29. 蟇六と亀篠がむくいを受ける
■蟇六と亀篠がむくいを受ける
突然自分の前にあらわれて自分を兄だと名乗る男のことを、浜路は信じました。自分の命が終わるときになってはじめて願いのひとつきりが叶うとは、なんと過酷な人生でしょうか。
浜路「お兄様、お会いできてうれしいです。私の素性がわかったことは救いです。もうひとつだけ、私の願いを聞いてください。その宝刀村雨を、信乃さまを追いかけて渡してほしいのです。そうしないと、信乃さまの身があぶない」
道松「…すまぬ妹、それは聞いてやれんのだ。俺にとっては、復讐が何よりの優先事項。この刀を捧げる口実でなら、宿敵扇谷定正に近づくことができるだろう。そこで復讐がうまくいって、なお俺に命が残っていれば、その信乃とやらに刀を返そう。それじゃだめかな」
浜路「それでは遅いのです。…ああっ」
浜路はそこで絶命してしまいました。道松は涙を一粒こぼしました。そして浜路を地面の穴におさめ、消え残った火に柴をくべて炎を燃え上がらせると、経をとなえながら火葬してやりました。
道松「俺の道は呪われている。復讐のためとはいえ、民をあざむいて金をあつめ、そしてここでは妹の願いを断って死なせ、自らの手でそれを葬ることになるとは。きっと俺は死んでから地獄に落ちるのだろうな。だがそれでもいい」
道松「俺は今から、犬山道節忠与と名乗ろう。死んで恥ずかしくないよう、父・道策の名を一部いただくのだ」
額蔵はここまでの一部始終を木の陰から見ていました。兄妹水入らずの最後の瞬間を邪魔するわけにはいかなかったからです。そして、道節が立ち去ろうとしたそのとき、これではいかんじゃないかと思い直しました。復讐を達成したあとで刀を信乃に返す? いやいや、復讐が失敗したらどうするんだよ。困るじゃないか。
額蔵「こら待て」
額蔵は道節の刀の鞘の先をつかんで引き止めます。そして、道節が刀を抜けないように組みつきました。妹の頼みさえ断るのなら、自分が頼んだところでまず聞いてはくれないでしょうから、力づくで奪い取ることにしたのです。
道節「なにをする曲者」
どちらも全力で相手を倒そうとしますが、二人の力はちょうど互角で、まったく動くことができません。筋肉がブルブル震えます。しかし、組み合っているときに、額蔵のお守り袋のひもが切れてしまいました。袋は額蔵の身から離れて、道節の腰にひっかかりました。
額蔵「あっ、それを返せ」
ここで額蔵の力がゆるんだので、道節は振りほどいて刀を抜きます。額蔵もそれにこたえて自分の刀を抜き、丁々発止とした切り結びあいが始まりました。額蔵は少し腕を斬られました。道節は肩のコブに傷を受けました。
肩のコブから何かが飛び出して、額蔵の胸にあたり、なんだかよくわからないままに額蔵はそれを左の拳ににぎりました。
道節「ちょっと待て! お前の武芸は見事だ。俺は犬山道節、お前も名を名乗れ。俺が復讐を果たしてから改めて勝負しようじゃないか。今日はここまでだ」
額蔵「俺は犬川荘助。降参するのなら、村雨を返せ! それは私の義兄弟、犬塚信乃のものだ」
道節「これは俺の復讐をとげるための重要アイテム、今はまだ返すわけにはいかん。さらばだ」
道節は火の中に逃げ込みました。これが火遁の術というやつです。額蔵はこれ以上道節を追うことができませんでした。
額蔵「おのれ…」
ふと額蔵は、自分の左手に握ったもののことが気になりました。道節の肩の傷から飛び出したものです。火の明かりにかざして観察してみると、なんと、自分がよく知っている、あの「玉」でした。ただし、浮かんでいる字は、自分の「義」でも、信乃の「孝」でもありません。「忠」とありました。
額蔵「なんと、彼もまた『玉』の持ち主だったとは… 彼の玉が私の手にはいり、そして、私の玉は、不思議なことに彼のもとに渡ってしまった。実に不思議なことだ。しかし、玉の縁があるのなら、あいつとはまた会い、そして、村雨も戻ってくる気がする。仕方がないが、今はこれでよしとしよう」
額蔵「信乃さまのことは心配だが、なんとかなっているものと信じよう。距離的にも、今は大塚に戻るほうが先だ。そして浜路さま、お痛ましい… 信乃さまには、必ずあなたの最期を伝えます。せめて当局に、駆け落ちなんかだったと思われないようにしてあげます」
額蔵は木の幹を削って、下のような文句を書いておきました。
「ここで死んでいるのは、さもしい悪党サモジローだよ。
浜路ちゃんをさらって口説いたんだけど、断られて殺しちゃったんだ。
クソヤローにはこの通り、天罰があたったよ。何月何日。」
