18. 与四郎がネコをかみ殺す
■与四郎がネコをかみ殺す
妻の手束をうしなって以来、犬塚番作は急に老けました。もともと足も不自由で病気がちですが、いよいよ髪も白くなってきましたし、歯もいくつか抜けています。子供らに習字を教えるのも大変になってきました。それでもタダ飯を食うことはいやなので、何か村に恩返しをするにはと思案した結果、自分が知っている「役に立つこと」をノートにまとめて村に提供することにしました。
ノートには、洪水や干ばつへの対処方法や、凶作のときに何を食べて乗り切ったらよいか、といった実用的な知恵がたくさん記されました。犬塚番作の「犬ペディア」とでも名づけましょうか。
長老「これはすばらしい。村の宝だ!」
犬ペディアは、村人がこぞって借りていき、自分用の写しを作りました。
蟇六「ほう、オレにも見せろよ」
村人A「今は誰々が持っているから、ワシの手元にはないよ」
蟇六「おいお前、例のノート、オレにも見せろよ」
村人B「あー、あれは誰々に又貸ししちゃったなあ。どこにあるか分からないよ」
みんな蟇六たちにはわざと見せません。
蟇六「けっ、もういい! どうせ大したことは書いてないに決まってる!」
犬の与四郎は、今では堂々たるボス犬です。12歳を超えた老犬なのに、歯並も毛のツヤも衰えません。蟇六はこれをねたみ、自分たちでも何匹か犬を飼ってみました。それらはすべて与四郎とのケンカに負け、大怪我をしたりかみ殺されたりしました。
蟇六はいよいよ悔しがり、手下に命じて与四郎を道端でみたら叩きのめすよう指示しましたが、与四郎は身をかわすのがうまく、なかなか棒は当たりません。あまりに間合いを詰めると今度は食いつかれそうで、手下は結局ビビって与四郎に手を出すことができません。
蟇六「けっ、犬なんて野蛮なものを飼うのがおかしいんだ。 あんなもの、吠えたりクソしたりするほどしか役にはたたん。そうだネコだ、時代はネコだよ!」
蟇六は犬を飼うのをやめてネコを一匹もらってきました。キジ毛模様なので紀二郎と名づけ、親子三人で精一杯ネコをかわいがりました。
蟇六「うん、ネコはいいな。高貴な感じがいい。ネズミも取って役にたってくれる。犬なんかとは大違いだ。ハハハ」
しかし紀二郎はあまり家にいつかず、半分ノラネコみたいな暮らしをしました。あるとき屋根の上で他のネコとケンカして負け、軒下に落ちたところが運悪く与四郎のいる庭でした。ネコは与四郎にかみ殺され、やがてその報告が蟇六に伝えられました。
蟇六「キジロオォォォ!」
蟇六はつぶらな目に涙をうかべてサメザメと泣きました。(つぶらだったらしいですよ)
蟇六「どうして紀二郎を助けられなかった、バカモノ!(地面を棒でたたく)」
手下「そんなこといったって」
蟇六「許せん。番作の家に行って、あのイヌをひっぱって連れてこい!」
番作の家に使いにいった手下たちには、糠助も含まれています。滝に打たれていた信乃の命を救った人ですね。
使い「いままでお前の犬はうちの犬をたくさん殺した。しかし犬どうしの争いなら仕方ないと、蟇六様は大目に見ていたのだぞ。しかし今回は違う。ネコはそもそも犬と争わない動物なのに、犬がわざわざネコをかみ殺すとは、これは犬の罪というべきである。ただちに犬をこちらに引き渡されたい。紀二郎を失った恨みを返すのだ」
糠助「どうぞおとなしく従ってくだされ。連れて帰らないと、ワシも怒られてしまうのです」
番作「糠助さん、大丈夫ですよ。だいたい、その理屈だと、ネコがネズミを殺しても罪になっちゃうじゃないですか。人の法律を動物にあてはめるのは無理なんです」
番作「さらに、ネコは座敷にいるべき動物なのに、わざわざ自分の領分をこえた死地に入ってきたのだからこれは仕方ないでしょう。たとえばうちの与四郎が蟇六の家の座敷に上がった、とかだったら、犬を殺されても私は文句言いませんよ。それと同じです」
糠助たちはこの返事をもって蟇六のところに戻りました。蟇六はもちろんのこと、今度は亀篠がカンカンに怒りました。
亀篠「姉を姉と思わぬこの無礼さ。謝る口はあるのに謝らないこの非法さ。もう許せないわ。みんな、腕づくでも犬を奪ってらっしゃい!」
蟇六「いや、それはやめよう。仮にも相手は番作だ、ことによると刀で斬りあうケンカになる。そうなれば捜査当局が動いて、こっちも面倒だ」
亀篠「じゃあどうするのさ」
蟇六「番作はこう言ったそうじゃないか、オレの家に入ったら犬を殺されても文句は言わないと。だからあの犬をなんとかしてウチに呼びいれ、そこで堂々と殺してしまおうじゃないか…」
ふと気づくと、糠助がいません。
