25. 浜路、信乃に恨み言をいう
■浜路、信乃に恨み言をいう
蟇六は、溺れるフリをして、助けに来た信乃を逆に溺れさせてしまおうとしたのですが、信乃が想定以上にタフガイだったので失敗しました。かえって自分が疲れ果て、けっこう水を飲んでしまいました。ホントに溺れかけたようなもんです。
帰り道…
蟇六「いやあ参った。こんなことは一生の不覚だよ。信乃くん、女房にはこんなことは黙っていてくれよ」
信乃「(白々しいなあ)はあ。なにしろ、無事でよかったですね」
弁当を取りにやっていた背介と、屋敷の近くで出会いました。
蟇六「いまさら弁当なんか、遅いわ!」
背介「いや、弁当なんか準備されていなかったんですよ。だから今まで作って…」
蟇六「ええいうるさい、もういい」
信乃「(これも、単に背介さんを遠ざけるための方便だったんだろうなー)」
さて、屋敷に帰ったのち、夜は更けてしまいましたが、ささやかなお別れパーティーが催されました。家のものはみな寝ているので、蟇六、亀篠、信乃、額蔵の四人だけです。さっきの漁で小さい魚はとれたので、それを焼いたやつが出されました。
亀篠「額蔵には、信乃くんのお供に行ってもらうことにするからね」
額蔵「はあ。わかりました」
亀篠「信乃くん、これが道中の旅費よ(お金をわたす)」
信乃「はあ、ありがとうございます」
亀篠「さあさあ、あしたは早いわよ。もう寝なさい」
信乃たちが部屋に戻ったあと、蟇六は亀篠と引き続き密談します。
蟇六「フ、フフフ。成功したぞ。村雨はまんまと私のものになった。溺れかけてまでがんばった甲斐があったぞ」
亀篠「すり替えに成功したのね。見せてよ、見せて」
刀を抜くと、刀身と鞘から水がボトボト垂れました。(単に、左母二郎が川の水を入れたからですが)
蟇六「すごいぞ、刀から出るこの大量の水。これこそは村雨の特徴だ」
亀篠「なんと神聖な感じの水でしょう。ついにやったわね」
蟇六「ところで、額蔵にはあのことを伝えたか」
亀篠「もちろん。許我への道中で、信乃を殺してしまいなさいと言い聞かせたわ。信乃が多少腕が立とうと、不意打ちなら避けられないでしょうよ」
蟇六「あいつらの仲が悪いことは、みなが知っている。ケンカで殺してしまったのだと思われるだろうから、私たちには疑いが及ばない」
亀篠「さらに、万一額蔵が信乃に返り討ちになったとしても、村雨はもうこっちのものなのだから、問題ないわね。あとで気づいて信乃に訴えられても、しらばっくれればいいだけ」
蟇六「完璧だ、このプランは。ハハハ…」
亀篠「今夜は祝杯よ」
ふたりは作戦の成功に安心しきって、ベロベロになるまで飲みました。
信乃は寝床に入りましたが、物心ついてから今までのことを思い返していると眠れません。ふと、近くの床がきしむ音に気づきました。
信乃「(刀を手にもって)何者だ!」
女の弱々しい声。「浜路です…」
信乃「浜路か… こんな時間に自分と一緒にいるなんて、誤解を招くよ。戻りなさい」
浜路「今夜きりでのお別れなのでしょう? なぜ私に一言も言ってくれないの」
信乃「許我へ行って戻るだけだよ。3、4日で帰ってくるから」
浜路「うそ、もう戻ってこないつもりだわ。許我で足利さまに仕えることになるのでしょう。あなたのいない生活は耐えられない。いっそ、私を殺してから出て行ってよ」
信乃「自分たちの婚約は、あくまで蟇六の方便なんだよ。あなたは別にちゃんとした婿をとることになるから」
浜路「そんなのイヤよ。殺してちょうだい」
信乃「これがお互いのためなんだよ。あなたの真心はよく知っているし、自分もそれを忘れはしない。生きていれば、いつかまた一緒になるチャンスもあるかもしれない。しかし、自分のためを思ってくれるのなら、今回は聞き分けてくれ」
浜路「…」
信乃「あなたの実の両親が練馬のあたりにいるかもしれないってことは聞いてるよ。もっとも、さきの戦で死んでしまったかも知れないけど。これについて何かわかったら、それは知らせることにするから」
浜路「…わかりました。よろしくお願いします。あなたの出世を願っています。来世では一緒になりましょうね。シクシク…」
浜路は部屋に戻っていきました。もう明け方近くです。
