34. 小文吾の長い一日(1)
■ 小文吾の長い一日(1)
前回、信乃たちに急にいくつかのイベントが発生しました。
○ 小文吾がケンカの仲裁のために家を出て行った
○ 信乃が破傷風で寝込んでしまった
○ 現八が武蔵まで薬を買いに家を出て行った
文五兵衛はどのことについても心配です。
信乃の看病は、さしあたり文五兵衛ひとりでやっています。現八がいなくなったことに信乃が気づいたので、仕方なく、薬を買いにいったんだと教えました。信乃は、苦労をかけていることを申し訳ながりました。
そこに、宿屋の前から呼びかけるものがあります。
荘官(村長)の使い「文五兵衛どの、大至急来られたい」
文五兵衛「今、すごく人が少ないんで、あとじゃダメですか」
使い「大至急と言ったでしょ。すぐ来なさいとの命令です」
文五兵衛と信乃は不安になりました。
信乃「もしかして、自分の捜索と関係しているのかも知れない。もしこの件で迷惑をかけるようなら、自分から腹を切って首を差し出しますから、それを当局に持って行っちゃってください」
文五兵衛「い、いやいや。きっと何でもないことですよ。ちょっと行ってきます。病人を放っておくのは心苦しいですが、夜までには帰ると思います…」
場面は小文吾のいるところに移ります。
昨晩、塩浜の鹹四郎に呼び出されたのは、小文吾の弟子グループと房八の弟子グループがケンカを起こしたので、これの仲裁のためでした。房八はその場にいなかったので、主に小文吾が双方の言い分を聞いてやったり、ケガ人の世話を指示したりして過ごしました。結局、やることが一段落したときには、翌日の夕方近くになってしまいました。
信乃たちのいる古那屋まで急いで帰る途中、小文吾はほかならぬ房八に会いました。「おい、小文吾」
小文吾「やあ房八、今までどこにいたんだよ。ケンカの件は聞いたか。お前の分まで、俺が仲裁の世話をしといたからな」
房八「おう、さっき道で聞いたわ。面倒をかけたな。しかし… (ギロリ)お前んとこより、俺の弟子たちのほうが重傷だったようじゃないか。これで『おあいこ』というのは納得いかねえな。俺の顔に泥を塗ったことになるよな」
小文吾「そんなことはないさ、お前を立てて、俺が後始末の世話をしたんじゃないか」
房八「この前の相撲で俺が負けたから、ナメてるのか。そうだろう。おい、俺はこれから二度と相撲をとらないことにしたんだ。あんな恥をかかされて、もう相撲なんかできるもんか。マゲも結えないように、このとおり、坊主頭にしたんだぜ(頭に巻いてた手ぬぐいバッサー)」
小文吾「おお、なかなか思い切ったな。しかし、今日はいろいろ立て込んでいるんだ。日を改めてこの話をしないか」
房八「うるせえ、逃がしゃあしないぜ。今日はお前と勝負をつけにきたんだよ」
小文吾「お前ちょっとおかしいぞ。さっきからひどい言いがかりだ。酒でも飲んでんのか」
房八「怖えのかよ、コラ。刀抜けや! かかってこいよ!」
小文吾はいいかげんムカついてきました。思わず腰の脇差に手が伸びました…が、こよりが結ばれた刀を見て、たちまち思い直しました。
小文吾「何を言おうが勝手だが、お前の相手はしてやれん」
房八「なんだそのこよりは。いざというときに刀も抜けないフヌケなんだな、お前は。わかった、そんならこの拳で勝負だ。ゲンコが砕けるまでやろうや」
小文吾は、手にも結びつけられたこよりを見ながら、うつむいたまま何も言いません。
房八「おい、お笑いだな! スポーツで相撲はできても、まともなケンカは怖くてできないってか。この弱虫が! お前なんか俺の拳を使うまでもねえ。こいつがお似合いだ」
房八は、小文吾のスネを蹴って片ヒザをつかせると、ゲタを脱いだ足で肩を踏みつけました。小文吾は、顔を真っ赤にして、目に涙をにじませながら屈辱に耐えています。
