30. 信乃、横堀在村に疑われる
■信乃、横堀在村に疑われる
額蔵が陣代簸上宮六を殺した翌日、大塚の里にたくさんの兵士を連れた一行が押し寄せました。先頭は、宮六の弟である簸上社平、そして、軍木五倍二の同僚である卒川庵八です。ひととおり死体の点検をした後、額蔵たちにあらためて証言を求めました。
額蔵「主人の命令で栗橋まで行き、戻ってくると主人が殺されていました。そこで即座にカタキを討ったのです。事情を知らないほかの人たちに止めに入られて、軍木どのは討ち漏らしました。残念です」
額蔵以外の家のものは、宮六と結婚するはずだった浜路が逃げたのを追っており、今回の殺人事件のことは何一つ知らないと証言しました。
社平「きさまら、ウソの証言をするな。五倍二の訴えと全く違うではないか」
軍木五倍二の訴えるところによると、今回起こったことはこんな感じらしいです。
○ 額蔵が浜路をさらった。犬塚信乃のもとに連れて行くため。
○ さらに、蟇六の屋敷に戻って、金目のものを盗もうとした
○ それを目撃されたので蟇六と亀篠を斬殺
○ 宮六と五倍二は、ちょっとお湯をもらいに寄っただけ。そこで殺人現場を見てしまい、額蔵に襲われた
社平「五倍二のいうことのほうが正しい。なぜなら、額蔵の証言は、犬塚信乃がここにいないことの説明になっておらん。また、そもそも宮六が村長の娘なんかと結婚するわけがないだろう。身分が違いすぎる」
社平「もうひとつ。さきほど円塚で四人の遺体が見つかったのだが、その近くに変な看板が立っておった。これもおおかた、額蔵がしかけた目くらましなのだろう。ここまで調べればもう充分だ。額蔵を逮捕せよ」
額蔵は毅然と反論します。
額蔵「犬塚信乃が許我に旅立ったことは村のだれもが知っていること。また、蟇六様が誰に殺されたのか、証言をもっと聞いてみるべきではないのですか。思い込みだけで私を逮捕するのはいかがなものか」
社平「ほう、では誰か、蟇六たちが殺された現場を見たものでもいるのか。いるなら名乗り出てみろ」
シーン
みんな怖がって証言できません。大体、途中で恐ろしくて逃げたので、殺害現場までは誰も見ていません。
社平「そうら見ろ」
そのとき、縁側の下からうめき声が聞こえました。昨晩からずっと、背介が隠れていた(というか気絶していた)のです。数人がかりで助け出して、何かを見たかと聞きました。
背介「蟇六さまに浜路さまが見つからないことを報告しようとして、書院のふすまを開けました。そのとき、軍木さまにこめかみ近くを斬られました。主人を殺害したのは、軍木さまと簸上さまに間違いございません。額蔵は、これらの敵討ちをしたのです。それらを見たあとは、さっきのように気絶していました」
社平「むむっ… 現場を見たのは、つまり、背介とかいうこの男だけか?」
社平「ひとりだけなら、疑いを解くには不十分である。こいつが額蔵と口裏をあわせているだけかも知れんからな。こいつも捕らえて調べあげよ」
こんなわけで、わりとムチャな理屈で額蔵と背介が逮捕され、城の問注所まで連行されていきました。
額蔵たちの話はひとまず中断して、次は犬塚信乃がどうなったかを見ましょう。
彼は額蔵と分かれてからすぐに許我に着き、実力者である執権横堀在村の屋敷を訪ねました。そして、足利成氏の兄である春王からあずかった、宝刀村雨を持参した旨を取り次いでもらいました。やがて横堀が出てきて信乃と対面しました。
横堀「ふーん… いつか、持氏さまの旧臣を呼び集めるキャンペーンをやったことがあったよな。そのときにお前の父の番作が来なかったのは、なんでだ」
信乃はこの質問に理路整然と完璧に答えました。番作は体に障碍があって来られなかったこと、信乃は伯母夫婦のもとで成人する必要があったこと、云々。
横堀は、ひそかに信乃を嫌いました。非常に有能そうなやつなので、自分の地位と権力を脅かすとでも思ったのでしょう。でも、村雨を持ってきたとあっては、邪険にできません。
横堀「フン、わかった、成氏さまに取り次ごう。しばらく宿で待っておれ」
