31. 芳流閣の戦い
■芳流閣の戦い
犬塚信乃は、足利成氏にニセの村雨を献上しようとしてしまったことからスパイと誤解され、追われるうちに、物見用の建物である芳流閣の、さらに最上階の屋根に追い詰められました。地面や途中の階には、弓や槍を構えた兵士がたむろしています。
信乃は傷ついてもなお強く、そこらの兵士では太刀打ちできません。そこで、それを捕らえるよう執権横堀在村から命令されたのは、牢屋に入っていた犬飼見八という若い男です。見八にとっては恩赦のチャンス。命を賭けて、この捕物にのぞみます。立派な装備もつけさせてもらいました。
見八はハシゴを使って、信乃のいるところまで身軽に登っていきます。信乃は、もう逃げる望みはないので、一番の勇士と堂々と戦って死んでやろう、と覚悟をしています。ついに二人は、烈しい日差しの下、灼ける瓦の上に対峙しました。下界では、霞むような高さの屋根を見上げて、成氏、横堀をはじめとした全員が、固唾を呑んでこの戦いを見守っています。
ナレーション『ラウンドワン、ファイッ!!』
信乃「なんだ、今の声?」
見八「わからん。ともかく、いくぞっ」
信乃は刀を、見八は十手を使います。信乃が繰り出す攻撃を、見八は上下に受け止めつつにじり寄り、虚々実々、たがいの秘術をつくして戦います。金属のぶつかりあう音が鳴り響きます。これを見守る成氏たちも、手に汗を握らない者はありません。興奮のあまり、昇竜拳を出せ、などとよく分からないことを叫んでいる兵士もいます。
信乃「こいつは強い!」
見八「こいつは強い!」
見八の装備は、信乃の刃を受けてだんだんボロボロになりました。それでも見八は十手のみを使い、腰の刀を抜きません。信乃の刀も刃こぼれが進んできました。信乃が見八の眉間めざして必殺の勢いをこめて振り下ろした刃を、見八が十手で受け止めたとき、ついに刀は鍔元から折れて落ちました。
二人は同時に得物を投げ捨て、腕をつかみ合って組み合います。声をかぎりにエイヤと叫んで互いをねじ倒そうとがんばりますが、力は互角です。やがてどちらからともなく足を滑らし、組み合ったままゴロゴロと屋根の斜面から落ち始めました。斜面は急ですからもう止めることはできません。
落ちたのは、川の方向です。はるか下にある利根川には直接落ちず、そこに泊めてあった小舟の中にふたりはどっと落ち、舟のへりから大きな水しぶきが上がりました。さらに、その勢いで係留していたロープがはずれ、利根川の早い流れに乗ってしまいました。
舟は、成氏が趣味で釣りをするために普段から泊めてあるものでした。
成氏「このまま逃がすな、あの舟を追え!」
手下たちがめいめいこの舟を追ったのですが、結局見失ってしまいました。
横堀「まあ、あれだけの戦いをして疲れきって、さらにあの高さから落ちたのだから、まず二人とも死んだと考えてよいでしょう。死体を確認するための捜索を出すことにします」
成氏「うむ、そうしろ。しかし、川下のほうは私の領地ではない。たかだか一人の曲者のために大げさな捜索をしては、まわりの侮りを招く。こっそり行なうことにせい。万一信乃が生きていたときも、できるだけ密かに捕らえてまいれ」
横堀在村は、信乃の身柄(または首級)に賞金をかけて、武者頭の新織帆大夫敦光たちを、川下の葛飾方面に派遣しました。
さて、信乃と見八を乗せた小舟は、葛飾の行徳という土地の岸辺に流れ着いていました。ふたりともピクリとも動きません。これを最初に見つけたのは、宿屋を営む、古那屋文五兵衛(ぶんごべえ)という釣り好きの男です。
