手柄でも立てたんですか。オレは姉貴にもそのダンナにもへつらうつもりはありません。どうしても追い出す気なら、オレは鎌倉に行って姉貴たちを訴えないといけません。持氏様からあずかった宝刀村雨はオレが持っているんですから、姉貴たちは必ず負けますよ」
亀篠たちはグウの音も出ません。それ以来何も言ってこなくはなりましたが、たまたま会っても互いに口もきかない、冷戦状態となりました。
それから10年ちょっと経ちました。
番作たちのそのころの悩みは、子ができてもすぐ死んでしまうことです。今まで三人の男の子をもうけましたが、みな、オムツが取れる頃まで長生きできなかったのです。
番作「オレも奥さんもいい歳になってしまったし、もう子供は無理なのかなあ」
手束「弁才天の祠にお参りしてみましょうか。効くらしいわよ」
番作「うん、じゃあ試しにやってみて」
手束はそれから丸三年、毎日明け方に、祠に通って子宝を祈願しました。
ある月の明るい夜、明け方が来たと勘違いした手束は、いつもどおり弁才天に詣でました。「なんだ、まだ夜だったわ」とひとりごちていると、不意に、足元に一匹の仔犬がいるのに気づきました。背は黒く、腹は白い犬です。手束になついてすり寄って来ます。
手束「捨て犬かしら、ずいぶんなつくわね。オス犬は子宝のシンボルだっていうし、連れてかえることにしましょうか…」
犬を抱き取ろうとすると、南のほうから紫の雲が湧いてきました。それに続いて、白黒マダラのおおきな犬に乗った天女が現れました。数珠を持っています。天女は手束をチョイチョイと手で招くと、玉をひとつ、投げてよこしました。
手束はそれを受け取ろうとしましたが… まさかの捕球ミス! 玉は手からこぼれ、仔犬の近くに落ちました。あわてて探しましたが、もう見つかりません。天女もコツゼンと消えてしまいました。
手束は犬を抱き上げ、いそいで家に帰り、番作にこれを報告しました。「私、祈願に失敗したってことかしら。なにせ、急に玉が来たので…」
番作「いや、玉は逃しても、まだまだかなりのラッキーサインだと思うよ。犬塚のもとに、犬に乗った天女が現れたんだ。そしてお前は犬を拾った。ついでかもしれないけど、オレの名前は一戍だ。戍って字が、戌に似ているんだよ。うん、その犬、大事に飼おうぜ」
このラッキーサインは本物でした。この後すぐに手束は妊娠し、やがて元気な男の子を産んだのです。