45. 泣く子も黙る犬山道節
■泣く子も黙る犬山道節
関東管領・扇谷修理大夫定正は、もうひとりの管領である山内顕定との関係が悪くなったので、今までいた鎌倉を出て、最近は上野の白井の城に滞在していました。
この日の定正は、きらびやかな格好に身をつつみ、35人の近臣と、数えきれないほどの兵を連れて、狩りに出ていました。帰り道、そろそろ城に着こうかというところで、一行はひとりの浪人に出会いました。浪人は独り言をいっています。独り言にしては、妙に聞こえよがしな大声ですが。
浪人「あーあー! この刀の価値が分かるやつはいねえのかなあー! どいつの目も節穴なんだもんなあー!」
雑兵「こらお前、この行列は、扇谷定正どののものだぞ。管領なんだぞ。とっとと下がって平伏しないか」
浪人「管領? 管領の何がエラいんだ。単に、将軍と許我どのの家来みたいなもんじゃねえか。俺には関係ねえよ。ほら、道をふさいでるわけじゃねえ、勝手に通ればいいだろ」
雑兵「無礼な! 逮捕するぞ」
定正は、前方でこういうゴタゴタがあるのに気づいて、松枝十郎に命じてこの浪人のことを調べさせました。
松枝「おい、定正どのがお前は何者かと問うている。私は近臣の松枝だ」
浪人は、この相手にはサッと平伏し、やがて許されると顔をあげました。目に星のような光をたたえた好男子です。
浪人「私は千葉の大出太郎。病気の母に薬を買いたくて、家宝のこの刀を売ろうと思うのです。千葉の殿様は全く見る目がなく、この刀をニセモノと言った。次に行った許我の公方のところでは、疑われて会ってももらえなかった。管領扇谷どのなら、この刀の真価を分かってくれるかと思い、ここまで旅してきたのでござる。お近づきになる方法がなく、こんな無茶なことをしました。無礼でスンマセンした」
松枝「(なかなか堂々としておる。見どころがあるな)」
松枝はこの旨を定正に報告しました。定正は、その浪人を直接目の前に呼んで話を聞く気になりました。
定正「おまえ、その『刀』とやらのこと、くわしく話してみよ」
浪人「はっ。私の祖父は足利持氏殿の近臣としてお仕えしていました。結城の合戦で祖父は死にましたが、父は宝刀村雨を預かって落ち延び、千葉に隠居しました。持氏殿も、お子様の春王、安王さまも亡くなられ、父も死に、返す相手のいないこの刀だけが家に残っていたというわけです」
定正「ほう、村雨とな。それが本物なら大変な宝だが… 証拠はあるのか」
浪人「刀の切れ味は言うに及ばず、この宝刀は、殺気をもって振ると、切っ先から水が飛び出すのです。村雨が梢を洗う姿を彷彿とさせるため、刀にも村雨と名がついたと聞きます。論より証拠、これをご覧あれ」
浪人は、刀を鞘から抜くと、ヒュッと振ってみせました。冷たい水があたりにほとばしり、取り囲んでいた近臣たちがビショビショになりました。
定正「うおっ、でかした、それは本物だ。それをくれ。近くに来てよいぞ」
松枝「ちょっとまってください、素性の怪しい浪人を、しかも刀を持たせて近くに寄せるなど」
松枝は、警戒して浪人を定正に近寄らせようとしません。
浪人「なんだ、俺のことを疑うんだ。じゃあオレだって疑っちゃうもんね。刀だけ取られて、殺されたりしちゃかなわない。売らない。やっぱ管領には売らないよ」
定正「おい待て。さっきのは松枝が言っただけのこと。俺はお前を信用する。ほら、持ってきてよ」
松枝「…」
浪人「しからば、御免こうむって…(トコトコ)」
浪人はゆっくりと定正のもとに近づくと、突然胸ぐらをつかんで押し倒し、動けないように体重を乗せると、切っ先をピタリと喉にあてました。
松枝「あっ、やっぱり。曲者!」
定正「助けて、助けて」
浪人「まんまとかかったな。俺は、お前がほろぼした練馬の平左衛門倍盛朝臣の重臣、犬山道策の息子、犬山道節忠与だ! 恨みの刃をとくと受けよ」
そしてそのまま、ざっくりと定正の首を斬りおとしました。
そこからあとは、もう乱戦です。詰め寄せる雑兵たちをバタバタと斬りたおし、道節はさらに、重臣の松枝や竈門を追って走りました。敵側はパニックになって、もっぱら逃げまどうのみです。
そこに、ヤブの中から新たに敵軍が現れ、道節の前に立ちふさがります。
???「愚かなり犬山道節。さきにお前が首を取ったのは、定正さまではない。彼は近臣の越杉駄一郎だ。お前がナントカ道人に変装して暗殺計画を練っていたことは、管領のネットウォッチ隊がとっくにお見通し。この私、巨田薪六郎助友が、お前をハメるために今回の作戦を立てたのだ。白井の城に定正どのがいるというウワサも、俺がツイッターで流したガセ情報なのだぞ。管領は今も鎌倉におるわ」
