20. 信乃と額蔵が義兄弟になる
■信乃と額蔵が義兄弟になる
信乃の自殺を止めに来たのは、糠助と蟇六・亀篠夫婦でした。糠助は背中から信乃を捕まえ、残りの二人は両腕をそれぞれ抱えて信乃を止めようとします。
蟇六・亀篠「その刀を放しなさい!」
信乃「ええい、あなた達なんか知りません。何しにきたんです!」
亀篠「なぜ私たちを嫌うの。あなたは、番作が言うことを鵜呑みにして私たちを誤解してるのよ。私が蟇六と結婚したのはあくまで家を守るため。その後蟇六が村長になったのはたまたまで、弟からこの荘園をうばう意図なんてなかったのよ。今回の公文書の事件だって、なんとかしてあなたたち親子を守るために私なりに苦労していたのに、自殺なんかしてしまうなんて。どうか早まらないで」
蟇六「わたしは番作と敵対するつもりなどはじめからなかったのに、誤解を重ねてこんなことになってしまって残念だ。せめてお前は養子に取るから安心しろ。犬も番作も死んでしまったし、公文書の事件についてはこれ以上誰にも罪は及ばない。私があとの処理をしておく。頼むから刀をおさめなさい」
二人とも、村雨のムの字も口にしません。信乃は父の遺言を思い出します。なるほど、それらしくやさしい言葉を言ってはいるが、ここからもう策略は始まっているのだな…
信乃「ご親切な言葉ありがとうございます。今回の件で逮捕もされず、刀も差し出さなくてよいのでしたら、自殺はやめます」
蟇六は眉をしかめます。「宝刀のことなど私は知らんぞ。亀篠が勝手なことでも言ったのか。何のことかは知らんが、お前が受け継いだものはお前のものだ。何も気にすることはない」
それを聞いた信乃が、刀を静かにサヤにおさめるのを見て、三人ともホッと息をつきました。
その晩のうちに棺の手配がされ、翌日に葬式が行われました。里の人たちはみな番作の死を悲しみ、300人以上が参列しました。その中で信乃は、父の先見の明にひたすら感心していました。
信乃「自分が『刀』としか言わなかったのに、蟇六は『宝刀のことなど知らない』と言った… そして、おそらく村人の恨みをかわして自分たちの身を守るために、信乃を養子にすると言った… すべて父上の読んだとおりだ。本当にすごい人だ。自分はこれからも父の遺言に従おう。成人になるまで、伯母夫婦のもとで耐えよう」
さて、信乃は父の四十九日が終わるのを待ってから亀篠たちの屋敷に移るつもりでしたが、子供をひとりで放ってはおけないからと、番作の家に手伝いがつかわされました。その際、近所だからという理由で糠助が、また、年齢が近くて話し相手によいだろうという理由で、額蔵が割り当てられました。
信乃は額蔵も亀篠たちのスパイだろうと疑っているので、最初のうちは容易に心を許しません。身の回りの世話もほとんど額蔵にはさせず、極力一人でこなしました。何週間かたつと、信乃は、額蔵がとてもおだやかで礼儀正しく、気づかいもマメで、総じて「居心地のいい」やつであることが分かってきて、ひそかに感心するようになりました。でもまだ、完全に信用するわけにはいきません。
ある暑い日、額蔵が「湯が沸いていますから、行水をして垢をおとしませんか」と提案してきました。信乃は言葉にあまえ、背中を流してもらうことにしました。やがて準備がととのいましたが、額蔵は信乃の左腕についているアザを見て驚きます。
額蔵「信乃さま、こ、このアザは」
信乃「うん、ああ、なんでもないものだよ」
額蔵「私も背中に同じようなアザがあるのです。ご覧になりませんか」
額蔵は衣の袖を脱ぎ、背中を見せました。右の肩甲骨のあたりに、牡丹形の黒いアザがあります。
額蔵「生まれつき、こうなのです」
信乃「へえ、ふーん…」
あまり驚いたようにも見えません。ちょっと気まずい。別の話題が必要そうです。
額蔵「信乃さま、あそこに見える、新しい感じの塚はなんでしょうか」
信乃「犬の墓さ。額蔵も知ってるはずだよ」
額蔵「…信乃さまは、私もあの犬を殺すのに参加したと思ってます?」
信乃「いや、そのことはいいんだよ」
額蔵「…」
やがて行水が終わって、信乃は服を着ました。そのときに、袂から白い玉がひとつ転がり落ちました。
額蔵「! …こ、これは信乃さまのものですか。これのことを聞かせてもらいたいのですが」
信乃「ああ、そういえばこんなものを持っていたな。話せば長いし、まあイロイロだよ」
額蔵は、なかなか信用してもらえないことにため息をつきます。
額蔵「信乃さま。この世に必ず、自分のことを分かってくれる友人はいるものです。私にはなにも隠し事はないのですよ。これを見てください」
そう言うと、身につけたお守りの袋から白い玉をひとつ取り出して信乃の手に渡しました。見てみると、信乃がもっているのと全く同じものです。唯一の違いはそこに現れている字で、信乃の「孝」のかわりに、「義」とあります。
これにはさすがに信乃も驚きを隠せなくなりました。