蟇六「あっ、こんな話をおおっぴらにするんじゃなかった。誰か番作にチクるやつがいると問題だ。糠助は妙に番作のところに親しく出入りがあって怪しいんだ。額蔵、あいつが妙なことしてないか見てこい」
額蔵は蟇六の手下のひとりで、まだ子供です。この少年だけは、蟇六の普段のねたみ癖を「あほらしいなあ」と思いながら見ているのですが、そんな態度を表には出しません。さっそく家の外に飛び出しましたが、糠助を追いかけるわけではなく、適当に時間をつぶしてから蟇六のもとに戻り、いいかげんな報告をしました。
額蔵「番作さんのところには行ってないみたいですよ。糠助さんはここに借金があるんですよね。蟇六さまを怒らせるようなことは基本的にしないと思うんですけど」
蟇六「ふん、たしかにそうだ。まあ放っておこう。おまえ達、あの犬を見かけたら、なんとしてでもウチに呼び込むのだぞ」
実際には、糠助は番作のもとにいて、さっきの蟇六の作戦をバラしていました。
糠助「しばらく犬を他の場所に避難させなされ。そのうちほとぼりも冷めますよ」
番作「蟇六の策略など怖くはないのだが、なんせこの体でもあるし、争いは避けるのがベストだろうな。ありがとう糠助さん、犬の避難はよろしくたのむ」
しかし、糠助がすこし遠くの寺に与四郎をあずけてきたのに、すぐに犬は番作たちのもとに帰ってきます。何度ためしても同じで、川を渡った遠いところに犬をあずけても、やっぱり帰ってきます。
信乃はこの様子をみながら考えました。
信乃「犬を遠くに預ける作戦はうまくいかないようだ。ほかに、与四郎が殺されず、蟇六達の怒りもしずめられるような方法はないかなあ。 …む、ひとつひらめいた。父には黙って、糠助さんにだけ協力をもとめよう」
信乃のアイデアとは、与四郎を蟇六の家近くに連れて行き、これ見よがしに犬をバシバシ叩いて叱りつけるというものです。本気で犬を叩けば、これを目撃して蟇六は気が晴れるかもしれません。
糠助「11歳にしてその智略! これはうまくいきますぞ」
早速実行です。糠助といっしょに蟇六の家の近くに行くと、信乃は犬をバシッと叩いて、「お前はおれの親族に恥をかかせる悪い犬だ、殺してやる!」と叫びました。
犬はビックリして、こともあろうに蟇六の家の裏口に飛び込んでしまいました。
信乃「おい戻れ、そっちじゃない!」
門は閉じられ、中からは大騒ぎする気配がして、やがて犬が苦しげに吠えたりうめいたりする声が聞こえてきました。糠助は肝をつぶして逃げてしまいました。
信乃「ああ、とんでもない失敗をしてしまった」
そのまま家に帰り、一部始終を番作に報告します。
番作「なかなかの作戦だったが、まだ蟇六達の人となりを見極めるには未熟だったな。そもそもあいつは、お前が犬を叩いて見せたところで怒りを晴らしたりするヤツではないのだ」
番作「犬のことは残念だが、自分たちの失敗だと思えばあきらめもつく。もしあいつら自身が犬を呼び入れて殺したとすれば、もっと腹が立ったことだろうからな。そう考えろ」
そういっていると、与四郎が突然現れました。瀕死の状態ながら、家まで逃げ帰ってきたのです。
信乃「ああ与四郎よ、すまなかった! みんな自分のせいだ」
番作「生きて戻ってくるとは大した犬だ。だがもう助かりそうにないな。せめて水を飲ませ、日陰に寝かせてやれ」
一方、蟇六の屋敷では:
蟇六「トドメをさすまえに逃げてしまったか。まああれなら助かるまい。お前たち、よくやった」
手下はみな、さきほどの騒ぎの興奮が冷めない表情です。額蔵だけは犬を追うフリだけして実はしておらず、今も「バッカじゃねえの」といわんばかりの顔をしていますが。
蟇六「どうも、番作のところのセガレが今回のことをしでかしたらしい。こいつは多分、この件の落としどころを探った番作が指示した作戦だったのだろう。つまり、あいつは強気なようで意外と弱ってるってことだ。ここに乗じて、さらに追い込んでやるか…」
亀篠「どういうこと」
蟇六「村雨をこちらに差し出すよう追い詰めるのだ。あれは前からぜひ欲しかった」
蟇六「足利成氏さまは、近年、幕府との関係がふたたび悪化して、許我にしりぞかれた。おれたちにとっては、後ろだてがいなくなってしまったということだ」
蟇六「その後の鎌倉を仕切っているのは、関東管領の顕定さま・定正さまのおふたりよ。その方々に、例の村雨を献上するのだ。そうすればこの里も当分は安泰、それどころか、オレはふたたび特別ボーナスをもらえるだろう」
つまり、前のボスを追い出した次のボスに、進んで自分からシッポを振ろうというわけですね。そのときに宝刀村雨を手みやげにしたいと。
蟇六「そうそう、さっきの騒ぎのとき、番作のセガレといっしょに、糠助もいたとか… あいつも利用してやる。糠助を呼べ」