21. 犬塚信乃、蟇六の養子になる
■犬塚信乃、蟇六の養子になる
信乃と額蔵が不思議な玉の縁で義兄弟のちぎりを結んだその直後、おなじように信乃の家に手伝いに来てくれている糠助爺さんがふと顔を出しました。
糠助「んー、元気かねー」
額蔵は、信乃と目配せすると、さっと隠れて布団に入ってしまいました。
信乃「ああ糠助さんこんにちは」
糠助「額蔵くんも元気かねー」
信乃「額蔵は、どうも最近風邪を引いてしまったようです。起きられないっていうんですよ」
糠助「おやおや大変だ。蟇六さまたちに伝えよう。普段は厳しい方々だが、きっと助けてくれるだろう」
と、さっそく派遣元の蟇六と亀篠に報告しました。亀篠は、信乃に親切にしているアピールのために時々差し入れなんかをしていたのですが、しょせんポーズなので、最近は飽きかけていたところです。
亀篠「なんだって、ただでさえクソ忙しくて人手が足りないのに、そんなの知るもんか… いや、オホホ、それは大変だわね。さっそく代わりのものを遣わさなくちゃね。オホホ…」
ふと見ると、額蔵が近くにいます。
亀篠「あれっ、風邪じゃないのかい。…わかった、アンタ、イヤになって仮病したんでしょ。このデクノボウ!」
額蔵「いえ、確かにちょっと頭痛があったんですよ」
額蔵「信乃さまは私に何も手伝いをさせてくれません。だから、あそこにいるのがイヤになって、割と本当に体調が悪くなったんです。他の仕事ならなんでもしますから、もうあそこに行くのは許してください」
亀篠「(ふーん、こいつら、ソリがあわないんだね…)どうだい、信乃は私たちのこと、なんか言ってなかったかい」
額蔵「なんにも言ってくれませんよ。信乃さまとは気が合わないんです。正直言ってキライです、あの人」
亀篠「ふん、今回だけは許してやるよ。そのかわり当分、今までの倍働くんだよ」
蟇六と亀篠は、額蔵がスパイと疑われているのかもしれないと思いました。このことをハッキリさせるため、今度は別のものを手伝いに派遣してみることにしました。背介というじいさんです。しかし、亀篠が偵察する限り、こちらは信乃と仲良くやれているようでした。
亀篠「ということは… 額蔵は、純粋に嫌われてるだけってことよね」
蟇六「それなら、むしろ無理にでも額蔵を信乃にくっつけておくほうがいい。あいつに密告の役目を果たさせるのだ。気に入らない相手のことなら、遠慮なくこういうことができるからな」
こういうことで、額蔵は改めて信乃の付き人となりました。ただし、今度はしっかり「信乃をスパイするんだぞ」という密命を受けてです。さらに、亀篠は、四十九日を過ぎるのを待つのは長すぎる、三十五日を終えたらもう村長の屋敷に移り住まないか、と信乃に提案しました。
信乃「はい、ここを離れるのは名残惜しいですけど、そうします」
亀篠「素直でうれしいわ、ホホホ。浜路も待ってるわよ」
亀篠が信乃と額蔵の近くを離れたあと…
信乃「唯一残った親族なのに、こんな風に欺きながら暮らすのか。今後が思いやられるなあ」
額蔵「あのふたりの行動原理は『欲』です。なんとかあしらって行きましょう。こちらが真心をもって接すれば、ひょっとしたら向こうの態度も変わってくるかもしれませんし…」
信乃「そうだね。とりえあずは、今後も仲が悪いふりをしていような」
額蔵「はい。そして、今のうちに、今後の方針を練っておきましょう…」
さて、亀篠と約束した、三十五日が過ぎました。この日は番作の家で法事を行います。村人がたくさん訪れるのを、法事を仕切っている蟇六は精いっぱいのゴチソウでもてなそうとしています。ゴチソウどころか酒まで用意するという大盤振る舞いです。
村人が食べて、飲んで、すっかり機嫌がいいところで、蟇六がスピーチをはじめました。
蟇六「みんな、今までよく番作たちを助けてくれた。あいつはずいぶんひねくれ者で困ったやつだったので、私は役目柄、あいつには毅然とした態度を取るしかなかった。しかし村の皆はそんな番作を何かと助けてやった。私が代わりに礼を言わせてもらう」
蟇六「さて、今は番作も死んでしまい、息子の信乃くんだけが残った。私ども夫婦は、彼の唯一の肉親として、責任をもって彼を成人まで養子として育てようと思う」
村人「それはよい」
