19. 犬塚信乃、宝刀村雨を譲り受ける
■犬塚信乃、宝刀村雨を譲り受ける
糠助は、信乃と一緒に「与四郎をぶっ叩いて蟇六に許してもらう作戦」が失敗して以来、家にとじこもって布団をかぶり、震えながら居留守を決め込んでいます。ですがそんなことが通用するはずもなく、蟇六の手下に簡単に見つかって屋敷に引きずっていかれました。
糠助に会ったのは、亀篠ひとりです。人払いして、二人きりだけでの小声の会話です。
亀篠「病気だったのかい、よくはなったのかい」
糠助「はあ、どうも、もうだいぶ良いようで…」
亀篠「番作の息子と一緒に、暴れ犬をウチに送り込むという悪さをしたのはどうしてだい」
糠助「…(冷や汗ダラダラ)」
亀篠「これをご覧」
糠助「は」
見ると、ビリビリに破れた、何かの書類のようなものが手元に置いてあります。
亀篠「これは、鎌倉の管領様から届いた通達文書でねえ。許我の城攻めをするので兵糧を拠出せよ、という内容のものだったのだけど」
糠助「…」
亀篠「こんな風に踏み破られてしまったのよ。あの犬に」
糠助「!」
亀篠「公文書の破損は、謀反にひとしい罪なのよ」
糠助「…どうかお許しくだされ、こんな意図はなかったのです(蚊のなくような声)」
亀篠「本来、お前と番作親子を縛って鎌倉に差し出すべきところなのだけど」
糠助「…」
亀篠「わたしが夫を必死に説得して、そうしないですむようにしたのよ。泣いて説得したの。仮にも血をわけた弟と甥のことなのだもの」
糠助「…」
亀篠「どうするかっていうとね… 番作の持っている宝刀村雨。あの宝物を鎌倉の管領に捧げれば、きっと許されると思うのよ」
糠助はおおきなため息をつきました。
糠助「きっと番作さまを説得してきます。必ずそうします。そのときはどうかわたしをお許しください。では…」
糠助は逃げるように屋敷を退去しました。動転していますので、ふすまを無理に反対方向に開けようとして押し外してしまい、それにも構わず出て行ってしまいました。
亀篠「(となりの部屋に向かって)やったわよ、あんた」
蟇六「まずは上々だな」
ほくそ笑むふたりを、石臼がゴロゴロ鳴る音が驚かします。いままで居眠りしていた額蔵が、茶を挽く作業を再開した音と思われます。
蟇六「ふん、驚かせやがって」
さて、糠助は番作のもとに転がるようにしてたどりつき、さきほど自分が聞いた説明を一気にまくしたてました。
糠助「ですから、村雨を庄屋にお渡しなされ。悪いことは言わん。かかる重罪を免れるには、亀篠さまのお慈悲にすがるしかないのですぞ」
番作「うーん、その文書、ちゃんと見た?」
糠助「いや。そもそもわしは字が読めぬ」
番作「それは蟇六たちの策略なんですよ。公文書の破損が事実だとして、村雨を渡したら許される、なんて誰が決めたんです? もしこれが全部本当だとしても、それなら鎌倉に連れていかれてから村雨を渡したって間に合うことなんですよ。とにかく、バレバレなんです」
糠助「このままでは私まで巻き添えで死んでしまいます! ハイといってくれるまで帰るわけにはいかん。意地をはらんでくだされ、私を助けると思ってくだされ。お頼み申す…」
番作「(説得は無駄か…)よしわかりました糠助さん、ちょっとよく考えますから、日暮れになったらまた来てくださいよ」
糠助「日暮れといっても、もうすぐですな。では家で『一休さん』の再放送を観てからまた来ます。たのみましたぞ」
信乃は、瀕死の与四郎の世話をしながら今の話を聞いていましたが、それが済むと、番作の近くに火桶を持ってきます。
信乃「雑炊、余りがありますが食べますか」
番作「いや、腹はへっておらん。おまえが食べろ」
信乃「さっきの糠助さんの話が事実なら、これは全部自分のせいで、父上は関係ありません。自分は罪をつぐなう覚悟がありますが、そうなれば誰が父上の身の回りのお世話をするのか、それが心細いです」
番作「犬の事件は済んだことだから忘れよう。幸も不幸もそのとき次第なのだから、恨みも悲しみもするまいよ。村雨の件は、だからあれは策略だってば」
番作「いままでも何度も何度も、村雨を奪うためにあいつらは色々仕掛けてきてたんだよ。商人を派遣して高値で買い取ろうとしたり、もっと直接には泥棒を送り込んだり。今回みたいな事件はめったにないチャンスだと思ってるだろうな」
番作「なんであいつらが村雨を欲しがってるのかは見当がつくよ。ひとつは、俺が鎌倉に『蟇六が匠作と番作の手柄を横取りした』と訴えるのが怖いからだ。村雨は証拠の品になるからな。もうひとつは、たぶん、関東管領に村雨を献上して、自分の荘園を守りたいからだ」
番作「べつにオレは荘園なんかを争う気はないから、そういう意味では刀なんかくれてやってもいい。でもこれは、今からお前にやるものだからな。取られるわけにはいかん」
信乃「なんですって」