さて、場面は蟇六の屋敷に移ります。浜路を取り返すためにやった使いは誰も戻ってこず、そうしているうちに、ついに陣代簸上宮六が軍木五倍二に連れられて到着してしまいました。もう蟇六も亀篠も生きた心地がしません。
蟇六「よよようこそいらっしゃいました、おおおお早いおつきで」
とりあえず二人を書院に案内して、震える声で祝いの口上を述べはじめました。茶を出す余裕もありません。家じゅうパニックで、だれもそんなことに気が付かないのです。しばらくしてやっと、亀篠みずからが味噌汁を準備し、それをもってやってきました。中にはタワシが入っていました。
軍木「(口からタワシを吐き出して)なんだこりゃ」
亀篠「ぎゃあっ、ししし失礼しました。とんでもない間違いを。おおお口直しにお酒をお召し上がりください(ドボドボ)」
宮六「うげっ、ゲホゲホ」
酒のつもりで盃に注いだものは、煮えた酢でした。
軍木「お、おまえら… いや無理もない。緊張しているもんな。ちょっとくらいのミスは仕方がないよ。浜路さえ無事にもらえればいいんだよ。陣代はこころの広い方だから。ね、陣代」
宮六「う、うん。浜路は?」
蟇六「準備中でございます、もうちょっとだけお待ちを」
それから一時間ちかく経ちました。宮六「まだ?」
蟇六「どうも、今晩は具合が悪いようで…」
軍木「いい加減にせよ。浜路が病気なのは承知で来たのだぞ。これ以上は待たぬ、今すぐ浜路を出せ」
もう隠しきれません。蟇六は平伏し、サモジローが浜路をさらって逃げてしまったことを白状しました。もうちょっとだけ待ってくれれば、手下が捕まえて帰ってくるはずだとも言い添えました。
軍木「いい加減なことを言うな。何もかも、我々をだますためにやったのだな。浜路を出せないとなれば、もう許せん」
蟇六「偽りは申しておりません。浜路が帰ってき次第、必ず陣代のもとにつかわします。それまでの待ち賃というとアレですが… われらの家宝、村雨丸をさしあげまする。これでございます」
宮六「えっ、村雨! 本当か。これがそうなのか」
蟇六「どうぞお検めください。抜けば水気がほとばしるという、宝刀村雨の奇瑞を」
宮六はドキドキしながら刀を抜いてみました。…別にどうってことない、普通の刀です。ちょっとサビてます。水なんて滴りません。振ったら出るのかなと思ってブンブンやってみると、柱に当たって曲がってしまいました。
宮六「どう思う」
軍木「どう見たってニセモノですな」
蟇六「あ、あれえっ、おかしいナ」
宮六「… も う 許 せ ん!!!」
宮六がついにキレました。もう言い訳のしようがありません。オワタ、オワタとつぶやきながら逃げようとした蟇六を、宮六の刀が一撃しました。これを防ぐために宮六にすがりついた亀篠を、今度は軍木が切り伏せました。
そこに、浜路を追いかけていた背介じいさんが、報告のために縁側から入ってきました。「すいません、どうしても浜路さんは… ぎゃあっ」
宮六の振り回す刀が背介の頭をかすめました。背介は縁側から転げ落ち、あわてて下に潜ると、あとは音を立てずに、傷の痛みに耐えて震えていました。ほかの使い人はとっくに逃げてしまいました。
その後、蟇六、亀篠とも、体中をいたぶるように切り刻まれ、苦しめ抜かれたのちに、それぞれとどめを刺されました。額蔵が帰ってきたのは、ちょうどこのときです。
額蔵「これは、何があったのです。そこのお二人、逃げなさるな」
宮六「無礼な村長を成敗したのみだ。文句があるなら、お前も切り捨てる」
額蔵「村長に無礼があったのなら、裁判をすればよいだけ。これは不法な殺人だ。いくらダメな人でも、蟇六様は私の主人。私の名は額蔵だ。カタキをとらせてもらう」
剣の腕前は、宮六と軍木をあわせてもなお額蔵が上でした。額蔵はまず宮六を一撃でから竹割りに斬り殺し、さらに、軍木の眉間に深い傷を与えました。その後、宮六たちの手下が数人いましたが、それらが襲ってくるのもなんのその、たちまち左右に斬り伏せました。残った手下たちは軍木を支えて逃げていきました。
その後、浜路を追っていた者たちが、三々五々と帰ってきて、村長たちに降りかかった惨劇を目にして震えあがりました。
額蔵「これこれこういうことがあったんです。今回の件の責任は私だけにありますから、私は明日になったら役所に出頭します。もっともその前に兵士らが押し寄せるかもしれませんが、そのときも私が説明します。皆は落ち着いていてください。これは法で認められた復讐なのですから、問題はないはずです」