48. 力二郎と尺八、帰る
■力二郎と尺八、帰る
音音は、犬山道節指名手配のお触れを平静を装って聞いていましたが、役人たちが去ったあとは、もう気が気でありません。
音音「道節さまと、ご友人の犬川さまが危ない。今すぐ知らせに行きたいけれど、行先もわからない。心配だわ…」
ふと、馬追いの唄を女が歌う声が聞こえてきました。曳手と単節の声です。やがて闇の中から、女ふたりと馬が一頭現れました。曳手は馬をつれて雑役に出ていたのです。
音音「ああ、やっと帰ってきた!」
単節「ただいま、お母さま。遅くなりました。寝ていなかったのですね」
音音「いったい何があったんだい。あと、馬の上に乗せているのは…」
馬の上には、男の旅人が二人、またがっていました。
曳手「具合がわるいというので、家で休んでもらうために連れてきたのよ。私たちを助けてくれたの」
曳手は、家に帰るときに、白井のあたりでひどい騒動が起こっていたので、ろくに道を進めず立ち往生していました。それを、男の旅人ふたりが、馬を引いて人を押し分け、家の近くまで送ってくれたのだということです。
(この騒動は、道節が扇谷定正を襲おうとして失敗した、あれのことですね)
曳手「でも、さっき急に、ふたりとも持病が出たとかで動けなくなってしまって。それで連れてきたの」
音音「そう、それは世話になったわね… しかし心配なのは、ちょうどさっき、白井の城からお触れがあって、ええと…」
音音はこの二人もスパイだったらどうしようと迷っています。なんとも用心深いことですが、急にふたりそろって調子が悪くなるというのがちょっと解せません。そうでなくても、指名手配になった人物がここにいることを、できる限り誰にも知られたくありません。
曳手・単節「恩人なのよ。おねがい」
音音「…そうですね。では上がってもらいましょう」
曳手「ありがとう。さああなたがた、上がってください。足も洗ってあげます」
音音「ちょっとまって、そのお二人は… まさか、力二郎? そしてあなたは尺八?」
ふたりの旅人「…なんと、母上か?」
驚いたことに、曳手と単節が意図せず連れてきたのは、それぞれの夫である力二郎と尺八だったのです。
力二郎・尺八「母上、おなつかしい。白髪が増えましたな…」
音音「なんとうれしいことだ。神のお導きだ。気づいているかい、お前たちを連れてきてくれたのは、嫁の曳手と単節なのだよ」
二組の夫婦は、互いの顔にすぐに気づけなかったことを恥じました。まあ、一日しか一緒にいなかったのでは無理もありません。
さっそく全員は家に入りました。力二郎たちの持っていた行李は、単節が預かって部屋の隅に置きました。
音音「急に体調をくずすような持病ってのは何なんだい。悪いのかい」
尺八「戦で傷をうけたのがもとになっているんだと思います。今はもう大丈夫ですよ」
そういえば二人とも、快活に振る舞ってはいますが、顔は真っ青です。
音音「傷って、戸田川で受けたものなのかい」
力二郎・尺八「えっ、そんなことをご存じなのですか」
音音「道節さまが、ある人と話しているところを聞いたのです」
戸田川は、さきに、矠平たちが四人の犬士を逃がすために活躍したところです。力二郎と尺八も矠平を助けて敵と戦いました。音音がこれを知っているのは、ついさっき、道節と荘助がここで話していることを聞いたからです。
音音「あなたたち、1年半前の戦が終わったあと、ずっとどこにいたのよ」
力二郎「そこまでご存じなら、もう隠すことはありませんね…」
尺八「私たちは、1年半前に練馬家が滅亡したあの戦いで、生き残りました。道節さまが助けてくださったのです。あの方は本当に強い」
尺八「そのとき、あの方は、私たちに秘密のミッションを託されました。それは、これからの復讐戦のために、すぐれた人材を探し、それらを味方に引き入れよというものでした」
尺八「道節さまは、父姥雪与四郎が矠平と名をかえ、大塚に住んでいることをすでにご存知でした。犬山家に変わらぬ忠義を誓っていることも知っていました」
尺八「我々は、父矠平のもとで世を忍ぶ暮らしをし、道節さまのミッションをひそかに実行していたのです。母上にも嫁たちにも秘密でした。今日まで不義理をして、まことにすみませんでした」
力二郎「そして先日、ついに父は、すばらしい豪傑を見つけました。犬塚信乃、犬飼現八、犬田小文吾という人たちです。父は彼にここへの手紙をさりげなく託し、母上を通じて道節さまに会わせようとしました」
力二郎「その三人と、もう一人加わった勇士たちが、戸田川でピンチに陥りました。我らはこれを命がけで助けたのです。我々兄弟は、銃で撃たれて何個所かに傷を受けましたが、なんとか水にもぐって命を長らえたのです」
力二郎「その後、嫁たちにめぐり会ってここまでたどり着けたことは、じつに幸運でした。どうでしょう、その後、四人の勇士たちはここに来られましたか」
音音「ひとり来ました。犬川荘助という方が。道節さまは犬川どのと話し、意気投合して仲間の契りをかわしましたよ。残りの三人は、その犬川どのと、道節さまが迎えに行っています。きっとじきに戻ってくるでしょう」
力二郎・尺八「すばらしい。それでこそ、我々が働いた甲斐があった! もう安心だ…」
曳手・単節「あなた、ご自分の体も大事にしてください。さっきからずっと顔が真っ青です。どうかゆっくり療養して」
力二郎・尺八「なあに、これしきでダウンしていられない。我々はいまから鎌倉に行き、道節さまのための情報収集をするのだ」
音音「そんなバカな。その体調では死んでしまうかもしれないよ」
力二郎・尺八「そのときは… 私たちがもし死んだときは、嫁よ、どうか許してくれ。お前たちはまだ若いし、どこかよい人を見つけて再婚してくれ」
曳手・単節「ひどいことを言わないで。もうどこにも行かないで」
力二郎と尺八は、困ってため息をつきます。「どうしたって、行かなくてはいけないんだよ…」
次に男たち二人は、音音に向かって
「母上、お願いがあります。…父は、さきに戸田川で死にました。水に沈むところを私たちは見たのです」
音音「えっ!」
力二郎「今回の父の功績は大きい。これで、犬山からの勘当を許されるよう、道節さまに訴えてほしいのです。これが許されれば、我々は正式に世間に姥雪世四郎の息子と名乗ることができ、母上は姥雪世四郎の妻と名乗ることができます。これ以上の幸せはありますまい。どうかお願いします」
音音はハラハラと涙を落とします。
音音「私はとんでもないことをしました。あの人を誤解していたのです。さっき、あの人はこの家に現れました。そして私は、ひどいことを言って、あの人を追い払ってしまったのです。あれはやっぱり、死んだあの人の幽霊だったのですね…」