ここにさらに現れたのは、山伏の感得です。さきの相撲勝負で、房八に賭けて負けた側です。
感得「ケケケ、なかなか胸のスッとする光景だな」
房八「こんなやつに自分が負けたなんて、何かの間違いだったんじゃねえかと思うよ。感得さん、あんたもこの弱虫を足蹴にしてやんな」
感得「いやいや、見ているだけで充分気が晴れる。満足満足。今から二人で飲みにいこうや」
房八はいったん手を引くと、
房八「おい、これで終わりじゃねえからな。今晩お前んところに行く。ナマクラ刀でも研いで、待っていろ」
と言い捨てて、感得と二人で立ち去りました。
小文吾「オヤジとの約束は守り抜いた。しかし、どうしたんだ房八は。いくらなんでも、前はあんなやつじゃなかった…」
小文吾は心の動揺を鎮めようと努力しながら、改めて家への道を急ぎ始めました。
少し行くと、今度は数人の雑兵が目の前に現れて、小文吾を囲みました。
小文吾「なんだ、お前らは。俺はなにもしていないぞ」
目の前に一人の武士が立ちはだかりました。「私は許我殿の家臣、新織帆太夫敦光だ。お前は小文吾だな。まずこれを見よ」
新織が指し示す先には、文五兵衛が縄に縛られた姿があります。
小文吾「あっ、これはどういうことだ」
新織「我々は、犬塚信乃という曲者を追っている。乗って逃げたという舟は見つけたのだが、中がカラッポであった」
新織「ここの荘官の千鞆檀内に命じてここら全部の宿屋を密かに調べさせたところ、昨夜、お前のところの宿に、二人の武士風の男が泊まったことが分かった。一人は今朝出て行き、一人はいまだ滞在中とのこと。こいつが信乃である可能性が高い。だからこれから、私みずから件の宿まで確かめに行くところなのだ。証拠隠滅をはからぬよう、お前のオヤジは縛らせてもらった」
檀内「文五兵衛の証言が妙にアイマイなのがいけないのだ。小文吾よ、隠し立てするとためにならんぞ。知っていることがあれば、ここですべて申し上げろ。犬塚という男の人相書きは、こんな感じだ(紙ペラを渡す)」
小文吾「…今まで祭りの関係で家を空けていましたので、初めて聞く話です。この人相書きのような男も、見たことはありません」
新織「なぜ動揺している」
小文吾「なぜって、親が捕まっているのを突然見せられたからですよ」
新織「お前は力が強いそうだな。親を助けたければ、宿の中にいると思われる犬塚信乃を捕らえてこい。褒美はつかわすぞ」
小文吾「…わかりました、やってみましょう。しかしその犬塚という男も、相当強いのではないですか。万全を期すため、まずは油断させ、酒を飲ませて、酔いつぶれたところを捕らえるなり殺すなりしようと思いますが」
新織「なるほど、いいだろう。明朝まで待って、何も音沙汰がなければ我々も乗り込むが、よいか」
小文吾「結構です。オヤジは今解放してくれるんでしょうね」
新織「ならん。お前が信乃の仲間でないとは限らん。文五兵衛は信乃を差し出すまで人質とする」
小文吾「…わかりました。では行ってきます。オヤジ、待っていろ」
新織たちは、雑兵を連れて荘官の屋敷に戻っていきました。文五兵衛も、何ともいえないような表情で小文吾を見つめながら、連れ去られていきました。
このようにして、小文吾はたいへんなピンチに陥ってしまいました。信乃を差し出すわけにもいかないし、だからといって親を見殺しにすることもできません。これからどうしたらよいか、何もアイデアが湧きません。タイム・リミットは、明日の朝までと決められてしまいました。
小文吾は古那屋に帰り、そこではじめて、信乃が破傷風で寝込んでいること、また現八が薬を求めて出て行ったきりであることを知りました。
小文吾「ほぼ、俺ひとりか。どうすればいいのか…」
小文吾が途方に暮れていると、宿の入り口のスダレをさらっと開けるものがありました。「誰もいないのかーい、おーい誰か」