蟇六「そして、彼が成人したのちには、うちの浜路と結婚させ、わたしの村長職もゆずるつもりだ」
村人「やるじゃねえか」
蟇六「さて… 番作が持っていたあの田んぼ。みなのカンパでできた田んぼだったよな。あれはどうすればいいと思う? みんなに返すか? それとも信乃くんに譲るか?」
村人「そりゃあ信乃に譲るに決まっている」
蟇六「そうだよな。では、彼が成人する日まで、これはひとまず私が預かることにする。そして、番作の家だったところは倉庫にする」
村人「えっ。(ざわざわ)」
亀篠「彼が成人したのちは、この田んぼどころか、ウチの財産はみんな信乃くんに譲るつもりなのよ。それまで預かるだけなのよ」
村人「ふーん…(ちょっと釈然としない)」
蟇六「さあさあみんな、もっと飲み食いしてくれ」
その翌日、信乃が父母の墓に参って帰ってくると、家の中はほとんど空き家でした。ワッセワッセと家財を運び出す人の群れからすこし離れて、額蔵が手足も顔もほこりだらけで立っています。
額蔵「さっそくここの家財道具をみんな売り払うらしいんです。私も駆り出されました。どうか怒ってはいけませんよ。ガマンです」
信乃は仕方がないと割り切りましたが、どうしても物寂しい気持ちになってしまいました。家の中はガランドウになりましたが、与四郎を埋めた塚と、それを抱える梅の木はそのままです。
信乃「こいつの墓標がそういえばなかったな」
信乃は梅の木の幹を削って、「如是畜生発菩提心、南無阿弥陀仏」と書きました。そして、もう居場所はないので、その足で蟇六たちの屋敷に行きました。
亀篠には気味が悪いくらい歓迎されました。
亀篠「よく来たわね信乃くん。歓迎するわよオホホホ」
亀篠「家財をどかす件は、あなたの目の前でやると悲しませると思って、気をきかせただけなのよ。他意はないの。これからはここがあなたの家なんですから、どうか遠慮なんかしないでね、オホホ」
亀篠「さあ浜路も信乃くんにごあいさつなさい、あなたの将来の夫なのよ、オホホホ!」
浜路は顔を真っ赤にして家の奥に隠れてしまいました。信乃は「なにいってんだこのオバサンは…」と呆れてしまいます。
さて、あっという間に四十九日が過ぎました。蟇六は神社で信乃の元服の儀をとり行わせました。信乃はまだ11歳でしたが、もう15歳くらいに見える体格を持っているので、里のひとたちが見守る中、信乃は非常に立派な青年として儀式をこなしました。もう女物の服を着ることはありません。
里人「実に立派だ。蟇六たちも、なかなかいいことができるんじゃないか…」
そして、さらにあっという間に、番作の一周忌になりました。信乃は父母の墓参りに行きます。額蔵も「監視役」としていつも一緒についていきます。蟇六たちは額蔵が信乃のスパイを忠実にこなしていることを疑っていませんので、いつもこの二人を一緒に行動させるのです。
墓参りを終えてその帰り、ふと立ち寄った、昔の家のあとで、ふたりは不思議なものを発見しました。
信乃「この梅の木は、与四郎の墓のかわりにしていたものだが…ずいぶんたくさん実をつけているな。そういえば、幹にちょっとした文句を書き付けておいたのだが、これも消えてしまったみたいだ」
額蔵「この実のなり方はずいぶん不思議ですね。枝ごとに、ちょうど八つずつの梅の実がかたまって生っていますよ」
信乃「八房の梅、といったところだね」
額蔵「…この梅の実、何か字が浮かんでいますよ!」
ふたりは、梅の実になぜか浮かんでいる文字を読んでいきました。
「仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌」
信乃・額蔵「!!!」
ふたりは、全身に鳥肌がたつほど驚きました。
この文字は何を意味するのでしょうか。
信乃「自分の玉には『孝』、そして額蔵の玉には『義』… これを見るに、玉はあと6コ、どこかにあるっていうことなのか?」
額蔵「これは何を意味するのでしょうか… まだ私にはまったくわかりません」
ふたりはここで見たことを二人だけの心に秘め、だれにも教えませんでした。やがてこの梅の木自体は村人にも発見されましたが、梅の実に浮かんだ文字はもう消えていて、だれにも気づかれませんでした。蟇六は、単に「梅がたくさん手に入った、もうかった」とホクホク喜びました。