里見八犬伝のあらすじをまとめてみる

35. 小文吾の長い一日(2)

前:34. 小文吾の長い一日(1)

小文吾(こぶんご)の長い一日(2)

小文吾(こぶんご)は大変な窮地に立たされています。病気で寝込んでいる信乃を追手に差し出すか、父の文五兵衛(ぶんごべえ)を見殺しにするか、どちらかを選ばなくてはなりません。しかもタイムリミットは翌朝までなのです。

小文吾(こぶんご)「どちらも避ける方法はないものか。現八はまだ帰ってこないし、オレ一人でどうすればいいのか…」

そこにフラっと気安く入ってきたのは、山伏の念玉(ねんぎょく)です。賭け相撲で勝ったほうです。念玉はしばらくこの宿に滞在中だったのですが、昨日だけは別の観光のために帰ってこなかったのでした。

念玉(ねんぎょく)「やあやあ関取(せきとり)、今帰ったよ。またお世話になる」

小文吾(こぶんご)「(間が悪いな…)やあ念玉さん、今はスタッフが一人もいないんだけど、オレでよければ何か食事をこしらえますよ」

念玉(ねんぎょく)「おなかはいっぱいなんだ、ありがとう。すぐ寝るよ。勝手に奥に行くね」

小文吾(こぶんご)「ま、待った! 明かりをまだ置いてませんから、ちょっと待ってください。…え、えっと、それ立派なほら貝ですね」

念玉(ねんぎょく)「大きいでしょ。さっき見かけてすごく気に入ってねえ。思わず買っちゃった。山伏にはこういうのがお似合いでしょ。フフン」

念玉(ねんぎょく)は店の片隅に置かれていた尺八(しゃくはち)に気づきました。

念玉(ねんぎょく)「その尺八もなかなかいいものだね」

小文吾(こぶんご)「これは、たぶんほかのお客が置き忘れていったやつですね。尺八を持つのは、ちょっと前に流行りましたから」

念玉(ねんぎょく)「これ、今晩貸してもらっていいかな。どうせ夜はヒマだから、これを吹いて遊びたい」

小文吾(こぶんご)「ああ、いいですよ。さあ、部屋を準備しますから待っててください」

小文吾(こぶんご)は別館に念玉の部屋をつくりました。(母屋(おもや)は信乃がいますからね。)念玉はそこに案内されると、さっそく尺八をボロボロと吹いて遊び始めました。

小文吾(こぶんご)「どうしよう、こんなときに客なんて。もし信乃どのを見られたら困ったことになるなあ。いっそ殺すって手もあるけど、さすがにダメだよな」

ふと近くを見ると、山伏はほら貝を置き忘れています。尺八を見つけたのを喜んで、こっちのことを忘れてしまったのでしょう。わりとのん気なオジサンです。

ところで、小文吾(こぶんご)は、さっき新織(にいおり)から渡された信乃の似顔絵をどこかに落としてきてしまったようだと気づきました。あんなものは、できるだけほかの人に見せちゃいけません。

小文吾(こぶんご)「あわてて家に帰る途中に落としちゃったんだろうか。どうしよう。ああもう、悩みの種が増えていくばかりだ」

そのとき、店の(くぐ)り戸を開いたものがいます。「おい小文吾」と呼びかけるのは、塩浜の鹹四郎(からしろう)均太(きんた)孟六(もうろく)の三人組です。みな、小文吾(こぶんご)の相撲の弟子です。

小文吾(こぶんご)「こんな時間になんだお前ら。俺はいろいろ取り込み中なんだ」

鹹四郎(からしろう)「俺たちは、お前の弟子をやめることを宣告しにきたんだ。さっき、お前が房八(ふさはち)に足蹴にされて黙っているのを見たぞ。あんな腰抜けだとは思わなかった。ウワサはもう村中に広がってるよ。もうだれもお前を相撲の師匠だなんて思わねえ」

小文吾(こぶんご)「なんだそんなことか、勝手にしろ。スズメの群れがピーチク騒いだって、俺には関係ない。わかったから、帰れよ」

鹹四郎(からしろう)「ああそうするよ。しかし、破門の記念に、一発殴ってから帰らせてもらう。そらっ」

鹹四郎(からしろう)と残りの二人は小文吾(こぶんご)に打ってかかりました。小文吾(こぶんご)鹹四郎(からしろう)の足を払って倒すと背中を踏みつけ、均太(きんた)孟六(もうろく)の腕をちょいとひねり上げました。

均太(きんた)孟六(もうろく)「ぎゃあー、腕がもげる、助けて、助けて」
鹹四郎(からしろう)「背骨が折れる、目玉が飛び出る、助けてー」

小文吾(こぶんご)「くだらねえ。弟子のよしみで今日だけは許してやるから、さっさと帰れよ」

三人はヨロヨロと帰っていきました。小文吾(こぶんご)は、今のケンカで親父の約束を破ってないかな、とちょっと心配しました。でも、正当防衛だったし、たぶんセーフだろ。