番作は、家の梁にかかっていた竹の筒を、手元の刀で斬りおとしました。筒は割れ、中から錦の袋にはいったものが現れました。番作は袋から刀を取り出して、ひとつ礼をすると、しばし念じたのち、刀身を抜き放ちました。信乃は目をはなすことができません。露に光ったと思うと、やがて寒々と霜を宿す刃のすさまじさ。番作は刀を鞘にふたたび納めました。
番作「これがウワサの宝刀村雨だ。お前はこれを許我の成氏さまにお渡しせよ。そして身を立てるのだ」
番作「もう女の恰好をする必要はない。お前は今から、犬塚信乃戍孝と名乗るがいい。それでこそ刀を譲るにふさわしい」
信乃「どうして今、自分に譲るんです?」
番作「オレは父からの遺言として、これを春王・安王様に返せとは言われたが、永寿王成氏様に返せとは言われておらん。せいぜい、君主の形見として持っておれと言われただけだ。成氏様に刀を返すのは、お前がやるのがふさわしい。オレは今から死ぬから、これで遺言も守り抜いたことになる」
信乃「意味がわかりません、父上。どうして死ぬなどと」
番作「蟇六の策略に対抗するためだ。策略には、策略よ。オレは今から切腹する」
信乃「!!」
番作「するとどうなる。村人たちは、蟇六夫婦を恨むだろう。お上に訴えるくらいのことをするんじゃないかな。蟇六たちは身の危険を感じる。そこで、誠意を見せるために、おまえを養子に取るだろう。これがオレの読みだ」
番作「しかし、この刀を絶対に渡してはいかんぞ。お前が成人したら、これをもって成氏さまのところに行き、お前自身の手で献上するのだ。それまで蟇六のもとで耐え抜け。臨機応変、工夫を極めて相手の策略を防ぐのだ」
信乃「やめてください、切腹などと!」
番作「どうせこの先長くない命だ。こういうときに使ってこそ、今まで生きてきた価値がある。早くしないと糠助が来る、急がねば。11歳のお前を残していくことだけは心残りだが… がんばれよ」
信乃「ぜったいに切腹なんかさせません!」(番作にしがみつく)
番作は、「この分からず屋が」とばかりに信乃を尻に敷き伏せ、そのまま村雨を抜くと自分の腹に突き立てました。そして心しずかに引き回し、刀を抜くと、最後はみごとに喉を貫いて絶命しました。信乃は迸る鮮血に全身をぬらし、目からは血と自分の涙が混じったものを流しました。
そこにちょうど糠助がさっきの返事を聞きに現れましたが、この惨状を目にすると、ぎゃあと一声叫んで逃げ出しました。
信乃「今から蟇六たちに養われろだって? 刀を守り抜けだって? 父も母ももういない。誰のために自分はそんな苦労をしなくてはいけないんだ、誰のために! イヤだ、自分もすぐに死んで父上の後を追うんだ」
信乃は番作の手から村雨を取りあげました。驚くべき村雨の性能、刃は洗い流したように水にぬれ、まったく血がついていません。
信乃「本当にすごい刀だ。そして、父上が死んだのと同じ刀で死ねるのはありがたいことだ」
不意に、信乃は犬のうめき声を聞きました。今まで与四郎のことを忘れていました。
信乃「与四郎がまだ死んでいない。これを残していけば苦しみを長引かせるばかりだ。先に与四郎を楽にしてやろう。犬に宝刀を使うのは罰あたりかもしれないけど、血の付かない刀なんだし、ちょっとはいいだろう。ゆるせ与四郎、痛いのは一瞬だけだぞ。如是畜生、発菩提心!」
与四郎は自分の首をのばし、まるでここを斬れといっているかのようです。信乃は持っている刀で与四郎の首を落としました。すると、血しぶきといっしょに飛び出したものがあります。信乃は何気なしに左手で受け止めました。
信乃「なんだろう。玉のような形だ」
刀をとりあえずおさめ、手にしたものの血糊をざっとぬぐってみると、大きめの数珠の玉のような、にぶく透き通った物体です。月明かりにかざしてみると、中に「孝」の文字が読めました。彫ったのでも書いたのでもない、自然に浮かび上がるとしか言いようのない、ふしぎな文字です。
信乃「わかった。これが例の『玉』だ。与四郎の体の中にあったなんて。道理で、歳をとっても元気だったわけだ。 …しかし、母上は死んだ。今さら見つかったって、遅いんだ! こんなもの、誰にでもくれてやる!」
信乃は玉を放り投げました。不思議なことに、投げたはずの玉が、弾んでふたたび信乃の懐に戻ってきます。何度やってみても同じです。
信乃「好きにしろ。どうせ自分は今から死ぬのだ」
信乃は着物の袖を脱いで諸肌をさらしました。今度は、自分の左腕に大きなアザができていることに気づきました。まるで牡丹の花のような形のアザです。
信乃「どうも、死ぬ前っていうのはいろいろと幻を見るものかもしれないな。とにかく何でもいい、おさらばだ。早くしなくては父上に遅れる」
いよいよ信乃が自分の腹に刀をつきたてようとしたその瞬間、三人の人物が飛ぶように縁側から現れて、「まて、まて!」と叫びました。