翌朝、信乃は、しばらく刀の手入れをしていなかったなと思い至りました。成氏に献上するのですから、刀をベストコンディションにしておくのが礼儀です。そこで、宿の部屋の中で、しずかに鞘から刀を抜いてみると…
信乃「あっ、これは村雨じゃない。どういうことだ」
信乃は少し考え、すぐに心当たりを思いつきました。川で溺れさせられそうになったあの晩、船に残っていた男がいた。サモジローといったか。あいつが刃をすり替えたのだ。まんまとやられた。
怒りが腹の底から湧き上がり、鼻から炎が噴き出ましたが、今はどうしようもありません。まずは、成氏との面会をキャンセルするのが先です。そのとき、横堀の使いが宿に伝言に来ました。「成氏さまはすぐに会ってくださる。この衣装に着替えて、速やかに参上せよ」とのことです。
信乃「いやいや待ってよ、まずは横堀さまに事情を伝えなきゃ。こんな状態で御前に出られるわけがない」
信乃は横堀の屋敷に急ぎましたが、もう横堀本人も成氏のもとに参上してしまったとのこと。仕方がないので、衣装を着替えて、参上の途中で横堀を見つけ、事情を説明することに決めました。
しかし、そんなチャンスは訪れません。従者に案内されるまま、言われるままに進んでいくと、足利成氏朝臣と近臣の並ぶ、滝見の間まで到着してしまいました。ずらっと数十人の武士が、整然と並んで信乃を迎えます。スダレの向こうには成氏その人がいます。
信乃「(こういうときに限って、何もかもスムーズすぎる。やばすぎる)」
横堀在村「結城の城で討死の旧臣、大塚匠作三戍の孫、犬塚信乃、亡父番作の遺言に従い、宝刀村雨をたてまつるとの事。まず我々一同が確認するゆえ、さっそくここに提出せよ」
信乃は腹をくくります。「村雨はさっきまで本物のつもりで持ってきたのですが、すみません、さっき確認したらニセモノでした。誰かにすりかえられてしまったようです。数日だけ猶予をください。必ず取り返してきますので」
横堀が怒声をあげます。「なんだと、お前はどういうつもりだ。そんな言葉を簡単に信じると思うのか。証拠はあるのか」
信乃「はい、刀をごらんください。鞘も鍔も、刃以外は村雨のものです。刃だけをすりかえられてしまったのです」
横堀「誰もそんなものを見分けはしない。村雨であることを証だてるものは、水のほとばしる刃のみ。わかったぞ、信乃よ、お前はここにスパイにきたのだな、そうだろう。皆のもの、こいつを捕らえよ」
信乃は、横堀の心が狭いのを見抜いていました。たぶんこのまま捕まれば、言い訳は聞いてもらえず、無駄死にするだけです。そう判断すると、信乃は、取り付いてくる兵士らを蹴ったり投げたりして抵抗を始めました。
足利成氏もまた、身を起こして「あやつを討て」とわめき出しました。この人も、気が短くて、あまり大した人じゃないのです。
成氏の一声で、兵士たちはいっせいに刀を抜きました。信乃は畳を蹴上げて振り下ろされる刃を避けると、ひとりから奪った刀で次々と兵士を打ち倒しながら、白刃をかいくぐって逃げました。そして庭に飛び出すと、松の木に登って屋根に上がりました。追ってくる者たちを次々と撃退したので、皆ことごとく屋根から転がり落ちました。信乃はさすがに体中に傷を負い、みずからの血を啜って喉をうるおしました。
信乃はひたすら上によじ登ります。ついに、三階建ての物見の櫓である、芳流閣の一番上の屋根にまで登りつめました。眼下には、はるかに板東太郎(利根川のこと)の流れを望むことができました。外堀は直接川に接しているようです。
信乃の強さを恐れて、誰もここまでは追ってきません。地面では兵が弓をいっせいに構えています。成氏が「あいつを捕らえたものに褒美をとらす」と叫んでいますが、みんな怖気づいています。
横堀「成氏さま、ここは、犬飼見八を出しましょう。彼はこの前任務を拒否した罪で牢屋に入っていますが、それを許す代わりに信乃を捕らえさせるのです。この手の捕物は、見八が一番優れている。どうせ死罪になる予定だったのだから、失敗してもどうってことはありませんし」
成氏「よし、お前にまかせる」