また静けさが戻ってきました。夜がすっかり更けてきました。時々、念玉が尺八を吹く音だけが「プヒョー」と聞こえてきます。悩んでも悩んでも、小文吾(こぶんご)にはこのピンチを切り抜ける方法はわかりません。

また、別の誰かが玄関にやってきた気配があります。

小文吾(こぶんご)「どうしてこう、今夜みたいなときに限って人がいっぱい来るんだ」

やってきたのは妙真(みょうしん)でした。房八(ふさはち)の母親です。三年前に夫をなくしており、今は髪を短くして、尼の姿をしています。

小文吾(こぶんご)「あっ、お義母(かあ)さん、どうしたんです。お一人ですか」
妙真(みょうしん)「いや、表にカゴをつけてあります。中には沼藺(ぬい)大八(だいはち)もいるよ」

沼藺(ぬい)小文吾(こぶんご)の妹で、房八(ふさはち)の妻です。大八はその子供で、まだ乳離れもできない年齢です。妙真(みょうしん)はこの二人もカゴの中から呼んできて、隣に座らせました。

沼藺(ぬい)「こんばんは、お兄様…」

沼藺(ぬい)は大八をかかえ、目は赤く泣き()らしています。

妙真(みょうしん)「お父様はもうお休みなのかい。どうして今日はスタッフが一人もいないんだい」
小文吾(こぶんご)「ええ、まあ、いろいろありまして… おもてなしできなくてすみません」
妙真(みょうしん)「いいんですよ。私はすぐ帰りますから」

妙真(みょうしん)は、今晩訪ねてきた理由を言おうとして、少しためらっています。沼藺(ぬい)大八(だいはち)を連れてきているという時点で、小文吾(こぶんご)にはなんとなく悪い予感がします。

妙真(みょうしん)沼藺(ぬい)ちゃんたちをウチから離縁することにしたのよ。房八(ふさはち)がそう決めてしまったの。さきの相撲勝負で赤っ恥をかかされたあなたとの決着をつけるためだって言ってたわ。男の決断だから、もう(ひるがえ)すことはできないわ。沼藺(ぬい)ちゃんはわけがわからず泣きっぱなしなのだけど。それはまあ、無茶な理由だものね。私もこんな役目で来たくはなかったわ」

小文吾(こぶんご)「はあ、事情はわかりました… しかし、離縁を受け入れるかどうかは、親父じゃなくちゃ決められません。お手数ですが、出直してきてもらうとか、そういうのではだめですか」

妙真(みょうしん)「いいえ、今日、二人を置いて帰ります。お父様にはあなたから説明してください。なんなら今晩分の宿代を払いますよ」

小文吾(こぶんご)「宿はきょうはいっぱいです! 受け入れられません。沼藺(ぬい)はもうそちらに嫁にやったのですから、うちの家族じゃありません。オヤジに聞くまでもない。連れて帰ってください。それとも、正式に三くだり半の?」

妙真(みょうしん)は、不意にホホホと笑いました。

妙真(みょうしん)離縁状(りえんじょう)ねえ… 本当に見たい? 離縁状…」
小文吾(こぶんご)「?」
妙真(みょうしん)「見せずに済ましたかったのだけど、そこまで言うなら見ればいいわ。ほら」

妙真(みょうしん)は、折りたたんだ紙切れを小文吾(こぶんご)に渡しました。小文吾(こぶんご)がこれを開いてみると、なんと、さっきなくした、信乃の似顔絵です。

小文吾(こぶんご)「離縁状じゃないじゃないですか」
妙真(みょうしん)「とぼけてはだめよ。あなたは、この指名手配の男をかくまっているそうじゃない。そんな人たちと(えん)続きでいれば、私たちにも罪が及びかねないわ。だから今のうちに離縁させてもらうのよ。これでも断るというのなら、仕方がないから私自身が荘官(しょうかん)に密告します。…こんなことは言いたくなかったわ。わかってくれるわね」

小文吾(こぶんご)はガックリしました。なぜ妙真(みょうしん)がそんなことを知っているのかは分かりませんが、ともかくこの交渉カードは強力でした。

小文吾(こぶんご)「…わかりました、離縁を受け入れるかはとにかくオヤジに相談しますが、今晩はとりあえず、沼藺(ぬい)大八(だいはち)を預かります…」

妙真(みょうしん)「ごめんないねあなたたち、私自身はなにも恨みはないのに、こんなことになってしまって。沼藺(ぬい)ちゃん、あなたはよいお嫁さんだったわ。大八は左の手が開かないという障がいがあって、世話がかかるぶん、私は別れるのがつらくて仕方がないのだけど」

そしてやがて、妙真(みょうしん)はひとり、涙をぬぐいつつ、カゴを連れて帰っていきました。(妙真(みょうしん)自身は、めまい症があるのでカゴには乗れないのです。あまり話に関係ありませんが)



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