道節「な、なんだとう」
助友「とはいえ、越杉どのが倒されるのも想定外ではあったのだが… それはともかく、それっ、みなのもの、あいつを討ちとめよ」
助友の隊だけではなく、さらに、態勢を立て直した松枝の隊も迫ってきました。道節は怒りに我を忘れそうになりましたが、冷静に考え、逃げることにしました。
道節「ここで中途ハンパに討ち死にしては、世の笑いものだ。ここは、後日を期して退却するしかない。さっき討った越杉駄一郎は、確かわが主、倍盛殿を直接殺したやつだ。だからまあ、ちょっとは仕返しになった、ってことで」
道節は、敵陣の薄そうなところを探すと、そこに突撃して一筋の血路をひらき、全力で逃げ始めました。しかし、敵はどこまでも追ってくる勢いです。
さきに道節の姿を遠眼鏡で見つけ、それを追ってきた四犬士(信乃、壮助、現八、小文吾)は、夕方ごろ、白井の城に近い所を歩いていました。一人の武士が遠くに見えました。彼は白刃をチラチラとひらめかせて追手と戦いながら、だんだんと四人に近づいてきます。そして、やがて彼らとすれ違うと、後方に走っていきました。もう暗くなってきているので、彼が道節だったのかはよく分かりません。
これを追ってきた助友は、四人の男を発見すると、「あいつらは助太刀だな。あれらも討ちとめよ」と叫びました。
四人「えっ、何のことだ」
何が起こっているのか確かめるヒマもありません。どっと雑兵が詰め寄せてきたので、やむを得ず、四人は腰の刀を抜いて応戦をはじめました。四人は異常に強く、雑兵が束になってかかったところで、キズひとつつけることはできません。
そうはいっても、敵の人数が多すぎます。だんだんと四人は押され気味になっていき、それぞれがはぐれて散り散りになっていきました。さすがに、この調子が続いては、四人の命が危なくなるのも時間の問題です。
逃げていた道節は、追手がいなくなったことを不思議がりました。
道節「あれっ、急に誰も追ってこなくなったのはおかしいな。遠くで、チャンバラの音はするが…」
道節「あっ、きっと、さっきすれ違った男たちが、巻き添えをくって戦っているんだ。これはいかん。無関係な人を身代わりにして自分が助かるなど、許されん。助けなければ。たとえ助けられなくても、少なくとも自分だって命を捨てて戦わなければ」
道節は戦場に走って戻りました。敵はさらに数を増しています。みんな四人の犬士たちを相手にしており、道節のことに気づいていません。
道節は、策を講じました。あたりには、弓と捕縛用ロープがたくさん捨てられています。これをうまく使い、縄を引くと矢が打ち出されるような仕掛けを竹やぶの中にたくさん作りました。
道節「みなのもの、撃てえぇーっ。ワーワーワーワー!」
道節は一人でこう叫ぶと、竹をガサガサ鳴らし、縄を引っ張ります。竹やぶの中から次々と矢が繰り出され、たちまち敵に数人の死者が出ました。もう日は沈んでいますし、敵軍はこちらが援軍をつれてきたと信じ込みました。
助友「いかん、敵の伏兵だ。いったん退け、退け」
道節の作戦はうまくいき、敵に混乱が起こりました。これのおかげで、信乃たち四人はそれぞれスキをついて姿をくらますことができました。
助友はあとでこの策に気づいて悔しがりましたが、敵は全員逃げてしまいましたし、仕方がありません。今日はもう遅いので、軍勢をつれて白井の城に帰っていきました。
道節は、静かになって死体の散らばった戦場を、さきに討った越杉駄一郎の首を探して歩き回りました。月の明かりの下でこれを探し当て、死体の袖を引き裂いてこれを包むと、「まずは主君のカタキ、これでひとつ」と満足しました。
そこに「曲者、まて」と呼び止めるものがいます。
道節「なんだ。ひとりで俺を討とうとは、殊勝なやつがいるものだな。名を名乗れ」
三宝平「竈門三宝平。お前の父を討った男だ。もちろん覚えているな」
道節「…父のカタキ! 今日のメインターゲットの一人だ。なんたる天運!」
三宝平「さっきまで、熱中症で保健室にいたのだ。こんな体たらくでは、恥ずかしくて城には帰れん。お前を討てば恰好がつく。親子ふたりで俺に討たれるというのもオツだろう」
道節「ほざけ。来いっ」
道節を前にしては、三宝平がちょっとくらい強くても問題になりませんでした。道節がワオと叫んで全力で刀を振るうと、三宝平の首は遠くに飛び、松の木にあたって落ちました。
道節「父のカタキ、これでふたつ… 残るは定正のみ…」
このときの戦で道節が見せた鬼気迫る戦いぶりは、白井の城でもその里でも後々の語り草となり、親は子供に「悪いことをすると、道節が来るぞ」という脅し文句を使うようになったといいます。