この日は土地の祭りがあったのですが、宿屋が忙しくなるのは夜なので、ヒマつぶしに釣りをしていると、二人の死体を乗せた舟がゆらゆらと目の前に流れ着いたのでした。こんな面倒そうなものにかかわりたくないので、はじめ文五兵衛はこれを竿で流れに押し戻してしまおうとしました。しかし、二人のうちの一人の頬に牡丹のようなアザがあるのを見つけると、文五兵衛には何か心当たりがあるらしく、あわてて舟を岸にとめ、そこに乗り込みました。大声で呼びかけてみましたが、どちらも目を覚ましません。
文五兵衛「致命傷はなさそうだ。もしや生き返らないだろうか。く、薬をもってこないと…」
そう考え、慌てて船から飛び出そうとしたときに、誤って信乃のわき腹を蹴飛ばしてしまいました。これが偶然、蘇生法の理にかなっていたようで、信乃は「うっ」とうめいて目を覚ましました。
信乃「…ここはどこです。あなたは?」
文五兵衛「おおっ、あなたが先に生き返ったか。ここは葛飾の行徳、わたしは文五兵衛といって、宿屋を営むもの。私はこちらの犬飼見八どのを知っていてな。舟の中に倒れているところを思わず助け上げたのだ。あなたはこの方の友人か。何があったのです」
信乃「私は犬塚信乃。私は、この男と戦ったのだ。名は、犬飼見八というのか」
信乃は、すべてを正直に答えました。父・犬塚番作の遺言に従い、宝刀村雨を足利成氏に献上に来たこと、そこで刀がすりかえられていたことが発覚して捕らえられそうになったこと、また、その際に犬飼見八と戦い、屋根の上から船に落ちて、ここまで流されてきたこと。
信乃「今はじめて気づいたが、犬飼どのの頬には、牡丹型のアザがあるな。今さらながら、彼こそは、糠助の息子、玄吉だったのではないか」
文五兵衛「その名前にはどれも心当たりがないが、見八どのは、犬飼見兵衛という許我の家臣が、里見に飛脚に行ったとき、心中しようとしていた男からもらい受けた子です。私がしばらくこの宿に預かっていました。見兵衛どのは最近亡くなったが… 私には小文吾という息子がいますが、そいつと見八どのはよい幼馴染ですよ」
信乃「それなら間違いない。その、心中しようとしていた男が糠助なのだ。私がみなし児になった後、彼には本当に世話になった。彼は去年、病気で亡くなったよ。そのとき、息子を探して糠助の最期の様子を伝えるよう約束したのだ。その息子の特徴というのが、頬にある牡丹型のアザだったというわけだ」
信乃「それが、なんという因縁か、その息子と自分が戦い、そして死なせてしまうことになろうとは… ともかくも、こういう事情です。どうぞ、どこにでも訴えてください」
文五兵衛は、信乃の顔つきから、誠実さを感じ取りました。
文五兵衛「いや、どこにも訴えません。あなた方は、互いのことを知らずに、立場の上から仕方なく戦っただけです。たまたまあなたが生き残って彼が死にましたが、これは運命だったというしかありません。じきにここらにも捜索が来るでしょうから、まずお逃げなさい」
信乃「ありがとう。しかし、糠助との約束に背いてしまったことには変わりがない。今さら大塚の里に帰るのも恥の上塗りだし、自分の命はここまでにしようと思う。自分には犬川荘助という義兄弟がいるのだが、彼に会ったら、自分からの詫びを伝えておいてくれ」
文五兵衛「なにをおっしゃる、死んではなりません。あなたほど立派な方はめったにいない」
信乃「見八どのを死なせてしまったことは申し訳なかった。ちょうど今刀を持っていないのだが、彼の刀を借りて切腹させてもらおう」
信乃は見八の死体の腰から刀を引き抜こうとしました。しかし、その死体がぐっと信乃の腕を握りました。
見八「早まりなさんな、犬塚どの」
信乃も文五兵衛も、驚きの目をみはりました。