その後すぐに額蔵が部屋を訪ねてきました。出発の時間です。明け方で涼しいうちにできるだけ距離を稼ぎたいので、こういうのは早く出なくてはいけません。
ふたりで準備を確認すると、信乃は、蟇六と亀篠にいとまごいの挨拶をしようとして、家の中に大声で呼びかけました。「おじ上、おば上、いってまいります。起きてますかー」
蟇六・亀篠「(寝ぼけながら、声だけ)はいはい、いっといで」
こんなわけで、信乃と額蔵の許我への旅が、いよいよ始まりました。
ちなみに、蟇六と亀篠は昼近くにやっと起きてきて、「信乃は出発のあいさつもしなかった」と怒りましたが、これは手下たちの苦笑の的になりました。
蟇六「何はともあれ、信乃を追い出してせいせいしたぜ。お前ら、門に塩まいとけよ」
浜路は起きてきません。この日以来すっかり弱って、寝込んでしまうようになりました。蟇六たちにとって浜路は今や「富と出世へのプラチナチケット」ですから、その日以来、やっきになって色々な治療を試しはじめました。この成り行きは、また別の回に。
さて、信乃と額蔵は、すこしだけ寄り道して、額蔵の母の墓に参っていくことにしました。義兄弟になったからには、額蔵の親は信乃の親でもあるのです。
額蔵の母の墓は、旅婦の墳と呼ばれています。はじめ、母は田んぼの畔に捨てるように埋められただけでしたが、当時の額蔵は、近くの榎の梢に、こっそり注連縄をめぐらせておいたのです。それを百姓たちが見つけ、「木の霊が、亡者をちゃんと祀るように言っているぞ」と騒いだので、蟇六も放っておけなくなり、結果として立派な祠堂ができあがったのでした。まあ、ここらへんは、ストーリー的にも寄り道です。
その後は急いで、日暮れまでに、許我まであと四里ほどの距離にある栗橋というところの宿まで着けました。ここらへんまで来れば、もう信乃と額蔵が仲良くしても問題ありません。それまでは、蟇六の見張りを警戒して、ずっとムッツリ歩いたり、ときどき口げんかしたりというカモフラージュを続けていたのです。
信乃「はー、やっとまともに口をきける状態になったかな」
額蔵「なかなか今までしんどかったですねえ」
そして、お互いが見聞きしたことを出し合って、蟇六の企みの全貌はどういうことなのかと考えることにしました。
○ 村雨を許我に献上する旅に出ろという
○ 旅の準備にかこつけて、川で溺れさせられそうになった
○ 浜路を陣代の嫁にしたいらしい
信乃「材料はこんなところかな?」
額蔵「まだありますよ。実は、私は、信乃さま殺害の密命を受けているのです」
信乃「えー」
額蔵「ほら、こんないい短刀まで預かりましたよ。いかにも本気ですよね。みごと殺ったら、浜路さまと結婚させてやる、とまで言われました」
額蔵が見せてくれた刀は、大塚匠作(信乃の祖父)から亀篠に守り刀として贈られた、桐一文字という名刀です。
信乃「(ため息)なんで、身内なのにあんな酷い人がいるんだろう… じゃあ、全体のストーリーはこんな感じかな」
○ 浜路を陣代の嫁にしたい。そのために信乃がジャマ
○ 村雨の献上をダシにして、許我に旅に出すことにした
○ でも村雨は奪いたい。なので、信乃殺害のための二重のワナを敷いた
a. 川で溺れさせる(これは旅の準備にからめる)
b. a.に失敗したら、旅の途中で額蔵に殺させる
信乃「これでファイナルアンサーだ。じゃあ、自分達はぜんぶ乗り切ったんだな」
額蔵「よかったですね」
信乃「うん、却って、自分の宿願だった、宝刀村雨を成氏さまに捧げるチャンスができたんだからね」
信乃「額蔵、いや、犬川荘助どの、一緒に許我で身を立てよう。君は仕事の合間にたくさん勉強したし、武芸も練習した。即戦力だ」
額蔵「私自身は、まずは大塚の里に戻るべきだと思うのです。浜路さまが何か早まったことをしないようにサポートしてあげたいのです。また、仮にも私は蟇六さまに今まで世話になったわけですから、どんなにひどい人でも、正式に暇をいただくまでは逃げるわけにはいきません。ここらへんをクリアしたら、すぐに信乃さまのもとに駆けつけます」
信乃「いかにも、もっともだ。じゃあ、そのときまでのお別れだな」
額蔵は、手足にちょいちょいと軽く刀の傷をつけて、大塚に戻るという作戦を立てました。「信乃と戦ったんだけど、結局逃げられた」という演出のためです。これから二人がどうなることか、乞うご期待。