信乃「…いままで君を疑って悪かった。疑いを解くのにこんなに長い間かかったのは、自分が未熟なせいだ。大体、君の立ち振る舞いと礼儀ぶりは、とても自分のかなうところではなかった。本当は君がどんな奴なのかもっと知りたいと思っていたのだ」
信乃「アザのことと、玉のこと。これには本当に驚いたよ。絶対、何かただごとでない秘密があると思う。まず自分のことからすべて話すよ」
信乃は、自分がたどってきた今までのストーリーをすべて額蔵に話しました。額蔵は、話が要所に及ぶごとに、限りなく感動し、そして涙を流しました。
額蔵「ああ、不幸なのは私だけではなかったのだ。私の話もさせてください」
額蔵は身の上を語りだしました。
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彼の出身は伊豆で、幼名を荘之助といいます。父は犬川衛二則任、上級の役人をしていました。
荘之助が生まれたとき、ヘソの緒を庭先に埋めたのですが、そのとき土の中から玉を見つけたのだそうです。また、生まれた赤子には背中に大きなアザがありました。これらがよい印なのか悪い印なのかを親は心配し、あるお寺の御籤を引いて占うことにしました。そのクジの内容には、下の文句が含まれていました。
『玉兎交わる時まさに意を得べし』
玉兎とは月のことなので、これは十五夜のことかな? 15歳くらいのときに何かが起こるのかな? くらいに当時は解釈しました。
さて、そのころ、足利成氏が幕府との関係を悪化させて許我に退いたのですが、代わりに幕府から派遣された公方が、ひどく民に厳しい政治を行いはじめました。犬川は勇気をふるってその政治を諫めたのですが、それがもとで御所の怒りを買うことになります。結局、犬川は職を追われ、失意の中自殺しました。
犬川の領地は没収され、荘之助と母は放浪の身になってしまいました。縁故をたよって土地を転々としましたが、身を落ち着けられるところはありませんでした。道中、物盗りに金を巻き上げられたりもしました。
母のイトコに蜑岬十郎輝武がおり、それを頼って安房まで行こうとしましたが、最終的にそこまでたどりつくことはできませんでした。ある吹雪の夜、一夜の宿を乞うてこの村の長(つまり蟇六)の屋敷をたずねたのですが、カネがないと分かると冷たく門外に放って置かれました。
その場でついに母は雪の中に力尽き、荘之助は7歳にして天涯孤独の身になってしまったのです。荘之助は一晩中声をあげて泣きました。翌朝になってはじめて、蟇六たちはこの様子に気づきましたが、何を気の毒がる様子でもありません。
蟇六「お前の母は適当に処分しておいてやったぞ。なかなか費用がかかったので、お前がここで働いて返せ。しかしお前はまだガキで、当分は食わせ損だろうから、まあ、無給で一生働いてちょうどトントンといったところだな」
蟇六はいわば、荘之助という奴隷を手に入れたのです。荘之助は屈辱に耐え、本心を隠して愚直に働きながらも、いつかチャンスをつかむため、夜は寝る時間を削って勉強し、ひそかに武芸も我流で学んでいたのでした。
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額蔵「そしてついに、信乃さまに出会うことができたのです。私にとっては憧れの俊才、なんとかしてお近づきになりたかった。それが、それどころかこうして付き人にまでしてもらえるとは、天の助けだと思わずにはいられません。信乃さまが私を疑う気持ちは当然ですので、いつかこうして打ち解けることができる日がくるのを信じてずっと待っておりました」
信乃「なんというハードな運命だ。よくわかった。いまや自分たちは、水魚の交わりを結んだといえよう。この玉のおかげだな」
信乃「さっきの詩の言葉、自分にはよくわかる気がするよ。
玉兎交わる時まさに意を得べし
玉兎は月のことだが、ここでは自分たちの持っている、この玉のことだ。ふたつの玉が今ここに交わった」
額蔵「…恐れ入りました。これから師匠と呼ばせてもらっていいですか!」
信乃「11歳の師匠はないよ… 自分も君を尊敬している。師弟ではなく、義兄弟になりたい」
額蔵「そうしましょう。私たちは今後、どんな艱難も命をかけて助け合いましょう」
信乃「たしか、君が数カ月だけ年上なんだよね。だから君が兄だ」
額蔵「私が兄とはおこがましいです。この際、兄と弟の区別はやめましょう」
額蔵「あと、私は今日から、自分の名前を犬川荘助義任と名乗ることにします。玉の『義』の字をいただくことにしました。もっとも、まだ誰にも言いませんけど。しばらくはまだ、額蔵でいいです。人前ではカモフラージュが必要ですから」
信乃「そうだね。蟇六たちの前では、まだまだ仲が悪いフリでもしていよう」
額蔵「今さらですけど、今回の村雨の件は、あの人たちの策略だったんです。私は狸寝入りをしながらみんな聞きましたから」
信乃「やっぱりね。これからもしばらく、蟇六たちの裏をかいて、宝刀を守っていかないといけない。君の協力があれば、やり遂げられそうだ」